人は何のために生きるのか
令和8年10月10日
あさか大師では10月3日・4日の午後1時、総回向法要(先祖供養)を勤修し、たくさんの皆様が参詣しました(写真)。また遠方の皆様は同時祈念によって、法要に感応道交しました。

「人は何のために生きるのか」と問われるならば、私はあえて「天命をまっとうするため」とお答えしています。天命とは人生に課せられた〈運命〉や〈使命〉といった意味もあり、またこの世で与えら〈寿命〉といった意味も含まれているように思います。
ところが、ほとんどの人はそんなことを深く考える余裕などなく、この世での尊い時間を終えてしまいます。チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世法王はその理由を、「人生のすべてを生活のためだけに費やしてしまうため」とし、それによって仏道に精進する時間を失っているのだと述べておられます。
もちろん、私たちは生活費を稼ぐためには働かねばなりません。自分のためにも家族のためにも、それは当然のことです。しかし、すべての時間を仕事のために費やすべきではありません。人生の後半に、また晩年には、この世に生かされた意味を考え、あの世に向かう準備をすべきではないでしょうか。そして、この世での人生を与えてくださった両親や先祖のために、感謝の功徳を積むべきではないでしょうか。
死は単なる臨終ではありません。あの世での新しい生活と再生への旅立ちなのです。あの世においてはこの世の財産も名誉も、何の役にも立ちません。自分の体も、愛する家族も、共に暮らしたペットも、すべてこの世に置いていかねばなりません。あの世に持ち越せるものはただ一つ、それはこの世で積んだ功徳だけなのです。
天命をまっとうするため、そしてあの世への準備のため、功徳を積みましょう。そのためには自分の心を清め、先祖供養に励みましょう。功徳は先祖と共に積むことが大切です。なぜなら、この世とあの世は一つで同時にあるからです。
*あさか大師では比類のない「光明真言ネットワーク」による先祖供養をおすすめしています。人生のルーツである父母両家の供養を、お導師(大阿闍梨)が全国の弟子僧と共に毎日修します。供養料は一ヶ月2000円です。わずかな費用で、人生における最も大切な投資ができます。遠方の皆様には郵送します。
続・秋彼岸会法要
令和8年9月24日
あさか大師では昨日の午後1時、秋彼岸会法要を無事に修しました(写真)。予報に反しての雨天となりましたが、たくさんの皆様が列席し、遠方の皆様は同時祈念にていっしょに回向を捧げました。

私達がこの世にあるのは、あの世のおかげです。尊い命をつないでいただいたおかげです。だから、あの世に対して感謝の礼を尽くすのは、この世にいる私達の勤めです。そのことに目覚めた皆様が、こうして集い、読経して祈りを捧げました。この世とあの世の交流です。
法要の後はオハギとコンニャクのご接待となり、真っ赤な彼岸花を見ながら楽しいひとときを過ごしました。皆様、お疲れさまでした。
秋彼岸会法要
令和8年9月22日
台風25号は、関東にも多大な風害水害をもたらしました。被害地の皆様には謹んでお見舞いを申しげます。
あさか大師では明日の午後1時より、秋彼岸会法要を勤修いたします。私は9月に入ってより毎日、お申込みの塔婆(特別供養)をお供えして前行を修してまいりましたが、いよいよ明日の法要を迎えることになりました(下写真)。

台風は過ぎ去り、雨風の心配はなさそうです。桜並木の曼殊沙華(彼岸花)も満開となり(下写真)、絶好の日和となりました。日本は春彼岸には木蓮が、夏の盂蘭盆には蓮が、そして秋彼岸会は曼殊沙華が咲き、本当に「仏の国」だと思います。

明日、お参りができない皆様、遠方の皆様は同時祈念をして、読経や真言の響きに感応道交していただきたいと思います。そして、生きていること、生かされていることを喜び、神棚の遠い先祖、仏壇の近い先祖に感謝を捧げていただきたいと思います。お大師様と共に、この国が平和で私たちが幸せであることを祈りましょう。
続々・先祖供養は何が楽しみか
令和8年9月11日
私は今、秋彼岸会の前行に入っています。毎朝の光明真言法の折、秋彼岸会にお迎えするご先祖のため、特に塔婆建立(特別供養)をした諸精霊のため、念入りな実修をしています(写真)。

塔婆建立のお申し込みはかなり増えておりますので、私は旅館の主人にでもなったような気持ちで応対しています。お客様が多くれば、もちろん忙しくなります。特にこのところ、熟睡していないような気がするのです。
就寝しても、何かざわめきを感じます。ドアをノックされたり、「住職さん!」と呼ばれたような気がして眼が覚めるのです。そんな時は真夜中でも本堂に行き、回向殿に灯明をともし、お香をたいて「23日(秋彼岸会の当日)まで、もう少しですよ」などと、お話をしています。いずれは私も、あの世に往くのです。睡眠妨害と思わず、今から慣れておくのも楽しいものです。
私は休日もなく、旅行に出ることもなく、三ツ星レストランに行くこともありませんが、あの世の人たちと異次元の楽しみがあります。そして、私を信頼してくださる弟子僧やご信徒の皆様、宗派を超えて遠来する僧侶の方々のお役に立てることが無上の楽しみとなりました。決して過言ではありません。ささやかな一生を、縁ある方々のために捧げたいと思っています。
*あさか大師では、光明真言による先祖供養に心血を注いでいます。住職も全国の弟子僧も、それぞれの地域で毎日の念誦に励んでいます。念誦の統合なくして、不思議な霊験は現れません。この先祖供養に参加をご希望の方は、ホームページの「お問合わせ」からご連絡ください。人生のルーツである父母両家を、一日も欠かさず実修します。遠方の皆様には郵送します。
続・先祖供養は何が楽しみか
令和8年9月8日
私たちは初めてなのに、以前に出会った、あるいは体験したように思うことがあります。心理学ではこれを既視感(フランス語「デジャヴ」の和訳で、すでに見たという意味)といい、脳の錯覚や情報処理のズレとされています。
しかし、私は大胆な仮説として、睡眠中にあの世と交流した記憶の片鱗なのだと考えています。この世はあの世の写しです。この世でおこることはあの世で先におこっています。20代の頃、私が師僧の寺(坂東第十七番)に初めてうかがった時、そのことを実感しました。これは睡眠中に、自分の幽体が肉体をぬけ出した中での体験だったのです。
よく、「〇〇さんの生き写し」などといいます。「〇〇さんの身代わり」などともいいます。これもあの世にいる「〇〇さん」の意志が強く働いていると思います。他界した人の夢を見た場合、たとえ記憶から薄れていても、気づかぬところで人生の一部をなしていることは間違いありません。遠いはずの人が急に接近するのも、この世とあの世の不思議さであり、おもしろさでもあります。
先祖供養をしていると、ドアをノックされたり、足音を聞くことがあります。以前は真夜中にインターホンを押され、あわてて玄関を開けたものでした。もちろん、この世の現実には誰もいません(睡眠妨害になると思うのか、最近はなくなりました)。迷惑になることもありますが、これもこの世とあの世のおもしろさです。
また修法中に、お灯明の炎が二倍以上も高く燃え上がったり(写真)、風もないのにゆらいだりすることがあります。

通常のお灯明なら、この半分も行きません。常識では考えられないことです。これはお護摩と同じで、〈火〉が異次元と感応しやすいためです。特に私は、仏様やご先祖様が喜んでいらっしゃると感じています。歓喜のリズムに似ているからです。視覚で体験する、あの世との楽しい接点です。
真言密教の修法は苦しいこともありますが、お大師様を信じ、そのお力を信じれば、楽しいことがたくさんあります。この世の楽しみは、まずあの世の楽しみから、と思っています。
*あさか大師の先祖供養に参加をご希望の方は、筆者のブログやホームページの「先祖供養」をご覧になり、「お問合わせ」からご連絡ください。一ヶ月2千円で、父母両家の供養を毎日受けることができます。遠方の皆様には郵送します。
先祖供養は何が楽しみか
令和8年9月7日
あさか大師では9月5日(土)・6日(日)の午後1時より、総回向法要(先祖供養)を勤修しました。雨天にもかかわらずご信徒の皆様が参集し、霊前にむかって読経の功徳を捧げました(写真)。

この法要は単なる回向ではなく、私たちのルーツである父母両家にアプローチする「人生を変える先祖供養」を目ざしています。そしてお経を読誦するにとどまらず、真言密教の行法によって仏を呼び、先祖に対しても直接にパワーを送ることができます。
先祖供養による霊験は数知れませんが、私たちが思いを寄せる人たちと、あの世でどんな再会をするか、それも楽しみの一つでありましょう。あの世は時間と空間の制限がありませんので、会いたい人との想念が通じれば、必ず会うことができます。
睡眠中に他界した人と出会うのは、この世とあの世を交流するからです。いわば、どなたでも幽体離脱を体験しているということです。そんなバカなと思うかも知れませんが、それは睡眠から覚めて「夢もみなかった」と思うに等しいことです。夢はどなたでも、睡眠中に体験します。ただ、目覚めてからの記憶にないだけなのです。霊媒師が自分が話したことを、何も覚えていないのも同じ理由です。
私は毎朝の行法で、ご信徒の皆様はもちろん、自分の先祖も読み上げしています。それは私があの世へ往った時の楽しみでもあるからです。四十九日(中陰)の幽界で会えるか、三途の川の向こう岸で会えるか、あの世で過ごす霊界で会えるか、もしかして天上界で会えるか、考えるとわくわくします。先祖供養の楽しみであり、また醍醐味でもありましょう。
*あさか大師の先祖供養に関心のある方は、筆者のこれまでのブログやホームページの「先祖供養」をご覧いただき、「お問合わせ」からご連絡ください。
「盆踊り」とは何か
令和8年8月8日
私が若い時に愛読し、いまだに大切にしている本の一冊に『霊話・不思議』(金峰山寺刊行)があります(写真)。これは20代の折、吉野の蔵王堂で購入したもので、当時の五條覚澄管長様のご著書でした。今ではおそらく入手困難と思いますが、ご覧のように何度も読んだためか、カバーもボロボロになりました。

私がこの本の中で、特に印象に残っているのは、霊を満足させる「供養宴」というお話です。管長様は毎月1日の夕方、お酒やご馳走を持ち寄って地獄谷(脳天大神)に集まり、これを供えて宴会を催したというのです。これはお経よりも、一杯の水、ひとにぎりの飯を欲する霊と共に、集まった人たちがお酒を飲み、歌をうたって過ごすという趣向でした。
供養を受ける霊と共にあって、ある人はゲラゲラと笑い、ある人はシクシクと涙を流し、ある人は腹にたまったうっぷん吐き出すなど、皆がその本音を顕露にしたそうです。また、参加した人はその後、不思議に運がよくなったとも記されていました。
このお話を読んだ私は、「盆踊り」の意味を「なるほど!」と理解したことを鮮明に覚えています。お盆にお迎えした先祖の霊をもてなし、共に歌って踊る日本仏教の習俗がみごとに発揮されているからです。何と明るく、何と大らかなお国がらでしょうか。お盆とは先祖供養のためであると同時に、共に過ごすことを楽しむための時間だったのです。「東京音頭」はヤクルトスワローズの応援曲にとどまらず(笑)、集まった先祖と共に楽しみたいものです。
あさか大師は狭い本堂ですが、私もいつかは皆様と共にご馳走を持ち寄り、先祖の位牌に供え、その後にカラオケ大会を催したいものだと本気で思っています。お寺は楽しいところと思い、ますます好きになること、間違いありません。
*あさか大師の先祖供養につきましては、私のブログ、またホームページの「先祖供養」をご覧ください。
続・功徳はいかにして生れるか
令和8年8月2日
あさか大師では昨日と今日の午後1時、総回向法要(先祖供養)を勤修し、炎暑にもかかわらず多くの皆様が参拝しました(写真)。また、遠方の皆様は同時祈念によって、お大師様との感応道交をはかりました。

この法要は、毎日の光明真言の秘法実修、弟子僧の念誦ネットワーク、全国のご信徒の祈りを統合したもです。そして、この祈りが〈法界力〉となって遍満し、お大師様の力とお導師の力が一体となるのです。すべては一日から始まり、次の一日から、また次の一日へと続き、計り知れない功徳を生み出します。
平凡な積み重ねこそ、人生の宝です。その積み重ねが奇跡を生むのです。「功が成るは成るの日に成るにはあらず」です。私はこの平凡な積み重ねを大切にしています。
*あさか大師の先祖供養に参加をご希望の方は、ホームページの「お問合わせ」からご連絡ください。お導師が毎日、父母両家を供養して一ヶ月2000円です。遠方の皆様には郵送します。全国から多くの皆様が参加しています。
*あさか大師では「令和8年熊本地震」の救援基金として、「一食布施」の募金箱を設置しています。一食分の食事代を熊本の皆様に捧げましょう。ご希望の方には郵便振込用紙をお送りいたします。
功徳はいかにして生まれるか
令和8年7月30日
中国の宋時代に蘇洵(そじゅん)という学者がいました。彼は「功の成るは成るの日に成るにあらず」という名言を残しています。すなわち、功が実るのは、実ったその日に突然に実ったわけではないという意味です。つまり、何ごとを成し遂げるにも、長い努力の継続がなければならないことを示唆しています。平凡ですが、含蓄のある言葉として、私は忘れ得ません。
信仰の功徳もまた、同じことです。どんな荒行をしても、手のひらを返したように人生が変わるわけではありません。どんな秘法を修しようと、手品のように運命が変わるわけではありません。
先祖供養も同じです。私は毎朝、お大師様の大日如来(写真)に向かって、光明真言の行法を修しています。毎日毎日のくり返しです。この繰り返しが積もってこそ、絶大な功徳が生まれます。絶大な法力が生まれます。

先日、沖縄の弟子僧K師が久しぶりに来山しました。玄関を開けて堂内に入るや、「先生、また一段とパワーが増しましたね」と言うではありませんか。私は「普段からよく行法をしている人は、わかるものだな」と感心したものでした。
私が毎日、この光明真言の行法を続け、弟子僧もまた念誦を続けてネットワークを組み、一日として欠かすことはありません。そして、全国のご信徒の祈りが加わり、真実の先祖供養が成就するのです。功の成るは成るの日に成るにあらず。なんという平凡、そして、何という真実でありましょうか。
*あさか大師の先祖供養に参加をご希望の方は、ホームページの「先祖供養」をご覧のうえ、「お問合わせ」からご連絡ください。むずかしい規約はありません。無理な勧誘はいたしません。お導師とは、気さくであたたかい交流をしています。遠方の皆様には郵送します。
*あさか大師では「令和8年熊本地震」の救援基金として、「一食布施」の募金箱を設置しています。一食分の食事代を熊本の皆様に捧げましょう。ご希望の方には郵便振替用紙をお送りします。
続々・あの世への手紙
令和8年7月13日
私は毎日、お大師様より授かった光明真言の秘法を修しています。そのパワーを受け取っていただくために、皆様には供養紙(あの世への手紙となる塔婆)をお祀りしていただいています。つまり、私が放送局で、皆様の供養紙がテレビやラジオのような受信機です。そして、一ヶ月ごとに、その供養紙をお大師様(大日如来・写真)にお供えして、その功徳を回向しています。この繰り返しが功徳を積み重ね、「人生を変える先祖供養」となります。運命を変え、人生を変える力は、「徳(仏教では功徳)」であるからです。

私は九星気学も研究していますが、方位や名前の画数、また家相や墓相も大切だと思っています。しかし、それを活用するだけの徳がなければ、何の役にも立ちません。ここに占いの限界があります。すなわち、この世の人にも、あの世の人にも好かれる力が徳であり、運命を変え、人生を変える力であるからです。先祖供養にはあの世からこの世を変える力があります。そのことを、私は生涯をかけて、お伝えしたいと思っています。
*あさか大師の先祖供養に関心のある方は、ホームページの「お問合わせ」からご連絡ください。お導師はもちろん、全国の弟子僧がネットワークを組んで、毎日の勤修に励んでいます。遠方の方には郵送します。多くの皆様に、あの世に持ち越せる唯一の財産である「功徳」を積んでいただきたいと思います。

