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新春護摩の威力

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令和6年1月8日

 

今年もあさか大師の初詣に、たくさんの皆様がご参拝されました。新春護摩は午前0時から始まり、9時から随時に奉修されました。法螺の音や読経が響く中、力強い浄炎に一同が合掌して諸願成就を祈念しました(写真)。

厄除・災難除のお申込みが特に多かったことは言うまでもありません。いずれも、直接にご自分のことだからです。この世で最も大切なものは、自分自身です。そして、ご自分を大切にせずして、人を大切にすることはできません。「唯我独尊ゆいがどくそん」とは「オレがオレが!」という意味ではなく、自分自身という存在の尊さを教えているのです。

新春護摩は節分(2月3日)まで続きます。ご自分のために、ぜひお護摩の威力に浴していただきたいと思います。そして、その功徳を家族や友人のために役立てていただきたいと思います。

鳥肌が立つ音色

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令和5年9月13日

 

鳥肌とりはだが立ちました!」と、よく言われます。

驚いたのでしょう。それは、あさか大師のお護摩に参拝して、はじめて法螺貝ほらがい音色ねいろを聞いた方々から聞く感想です(写真)。皆さん、太鼓たいこはともかく、法螺貝の音色を聞くことはまずありません。司馬遼太郎さんは小説の中でこれを、「勁烈けいれつな」音色と表現しました。

法螺貝を吹くのは、お釈迦さまの説法が遠くまで響き聞こえた故事に由来しています。つまり、仏さまの説法を意味します。この音色を聞いて驚くように、お釈迦さまの説法を聞いた当時の皆さんもまた驚き、感動し、罪を滅したに違いありません。私自身もお護摩の始めに法螺貝を吹くと、まるで煩悩ぼんのうの眠りから覚めたような、そんな感覚を味わいます。

ところで、「鳥肌が立つ」と書きましたが、本来は寒さに震えたり、恐怖や嫌悪感で体毛が立ち上がるほどの生理現象を指したのです。ところが近年では、いい意味での感動を表現するようになりました。おそらく、言葉にうるさい学者さんなどは、眉をしかめていることでしょう。テレビのスポーツ解説などでよく使われますが、私もはじめは違和感を持ったものでした。むしろ、その違和感から鳥肌が立ったかも知れません(笑)。

それでも、今やこの表現もすでに市民権を得たように思います。このブログを読んだ皆さんも、鳥肌が立つ感動を味わってみてください。あさか大師のお護摩は、毎日11時半からです。勁烈けいれつですよ。

法界力を引き出すには

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令和5年9月9日

 

あさか大師は平成30年(2018年)に11月25日に開創されました。実はその年の8月1日、さら地にテントを張り、ネパール密教の最高阿闍梨によってお護摩が奉修されました(写真)。すでに本堂の線引きは済んでおりましたので、護摩壇建立のその場所で奉修していただきました。真夏の炎天下のもと、7時間にも及んだことを覚えています。本格的なネパール密教のお護摩は日本の歴史が始まって以来のことで、私はその勝縁を大変に喜び、お大師さまへの報恩を新たにしたのでありました。

今日、あさか大師のお護摩は力が強いと評判ですが、その影にはこうした功徳が及んでいることも忘れてはならないと思っています。また開創以来、毎日お護摩を修しています。当日に出張やお葬式があれば、早朝や夜間に修しています。お護摩ではご信徒もいっしょに読経します。さらに、先祖供養のご回向も欠かしません。

こうした毎日の繰り返しが大切なところで、何かの記念行事や期間を設けての荒行だけでは、強力なパワーは出ません。その強力なパワーを「法界力」といいますが、法界力は本堂に一歩足を踏み入れただけでもわかるはずです。

皆さん、あさか大師にお参りすると気持ちが落ち着くとおっしゃいます。僧侶の方が火葬場に出向いて体が重くなっても、楽になるとおっしゃいます。私が何か特別なご祈祷をしたわけではありません。毎日の積み重ねが法界力を生み出すのです。まさに「継続は力なり」です。毎日の積み重ねですよ、皆さん。11時半のお護摩にお越しください。

続・金運銭を差し上げます

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令和5年8月22日

 

一昨日11時半より、〈金運宝珠護摩〉が奉修されました。前回のブログでお知らせしたためか、初めての方々も加わって大勢の皆様が参拝なさいました(写真)。

お知らせしたとおり、今月より新しい〈金運銭〉を差し上げています。この金運銭を持っていると、「どこからともなくお金が入ります」と、皆様がおっしゃいます。また、「あさか大師にお参りすると、何となくいいことあります」ともおっしゃいます。

このような〝ご利益りやく〟はお稲荷さまや聖天さまといった、いわゆる神さまに参拝する方がよくおっしゃいます。あさか大師は鎮守さまや霊符神といった神さまも祈りますが、中心はお大師さまです。そして、お大師さまは如意宝珠そのものです。あさか大師のパワーは、実はこの如意宝珠に秘密があります。

真言密教のマンダラにはあらゆる仏さまや神さまがいっぱいに共存しているように、如意宝珠にはあらゆる功徳がいっぱいに共存しています。だから、金運も上がり、そのほかあらゆる願いごとが叶うパワーが込められています。如意宝珠こそは真言密教の象徴なのです。

ただし、どんなにありがたい如意宝珠であっても、それを引き出すお導師がいなければ、それこそ宝の持ち腐れとなります。私は毎日、お大師さまにお仕えしてお護摩を奉修しています。行事や大祭の日ばかりではなく、その毎日の繰り返しが肝心なところです。それは、如意宝珠にお仕えしていることと、何ら変わりはありません。

皆様も、どこからともなくお金が入り、何となくいいことがありましたら、それを私にお伝えください。その言葉が、また次のパワーを生むからです。そして、そういう言葉が堂内に遍満して〈法界力ほうかいりき〉となれば、まるで掛け算のように強大となるのです。本当のパワースポットは、それほど多くはありませんよ。

金運銭を差し上げます

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令和5年8月18日

 

あさか大師では8月20日(日)11時半より、〈金運宝珠護摩きんうんほうじゅごま〉を奉修します。うわさが噂を読んで、参拝の方が増えてまいりました。如意宝珠の功徳が堂内いっぱいに遍満しますので、ぜひご自分の肌で体験してください。その功徳は絶大です。そして、先月より〈金運銭きんうんせん〉を開眼し、参拝の皆様に差し上げています(写真右が表、左が裏)。

この金運銭は毎月開眼し、毎月差し上げます。大きさはカードと同じですので、財布に入れて所持し、来月の金運宝珠護摩の折に返納してください。そして、お金の大切さを知り、お金に好かれてご自分の金運を高めてください。お金に好かれるための秘訣は、当日に私がお話をいたします。

多くの方々が、お金に対する偏見を持っています。お金を持っている人は悪い人だとか、人がそんをすれば自分が得をするといった考えが、その代表です。私は決して富裕ではありませんし、特に経営手腕があるわけでもありません。お大師さまにお仕えしながら、きわめて質素な生活をしています。しかし、お金に対する考え方には絶対の自信があります。それは、お大師さまに教えられたとおりの生き方をして、それを実証しているからです。

金運宝珠護摩は毎月第3日曜日の11時半からです。どなたでもご自由にお参りください。そして、功徳をいただいたら、この小さな袋に御礼おんれいを添えて返納してください。御礼をすることも、また次の功徳を呼ぶ大切なマナーです。では、皆様にお会いできますことを楽しみにしております。

人気の金運宝珠護摩

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令和5年7月17日

 

あさか大師では昨日の午前11時半より、〈金運宝珠護摩〉を奉修しました(写真)。最近は人気が高まり、かなりの遠方からもお参りにお越しになっています。また、今月からは〈金運銭〉を皆様に配り、金運増大をさらになし遂げるようパワーアップを図りました。

お大師さまのお護摩は、一般には〈弥勒みろく護摩〉を奉修します。それは、お大師さまが弥勒浄土にご入定にゅうじょうされているからでありますが、あさか大師では〈如意宝珠にょいほうしゅ護摩〉を奉修しています。それはお大師さまが如意宝珠こそ真言密教の至宝として示され、ご自身の法体を如意宝珠そのものとして御影みえ(お姿)に描かれているからです。

御影に描かれたお大師さまのお顔をご覧ください。まるで如意宝珠そのもののごとく、脳天がとがっています(写真)。これは長年にわたって真言の念誦をしていると、脳天のサハスラーラチャクラが発達するためで、まさに仏頂であり、仏智であるのです。

あさか大師では平日はこの如意宝珠護摩でありますが、毎月第三日曜日のみ、特に宝珠によって金運を高める〈金運宝珠護摩〉を奉修しています。現代はお金と人生の幸せを、まったく無関係に過ごすことはできません。なぜなら、お金がなくても幸せになれるとは言いがたい社会の中で生きているからです。社会の仕組みがそのようにできているからです。だから、お金に対する正しい認識と、金運を高める努力はきわめて重要な課題といえるのです。

この金運宝珠護摩はどなたでもお参りすることができます。護摩木(添え護摩)は一本200円で、何本でもお申込みができます。どうぞ皆様、金運が高まる迫力あるお護摩にお参りください。

金運宝珠護摩

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令和元年6月16日

 

毎月第三日曜日は、午前11時半より金運宝珠きんうんほうしゅ護摩を修しています(写真)。毎日のお大師さまご本尊の場合も如意宝珠にょいほうしゅのお護摩でありますが、今日は特に金運を念じて修しました。現代は特に、金運なくして生きていくことはできません。だから、大勢の方々が集まるのです。

そして、人はつまるところ衣食いしょくが足りてこそ、礼節を知るのです。生活もままならずして、仏教の話など聞く道理がありません。皆様は仏教というと、心の教えとばかり思われましょう。しかし、衣食を求める者には衣食を、悟りを求める者には悟りを与えるのがお大師さまの密教であります。

お大師さまは社会の平和のためには鎮護国家ちんごこっかのご祈祷を、陛下の健康のためには玉体安穏ぎょくたいあんのんのご祈祷を、寺の発展のためには寺門興隆じもんこうりゅうのご祈祷を、庶民の衣食のためには諸人豊楽しょにんほうらくのご祈祷を修されました。そして、弟子の修行成就のためには、俗界を絶った高野山を開かれたのであります。人が求め、人が生きる以上、いずれも必要なことばかりです。

皆様が何の関心も持たないようなむずしいお話をしたところで、お寺に足を向けるはずがありません。このことを肝に銘じ、日々の心がけにしています。生活に直結してご相談に乗れるよう、今後も努力を重ねます。どうぞ、いつでもお越しください。

真剣勝負

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令和元年6月2日

 

毎日、午前11時半にはお護摩を修しています(写真)。お護摩が終ると、お参りの皆様は持参した昼食をいただきます。これを毎日くり返しています。

 

 

この、毎日のくり返しが重要で、これによって寺のパワーが高まるのです。堂内に霊気が遍満するのです。まれに荒行をしたからといって、まれに大祭をしたからといって、大したパワーにはならないことがわかりますでしょうか。人間の体だって同じです。一度に多くの栄養を摂ったからといって、健康な体にはなれません。毎日のくり返しが重要です。

また、あさか大師では「願いおき護摩木」といって、その日ごとに護摩木をお預かりしています。1ケ月分の棚があり、希望する日に護摩木を入れていきます。病気の手術や受験の日に向けて、連日祈願を修します。だから、毎日お護摩を修さねばなりません。私は30年以上、こんな生活を続けています。

私が真剣でなければ、お参りの皆様が真剣になれるはずがありません。趣味や道楽ではないのです。だから、毎日が真剣勝負です。20代で僧侶になった時、お師匠様から「道心の中に衣食えじきあり」という揮毫きごうをいただきました。真剣に道を求めていれば、衣食はおのずから与えられるというほどの意味です。当時はそれほど感じ入ったわけではありませんが、年齢を重ねるうちに、この言葉の意味がよくわかるようになりました。大切なことは真剣であることなのです。明日もまた心がけますよ。

金運宝珠護摩

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令和元年5月19日

 

毎月第三日曜日は午前11時半より、金運宝珠護摩を修しています(写真)。

金運宝珠護摩

私がこのお護摩を修すべきだと思った理由は、現代は人の幸福と金運を切り離しては考えられないからです。わかりやすく申し上げるなら、「お金がなくても幸せになれる」とは言いがたい時代であるという意味です。お金は自分の分身であり、能力を示す証明であり、大切な友なのです。
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第二の才能

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令和元年5月5日

 

今日も月初めの行事があり、昨日と同じようにお護摩(写真)と光明真言法要をいたしました。

11時半のお護摩
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