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人類はみな兄弟なのか

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令和3年2月20日

 

若い頃、十代も先祖をたどったらどのくらいの数字になるかと、マジメに計算したことがありました。

どんな人にも父母の2人がいます。その父母には4人の父母がいます。その父母にはまた8人の父母で、三代ですでに14人です。こうして続けると、五代で62人、六代で126人、七代で254人(七世の父母!)、十代では何と2,046人となりました。これは実に驚くべき数字です。

十代前となると、いつ頃なのでしょうか。現代は子供が授かる親の年齢が高くなりました。2010年、第一子を出産した女性の平均年齢がはじめて30才を超え、現在は31才ほどとされています。もちろん、昔はもっと若い時に出産しましたから、夫の年齢も含めて、親子の平均年齢差を仮に26才としましょう。十代で260年前となり、ほぼ江戸時代中期ぐらいです。つまり、江戸時代中期までに、どんな人にも2,046人の先祖がいるということです。

さらに続けましょう。二十代で2097150人、三十代では何と何と、2147483646人で21億を超えるのです。今度は親子の平均年齢差を仮に24才とすると720年前となり、たぶん鎌倉時代末期ぐらいでしょう。つまり、鎌倉時代までの先祖をたどった時、どんな人にも必ず21億を超える先祖がいて、その誰ひとりが欠けても、今日の私たちはこの世に生まれることはなかったということです。

それと、もう一つ。現代の日本人の人口は、たかが1億2千万人程度です。比べものになりません。そうすると、私たちはみな兄弟だともいえるのです。かつて、笹川良一氏が「人類はみな兄弟」とテレビCMで語っていましたが、国民はいささか冷ややかな目で見ていたはずです。しかし、こうした数字に驚くと、まんざらでもないということがわかります。

いや、それどころか、このことはお大師さまが『綜芸種智院しゅげいしゅちいんの式』(日本初の庶民学校の設立申請書)ですでに主張されていることなのです。すなわち「この世の人々がすべてわが子であるとは釈尊しゃくそんの言葉であり、世界中がみな兄弟であるとは孔子こうしの言葉である」と述べていらっしゃいます。なるほど、人類はみな兄弟と思わねばなりません。お大師さまの教えですよ。私も心がけましょう。

人間の魅力とは

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令和2年12月24日

 

今朝の目覚めに、突然に中学生時代の記憶がよみがえりました。

あれはたしか理科の授業中であったと思います。担当の先生が、「〈力〉という字が入る単語を、一人ずつ黒板に書いていってごらん」と言うのです。たぶん作用と反作用の課題から、こんなお話になったのだと思います。

生徒たちはめいめい、〈体力〉〈引力〉〈風力〉〈能力〉といった具合に、順に板書しました。後の生徒ほどなかなか思いつかず、困った顔をしていたものです。私は最後に近く、思案に暮れましたが、大きな字で〈魅力〉と書くや、一番の喝采かっさいを博しました。以来、〈魅力〉の二文字こそは、私の守護神のようにさえ思えたものでした。長らく忘れていましたが、どうやら久しぶりに守護神の呼び出しを受けたようです。

いったい、人間の魅力とは何でしょうか。トップの器であること、一芸にひいでていること、誠実であること、雄弁であることなど、思いつく要素はいくつかあります。そこで気になるのは、『呻吟語しんぎんご』という古典の言葉です。これは中国のみん代末に呂新吾りょしんごという方があらわしたものですが、私は安岡正篤まさひろ先生の『呻吟語を読む』によってこの古典の存在を知りました。

その冒頭に「深沈厚重しんちんこうじゅうなるは、これ第一等の資質。磊落豪勇らいらくごうゆうなるは、これ第二等の資質。聡明才弁そうめいさいべんなるは、これ第三の資質」とあります。つまり、落ち着いて思慮しりょ深いことが、人間の魅力として最高だと言っています。また、肝っ玉が太くて勇敢ゆうかんであることがこれに次ぐ魅力であり、意外にも、頭がよくて弁が立つは三番目の魅力だと言っています。

〈呻吟〉とは苦しみうめくことです。落ち着いて思慮深い人間になるには、苦しんでうめくほどのきびしい修養が必要だという意味なのでしょうか。自分の足りなさを指摘されたようで、とても気になったことを今でも覚えています。

落ち着いて思慮深い人間なら、どんな時でも冷静に判断し、他人からも信頼され、苦難や災難を最小限に止めることができるのです。なるほど、それが人間の魅力として最高であることは間違いありません。

ひび割れた水瓶

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令和2年6月22日

 

その昔、インドに水汲みずくみを仕事にしている男がいました。男は不思議にも、人の言葉を話す二つの大きな水瓶みずがめを主人から与えられていました。この二つの水瓶に一本の竿さおを通して肩にかつぎ、高台にある主人のやかたから遠くの川まで降り、水を汲んでから再び主人の館まで運ぶことを命ぜられていたのです。水瓶はとても重く、主人の高台までの坂道は特に大変でした。坂道を上るため、男はその水瓶を左右にかついで登っていたのでした。

ある日のこと、いつものように長い時間をかけて水を運んだところ、左側の水瓶の水が半分に減っていました。よく見ると、その水瓶のにはひび割れが入り、そこから水がれていたのです。次の日も、また次の日も、どんなに急いでも、左側の水瓶は半分に減ってしまいました。それでも、右側の水瓶は漏れることがなく、何とか必要な水を汲むことができました。そんな毎日が続いたある日、とうとう左側の水瓶が人の言葉で語りかけて来ました。

「あなたが毎日、一生懸命に水を運んでくれているのに、私の体にひび割れが入っているから水が漏れてしまいます。こんなに苦労して運んでくれているのに、水が半分に減ってしまいます。これからもこうして迷惑をかけるくらいなら、私なんか捨てられてしまった方がいいのです。どうか捨ててください」

「いいんだよ、そんなことは心配しないで。君がいなければ水は半分も汲めないじゃないか。こうして水が汲めるのも君のおかげだよ。そのうち、きっといいことがあるからね」

それから二年がたちました。男は毎日、相変わらず二つの水瓶を使って水汲みをしていました。右側の水瓶は得意でしたが、ひび割れの入った左側の水瓶はいいたたまれません。働いてもむくわれないのは、役立たずな自分のせいだから、もう捨ててくださいと何度も頼むのでした。男は毎日登っている、いつもの坂道を指さして言いました。

「見てごらん、みごとな花が咲いているじゃないか。どちら側の道に咲いているかわかるかい。君が通る左側の道に、私が花の種をまいておいたんだ。ここは雨の少ない土地だから、君が水を漏らさなければ花なんか咲くはずもない。そうだろう。この花は君が咲かせたんだよ。誰にだって、必ず取りがあるんだ。立派に役目を果たしたじゃないか。ご主人様がこの美しい花の坂道を見て、君にとても感謝していたよ」

ひび割れた水瓶は、もう喜びで涙をこらえることができませんでました。役立たずと思っていた自分が初めて報われたのです。そして、自分の尊厳を知ったのです。このひび割れた水瓶こそは、実は私たち自身のことです。

続続・男と女はどこが違うのか

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令和2年6月9日

 

男性はあくまで社会的に生きています。すべてを捨てて、一人の女性のために生きるということはできません(少なくとも、そういう傾向があります)。一方の女性は家庭的(個人的)に生きています。自分を選んでくれた一人の男性のためには、すべてを捨てるのです。だから、女性は両手で恋をしますが、男性は〝片手で〟恋をするのです。

男性は社会的に関わらないと、生きてはいけません。働かなくても生活ができれば一時は喜びますが、いずれは不安におそわれます。だから、定年後の人生が心配なのです。少しでも〝肩書き〟が欲しいのです。一方の女性は働かなくても生活ができれば、何の不安もありませんし、これほどうれしいことはありません。

男性は個人的なつながりよりも、社会的なつながりによって満足します。社会の中で、自分の位置づけがあってこそ安心するのです。地位や名誉が欲しいのは、見栄のためだけではないのです。一方の女性は、誰かと個人的につながることで安心します。特に、自分を選んでくれた一人の男性とつながっていることで安心します。

男性はきれいな女性なら〝誰でも〟さわりたいという欲望があります。これが本音なのです。女性は逆にさわられたいという欲望がありますが、しかし好きな男性からでなければ満足しません。好きな男性からさわられれば気持がいいのですが、嫌いな男性からさわられると、まるで毛虫に触れたような嫌悪感をいだきます。その夜はお風呂でゴシゴシと体を洗い、何度も除菌します。このギャップがセクハラ問題の原因です。

男性はその思考の多くを、論理によって決定します。いつ、どこで、誰が、何をしたかを記憶します。だから、〝事実〟こそが真実なのです。一方の女性は、思考より感情を優先します。何が楽しかったか、何がイヤだったかでその記憶が決定されるのです。男性がとっくに忘れている十年前の〝ひとこと〟を、急に持ち出すのはそのためです。

男性はあくまで論理的に正しく、経済的に有利で、便利であることを中心に考えます。どういうお店で食事をしたいかといえば、近くて入りやすくて、安くておいしいと思うところを選びます。一方の女性はおいしさはもちろんですが、雰囲気を基準に選びます。接待の感じがいいか悪いかが大事なのです。できれば海が見えて夜景がきれいな、そんなお店を望むのです。そして、誰と行くかに最大の関心があるのです。

男性は悲しいことがあれば、時には泣くこともあります。それはあくまで、悲しいという目の前の現実に対して泣くのです。ところが女性が泣く時は、似たような悲しみや直接に関係のない過去の悲しみが次々と連結し、涙があふれ出るのです。女性が涙もろいのは、このためです。男性は悲しいから泣きますが、女性は泣くからさらに悲しくなるのです。

もう、このへんにしましょうか。いつもこのブログを読んでくださるすべての男性に、そして男性である私のブログを読んでくださるすべての女性に感謝いたします。

続・男と女はどこが違うのか

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令和2年6月8日

 

男性どうしが集まると、こんな会話をします。「まったく、女ってヤツはわからないよな」と。また女性どうしが集まると、こんな会話をします。「いったい男の人って、何を考えているのかしらね」と。そして、人類はこんな会話を何十年、何百年、もしかすると何千年も続けてきました。男性にとって女性という存在は、女性にとって男性という存在は永遠のなぞなのです。しかし謎であるがゆえに、男女の間には恋愛という「世にも不思議な物語」が生まれるのかも知れません。

当然のことですが、男性は女性になることはできませんから、女性特有の思考や感情を理解することは困難です。それは、女性にとっても同じです。もちろん、男性にも多少の女性的要素が、女性にも男性的要素はあります。そして例外があることも事実ですが、ここでは一般論としてお話をしましょう。

そもそも男性とは、〈願望〉で生きているのです。何をなすか、何をなしげたいかなのです。そして、感情よりも思考が先行し、できるだけ多くを獲得かくとくしたいという狩猟しゅりょう本能を持っています。だから、人生の願望をより多く達成し、より多くの女性をモノにしたいと思って生きています(そういう本能が根底にあるという意味なので、誤解なさいませんよう)。ところが、女性の方は〈期待〉で生きています。何を成すかより、何をしてもらえるかなのです。思考よりも感情が先行し、保守本能を持っています。何かをしてもらって、安心していたいのです。自分が得た安心を、守っていきたいのです。そして、ただ一人の男性から愛されることを願って生きています。自分を選んでくれた一人の男性に、生涯にわたって愛情を注いでほしいと願っています。このことが、まずは男女の根本的な違いです。いっしょに生活をすれば、その思考と感情の差に亀裂が生じるのも当然なのです。

ところが、では世の男性は自分が選んだ一人の女性に愛情がないのかといえば、もちろん、そんなことはありません。一生の伴侶として大切にしたいと願っていることも事実です。また女性の方は、自分を選んでくれた一人の男性以外に何の関心もないのかといえば、これまた、そんなことはないのです。ここが男女の間の矛盾であり、不可解でやっかいなところです。

私が考えた別の見解をご披露ひろうしましょう。それは、まず男性という生き物は多分に〈イヌ族〉であるということです。主人(社会)という絶対的な大義がなければ動きません。またその大義のために働くことに喜びを感じます。だから社会的に自立できなくなった時、男性はとたんに自信を失います。つまり、何かの意味を持って仕事をしていないと不安になるのです。だから、休日を返上してでも頑張がんばります。一方の女性は〈ネコ族〉です。ふとん(家庭)の上で、気持ちよく眠っていたいのです。大義だの仕事だの、どうでもよいことです。呼んでも、気分が乗らねば寄っても来ません。これは思考より感情が先行するからです。そして、自分に愛情を注いでくれる人にででもらったり、抱いてもらったりすることに喜びを感じます。「私と仕事とどっちが大事なの」という、女性の言いぶんはこうして生じるのです。このお話、まだ続けますか。

男と女はどこが違うのか

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令和2年6月5日

 

私は自分が受けてきた教育の中で、最も不満に思っていることが一つあります。それはまた、特にこれからの学校教育の中で、ぜひ採用してほしいと思っていることでもあります。これさえ採用されれば、そして実際に授業として教育されれば、多くの問題が解決するのではないか、多くの犯罪すら減るのではないかと、そこまでも考えているのです。

では、その教育とは何であるかと申しますと、「男とは何か、女とは何か」という男女学のことなのです。つまりこの世に存在する男性と女性の違いを、子供の時からしっかりと教育すべきだということです。そうすれば多くの問題や犯罪は、相当に消え去るのではないかと、そのように考えているのです。

そもそもこの世の多くの問題や犯罪は、男女の違いについての無知に由来することは間違いありません。それほどに、男性と女性は〝別の生きもの〟なのです。体や脳の構造はもちろん、思考も感情もまったく違います。ところが、これについて私たちは家庭ではもちろん、学校においても何ひとつ教育されずに何十年も生きているのです。男女の問題こそは、人生で最も大切な課題です。生きていくうえで、何よりも知らねばならないことなのです。しかし、私たちはそんなことも知らずに学校を卒業し、就職して結婚します。そして男女が同じ職場で共に働き、一つ屋根の下で共に暮らしています。問題や犯罪が生じるのは当りまえです。

かつて、『話を聞かない男、地図の読めない女』(平成12年・主婦の友社刊)という本がべストセラーになりました。同書はオーストラリアのアラン・ピーズとバーバラ・ビーズ夫婦による共著で、「男脳・女脳テスト」も付き、特に男女の脳の違いからするどい結論を引き出しました。ビーズ夫婦は、その序文でこう語っています。「この問題の根本原因は、男と女はちがうという単純な事実に尽きる。どちらが良い悪いではなく、ただちがうのである。これは科学者、人類学者、社会生物学者には常識でありながら、あえて世間には知らされてこなかった事実だ。というのも、人種や性別、年齢などで人間を差別しない、つまり、『政治的に正しい』ことをめざす社会では、そんなことを口にするとつまはじきにされるからだ」と。男女の違いを語ることは、民主主義や男女平等に反するという世論に一石を投じた、勇気ある意見です。

当時、私もこの本をきっかけに、男女の違いを語った書籍をいくつか読みました。その頃のメモ書きには、「りない男、反省しない女」「男の手のうち、女の胸のうち」「男の願望、女の期待」などと残っています。そして自分が男女の違いについて、いかに無知であったかも気づき始めました。男女は協力し合うことはできても、理解し合うことはなかなかできません。夫婦も、恋人どうしも、職場の男女も、みな同じなのです。くり返しますが、この世の多くの問題は、男女の違いについての無知に由来することは間違いありません。このお話はさらに続けますが、明日と明後日は忙しいので、ちょっと。

天与の恩恵

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令和2年6月4日

 

最近の統計を調べますと、日本人の平均寿命は84・2歳で世界一にランクされています。もちろん、平均寿命と共に健康寿命も大切ですが、それにしても長命です。100歳以上もすでに7万人を突破したと聞きました。ただし男性の平均寿命は81・1歳、女性は87・1歳で6歳の差があります。20年前だと7歳の差がありました。いったい、この差はどこから来るのでしょうか。私はこのことが大変に気になり、素人しろうとなりの結論を出したいと書籍やネットで調べましたが、はっきりしたことはわかりませんでした。

女性は皮下脂肪が多いから、エネルギーを蓄えているといいます。山で遭難そうなんしても、女性の方が助かる確率が高いのは事実ですが、一概にはいえません。また男性は競争社会を生きるので、多くのストレスをため込んでいます。晩年にはすでに、その寿命まで損じているのかも知れません。しかし女性にも〝競争〟はありますから、決定的な理由にはなりません。

では男女の相違は何かといえば、生殖機能が異なるという一点に行き着きます。つまり、女性にはその生殖機能によって、毎月の〈生理〉があります。こうなると僧侶の私が出る幕ではありませんが、鼓舞こぶして調べた結論をお話しましょう。

まず若い世代の女性(五十代ほど)に比べて、高齢者(八十代以上)の方は初潮から閉経までの期間が短かったことがわかりました。若い世代の女性は、10代の前半から50歳前後までの約35年間を生理期間としますが、高齢者は10代半ばから40代半ばまでと、約30年間であったとされます。そうすると(これもマジメに調べましたが)、一回の生理が約6日、28日を周期とすると、年に13回、これを30年続けると〔6×13×30=2340〕です。これを一年365日で割ると〔2340÷365=6・41〕となり、何と平均寿命6年の差に一致(!)するのです。

女性はこの生理によって血液の老廃物を排泄はいせつし、男性よりも若々しい健康を保っているのではないでしょうか。女性が貧血になりやすいのは生理のせいでもありますが、それだけ血液の老廃物が少ないという証明でもあります。男性も女性の生理に負けぬよう配慮をせねば、平均寿命は追いつけないということになりましょう。しかし、男性でも血液の老廃物を排泄する方法はあります。その一つが献血で、これは人のためにもなります。男性は年に一度か二度の献血をするとよいのです。また瀉血しゃけつ療法(吸玉によって老廃物を取り除く施術)もあります。私も何度か後頭部の瀉血療法を受けました。レバーのような老廃物が出て、頭の中が「スカッとさわやか」になります。

気持ちのよい生活をするには、清掃や片づけが必要です。いらないものを捨てることです。私たちの体も同じです。女性はおつらいでしょうが、生理という天与の恩恵があるのです。長命であることも天与の恩恵です。男性はその分、別の努力をせねばならぬように作られています。「男はつらいよ」、いや、男もつらいのです。

「できる男」の薬指

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令和2年5月29日

 

女性が男性のどこを見るかというデータを調べますと、意外に手や指を見ているとの事実が判明しました。

特に現代は営業マンが商品を説明する場合、その手や指に視線が注がれるのは当然です。汚い手や指で説明されれば、誰だって買う気にはなれません。だから、男性専門のネイルケヤーが流行しているともうかがいました。今や男性にとっても、手や指は大事な〝商売道具〟となったことに間違いはありません。男性は常に、自分の手や指への気配りが必要な時代になったのです。

そこで、その指のお話です。読者の男性は自分の薬指を、既婚の女性はご主人の薬指を、恋人どおしの女性なら彼氏の薬指を、てのひらの方から見てください。そして、人差し指との長さを比較してください(この文章から離れて、まずはよく見てださい)。はっきりしないという方は、指の根元のシワから指先までを定規で測りましょう。どうでしょうか、もし薬指の方が長くれば、まず「できる男」と思って間違いありません。つまり、社会的能力に優れているということです。これは単なる遊びではないのです。動物行動学に基づく、学問的な裏づけがあるからです。

このことは、イギリスのケンブリッジ大学での調査結果があります。ロンドンの金融街でデータを出したところ、薬指が長いグループは反対に短いグループに対し、何と年間平均60万ポンド(7800万円)も収入が多かったというのです。7800万円もです。「それは聞き捨てならぬ」と思うでしょう。だから、まじめに測ってみてください。

これは、どうしてなのかと言いますと、男性ホルモンの代表であるテストステロンの分泌量が多いからです。母体に宿って男性としての体が形成される段階で、薬指に投影されるのです。テストステロンは女性にも分泌されますが、やはり男性に多いことは当然です。つまり、薬指の長い人はテストステロンの分泌量が多く、したがって精子の量も多いのです。そして行動力や闘争力があり、男性としての魅力にも富んでいるはずです。

しかし、もし薬指の方が短いという方も、がっかりすることはありません。テストテロンだけで社会的能力のすべてが決まるわけではないからです。たとえばセントニンの分泌量が多いと、気配りや冷静さといた精神性が高く、これも社会的能力となりまです。行動力や闘争力ばかりが男性の魅力ではありません。また、テストステロンの分泌量が多いと、失礼ながらハゲやすいという弱点もあります(そっとお教えしますが、新幹線のグリーン車に乗っている男性客はハゲが多いとの調査結果があります)。

真言密教では薬指のことを「無名指むみょうし」と呼びます。「あえて名づけない指」という意味でしょう。何とも気になる呼び名です。そして呼び名からして目立たず、何の役に立っているのかと思うところに秘密があるのです。私は毎日のお護摩で常に印を結びますので、その重要性がよくわかります。

ちなみに私は、人差し指が根元から七センチ、薬指は七・五センチで、「できる男」のようです(笑)。どうかな。

二つの生き方

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令和2年5月18日

 

私は人の悩みを聞く仕事を、40年以上も続けています。そして、少しでもお役に立てるよう毎日のお護摩のご祈願にも、また先祖の回向にも努力を重ねています。

たくさんの方々に出会って来たわけですが、中には思いのほか早く解決する方があります。お寺に来ただけで、また私とお会いしただけで、心がやすらぐと言ってくださる方もいます。しかし中には、ご祈願に励んでも回向を重ねても、望むようにいかない方がいることも事実です。この違いは何なのだろうと、私はずいぶん悩みました。

ある時わかったことは、望むようにいかないという方は、それをすべて世の中や他人のせいにするということでした。口にすることは世の中や他人への不平不満ばかりなのです。これに間違いはないと、今でも確信しています。こういう方は、自分がうまくいかないのは社会が悪いのだと考えています。それなりの学歴もあり、外見もよく健康でもありながら、それを職場のせい、上司のせい、同僚のせいだと言い立てるのです。

そもそも私たちは社会でも職場でも、多種多様な人に接しなければなりません。上司が寛容で大らかな人ならいいものの、小さなミス一つにでもガミガミと怒鳴る人もます。隣りの席にすわった人が、親切でやさしい人ならいいものの、とんでもなく冷たい人という場合もあります。つまり、世の中はいろいろな人間がいっしょに集まり、人間それぞれの性格によってそれぞれに動いているということなのです。この単純な事実が、思いのほか理解されていません。

つまり、大人になっても、学校を出ても、知識はあっても、人間を理解していないということなのです。また、このことは家庭でも学校でも、一般には教えません。皆様は驚くでしょうが、難関を通って一流大学を卒業し、さらに人もうらやむ一流企業に勤めながら、意外にこういう人が多いのです。自分が今日ある幸運や恩恵が誰によってかなど、考えもしません。何をされた、かにをされたと、そればかりなのです。別のいい方をすれば、感謝ができない人です。

人はもちろん、何をもって幸福であるか不幸であるかなど、一概に決めることはできません。しかし、どんな人でも、どんな状況でも、人が幸福になれるのは感謝をする時です。まわりの人を見てください。誰によらず「ありがとう」と言える人は、まず大丈夫です。悩みごとも願いごとも、何とかなるのです。逆に世の中や他人の悪口を重ねる人は、自分も悪口を言われ、望むことも叶いません。

皆様はこの二つの生き方の、どちらを選びますか。私のブログを読んでくださる方なら、もうわかりますよね。大丈夫ですよね。私からも申し上げましょう。「皆様、ありがとう」と。

四種類の人間 

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令和2年5月2日

 

二十代の始め頃、ある先輩から世の中には四種類の人間がいると教えられました。長く記憶から遠のいていましたが、急に思い出したのも何かの縁なのでしょう。

その四種類の人間とは、「金持ちの金持ち」「金持ちの貧乏人」「貧乏人の金持ち」「貧乏人の貧乏人」とのことでした。そして、その先輩の説明によると、この四種類の人間とは次のような意味でした。

まず「金持ちの金持ち」とは、お金にも恵まれ、加えて徳をそなえた理想的な人です。こういう人は世の中が求めるものを提供し、世の中に尽くすことを喜べる人です。だから、お金にも恵まれますが、多くの人々から感謝され、尊敬されています。自分の財産を世の中のために進んで投げ出しますから、世の中から喜ばれる分、その財産がまたもどって来ます。つまり、望まずとも財産がますます増えていく人です。

次の「金持ちの貧乏人」とは、まずお金のことしか頭にない人です。いかにしたらもうかるか、それだけを考えて生きています。だから、人がそんをすれば自分がかると、そういう発想しかできません。きらわれようがうらまれようが、そんなことは気にしません。心を許せる友人もいませんし、世の中から喜ばれることもありません。一時的に大金を手にすることはあっても、いずれは必ず一文無しになる人です。

次の「貧乏人の金持ち」とは、たぶん世の中の大半の人が自分のことだと思う種類のはずです。つまり、お金はないけれども体は健康だし、まじめに働いているし、家庭もまずまずだし、平凡ではあっても幸せな人生だと思っている人です。友人もいるし、趣味もあって、楽しい時間も過ごしています。そして、できれば何か世の中の役に立つことをしたいと願ってもいます。つまり、心の豊かさを財産とする人です。

最後の「貧乏人の貧乏人」とは、文字どおりお金もなく、心も貧しい人です。借金も多く、家賃も滞納たいのうし、いつも催促さいそくや取り立てばかり受けています。それでいて平気で人をだまし、うそをつき、時にはおどし、詐欺さぎもはたらきます。警察のやっかいになったことも、二度三度ではありません。誰も信用しませんが、誰からも信用されません。つまり、世の中から必要とされない、もっとも不幸な人です。

なかなか説得力のある説として、当時の私にはかなりのインパクトがありました。その後の人生の中で、何度も「なるほど」と納得したものでした。皆様はどう思いますか。どの種類に入りますか。きっと「〇〇〇〇〇〇〇」でしょうね。

山路天酬密教私塾

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