山路天酬法話ブログ
続・運命改善への先祖供養
令和5年6月6日
「運命改善への先祖供養」を奉修する回向殿をご披露しましょう(下写真)。あさか大師のご本尊は弘法大師(お大師さま)ですが、その隣にこの回向殿があります。私はここで毎日、〈光明真言土砂加持法〉という秘法を続けています。
これは真言密教で最も大切な〈光明真言〉によって、一粒一粒のお土砂(美しい白色の砂粒)が如意宝珠となり、その功徳がご先祖を救い、施主の人生をも変えるという秘法です。経典には「身を壊し、命が終わって諸々の悪道に堕せんも、この真言をもって土砂加持をすること百八反して散ずれば、一切の苦悩を脱することができる」と説かれています。
一番奥がご本尊の光明真言曼荼羅、その左右に両部曼荼羅(金剛界・胎蔵界)が祀られています。その手前に先祖供養をなさる方のお位牌とお塔婆があり、その手前の茶筒のような仏器にお土砂が入っています。またその手前には、光明真言の象徴である五色の五輪塔が安置されています(下写真)。これらは秘法として伝えられるままに、私が理想的な回向殿として思案したものです。
前回のブログによって、数人の方からお問い合わせもいただきました。くり返しますが、大切なことは、
①私(お導師)と皆様(ご信徒)が、いっしょにこれを実修すること。プロの秘法とご信徒の信仰がご本尊と融合し、強大なパワーとなるからです。
②お盆やお彼岸、命日ばかりではなく、毎日これを実修すること。持続させなければ大きな功徳にはならず、運命改善(立命)のパワーにはなりません。
もし私が出張等で留守をする場合は、前日か早朝に実修します。ご祈祷のお護摩も同じです。ちなみに、あさか大師はご祈祷もご回向(先祖供養)も、きわめてお安い費用で済みます。それは、私が残された自分の人生を世間への恩返しとして過ごしたいためで、このことに一切の偽りはありません。さらにご質問のある方は、ホームページの〈お問い合わせ〉からご送信ください。
運命改善への先祖供養
令和5年6月5日
あさか大師では昨日と一昨日、先祖供養の行事である〈総回向〉を奉修し、私と僧侶の方々、またご信徒の方々が共に読経をしました(下写真)。
この総回向は単なる法要でも、弔いの行事でもありません。いうなれば、「運命改善のための先祖供養」を主旨としています。皆様は運命改善というと方位や改名、幸運を呼ぶ〇〇といった占いや風水、あるいはプラス思考などによるメンタルサイエンスが浮かぶと思います。私はこれらの分野についてもかなり研究しましたので、それぞれに讃えるべき長所があることは承知しています。また、日ごろのご相談でも、よく活用しています。
しかし、最終的に運命を決めるものは〈徳〉であることを痛感してきました。つまり、どんなに吉方や改名を活用しても、プラス思考を重ねても、徳がなければそれを生かすことができないからです。私はそうした実例をたくさん見て来ましたので、このことは自信をもって主張することができます。拙書『九星気学立命法』(青山社刊)でも力説しました。つまり、最終的に運命を決めるのは徳を生み出す力、仏教が説く「業(カルマ)」の力であることを知っていただきたいのです。
では業はどこから来るのかというと、タテには先祖から、ヨコには前世からとお話をしています。その、タテの改善が先祖供養です。そしてヨコの改善がすなわち積徳(徳を積む生き方)で、合わせて立命(運命を立て直すこと)といいます。
そこで先祖供養のことですが、運命改善のためには自分のルーツである父方・母方の両家が必要となります。夫婦であるなら双方の父方・母方を加えて四家が子供さんにつながります。私はこれを、一本の樹木にたとえて説明しています(下写真)。つまり、根の養いこそ根本(!)であることを確認してください。
そして、さらに重要なことは、運命改善の先祖供養はお盆やお彼岸、また命日にのみ修するのではなく毎日これを続けることです。そうでなければ徳のパワーが途絶えるからです。また,私だけが実習するのではなく、私といっしょに、共に実習することも大切です。よく「供養料を支払いますから拝んでおいてください」などという方がいますが、それでは積徳になりません。いっしょに実修するから功徳が生まれ、積徳となり、立命となるのです。
講釈はこのくらいにして、皆様の中で関心のある方はホームページの「お問い合わせ」からご連絡ください。詳しく説明をいたします。一か月2000円で父母の両家(夫婦なら四家)の先祖供養ができます。ご縁のある方は、私のこのお話が十分に納得できるはずです。運命改善への先祖供養で、人生を変えましょう。
不老長寿の仙菓
令和5年6月1日
私はお菓子はあまり食べない方なのですが、代わりにいただいている〝おやつ〟が二つあります。
その一つがナツメで、中医学(漢方)では「大棗」という生薬で呼ばれています(下写真右)。胃腸の弱い人には最適ですし、食欲のない時や疲労がたまった時にナツメを食べると元気になります。また血が不足していたり、不眠で悩んだ時などの症状に効能があります。つまり滋養強壮・精神安定の妙薬なのです。さらに、花粉症で悩んでいる人には、これを煎じて飲むよう、そっと(!)教えています。
ナツメは日本ではあまり普及していませんが、中国や韓国ではかなりメジャーな食材です。中国の火鍋(フォーゴー)や韓国の参鶏湯(サムゲタン)などには欠かせません。ホテルの朝食にさえ出されることもあります。ほんのりと甘く、とてもおいしいです。今はネットでも手に入り、無農薬栽培やタネ抜きの商品もあります。
ちなみに、ナツメはあさか大師で毎年二月の第二日曜日に奉修する〈開運星祭り大護摩〉のお供物でもあります(下写真・奥より三列目)。つまり、神々の仙菓として、これを供えるわけですから、私には特に霊気のこもったありがたい食材といえるのです。中医学では「ナツメを一日三個食べれば老化を防ぐ」とされ、私は毎日これを実行しています。事実、年のわりには若く見られますよ。
さて、二つ目はクルミです(上写真左)。中医学には臓器を強くするには、同じような形をしたものを食べなさいという教えがあるのをご存じでしょうか。そこで、ボケ防止には脳の形をしたクルミがよいといえるのです。首をかしげる人もいるでしょうが、これは本当です。中医学では「胡桃肉」と呼ばれ、れっきとした生薬なのです。私はかなり思考回路を働かせるので、ナツメといっしょにポリポリとかじっています。思考回路の悪い人(失礼!)は、ぜひお試しを。
クルミはまた、いま話題のオメガ3系オイルをたくさん含んでいます。魚油に含まれるDHA・EPAと共に、悪玉コレステロールや中性脂肪を下げ、血流を促進します。講釈はともかく、成分など何も知らなかった古代人の智慧には驚かざるを得ません。まさに〈仏智〉といえるのです。
霊的な顔が見える人
令和5年5月28日
子供の頃、天井の木目が人の顔に見え、怖い思いをしたものです。これは精神医学で「パレイドリア」と呼ばれる現象で、雲や木の葉などの形がそのような連想を呼ぶからです。たとえばアメリカ映画『Premonition』(邦題「シャッフル」)のDVDジャケットには、木立が人の顔に見える姿を象徴的に表現しています(写真)。よく滝修行で「お不動さまが見えた」とおっしゃる方がいますが、岩の凹凸がこの現象を呼ぶ場合もあるのです。もちろん、そのように見えること自体が悪いわけではありません。ただ、自慢をしたり、自分が〝神様〟にでもなったようにお話をする方がいますので、このことは注意する必要があります。
ところが、実際には存在しない、つまり霊的な顔が見えるという場合が確かにあります。特に子供さんにはこの体験が多く、私も何度か学習塾から相談を受けたものでした。誰かが「オバケがいるよ!」というと、子供たちがそろって「ホントだ!」といいます。そうすると、これを気味悪がった子供たちが次々に欠席するので、オーナーには悩みの種となります。中には講師の先生までが「やめたい」といい出す始末で、結局は私にお祓いの依頼が来るのです。
もちろん大人でも、霊的な顔を見ることがあります。また、はっきりと顔が見えなくても、片手片足だけが見えたり、音や気配で知らされることもあります。また海や川で撮影した写真に、いるはずもない人の顔や手足が映る、いわゆる心霊写真を見せられることもたびたびでした。
私自身は子供の頃はともかく、現在は陽炎のように見える場合と、気配や音で知らされることが多く、直接にはっきりと顔を見ることはありません。しかしお盆やお彼岸、命日の日には、こうした現象をよく体験します。だから、死者にとって、命日は特別な日であることは理解しているつもりです。つまり、その日の特有の波動が霊的に呼び合うのでしょう。
霊的な顔が見えて悩みを抱える人は意外に多く、よく相談を受けます。そのような体験などない方がよいのですが、そうもいかないので悩むのです。そのような方は、あさか大師にぜひお越しください。毎日11時半よりご祈祷のお護摩を修し、お役に立てるよう、努力いたします。もちろん、普通であることが一番いいのですよ、皆様。
最も身近な宇宙とは
令和5年5月26日
真言密教は人体を宇宙としてとらえます。これを説明するために、興教大師(新義真言宗開祖)はこれを五輪塔によって表現しました(写真)。
五輪とは地・水・火・風・空の自然界を、それぞれ四角・円・三角・半円・団の形によって説明したものです。大地は堅い四角で、水玉は丸で、立ち上る火は三角で、舞い上がる竜巻(風)は半円で、雲(空)は団形で表示しました。さらに、これを人体に配当すると、瞑想で座った足の形は四角い大地です。おなかと両腕は円となります。肩の形は三角で、顔は半円、頭は丸です。つまり、私たちの体はこの自然界の縮図であり、宇宙そのものなのです。
私たちはお母さんの体内から生まれましたが、このような姿を誰が創ったというわけではありません。世の中には不思議な出来ごとがあるものですが、最も身近なところに、こんな不思議があったのです。いうなれば、仏さまがお創りになったとしかいいようがないのです。
もう一つお話をしますと、かつて韓国の歴史ドラマに『ホ・ジュン』という名作がありました。主人公の名が許浚で、16世紀に活躍した漢方医学者です(写真)。ドラマは彼の生涯の偉業である医学書『東医宝鑑』を完成させるまでのストーリーで、私は長編のビデオでこれを見ました。『東医宝鑑』はユネスコの世界記録遺産にも登録され、韓医大学では今でもテキストとして学ばれているほどの古典的な名著です。
ところがストーリーの最後、まさに『東医宝鑑』が完成する場面で、すばらしい名言が放映されました。私はこれを夢中になってメモを取りましたが、その走り書きが残っています。
「人の頭が丸いのは天に似て、足が四角いのは地に似る。天に四季があるように、人には四肢(両手足)がある。天に五行(木・火・土・金・水)があるように、人には五臓(心・肝・脾・肺・腎)がある。天に六極(疾・憂・貧・悪・弱)があるように、人には六腑(大腸・小腸・胆・胃・三焦・膀胱)がある」
これもまた、人体の宇宙を説明するに、簡にして要を得ています。私たちは最も身近な宇宙が自分であることを知らねばなりません。また、これがお大師さまの教えでもあることを覚えておいてください。人体とはかくも偉大なものなのです。
見えない力を引き出すために
令和5年5月24日
昨日、お葬式に出仕しましたら、葬儀社の方がお焼香の仕方を説明していました。つまり、今の日本ではお焼香の仕方も知らない人が増えたということなのでしょう。
核家族化が進展した現代の日本は、仏壇も神棚もなく、高齢者がいない家が多いわけですから、当然といえば当然です。かつての日本の子供たちは、両親や祖父母が仏壇に合掌し、神棚に拍手を打つ姿を見ながら育ちました。つまり、近い先祖は仏壇に、遠い先祖は神棚に祀ってこれを大切にして来ました。これによって、言葉では教えずとも、親や先祖を大切にすることの大切さをおのずから自覚したのです。さらに、人生には自分の努力はもとより、〝見えない力〟が多分に働くことを自覚したのです。特に社会的な成功者ほど、この傾向は強いはずです。
では、その見えない力はどこから来るのでしょう。これを経営分野から主張した例として、窪寺伸浩氏の『なぜ、成功する人は神棚と仏壇を拝むのか』(あさ出版)があります(写真)。窪寺氏は「神棚マイスター」という肩書で活躍していますが、見えない力を引き出す手立てとして、仏壇や神棚の重要性を強調しています。
人は生きていく過程の中で、いくつかの〈儀式〉を経験します。入学式があり、成人式があり、入社式があり、結婚式があります。これを経験してこそ、その学校の児童(生徒・学生)になったことを、一人前の大人になったことを、その会社の社員になったことを、誰もが認める夫婦になったことを自覚するのです。言葉ではこの自覚は生まれません。「親を大事にしなさい」と言葉で教えても、その親が仏壇や神棚を拝む姿を見せなければ、その自覚は生まれません。昔ながらの日本のこの風習は、きわめて重要です。そして、この風習が日本を支えてきたのです。
お葬式が大切なことは、同じように重要です。親のお葬式もしないで、自分の子供に大切にしてもらうことなど、望めるべくもありません。老いて病気となり、やがて死を迎える姿を見せ、それを弔う姿を見せることです。そして、仏壇や神棚を拝む姿を見せることです。それがまた、見えない力を引き出せる手立てとなるなら、これほどよいことはありません。
仏壇も神棚も、決して高価なものを求める必要はありません。また、住宅スペースにも限りがあります。ほんのわずかでよいのです。神聖な場所を設け、これを拝む姿を子供たちに見せましょう。親や先祖を大切にすれば、自分も大切にされるのです。そして、社会からも大切にされ、見えない力を引き出せるのです。
魂を入れるために
令和5年5月21日
数日前、エンゼルスの大谷翔平選手が、自分のバットに〈心臓マッサージ〉をしている姿がテレビ放映されていました。バットの上(太い方)から三分の一ほどの所を自分の片膝に乗せ、両手を心臓マッサージと同様の手つきを何度もくり返していました。もちろん野球のバットは堅い木材ですから、心臓マッサージのようにはいきません。チームメイトも「またやっているのか」といった表情で、笑っていました。
私はその放映のほんのわずかを目にしたに過ぎませんが、「なるほど!」と思ったのです。どうしてかといいますと、大谷選手ほどの〝天才〟でも、スランプはあるのでしょう。以前、まったく打撃がふるわなかった折、悩みぬいた末にバットへの心臓マッサージを思いついたらしいのです。するとどうでしょう、次の試合から連続ホームランが飛び出したのです。スポーツ選手はよくゲンを担ぐといいますが、本当に苦しんだ時には、こんなことも思いつくものです。ゲンの担ぎも大事なのです。
しかし私は、この心臓マッサージは単なるゲンの担ぎとは思えません。なぜなら、仕事上の道具に魂を入れるためには、これくらいの配慮と努力がいるからです。手入れを怠らぬことはもちろんですが、普段とは違った何かを工夫しなければなりません。つまりプラス・アルファの力が必要だということです。
私が若い頃、法螺貝(写真)の練習に励みましたが、なかなかいい音が出ませんでした。特にユリといわれる高音を響かせるまでには悩みました。そこで私が考えたことは、法螺貝を持って滝に打たれることでした。自分の法螺貝に想いを込めるためには、今はこれしかないと思ったからです。もちろん滝の中は岩だらけですから、落下の勢いに押されて落としたりしたら大変です。それでも法螺貝に魂を入れるつもりで、その荒行に挑みました.
結果は上々でした。法螺貝との一体感が深まったのでしょう。自分の吹き込む息と、ピッタリと同化してきたのです。ユリも出せるようになりました。以来、仕事の道具(私の場合は法具)にはこれくらいの配慮と努力がいることを実感しました。皆様の道具は何ですか。魂を入れていますか。そのための配慮と努力をしていますか。「魂を入れるために」ですよ。
〈あさか大師〉開創秘話
令和5年5月19日
「厄除大師」といえば、真言宗では弘法大師、天台宗では元三(慈恵)大師です。ただ、〈大師〉と呼ばれる祖師はたくさんおりますが、単に「大師」といった場合は弘法大師を指しますので、あさか大師では私もご信徒も「お大師さま」と呼んでいます。
ところで、お大師さまが四十二歳の厄年の折に四国を巡礼して八十八ヶ所霊場を開創し、「厄除大師」の信仰が始まったことを知る人は意外に少ないかも知れません。したがって、四国には四十二歳のお大師さまが関与したとされるお寺がいくつか現存しています。愛媛県の遍照院・仙龍寺、香川県の海岸寺・遍照院などに伝承があります。また、高野山奥の院護摩堂には「厄除大師」の額があり、〈弘法大師四十二歳厄除御自作像〉が安置されています。
私があさか大師を開創しようとした時、はじめは尊像をお祀りしたいと考えました。私が考えている尊形はないかと探したり、仏師に相談したりしました。しかし、何か気持ちが定まらぬまま、時間ばかりが過ぎ去りました。そんなある日、一冊の本が就寝中の私の枕元に突然に落ちてきたのです。たぶん、不安定な置き方をしていたのでしょう。それは自分の著書『弘法大師御影の秘密』でした。どうしたのかと思った私は、落ちた著書を本棚に戻そうとした時、天啓のようなひらめきが湧いたのです。
その著書の扉にはお大師さまの御影(お姿の絵)が載っています。しかもそれは仏教美術学者であり、当代随一の仏画師でもある真鍋俊照先生が、私のために謹写してくださったもので、もちろん自分で所持していました。私が本尊とするに、これ以上のお大師さまがあるはずはありません(写真)。それに、ご本尊は仏像に限る必要はありません。高野山御影堂のように、〈御影〉そのものをお厨子に入れればよいではありませんか。私はもはや迷うことなく、この御影をご本尊にすることを決心しました。そして、あさか大師(厄除のお大師さま)はこうして開創されました。
昔も今も、皆様の厄除に対する関心は驚くばかりです。お大師さまですら、ご自分の厄年には四国を巡礼しました。私は毎日お大師さまに向かい、お護摩を修しています。皆様もご自分の厄年を感じましたら、どなたでもぜひお参りにお越しください。毎日11時半から始まります。また5月21日(日)はお大師さまのご縁日であり、〈金運宝珠護摩〉も修されます。金運が高まるお護摩として人気があります。
「同行二人」といいますが、お大師さまはご自身を信仰する方にいつもつき添ってくださいます。お護摩でも巡礼でも、「お大師さまと共に歩んでいる」という気持ちになるからです。ほんとうですよ。
孔雀明王への祈り
令和5年5月16日
私は昨年の秋より毎朝、お大師さまと共に孔雀明王への祈りを続けています(写真)。なぜなら、長引く新型コロナの感染終息と、ロシアによるウクライナ侵攻が一日も早く終結することを願ったからです。コロナ感染は減少しつつありますが、まだまだ油断はできません。ウクライナ侵攻に対しては、皆様からの〈一食布施〉などもユニセフに送金し、現地ニュースにも耳を傾けています。
孔雀明王はご覧のとおり菩薩の姿をしていますが、その明(真言)の徳がきわめて勝れていることから、〈明王〉とお呼びしています。また〈孔雀〉は〝救邪苦〟とも表記され、あらゆる人間苦への祈りに霊験いちじるしいと相伝されて来ました。ただ、その行法は真言密教の中でも特に秘法とされ、これを修する行者はなかなかいません。
私はこのような非常事態でありますゆえ、特に熱意ある弟子僧にはこの秘法を伝授し、緊急祈願として加わっていただくことを提唱しました。また、孔雀明王の経典である『仏母大孔雀明王経』の刊行に関しても、その表題揮毫を担当しました(写真)。祈りは結集することによって、さらに威力が強大となるからです。
なお、今年は大変に雨量が多く、各地で水害が発生しております。実は孔雀明王は祈雨(雨を呼ぶ祈り)にも霊験がありますが、雨を止める祈りにもよく相応します。もちろん、病気・災害・降伏・商売・招財・敬愛など、多くの利益があることはいうまでもありません。
お心のございます方は私といっしょにお祈りください。毎日11時半よりお護摩を修しています。ただ、出仕のある時は早朝に修しますので、遠方の方はご一報ください。皆様のご参加をお待ちしています。合掌
続・世にも不思議な霊験談
令和5年5月14日
『日本霊異記』からのお話を、もう一つご紹介いたしましょう。現在はいろいろな出版社から刊行されていますが、講談社学術文庫ならすぐ手に入ります(写真)。今日は第十九の『法華経』を読む人をあざけり、悪い報いを受けた人の説話です。
奈良時代、山城の国(京都)相楽郡に一人の〈私度僧〉がいました。この当時、僧侶になるには国の許可が必要で、この人のように勝手に僧侶を名乗っていた人を「私度僧」と呼んだのです。名前はわかりませんが、この人はいつも碁ばかり打っていました。どうやら、あやしい私度僧としか思えません。
ある日、この私度僧が知人と共に碁を打っていると、托鉢の僧がやって来て『法華経』を読みつつ、布施を乞いました。私度僧はこれをあざけり笑い、わざと自分の口をゆがめ、声をなまらせ、まねをして唱えました。知人は「恐ろしいことだ」といいながら、碁を続けました。それからというもの、その私度僧はどうしても碁に勝てません。そればかりか、自分の口がゆがんでしまったのでした。医者を呼んで治療をしても、ついに治ることはありませんでした。『法華経』に「法華経を信ずる人を軽蔑して笑う者があるならば、現世で歯が抜け、唇は曲がり、鼻は平らになり、手足はねじれ、目はすがめになるだろう」とあるのは、このことだったのです。そしてお話は、たとえ悪鬼にとり憑かれても、経を読む人をそしってはならない。言葉はよくよく慎むべきであると結ばれています。
弘法大師は病気の原因として、四大不調(身体的な病気)・鬼病(霊的な病気)・業病(宿業の病気)の三つをあげています。四大不調は身体の病気なので、医薬の力によって平癒します。しかし、鬼病や業病は医薬だけでは平癒しません。鬼病はいわゆる霊障から、業病は前世からの因縁による病気で、これらは真言の祈りによって、はじめて平癒するのです。この私度僧の場合は、経典をあざけり、これを軽んじた業病ということになりましょう。
それにしても、たとえ私度僧とはいえ、経典を何と思っていたのでしょうか。因果の報いとはこのことです。『法華経』と托鉢の僧に対し、よほどの懺悔を続けねば口のゆがみは治りません。皆様も、経典や真言を唱える時の訓戒にしていただきたいと思います。決しておもしろ半分に唱えてはなりません。肝に銘じましょう。