続・僧侶の人徳

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仏教

令和3年1月31日

 

僧侶の人徳について、お話の続きです。

僧侶には必ず師僧しそう、つまりお師匠さまがいて、その師僧のもとで修行をします。ただ、現代はたいてい宗門の大学を出て、スグに〝偉く〟なりますので、いわゆる〝小僧教育こぞうきょういく〟というものがありません。昔はその師僧のもとで、読経や作法を学び、師僧がどこへ行くにも荷物を持って付き添いました。そして、身のまわりのお世話をし、空いた時間があれば宗祖や師僧の書を習いました。こうした修行を経て、やがて住職として独り立ちし、立派に法務を果たせるようになったのです。

だから、いつも礼儀作法が正しく、朗々と読経をして、達筆であることが僧侶の常識でした。私が子供の頃は、葬式といえば家族や親類や会葬者一同が見守る中で、住職が戒名や墓標を書きました。それを見て一同が息をのみ、目をみはり、その住職を尊敬しました。それが住職として当然の姿であったのです。学問も大切ですが、私は僧侶たる者は、何をおいても読経と書ばかりは謙虚に努力をすべきだと思っています。

私は一概に、現代の(特に若い)僧侶の方々を批判しているのではありません。ただ、大学で高度な学問を修めながら、残念だと思うことが多いからです。師僧のそばに出来るだけ寄り添い、多くを学ぶことです。修行とはいっても、ただ資格を取るだけの程度では、檀信徒の皆様から尊敬されるほどの僧侶にはなれません。

ましてや、学問がかえってあだとなり、師僧を一方的に批判するような僧侶が大成することはありません。師僧からは知らず知らずのうちに、多くのことを吸収しているはずです。謙虚な心を失った僧侶は、その時から成長が止まるのです。謙虚であることは、僧侶の人徳としてきわめて大切であることに、間違いはありません。

山路天酬密教私塾

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