東海道五十三次
令和2年12月29日
今年も残すところ、あと2日となりました。いよいよ正月体制に入りますので、これが年内最後のブログです。
一日だけ、いや半日だけでも時間をとって旅に出たいと思いつつ、今年はとうとう叶いませんでした。こうしてパソコンに向かっていても、車を運転して、あるいは各駅停車にでも乗って行ってみたい所が浮かびます。だから、時おり瞑想の中で旅をしつつ、いながらにしてこれを楽しんでいます。
私は長期の旅行は出来ませんので、かつては奈良や京都に出張した折、半日ほどの時間をとって旅をしました。特に奈良の明日香村には、どれほど足を運んだかかわかりません。寺跡に立って悠久の流れを思う時、その満ち足りた時間にはこの上もない感動がありました。古代瓦の美しさに魅せられたのも、そんな経験からだったのです。
ところで旅といえば、江戸時代に制定された東海道五十三次は、よく知られています。この江戸から京都までの五十三次という宿場は、実は『華厳経』入法界品を典拠としていることをご存知でしょうか。法界とは、つまり悟りのことです。主人公を善財童子といい、この聡明な童子が文殊菩薩にうながされて、53人の善友(善知識)を次々に訪ね、最後は弥勒菩薩や普賢菩薩にも教えを受けてついには悟りを得るという物語です。
53人の善友の中には菩薩や修行僧ばかりではなく、女神や仙人、外道や漁師、医者や商人、子供や遊女まで含まれています。つまり仏教の悟りは職業や身分、年齢や性別に関わりなく、いかなる人からも学び得ることを示しているのです。
この53人の善友を訪ねる旅になぞらえ、東海道五十三次の宿場が設けられました。だから、五十三次は単なる宿場ではなく、善友を求める旅の道しるべだったのです。『華厳経』入法界品の教えを生かしたすばらしい着想であり、まさに日本文化の誇りと言っても過言ではありません。
現代の新幹線なら2時間程度で到着しますが、昔の江戸から京都への旅は2週間ほどかかりました。しかし、その五十三次の宿場に、旅人はそれぞれの思いを馳せたのです。人生はよく旅に喩えられますが、それは長い修行の旅、悟りへの旅であり、また道連れの善友がいるということなのです。
いつもブログを読んでいただき、感謝しています。では、よいお年をお迎えくださいますよう。
寄進をする時は
令和2年10月27日
一休さんといえば、とんちで有名ですが、そのほかにもエピソードがたくさんあります。
ある日、村人とお寺の縁側で将棋を指していました。そこへ裕福な商人が、山門修復のために多額の寄進を持ってやって来ました。しかし、一休さんはお礼も言わず、そのまま将棋を続けていました。そこへ使いに出ていた小僧さんが帰って来たので、一休さんは「遠くまでご苦労だったね。どうもありがとう」と、ていねいにお礼を言いました。
さあ、それを聞いていた商人は、カッとなって「使いに出た小僧にはお礼を言って、寄進をしたわしにはなぜお礼を言わんのだ」と怒鳴りました。すると一休さんは、「あんたは寄進をして徳を積むことが出来たではないか。何でわしがお礼を言うんじゃ。あんたの方こそ、徳を積ませていただいてありがとうございますとお礼を言うべきじゃないのかね。そんな気持ちで寄進をするなら、その金子は持って帰りなさい。そうでないと徳を積むどころか、悪業を積むことになるんじゃぞ」と答えました。その商人は自分の非礼をわび、感謝のお礼を言って帰りました。
現在でもタイやスリランカでは、僧侶が托鉢に出ると、膝をついて合掌するのは布施をした信者の方です。僧侶は大威張りで、お礼の一つも言いません。寄進者に対しても同じです。もちろん、徳を積ませてあげているのですから、一休さんが言うとおりで、確かに一理があります。
ところが日本ではご存知のとおり、寄進者に対して、僧侶は頭を下げてお礼を言うのが通例です。これは必ずしもへつらっているわけではありません。寄進をして徳を積ませてあげていると同時に、徳を積んだ相手を讃えるという意味もあるのです。つまり、どちらにもそれぞれに意味があるということです。
皆様はどちらでしょう。徳を積ませていただくという気持ちですか、僧侶に頭を下げてもらいたいですか。
わかっちゃいるけどやめられない
令和2年9月15日
人はよく「悪いことは何もしていません」とか、「他人に迷惑をかけるようなことはしていません」などと言います。もっともな言い分で、たいていは特に考えることもなくこれを聞き流しています。皆様はどうでしょうか。
もちろん、悪いことをしてはいけません。それは当然のことです。もっとも、何が善で何が悪かという奥深い問題がありますが、ここでは一般的な意味でお話をいたします。また、他人に迷惑をかけることもいけないことです。だから、私たちは悪いことをしない、迷惑をかけないという強い意志を持たねばなりません。これは人としての大切な道徳であるからです。
ところが、人というものは悪いことはしない、迷惑はかけないと思いつつ、少しずつ過ちを犯します。誰も見ていなければゴミを捨てるかも知れませんし、飼っている愛犬が他人の家に粗相をするかも知れません。それでいて困っている友人がいれば、何とか手助けをしようとし、無断駐車を見ればこれをののしります。
つまり、人は善いことをしながら悪いことをしているし、悪いことをしながら善いことをしているのです。他人に好かれたいと思いながら、嫌われることをしますし。親を傷つけまいと思いながら、心配ばかりかけています。
さらに極端な例が犯罪者です。彼らや彼女らは始めからそんな人生を望んだわけではありません。何かの拍子に小さな悪事をすると、それを隠そうとしてまた悪事を重ね、さらにそれを隠そうとして犯罪の道に入ってしまうのです。私たちは、もちろん自分が犯罪者になるなどとは思っていません。しかし、その縁が寄れば何がおこるともかぎりません。これが、仏教でいう〈業〉なのです。避けることのできない運命のようなものです。よく「あの人は業が深い」などと言いますが、私たちだって同じです。ただ、業のはたらく縁が寄らねば、まずまず平穏な人生を歩んでいるに過ぎないということなのです。
その昔、「わかっちゃいるけどやめられない」という唄が流行りました。おもしろい唄でしたが、業の本質をよく表しています。そうではありませんか。お酒もたばこも、パチンコもギャンブルも、何ごとも、わかっちゃいるけどやめられないのです。それが業なのです。だから、人は悪いことをしない、迷惑をかけないという道徳的な意志と、悪いことをせずには生きられない、迷惑をかけずには生きられないという仏教的な自覚が共に必要なのです。
わかっちゃいるけどやめられない皆様、苦しく、切なく、時には愛しい業と、どう向き合いますか。それとも・・・。
続・毎日の施餓鬼法
令和2年8月14日
ではいったい、人はなぜ餓鬼道に堕ちるのでしょうか。阿難尊者ほどの方が瞑想中に予告を受けるほどなら、世の僧侶という僧侶は、まず覚悟をせねばなりません。また目連尊者ほどの方を産んだお母様ですら餓鬼道に堕ちるなら、世の母という母も覚悟をせねばなりません。なぜなら、母たる者がわが子に執着するのは当然であるからです。
餓鬼道の恐ろしさは、ここでお話するのもはばかるほどの様相です。その一部を示せば、身はやせ細って腹部のみふくれ、口内は火を噴いて熱して渇き、吐く息は腐臭を放ち、咽喉は針穴のごとく細くふさがり、食べ物を口にしようとしても燃えて叶わず、飢餓に悩んで狂い叫ぶというのです。これははたして、単なる絵空事なのでしょうか。
では仏典に説かれる根拠を、わかりやすく訳してみましょう。まず、『正法念処経』によりますと、
「貪りの心によって人を欺き、物を惜しんで富裕を欲し、世間の悪事を重ね、所得に狂走して布施をせず、僧侶や病人の貧窮を助けず、物乞いが来ても与えず、功徳も積まず戒律も持たず、あの世の先祖に供養せず、生活に苦しむ妻子や使用人を捨て置き、貪欲に徹して自分を省みず、この因縁をもって餓鬼道に堕ちるのである」と。
また、『弁意長者子経』には、
「一つには貪欲にして布施をせず、二つには盗みを働いて親に孝行をせず、三つには愚鈍にして慈悲心がなく、四つには財物を増大させてこれを惜しみ、五つには父母・兄弟・妻子・使用人に報いず、この五事をもって餓鬼道に堕ちるのである。また女人は多く餓鬼道に堕ちる。女人は嫉妬心が強く、夫の気持が自分から離れると、ますます妬むからである」と。
いやはや、これでは貪欲の奴隷と化した現代人は、みな餓鬼道に堕ちましょう。人心荒廃の果てに自らを懺悔せず、与えることの喜びなど何ひとつ知らないからです。僧侶ですら修行を怠り、高額な布施を求め、贅沢な暮らしに甘んじ、葬儀や法事を単なるビジネスとして顧みない生活の果てに、何が待ち受けているのかを考えているのでしょうか。
最後に残るのは与えたものです。功徳こそはあの世に持ち越せる唯一の宝です。そして、あの世が救われねば、この世も救われません。餓鬼への布施は特に重要です。とりわけ、女性は布施を心がけねばなりません。では皆様、これから施餓鬼法を修してまいります。次回、さらに。
毎日の施餓鬼法
令和2年8月12日
明日から盂蘭盆(お盆)に入ります。盂蘭盆といえば〈施餓鬼〉がつきものですが、もともとの由来は異なります。
盂蘭盆はお釈迦さまの弟子で、神通(霊能)第一の目連尊者に始まります。餓鬼道に堕ちたお母様を救うため、お釈迦さまの教えにしたがって、この時節(インドの雨期)に大勢の僧侶に食事を供養し、その功徳を回向したことが由来です。つまり、その当時はお釈迦さまや弟子の僧侶こそ、仏さまであったということになります。
施餓鬼の方は同じくお釈迦さまの弟子で、多聞(たくさん教えを聞いた)第一の阿難尊者に始まります。瞑想中に餓鬼が現われて、「三日の後に、そなたの寿命は尽きて餓鬼道に堕ちるだろう」と予告を受けました。修行を積んだ阿難尊者も、決して気持のよいものではありません。そこでお釈迦さまに相談して施餓鬼法を授かったと伝えられています。したがって、施餓鬼法はお盆にかぎらず、本来はいつ修してもよいということになります。
ところで私は毎日、夕方の薄暗い時間になると施餓鬼法を修しています。夕食のご飯を専用のお椀に入れ、水を加えて境内の片隅に向い、略作法ではありますが、これを自らに課しています。
なぜ施餓鬼法を修するのか、しかも毎日修するのか言いますと、これが師僧の遺訓だからです。まだ二十代の頃でありましたが、師僧は「真言密教の行者は毎日、施餓鬼法を修さねばならない。その理由はいずれわかるだろう。ただ、施餓鬼法を修した行者は胃腸を病んだり、衣食に困ることがないことだけは伝えておこう」とおっしゃったのです。
私は昭和二十七年の生まれですから、終戦直後の飢えの苦しみを知っているわけではありません。たとえ粗末な食事ではあっても、一日として何も食べられないほどの生活を送ったことはありません。十八歳で上京して、貧しい暮らしはしていても、パンの耳をかじってでも何とか生きることはできました。また断食修行なども経験しましたが、飢えの苦しみとは比べようもないはずです。その私が僧侶になったのです。布施(特に食を施すこと)をせずして何を行ずるのでしょうか。飽食の時代にご馳走を食べ、満腹をかかえて何が供養か、何が施餓鬼かと思うばかりです。
布施の方法はいくらでもあります。身近な人への布施もあれば、被災地への布施、貧困国への布施もありましょう。それも、可能なかぎりは心がけています。しかし今、私にでき得る最善の方法は施餓鬼なのだと確信しています。なぜなら、コロナウイルスの不安や混乱を含め、「鬼神(死後の魂)乱るるが故にすなわち万人乱る(仁王護国般若経)」からです。あの世が乱れれば、この世も乱れるのも当然のことだからです。
蓮の花が開く音
令和2年8月9日
蓮の花についての、別のお話です。よく、蓮の花が開く時、「ポン!」と音を立てると言いますが、皆様はどのように思うでしょうか。その音が聞きたいので、何時ごろに伺えばいいかなどと、問い合わせまで受けた経験もあります。中には立派なビデオカメラをセットし、夜明け前から待ち構えていた方もおりました。
正岡子規の俳句にも、「蓮開く音聞く人か朝まだき」とあります。石川啄木の詩にも、「靜けき朝に音たてて、白き蓮の花さきぬ」とあります。また題名は忘れましたが、川端康成の短編小説にも、上野(東京)の不忍池で音を立てて蓮が開く様子をを描いた作品がありました。文学の世界でも、蓮の花が音を立てて開くという〝言い伝え〟はおなじみのようです。ましてや、文士が描けば臨場感も漂いましょう。
蓮は日の出と共にゆっくりと開き、八時から九時ごろに満開になります。そして昼ごろから少しずつしぼみ、蕾にもどります。これを三日間くり返し、四日目には蕾にもどれなかった花弁から散って行きます。そして中央のガクだけが残り、しだいに大きくなって蓮の実を残すのです。その蓮の実を、持ち帰ってもよいかと尋ねる方もおりました。
結論を申し上げましょう。蓮はゆっくりと開くのであって、決して音など立てません。「ポン!」という音がするというのは、そのイメージなのです。蕾が開く様子から、そんなイメージが伝わったのです。蓮の花は、ワインのコルクを抜く時のようにはいきません。これは蓮の花を育てている住職や愛好家なら、誰でも知っていることです。
ただ、それでも蓮の花が開く音を、「確かに聞いた」という方がいるかも知れません。これはあくまでも私の仮説ですが、もしかしたら「異界の音」を聞いた可能性があります。つまり〝あの世の音〟をこの世で聞いたのかも知れないということです。そうでなければ、この言い伝えがかくも広まった理由がわかりません。文士までも、まるで自分が聞いたかのように描くでしょうか。たぶん、私のこの仮説は当たっていると思います。それは、仏さまがまさにご降臨し、お座りになるお知らせの音なのださえ思うからです。
私は蓮の花ばかりは、「この世のものとも思えません」といつも語っています。仏さまがお座りになる花です。霊験が顕現する花です。俗に「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」などと言いますが、芍薬も牡丹も百合も、みな美しい花です。この世の花です。しかし、蓮の花ばかりは品格が違います。あの世の花なのです。
蓮の花が開く時、「ポン!」という音などしないことは〈事実〉です。しかし、確かに聞いたという方の、その〈真実〉を認めるべきだと思うのです。あの世の花が、この世に開く音です。
煩悩の泥、菩提の花
令和2年8月7日
八月も初旬までは、蓮の花の見ごろを楽しむことが出来ましょう。本県の行田市には「古代蓮の里」があり、朝早くから大勢の観光客でにぎわっています。私も二度ほど訪ねました。そのほか、京都では三室戸寺や法金剛院など、奈良では生連寺や金剛寺など、いささかの思い出があります。
私はかつて、蓮の花を咲かせることに夢中になっていた時期がありました。出来れば今でも続けたいのですが、何しろ毎年春には、蓮鉢の土を植え替えねばなりません。その、蓮鉢が重いのです。しかも、大量の荒木田(粘着力のある土)が必要となります。お寺の住職が夢中になるのはいいのですが、高齢になると大変です。それを覚悟する必要があるのです。
ずいぶん、いろいろな先輩に教えを受けました。初めて蓮の美しさを知らされたのは、黄檗宗第六十一世管長の岡田亘令和尚からでした。まだお若い頃で、伏見のご自坊で奥様の手巻き寿司をご馳走になりながら、得々としてその魅力を聞かされました。和尚の蓮はやがて九州の弟子の寺に渡り、それが巡って私のところに送られて来たのです。管長猊下に就任なさるとは思いもよらず、ずいぶん気さくなおつき合いをしたものでした。また和尚からは、他の何びとからも学び得ぬ霊符の伝授まで賜り、私にはよほどのご縁であったのでしょう。深く感謝しつつ、あの世で恩返しをせねばと考えています。
また、蓮づくりの上手な住職や愛好家がいると聞けば、訪ねてはご指導いただきました。栽培法についての本も読み、石灰で消毒をしたり、土の中に加える、ある〝秘伝〟も知りました。学んで道を開けばまた悩み、悩んでは学んでまた開く、人生も蓮の栽培も、同じようなくり返しでなのでしょう。今でもそのように思います。
さて、早朝に蓮の花が最初(一日目)に開く時、その美しさはこの世のものとも思えません。実は私は、お釈迦さまがこの世に出現されたのは、この地上に蓮という花があるからだと信じているのです。なぜなら神さまは清らかな霊地にしか降臨しませんが、仏さまは汚い煩悩(迷い)の泥から、菩提(悟り)の花を開かせるからです。春に植え替える時、その泥からは悪臭が漂います。まさに煩悩です。しかし、その煩悩がなければ菩提の花は開きません。ここに仏教の深奥があるのです。煩悩を断つのではなく、その煩悩が、かえって菩提となるころに仏教の根底があるからです。
しかも、蓮は実を残します。仏種を絶やさぬため、つまり仏の修行者を絶やさぬため、蓮はその功徳も積んでいるのです。薬膳料理や精進料理に使えます。脾臓の妙薬であり、胃腸障害や疲労回復にも薬効があります。その実を残すため、蓮は三日間の開花の後、四日目には静かに散るのです。法要中の〈散華〉で唱えるがごとく、「香華供養仏」と。
「追善」と「追悪」
令和2年7月26日
〈死〉だの〈葬儀〉だのと陰気くさい(私はそうは思いませんが)お話をしましたが、もう一つおつき合いください。
昔の葬儀(今でも一部は残っていますが)をいろいろ考えてみますと、「追善」という本義がいかに溶け込んでいたかがわかります。しかも深遠な仏教の哲理が、何の抵抗もなく民間の風習として広まっていたのです。往時の住職がいろいろと思案をめぐらせ、それを檀家の方々に伝えたのでしょう。
たとえば、私が子供の頃の農村の葬儀では配役を決め、行列を整えて墓地に向いました。その日のうちに土葬するためです。もちろん、今のように立派な霊柩車などありませんから、遺体は荷車のようなもので出棺しました。そして、その家の屋敷を出る時、竹で編んだ籠を振って小銭(硬貨)をまくのでした。そして、道端に落ちたその小銭を、大人も子供も夢中になって拾いました。なつかしく思いおこす皆様もいらっしゃるはずです。
これはいったい何を意味するのかといえば、死者に代って遺族が布施をする、つまり追善をするということなのです。死者に生前の功徳が足らないなら、あの世へ往っても心配です。だから、遺族が代って〝善を追う〟のです。子供の頃は、もちろんそんなことを理解していたわけではありませんが、このような風習の中で、死者の弔いをしたのでした。
また、これは三十年近くも前のことですが、私は依頼を受けて成田市(千葉)で葬儀をしたことがありました。この時は出棺の前に、会葬者の皆様にお団子ほどの小さなにぎり飯が配られました。私は初めて体験しましたが、これもまた死者に代っての追善であることは容易に理解されましょう。現在も、葬儀や法事ともなれば立派なお斎をふるまいますが、本来は死者に代っての布施、つまり追善であることを知らねばなりません。
この本義を熟慮するなら、僧侶の読経もまた「追善供養」と呼ばれることも得心するのです。僧侶が読経をするのは、遺体となって読経の機会すら失った死者に代わり、追善をすることにほかなりません。たとえその仏典の意味はわからずとも、仏さまの言葉を唱え、その功徳が死者に回向(供養)されるからにほかなりません。そして、さらに大切なことは、「追善」があるなら「追悪」もあるということです。死者は四十九日までは、中陰(この世とあの世の中間)にいるのです。遺族の声も聞き、遺族の姿も見えています。悪口を言ったり、遺産争いをしたりすれば、それは「追悪」となるのです。
葬儀や法事は単なる形式ではありません。「追善供養」なのです。本義を離れてこれを誤れば、「追善」は「追悪」に変ずることを肝に銘じましょう。
五観の偈
令和2年7月20日
僧侶が寺院で食事をする時は、必ず「食事作法」をします。その作法の中で、最も中心になるのが「五観の偈」という五つの徳目です。つまり、その五つの徳目を観じ、食事をいただけることに感謝をしようということです。〈偈〉とは詩文というほどの意味にお考えください。
一つには功の多少を計り、かの来処を量る。
二つには己が徳行の全欠を付って供に応ず。
三つには心を防ぎ、過を離るることは貪等を宗とす。
四つには正に良薬を事とするは、形枯を療ぜんが為なり。
五つには成道の為の故に、今この食を受く。
まず、「功の多少を計り」とあります。たとえ一粒の米、一茎の菜といえども、田畑を耕し、種をまき、実らせ、収穫し、かぎりない人々の手を経て自分の食膳にあるのです。その功績は多少を問わず、どれほどの労苦があったかを知らねばなりません。そして「かの来処を知る」ことです。その由来を知って、感謝の念を捧げることです。
次に「己が徳行の全欠を付って」とは何でしょう。つまり、自分がはたして、この食を受けるに十分な徳があるか否かを考えなさいという意味です。そのことを反省して「供に応ず」、すなわち万人の供養を受けることです。
次に「心を防ぎ、過を離るることは」とは、心を清らかに保ち、誤った行いを避けるということです。そのために「貪等を宗とす」るのです。つまり、仏教は貪(むさぼり)・瞋(いかり)・痴(おろか)を、〈三毒〉として特に戒めます。
次に「正に良薬を事とするは」とあります。本来、食事はお腹がすいたからいただくのではなく、身体を養い、健康を守るためのものです。これを「医食同源」といい、医術と食事は同じであるとします。食事が良薬であるから、「形枯を療ぜんが為なり」なのです。〈形枯〉とは身体が衰えること、生気がなくなることです。それを治療するのが、医食同源の食事であるとの自覚を持たねばなりません。
最後の「成道の為の故に、今この食を受く」は説明するまでもありません。仏道修行をまっとうするために、この食事をいただくという意味です。
産婦人科の「慈心妙手」
令和2年7月6日
東京慈恵医科大学の産婦人科は創立110年を超える伝統がありますが、その初代教授が樋口繁次博士です。博士は子宮筋腫等の婦人病に対する「樋口式横切開法」を確立しましたが、一方では熱心な仏教の信仰者でもありました。あまり知られてはいませんが、私は博士の仏教観が医学界に普及されことを念じている一人です。ちなみに、博士のことを手元の『新潮日本人名辞典』で検索しましたが、残念ながら記載されてはいませんでした。大変に惜しいことです。
一般に科学者は分析や統計に傾倒し、精神的な、また宗教的な人生観を持つ方は少ないように思います。ところが樋口博士の病院では、玄間・控室・院長室・薬局・手術室・看護婦室、いずれにも「慈心妙手」の額縁がかけられていました。しかも、それらは当時の、名だたる高僧の揮毫によるものばかりでした。「慈心妙手」とは観世音菩薩の慈悲をもって医術に精進するという意味です。つまり、観音さまのような心で患者さんに接するべきであるという教えを示したものでありましょう。これは博士が、その生涯にわたって貫かれた医術の信念でありました。
博士が執刀する患者さんの手術を、学生に見学させる時のこと。患者さんがいよいよ手術台に横たわり、準備がすべて整うや、厳粛な中で博士も助手も看護婦も瞑目して合掌します。沈黙の時間が続く中、その高貴清雅な姿に、若い学生さんたちもまたいっしょに合掌するのでした。まさに「慈心妙手」の実践を見せられた思いであったことでしょう。
このような手術を受けたならば、本人はもちろん、その家族も見学した学生も、その縁に深い感動の念をいだいたことでありましょう。担当した助手も看護婦も、職務に対する新たな喜びと希望を体得したに違いありません。「医は仁術」とも言いますが、これが本来の医術ではないかと私は思います。
およそ合掌ほど清しく、美しい姿はありません。合掌する本人はもちろんのこと、それを見る者もまた、大きな霊的世界に引入されるからです。さらに私の見解を申し上げるなら、本人の父母や祖父母、叔父や叔母までも見えない姿で合掌していると感じられるからです。つまり、いろいろな人の力が結集して、私たちは合掌する姿を顕現しているに違いありません。たとえその場は限られた室内であったとしても、そこに込められた祈りは想像も及ばぬ範囲に関与しているに違いありません。人は日常の何気ない生活の中にも、多くの世界と関わりながら〝自分〟という人生を過ごしているのではないでしょうか。
医術の成果も、信仰の裏づけがあればこそ、大きく花開くことを信じてやみません。そして、その花を開くのが合掌の姿なのです。南無観世音菩薩。