2023/03の記事

感動とひらめきと

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令和5年3月31日

 

何が道理であるか、また何が正しい選択であるかを考えることは大切なことです。しかし、私たちは時に、間違った判断をすることがあります。それは正確に自分が見えていなかったからかも知れませんし、考える力が足らなかったからかも知れません。

しかし、ここにもう一つの確かな手立てがあることも事実です。それは美しいものに心を寄せ、感動することです。美しい芸術や音楽にふれ、生きている喜びを知ることです。それによって、頭脳の思考では到達し得ない瞑想世界が顕現けんげんするからです。このことは、人生を豊かにする大きな意義を持つに違いありません。

かつて、昭和期に活躍した岡潔おかきよしという天才的な数学者がいました。誰も解けなっか数学の三大難問を、独りで解き明かしたという業績があります。奇行きこうの多い人でしたが、文化勲章を受章した折、記者から「数学で最も大切なことは何ですか」と問われました。その時、「野のスミレに感動する心です」と答えたそうです。思考の極意は、感動とひらめきだという意味なのでしょう。私はこのエピソードが忘れられず、感動する心がなければ、〈真〉からも〈善〉からも遠のくのではないかと考えるようになりました。そして、スミレの〈美〉をすら知らない自分を、大いに恥じたものでした。

野の花こそは最も身近で美しい、自然界の芸術であるかも知れません。以来、私は野の花の名前を覚え、感性の向くまま古器に挿し、エッセイを添えた書籍まで刊行するまでになりました(写真は『邑庵花暦』『花は野の花』創樹社美術出版)。

また、あさか大師ではこのほど、ささやかな花壇を造成し、桜とともに野の花が楽しめるよう工夫しました(写真)。特に現代では、花屋さんからすでに姿を消した日本の野趣にふれていただきたいと考えています。

これから春の花がたくさん開きます。お大師さまのお護摩で祈願を込め、野の花にふれて自然界の芸術にふれていただくことを念じてやみません。感動とひらめきとが、皆様にも訪れますように。

明日まで待てません

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あさか大師

令和5年3月28日

 

あさか大師の桜が満開となりました(写真)。今日、明日が見ごろでしょうか。皆様には、ぜひお花見にお越しいただきたいと思います。

ところで、桜というと私は、親鸞聖人しんらんしょうにんんだとされる歌が憶念されてなりません。

明日あすありと 思う心の仇桜あだざくら 夜半よわに嵐の 吹かぬものかは」

これは親鸞聖人が九歳の折、仏門に入ろうと決心して比叡山の天台座主ざす慈円じえんさまを訪ねた折の作とされています。ところが、すでに夜だったので、慈円さまは「明日になったら得度式とくどしき(仏門に入る儀式)をあげましょう」と語りました。しかし、聖人は「明日まで待てません」として、この歌を詠まれたのでした。

すなわち、「美しく咲いている桜を、明日も見ることができるだろうと油断ゆだんしていいものでしょうか。夜半に嵐が吹いて散ってしまうかも知れませんよ」という意味になります。つまり、自分の命を桜にたとえ、明日はどうなるかわからないから、今すぐ自分の願いを叶えてほしいと懇願こんがんしたのでした。慈円さまが、「この子はただ者ではないな」と思ったのも無理はありません。とうとう、その日の夜のうちに得度式を済ませたというのです。

ちょっと、でき過ぎたお話とは思いますが、心に残る道歌どうかとして忘れることができません。子供の頃、「今日できることを明日にのばすな」などと教えられましたが、桜に喩えられると、情感がこもります。たしかに、明日に延ばしてホゾをかんだ覚えが、ないはずはありません。このところ風雨が続き、満開の桜もこの歌のとおりです。

境内にて4月1日午後2時より、第三回〈桜まつり〉を開催します。少しでも〝仇桜〟とならぬことを願っていますが、この歌をきもに銘じて、葉桜でもよしとせねばなりません。私も皆様も、明日はわが身です。すべては縁のなすままです。

大谷翔平は何が偉大なのか

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九星気学

令和5年3月26日

 

このたび、私が昨年11月に刊行した『九星気学立命法きゅうせいきがくりつめいほう』(写真右)のDVD版(写真左)が、(株)青山社より発刊されました。詳しくは〈せいざんしゃ.com〉から検索してください。

本書は初学篇・上級篇・立命編の三部に分け、初学篇ではまず九星気学をはじめて学ぶ方のために、その基本を解説をしています。やさしく書いていますが、これだけでも人の生まれ年さえわかれば、大雑把おおざっぱな性格を判断することができます。

次に上級篇では、生まれ月を加えて先天運をみる傾斜法けいしゃほうと、プロの専門家でもほとんど知らない秘伝を公開しました。これによって、二九一六とおりの先天運が鑑定できます。公開した秘伝は、私が若い頃から学んだ貴重な技法です。生れ日時を用いませんので四柱推命しちゅうすいめいには及びませんが、短時間で平易に鑑定できる点に特長があるといえましょう。また九星気学は応用範囲が広く、先天運のほかにも本領としての方位や相法(人相・家相・地相)、卜占(吉凶判断)などの鑑定にも用いることができます。

そして最後の立命篇では、占いとは別の視点から、積徳せきとくによる開運法を説きました。つまり、運命は何によって作られるかの根本問題を含め、徳を積むことの重要性を力説しました。つまり、この本は占いをみ台にして、占いを超えることを目ざしたということになります。読者の皆様は占いを学びつつ、人生で最も大切なことを学ぶはずです。

ところで、今回のWBCでは侍ジャパンがみごとに優勝をはたし、日本中が歓喜につつまれました。またMVPに大谷翔平が選ばれたことも、日本人に大きな勇気を与えたと思います。天性の才能はちろんですが、彼の並々ならぬ努力とその偉大な成績には、世界中の人々が敬意を表しています。

彼は現在28歳ですが、17歳の高校生の折に書いた将来の目標に、「10年後にWBCに出場してMVPに選ばれること」とありました。すると一年のズレがありますが、昨年はコロナのために一年の延期になったわけですから、まるで小説でも読んだような見事すぎる一致です。いったいこのスーパースターは、どこから生まれたというのでしょうか。

私は上記の本にも書きましたが、彼の真の偉大さは、野球に新しい道徳観をもたらした点にあると思っています。彼は徳を積むことの大切さを、高校生の時から学んでいます。そして、誰に対しても礼儀正しく、親切で明るく、チームの意気を上げるためなら、誰よりも力を尽くしています。グランドにゴミがあればこれを拾い、ユニホームのポケットに入れて試合をしています。こんな野球選手が、ほかにいるでしょうか。その誰からも慕われる徳のパワーが、彼の強運を呼んだのです。このような野球選手が日本人から生まれたことは、それだけでも大きな誇りといえるのです。

この世はあの世のうつしです

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令和5年3月23日

 

あさか大師では一昨日の午前11時半より、お大師さまの正御影供しょうみえく法要を修しました(下写真)。正御影供とはお大師さまご入定にゅうじょうに当たる3月21日の法要で、この日はそのお姿(御影みえ)を供養する、年間で最も大切な日です。ご入定とは入滅にゅうめつ(死亡)したのではなく、この世に身を留めつつ、あの世に旅立ったことを意味します。

また、午後1時からは春彼岸法要を修し、あの世の精霊に回向を捧げました(下写真)。私が先祖供養に力を注ぐ理由は、この世とあの世は一体だからです。この世を「現世げんせ(うつし世)」といいますが、それはあの世の〝うつし〟であるからです。あの世があって、うつし出されたものがこの世です。あの世がフィルムで、この世が映像です。

つまり、この世に苦しみがあるのは、あの世に苦しみがあるからです。この世とあの世は同時に、ここにあるからです。そのためにも、先祖供養の大切さを忘れてはなりません。

また、この日は光明真言こうみょうしんごんで一年間加持かじをした「お土砂どしゃ」が授けられました(下写真)。お墓や家の玄関にまくと、如意宝珠にょいほうしゅの不思議な霊験があります。また事故現場などにまいても、夢知らせを受けます。私は事故のあった場所のおはらいを依頼された場合、このお土砂を持参して供養をなし、その後にお清めをしています。多くの皆様に、お土砂の霊験に浴していただきたいと、念じてやみません。

金運護摩で何が変わるのか

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あさか大師

令和5年3月20日

 

あさか大師では昨日の午前11時半より、毎月恒例の金運護摩を修しました。そして桜が開花を始める中、皆様が熱心にお参りをされました(写真)。

ところで、金運護摩にお参りすると、何が変わるのでしょうか。金運を祈れば、一万円札が天からパラパラと降って来るのでしょうか。もちろんそんなことは、絶対にあり得ません。では、何が変わるのか。これはとても大切なことです。

私はいつも、「真剣に祈れば、必ず何かが変わりますよ。ただし、アンテナをはって注意することですよ」とお話をしています。なぜなら、霊験は間接的にやって来ることが多いからです。病気なら、その病気に対する〝情報〟としてやって来るということです。適切な医者や病院を知らされたり、効能のある食事法や民間療法が知らされることでしょう。ただし、どこから知らされるかはわかりません。テレビで知らされることもあれば、友人から知らされることもあります。手にした本や雑誌で知らされることもあります。それを注意して、アンテナをはることです。

金運なら、仕入れのこと、応対のこと、技術のこと、商品のこと、雇用のこと、従業員のこと、融資のこと、運営のことなど、さまざまなヒントがさまざまな情報としてやって来ます。金運はそれに気づき、それを受け入れるところから始まるのです。それを受け入れ、努力を重ねなければ、金運は決して上がりません。つまり、すべては心がけなのです。その心がけさえしっかりしていれば、霊験は必ずやって来ます。

信仰は心の支えです。勇気がいただけます。背中を押していただけます。そして、心がけが変われば生き方が変わります。生き方が変われば、金運も変わり、新しい未来に向かいます。

続・花は自然界の名医です

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自然

令和5年3月18日

 

私はお風呂くらいは、時間をかけてゆっくりしようと考えましたが、どうしても長湯ながゆにはなれませんでした。ある時、作家の五木寛之さんが、お風呂の中で本を読んでいるというエピソードを聞き、私も真似をしてみようと考えました。仕事には関係のない小説でも読んでいれば、少しは長湯になるだろうと思ったからです。

五木さんは時には眠りに誘われたりして、湯の中に本を落とすこともあるそうで、ぶよぶよになった本が書棚に並んでいるそうです。私もあやうい経験をしましたが、何とか事なきを得ました。たしかにお風呂に本を持ち込めば、時を忘れて読みふけることもあり、かなりの成果があります。ぬるめのお風呂に長くつかって体温を上げたい方には、お勧めの方法です。ただし、愛書趣味の方には向きません。湯の中に落とさずとも、湯気で変形することはけられないからです。

ところが昨年の暮、正月飾りのセンリョウ(千両)が余ったため、コップにしてお風呂の片隅かたすみに置きました。すると、これが癒しの空間になったのです。今度は本を持たずとも、いつの間にか長湯になりました。ユニットバスの中に別世界が出現したようで、思わぬリラックスタイムを得たのです。今日はフリージアが置かれています(写真)。

私は湯の中に入ったら、まず呼吸法をなし、目を細めて花が何を語るかを感じ取ります。そして、花の〈気〉が自分の頭上(百会ひゃくえというツボ)より入って全身を巡ると観じます。次に自分が花に返す想いを口元から発し、花の精を巡ると観じます。自分と花との一体感が生まれ、極上のひとときとなる喜びはたとえようもありません。一日の疲れを癒し、心身の不調すら癒されるからです。宝物とは、これほど身近にあるのでしょうか。

女性はよく花を買い求めますが、男性で見かけることはほとんどありません。しかし私は、男性こそ花を買い求め、自分への癒しにしていただきたいと考えています。私は道端や土手の、野の花にこそ癒されるほどです。少しずつ形や色を、そして名前を覚えれば、これもまた宝物です。そして、花は自然界の名医であることを知るでしょう。

花は自然界の名医です

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自然

令和5年3月16日

 

私は花を習ったことはありませんが、いつ頃からか野の花をすようになりました。宗門の機関紙に15年間、花と写真のエッセイを掲載したこともあります。また、これが二冊の書籍となって、すでに刊行されてもいます(『邑庵花暦』『花は野の花』創樹社美術出版)。

花は人の心をいやし、お祝いやお見舞いの贈り物となり、想いを伝える告白ともなりますが、自然界の名医であることをご存知でしょうか。私は長らく花を挿しつつ、じつは身も心も癒す名医であることがわかってきました。つまり、それぞれの花にはそれぞれの病気を癒す〈気〉を放っているという意味です。その一部をご紹介しましょう。

昨日、東京都が全国で一番早く桜の開花を発表しました。今年はことのほか早いようですが、あさか大師の桜ももうすぐです。いずれ写真でお伝えしましょう。日本人は桜を楽しみに、一年を生きています。

そして、生きる喜びを桜に求めます。もちろん、外国の方にも人気は高まる一方で、桜を見るために日本にやって来る観光客は後を絶ちません。

その桜の芳香は喘息ぜんそくや気管支炎、せきたんの妙薬です。喘息体質の方は満開の桜の下で、大きく深呼吸をしてみましょう。そして、桜の〈気〉が喉や気管に浸透して、自分の体質が変わっていくと感じてください。

花粉症に悩んでいる方が多いようですが、カラーの花がおすすめです(写真)。あの白亜の花と茎の緑には、アレルギー体質を消し去るような〈気〉が充満しています。花店でもよく見かけますので、ぜひ試してみてください。

以下は思いつくまま、効能のみを列記していきます。

糖尿病にはユリ。高血圧にはキク・フリージア。心臓病にはスイセン。動悸にはマーガレット。肝臓病にはリンドウ。胃腸病にはジャスミン。頭痛にはヒマワリ。不眠症にはカスミソウ。疲れ目にはスミレ。下痢にはカーネーション。婦人病にはボタンなどでしょう。

なお、桜の花が喘息や気管支炎に効能があると書きましたが、ほかにもツツジ・キキョウ・ジャスミンもおすすめです。花にはこのような効能があり、まさに、自然界の名医なのです。

ご神水の味をお教えします

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真言密教

令和5年3月14日

 

お大師さま(弘法大師)は弘仁こうにん7年10月14日、嵯峨天皇さがてんのうのご病気をうれい、弟子と共に7日間の息災祈願そくさいきがんを修しました。しかし、なおご回復の通知がなかったため、「慎んで加持したご神水を弟子に持たせました。このご神水でお薬をせんじ、ご病気を除き給いますように」と書簡を送っています。

ここでいう〈ご神水〉とは、真言密教の〈加持香水かじこうずい〉を示すことは、疑う余地がありません。真言行者は修法に当たってまず自らを護身し、次に加持香水の作法をなし、散杖さんじょう(特殊な枝)にて道場を清めるからです。一般にはこれを塗香器ずこうき(写真左)と洒水器しゃすいき(写真右)という仏具にて修します(中央の枝が散杖)。

ところが、常に修しているはずのこの加持香水が、はたしてどんな味がするかを知っている真言行者はまずいません。私はこのことが奇妙でなりませんでした。そこで、かつては弟子の僧を集め、作法どおりに修して、直接にこれを飲んでいただいた経験があります。真言行者の方は、ぜひ体験してみてください。

まず、紙コップに水道水(浄水にせず)を注ぎ、一口飲んでみます。さあ、どんな味でしょうか。地域によっての違いはありますが、都市部の水道水はカルキ臭があったりして、おいしいとは言えないはずです。特にミネラルウオーターに慣れた人は、冷たさが足りない分、違和感があることでしょう。次に、散杖の代わりに割りばしを一本用意します。そして、作法どおりに水道水を加持をして、舌の上で転がすように静かに味わってみてください。いかがでしょうか。

私の経験では水が柔らかくなるはずです。また、甘味が加わるはずです(もちろん、砂糖のような甘さではありません。感覚的に〝甘い〟という意味です)。柔らかくなるという感覚は、舌の〝当たり〟が柔らかくなるという以外、説明できません。真言の波動が水の原子に伝わると、このような物理現象をおこすのでしょう。

私はこうした経験も、真言の力を知るヒントになると思っています。真言は波動なのです。〈振言しんごん〉なのです。そして、お大師さまはまさに、偉大な救世主なのです。

人生の極意とは何なのか

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真言密教

令和5年3月12日

 

あさか大師では〈一食布施いちじきふせ〉をお願いしています。お願いすると同時に、これによって「功徳を積みましょう」とおすすめしています。一食布施とは一食分の食事代ほどを、月に一度寄進していただくものです。ほんの小銭でもよいので、ご協賛をいただいておりますが、もちろん私もいっしょに布施をしています。昨年は〈ウクライナ緊急募金〉として、先日は〈トルコ・シリア地震緊急募金〉としてユニセフに送金をしました(写真)。

ところで、私は弟子僧(真言行者)の方々に、行法ぎょうぼう(仏さまと感応する方法)の伝授をして修行の手ほどきをしています。そこで、「修行とは何なのか」という根本のお話も加えています。つまり、真言行者は大壇だいだん護摩壇ごまだんの前に座って何をするのかという説明をしているわけです。

結論から申しますと、「それは仏さまがお喜びになる供養をするのです」とお話をします。たくさんの仏具を前にして、コチョコチョやっていますが、あれは仏さまを供養をしているということになります。では、供養とは何かといいますと、これを〈六度ろくど〉といい、布施ふせ持戒じかい忍辱にんにく精進しょうじん禅定ぜんじょう智慧ちえの六項目をいいます。しかし私は、「すべては布施にたどり着くのですよ」とお話をしています。なぜなら、戒を守ることも、苦難に耐えることも、精進をすることも、禅定に励むことも、智慧を得ることも、すべては仏さまへの布施であるからです。

人はみな、あれが欲しいこれが欲しいと思って、手に入れることばかりを考えて生きています。しかし、手に入れるためには、先に何かを与えねばなりません。だから、本当に豊かな人はみな与えることを喜び、与えることを楽しんでいるはずです。つまり、人が喜ぶことを与えれば、必要なものが望まずとも入ってくることを知っているのです。

布施の喜びを知ると、我欲から離れます。人が喜ぶことが自分の喜びになるからです。そして、仏さまはそれをお喜びになり、その人を讃え、功徳を与えるのです。修行とは結局、布施にたどり着くという意味がおわかりでしょうか。

一食布施はささやかなものですが、これも〝ちりも積もれば〟で、皆様の功徳が積ることを願ってやみません。真言密教の行法は仏さまに直接アプローチしますから、功徳は絶大です。ただ、それは真言行者が六度の供養をどのように理解し、これを実践しているか否かにかかっています。つまり、布施の喜びを知ることが修行の極意なのです。皆様もまた、「人生の極意は布施の喜びにある」とお思いになられませ。

健康法に振り回されていませんか

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令和5年3月10日

 

20年ほど前、新谷弘実しんやひろみ著の『病気にならない生き方』(写真右)という本がベストセラーになりました。ところがその後、辨野義己べんのよしみ著『病気にならない生き方で、なる病気』(写真左)という本が刊行され、話題を呼びました(笑)。

双方を読んでみると、最も大きな論点の違いは牛乳でした。前著は牛乳は子牛の飲み物であるから、乳製品は絶対にいけないと主張し、後著は牛乳やヨーグルトをとらずして、どうやって健康になれるのかと主張しています。私は当時、牛乳やヨーグルトが合う人もいれば、合わない人がいるのは当然なのに、どうしてこんな大騒ぎをするのかと苦笑したものでした。考えてみれば、ただそれだけのことではありませんか。

ところが、こうした反対意見は枚挙にいとまがありません。いま、私の脳裏に思いつくままを列記してみましょう。

まず、皆様が関心のある糖質制限です。本来は糖尿病患者の食事として提案された糖質制限ですが、これがダイエット法として火をつけました。江部康二えべこうじ著の一連の書籍がかなり売れていたと思います。ところが、これに真っ向から反対した方もいました。幕内まくうち秀夫著の『世にも恐ろしい糖質制限食ダイエット』や石原結實いしはらゆうみ著の『「糖質制限」は危険!』などがその代表です。私は糖質制限については糖尿病の方には勧めた経験がありますが、ダイエット法としては疑問がありました。実際に自分で試しても、確かに脂肪は落ちましたが、体力までも落ちたからです。少なくとも日本人がご飯を抜くような食事には、同意できませんでした。

次に朝食をしっかり食べるべきか否かの論争があります。朝食をしっかりとらずして、どうして仕事ができるのかといえば、いや、無理に食べる必要はないともいいます。私の父などは、朝早くから田畑の仕事をしていましたから、朝食をぬく生活などあり得ませんでした。昔の人はそんな生活だったのです。ところが現代人は遅くまで働き、夜遅くに夕食を取りますから、朝から空腹という人は少ないはずです。朝食はその是非ぜひを問うのではなく、生活パターンによって異なるのではないでしょうか。それを一律に論じるのは、おかしいと思うのです。

そのほか、玄米菜食が一番といえば、野菜中心をやめなさいといいます。水を毎日2リットルは飲みなさいといえば、それでは水毒をおこすといいます。赤ワインが最高だといえば、いや日本酒や焼酎だといいます。朝のジョギングをしましょうといえば、それでは心臓に負担がかかるといいます。そしてついに、年に一度は健康診断を受けましょうといえば、『人間ドックの9割は間違い』『大往生したけりゃ医療とかかわるな』といった著書まで刊行される始末です。こうなっては、もはや健康法そのものが病気です。

どんな健康法にも、必ず反対意見があるのです。自分の健康法は、自分で見出す以外にありません。そんなことは当たり前なのに、みんなが健康法に振り回されています。大酒を飲んでもタバコを吸っても、長生きをする人はいるのです。仕事の鬼のような人が急死するかと思えば、青白い顔で医者通をしている人が意外に長生きをしていることもあります。

どんな健康法を実行しても、人はいずれ病気になるのです。何十年も生きれば内臓は疲れ、ひざの軟骨も消耗します。それが天命です。天命とはただ待つのではなく、自分の健康法を見い出し、限りある自分の体に納得することです。振り回されてはなりません。しかし、天命を待つ前に、まずは人事を尽くしましょう。

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