2021/09の記事

続・「調子がいい」とは

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健康

令和3年9月29日

 

それでは、腸の調子がいい状態を保つには、何が必要なのでしょう。いうまでもなく、その答えは「腸内フローラ」にあるのです。つまり、善玉菌・悪玉菌・日和見ひよりみ菌のバランスが整い、まるで腸内がお花畑(フローラ)のように美しく、明るく、生き生きとしている状態のことです。

そういうと、善玉菌さえ増えればいいと単純に思うかも知れませんが、そうとばかりも言えません。善玉菌が二割、悪玉菌が一割、日和見菌が七割のバランスが理想的な腸内フローラとされるからです。優等の善玉菌、不良の悪玉菌、そして、普通ほどの日和見菌がこのバランスで整えば、腸は絶好調といえましょう。便秘をすることもなく、力まずに心地よく、バナナ状の排便をすることができるはずです。

このことは世の中を考えるうえでも、大切なことです。多くの人は、世の中に特別な貢献ができなくても、悪いことをせず、まずまず〝いい人〟になろうと心がけています。これが日和見菌です。しかし、慈悲心をもって、世のため人のために貢献しようとする人が二割ほどはいて、これが善玉菌です。そして、一割ほどの悪人も必要です。それはどういうことかと言いますと、悪の見本を示してくれるからです。こういうことをしてはいけないという見本があるからこそ、人は自らをいましめるからです。これが悪玉菌も必要な理由です。世の中はこのバランスで成り立っています。そして、このバランスを腸内に保つためは、食物繊維や発酵食品を食事に取り入れることが大切です。これによって腸内フローラを保つことができるのです。

最近の研究では、幸せホルモンであるセントニンも、腸管にあることがわかってきました。セントニンは腸内でのトリプトファンというアミノ酸から合成されるからです。このセントニンが脳を高揚させ、幸せを感じることができるのです。つまり、腸内フローラは人生の幸せをももたらし、人生そのものの調子もよくなるということになるのです。

私たちは「腹黒いヤツ」とか、「腹を見せろ」とか、「腹を割って話す」などと言います。これは腸に心があることを、昔から直観的に知っていたからです。また、臍下丹田せいかたんでんという〈気〉の集まる場所でもあり、腹式呼吸をして気持を落ち着かせることもできます。さらに真言密教ではおヘソのことを〈臍輪さいりん〉といい、修法をするうえでも重要なかなめなのです。

腸は脳でもあり、心でもあり、何とも偉大な存在であることがお分かりいただけましたでしょうか。

「調子がいい」とは

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健康

令和3年9月27日

 

「健康は血液で決まる」「人は血管から老いる」などと言いますが、その血液の云々うんぬんを決めるのは大小の腸と、「肝腎かんじん(心)かなめ」の肝臓・腎臓だと私は思っています。もちろん、人の内臓器官に何一つムダなものがあるはずはありません。それでも、腸の働きは特に重要です。なぜなら、私は「調子ちょうしがいい」とは、「腸の調子がいい」ことだとさえ考えているからです。「肝腎要」については以前にもお話をしましたし、法話集『一話一会 第2集』にも掲載しました。ここでは腸について、私なりの考えをお話をしましょう。

腸について、多くの人は食べ物の消化吸収や排泄の器官ぐらいとしか知っていません。ところが、これが大間違いなのです。実は腸こそは「第二の脳」とさえ呼ばれるからです。この定義はアメリカのコロンビア大学医学部教授のマイケル・D・ガ―ション博士が、1999年に刊行した著書『セカンド・ブレイン』に由来します。博士は腸は非常に賢く、豊かな感情を持っている、と発表しました。この衝撃的しょうげきてきな発表はまたたく間に普及し、今や重要な研究課題となりました。

腸が感情を持っていると聞くと、奇妙な感じを受けることでしょう。しかし、腸内には数億という膨大ぼうだいな神経細胞のネットワークが機能し、脳の指令を受けずに独立して働いているというのです。人が脳死にいたれば、続いて心肺停止となりますが、腸ばかりは正常に機能します。つまり、心臓は脳の支配下にありますが、腸は独立し続けるのです。これが「第二の脳」と呼ばれる由縁なのです。

腸の基本的な働きは、もちろん消化吸収と排泄です。しかしそのほかにも、自律神経と深く関わりつつ、病気を未然に防ぐ免疫組織であることがわかってきました。また、消化器官全体に張り巡らされた毛細血管全体を統括とうかつし、人の健康状態を維持管理しています。つまり、危険なものを見逃さず、消化吸収してよいかどうか、消化するにはどんな酵素が必要かを瞬時に判断するのです。まるで、あらゆる物質のデータを備えた高速コンピューターではありませんか。

そもそも、地球上に最初に誕生した生物には、脳などありませんでした。臓器と呼べるのは腸だけだったのです。つまり、食べて生きるという生命活動の根源は腸から始まったといえるのです。たとえば、田や沼に棲むヒドラという1センチほどの生物がいます。水草に付着してミジンコなどを食べて生息しています。脳はなく筒状の先端に口と触手がありますが、あとは腸だけの生物です。ほかの臓器はここから進化したものに過ぎません。これが生物の最も根源的な姿なのです。

始めに腸あり。腸は脳なり。腸こそは「第2の脳」どころか、「第1の脳」なのです。私たちの今の脳は、後に付属した臓器といっても過言ではありません。このお話、次回また。

性格判断

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人間

令和3年9月25日

 

人にはさまざまな性格があります。私はたいてい、九星気学でこれを判断していますが、そのほか特に重視しているのがクレッチマーの性格類型です。クレッチマーは二十世紀におけるドイツの精神科医ですが、彼は人の性格を五つのタイプに分類しています。私なりの分類用語で、ちょっとのぞいていみましょう。

①自己顕示型

社交的で派手好き、自己主張が強く負けず嫌いな人です。他人が自分より上にいることが許せず、嫉妬心しっとしんも人一倍強いので、対人関係のトラブルが絶えません。嫌いな相手やライバルには徹底的に攻撃こうげきしますが、うまくいかないとヒステリー症状におちいります。しかし、上を目ざしてはい上がるパワーは強く、水商売や芸能人タイプと言えましょう。

②几帳面型

いわゆる几帳面きちょうめんでねばり強く、きわめてまじめな人です。だらしのない生活を極端に嫌い、ルールやセオリーをきちんと守らなければ気がすみません。持久戦に強い反面、こらえきれなくなると、癇癪かんしゃくをおこして年に一度二度と、これを爆発させます。不器用なほどのマイペースですが、一人でコツコツと成果を積み重ねる研究者タイプと言えましょう。

③柔軟性型

五つの分類では最も柔軟性じゅうなんせいに富み、まずまず無難な人です。つまり、ものごとを素直に受け入れる能力に富み、しかも七転び八起きのしぶとさにも欠きません。いささか八方美人ではありますが、人づきあいがうまく、好んで他人の面倒もみます。たくましさを持つこのタイプは政治家に多く、最後に天下人となった徳川家康がその代表的タイプと言えましょう。

④理想空想型

きわめて非社交的であり、ああくまで自分のカラに閉じこもる人です。偏屈へんくつな変わり者と見られますが、特異な才能を発揮して、世間を驚かせることもあります。繊細せんさいで空想や理想に走り、まわりの評価など気にもせず、世渡りのヘタなのが特徴です。一部の人からは熱狂的に愛されますが、一方では誤解されることも多い芸術家タイプと言えましょう。

⑤完全主義型

感受性が強く、過敏で、小さなことにこだわる神経質な人です。何ごとも完璧にやりげねば気がすまず、他人の失敗まで自分の責任であるかのように思い込むと、ノイローゼにもなりかねません。完全主義が強い反面、身辺のささいな一言が気になると、強いコンプレックスをいだきます。寒がり屋なのに暑がり屋の、いわゆる汗かきタイプと言えましょう。

もちろん、人はこの五つのタイプを複数に持ち合わせ、時に応じてどれかが強く現れるのです。私などは、この五つのすべてをそなえているようにさえ思えます。さて、皆様はいかがでしょうか。もしかして・・・。

秋彼岸会

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あさか大師

令和3年9月23日

 

あさか大師では本日、秋彼岸会を挙行しました。数日前からお塔婆とうば(お飾りしてある白い経木きょうぎ)を浄書し、光明真言曼荼羅こうみょうしんごんまんだらを中心とする両部曼荼羅りょうぶまんだら(左・金剛界と右・胎蔵界)の前に荘厳しました(写真)。実は、この荘厳そのものが、先祖供養における光明真言法こうみょうしんごんぼう(光明真言による真言密教の行法ぎょうぼう)の口伝くでんなのです。

残暑きびしく、むし暑い一日でしたが、大勢の方が参列し、僧侶の方々の声明しょうみょうのついた真言や経典)に続いて読経をしました(写真)。法要後は、先日のブログにも書きましたが、日本は春彼岸に木蓮もくれん、夏のお盆にははす、そして秋彼岸には曼珠沙華まんじゅしゃげが開く「仏の国」であるという法話をしました。本当に、そのとおりだと思っているからです。

また、終了後は参詣の方々とお供えしたオハギをいただき、楽しいひと時を過ごしました。よけいなことかも知れませんが、ボタモチとオハギは同じものです。しかし仏花に加えて、春彼岸には牡丹ぼたんが咲くので「ボタモチ」と、秋彼岸にははぎが咲くので「オハギ」と言います。これ、もちろん、皆様はご存知ですよね。

中秋名月

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自然

令和3年9月21日

 

今夜は中秋名月で、しかもお大師さまご縁日という特別な日です。つまり、旧暦8月15日の夜に当たり、これを「十五夜」と呼ぶわけです。昨夜は一点の雲もない〈待宵まつよいの月〉でしたが、今夜は雲が多く、多分に隠れるかも知れません。ご縁日のお護摩を修してより、何となく落ち着かず、空模様を気にしていました。実は今夜の雲を予測して、明け方近くに写真を撮っておいたのです。ほとんど満月ですが、わずかな欠けを感じるかも知れません(写真)。

せっかくですので、日本人なら知っておきたい〈月待つきまち言葉〉をお伝えしましょう。

先にお話しましたが、十五夜の前日、つまり14日の夜を「待宵まつよい」と言います。文字どおり15日の夜を待つ宵ですが、十五夜に雨が降りそうなら、晴れたこの日のうちにお月見をしておこうという意味も含まれています。ついでですが、竹久夢二作詞、おおの 忠亮ただすけ作曲の抒情歌『宵待草よいまちぐさ』は夢二の造語で、正しくは「マツヨイグサ」と呼びます。しかし、恋人を待つ心境としては、「ヨイマチグサ」の方が詩情に合っているのでしょう。詩人はこうして、自分の造語を生み出すのです。

また、16日の夜を「十六夜いざよい」、17日の夜を「立待たちまち」18日の夜を「居待いまち」と言います。もう、このへんになると、満月からは欠けますが、満月の名残なごりを楽しむ余韻よいんが日本人らしいところです。そして、「十三夜じゅうさんや」も忘れてはなりません。旧暦9月13日の夜で、十五夜に並ぶ名月の美しさを楽しめます。十五夜は中国から伝わりましたが、十三夜は日本独特の〈未完の美意識〉を象徴しています。今年は10月18日なので、忘れずにいてください。

毎月1日を「ついたち」と呼ぶのは、次の月が始まる、つまり「月がつ(始まる)」の意味からです。また30日を「つごもり」と呼ぶのは、「月もり(かくれる)」から転じた言葉です。

これらは、お大師さまがご在世の平安時代から使われてきました。お大師さまと親交の深かった嵯峨さが天皇さまは月見を好まれましたから、お二人で名月を楽しんだに違いありません。

金運宝珠護摩

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あさか大師

令和3年9月19日

 

今日は第三日曜日で、午前11時半より金運宝珠護摩を修しました。コロナ禍のさびしい集まりでしたが、僧侶の方もご信徒の方も力強く読経しました。ご祈願も多く、たくさんの護摩木(添え護摩)で高々と炎が舞い上がりました(写真)。

あさか大師の本堂は土間どま(床)なので、クツのままお参りし、僧侶の方もご信徒もイスに座って読経します。また、玄関までの段差もありません。これは車イスの方でも楽に入れるよう思案したからです。お隣りが特別養護老人ホームなので、入居者の方が車イスでお参りします。時代の流れからしても、これでよかったと思っています。

現代はどのお寺も、本堂には畳の上にイスを置くようになりました。現代人は家庭においても、ほとんど正座をしません。茶道なども立礼席りゅうれいせき(イス席でのお点前てまえ)が増えているはずです。正座は正しく座れば実は健康的な座法なのですが、ひざや腰の悪い方には苦痛です。しかし、トイレも洋式となり、雑巾ぞうきんがけもしなくなり、車が普及して歩くことも少なく、足腰が弱くなったのも事実です。ところが、年齢だけは長命となり、グルコサミンやコンドロチンのお世話になっているのです(笑)。何ごとにも一長一短があるものですね。

彼岸花が咲く

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自然

令和3年9月17日

 

あさか大師の近辺でも彼岸花が咲き始めました(写真)。曼珠沙華まんじゅしゃげという別称もありますが、かつては「お墓の花」「死人の花」としてきらわれ、生け花として用いられることはありませんでした。まして茶室においては、今でも代表的な禁花となっています。

ところが、最近では事情が一変しました。全国の群生地には人が集まり、カメラマンの姿が絶えません。特に本県日高市には〈巾着田きんちゃくだ曼珠沙華公園〉があり、 約500万本がいっせいに花開きます。私も一度だけうかがいましたが、駐車場に入るだけでも2時間を要しました。公園を囲む高麗川こまがわ蛇行だこうが〈きんちゃく〉に似ていることから、「巾着田」と呼ばれるようになったそうです。その高麗川が増水した折、漂流物に混じった球根が根付いたのでしょう。多くの方の関心を呼ぶようになりました。一面に赤ジュータンを引き詰めたような景観は圧巻としか言いようがありません。

私の郷里(栃木県芳賀郡)では近年まで土葬どそう(火葬せずにひつぎのまま埋葬する葬法)の風習が残り、彼岸花はおなじみのものでした。土葬した盛土の上には堅い球根を乗せ、その球根が持つアルカロイドの毒性によってモグラや野ネズミから遺体を守ったのです。もちろん、田んぼのあぜ道や土手に植えるのは、土くずれを防ぐためです。また、その毒性さえ除けば、飢饉ききんの折の救荒きゅうこうしょくとして人命を救って来ました。すり込んで水にさらせば、毒が抜けるし、湿布薬や尿毒薬ともなったのです。

今日では白色・桃色・紫色と言った多彩さがありますが、私は昔ながらの赤色を好んでいます。多くの詩歌や小説に登場しますが、まずは俳人・山口誓子せいしの「けて天上てんじょうこん曼珠沙華」が浮かびます。天上の青空(紺色)と真っ赤な曼珠沙華を対比させた名句です。すばらしいでしょう。

日本は春彼岸に木蓮もくれん、お盆にははす、秋彼岸にはこの曼珠沙華(彼岸花)と、仏縁の花が咲く国です。遠い先祖を神棚に、近い先祖を仏壇に、神を父とし、仏を母としながら、皇室が一度も滅びなかった世界一古い国家です(ギネス登録)。世界一の日本に生れたことを喜び、世界一の日本を讃えましょう。

遍路大師の到着

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あさか大師

令和3年9月16日

 

あさか大師は今年、開創三周年を迎えました。そこで私は遍路へんろ大師像(お大師さま修行時代のご尊像)の建立を発願ほつがんし、報恩謝徳ほうおんしゃとくに献じようと考えています。本日、そのご尊像が富山県高岡市の工房から到着しました。高さ六尺(180センチ)の青銅製で、200キロの重量があります(写真)。来月には石材店の方が基礎工事に着工し、年内にも開眼法要を挙行する予定です。

お大師さまは奈良の大学に入学しましたが、やかてこれを中退し、紀州や四国などで修行に励みました。遍路大師はこの時代のご尊像で、その道程が四国八十八ヶ所霊場です。お大師さまはきびしい修行によって仏教の真理に到達しましたが、さらにこれを大成するために唐(中国)の長安ちょうあんに渡ったのでした。そして、青龍寺しょうりゅうじ恵果和尚けいかかしょうと劇的な出会いをなし、真言密教の奥義を授かりました。

遍路大師像には高さ四尺(120センチ)の御影石台座に乗ります。来年の初詣には、皆様の眼にも留まりましょう。あさか大師の新たな象徴として、ぜひお参りしていただきたいものです。

ビデオ伝授

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真言密教

令和3年9月14日

 

私は今年6月に真言宗住職葬儀、つまり真言宗寺院の住職が死亡(これを遷化せんげといいます)した場合の、葬儀法を説明した本を出版しました。住職の葬儀は、もちろん一般の方とは異なります。お檀家さんの葬儀を長くつかさどって来たのですから、それは当然でしょう。しかし、残念ながら若い副住職は、これについてほとんど学ぶ機会がありません。私がこの本を出版した理由はこれなのです。永く活用されることを願っています。

そして、9月7日に奈良の東大寺で伝授会をする予定でした。ところが、緊急事態宣言の発令でこれも叶わなくなり、やっむなくビデオに撮影して配布することとなりました。本日は出版社の方が見えて、その録画をしました。緊張しましたが、約3時間をかけてビデオ伝授を終了しました。クタクタになりましたが、無事に終わってホッとしています(写真)。

先日、市川海老蔵さんの歌舞伎がオンラインで公演されるという広告を見ましたが、真言密教もオンライン伝授を真剣に考えるべきかも知れません。政治もビジネスも、テレビ電話やオンラインを活用する時代です。まして、このコロナ禍の中ではなおさらです。私の場合は北海道や沖縄からも僧侶の方が受法に見えるので、関心を持たざるを得ません。今回はビデオ撮影の方法をとりましたが、さらに思案を重ねたいと思っています

生涯最高のご飯

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食事

令和3年9月11日

 

服部栄養専門学校長の服部幸應氏が、自分にとっての生涯最高の料理は、比良山荘ひらさんそう(滋賀県大津市)の〈月とスッポンなべ〉だと語っています。死ぬ前にもう一度食べたい〝最後の晩餐ばんさん〟と決めているそうで、「この世のものとも思えない味」とまで豪語しています。あらゆる美食に通じた服部氏のお話なればこそ、さすがにインパクトがありますね。

何でも琵琶湖の天然スッポンのだし汁で、ツキノワグマの肉を煮るという〈熊鍋くまなべ〉だそうで、まさにぜいを尽くした料理であることは間違いなさそうです。私はこのお話に興味をいだきましたが、残念ながら禁食(戒律で禁じられた食品)なのでいただくことができません。私は霊符れいふという特殊な御札おふだを書くので、その行者はスッポン料理とウナギのような長物ながもの料理は、亀蛇きだのご神体(玄武神げんぶしん)として禁じられているからです。

では、私にとって生涯最高と思えるモノは何であろうかと回想してみました。思うに、多くの方のそれは一流料亭やレストランの美食ではなく、遠い記憶や思い出と結びつく何かではないでしょうか。それはたぶん、子供の頃に家族と共に味わった〝おふくろの味〟であるかも知れません。おふくろの味は、時間と共にさらに熟成するからです。終戦後の食べ物のなかった時代なら、なおさらです。えた時代には、サツマイモさえ生涯最高になるからです。

私に心あたりがあるとすれば、それは毎年12月30日の正月飾りに食べたもちつきの前の、あの一瞬のうまさだったと思います。農家の庭先にうすきねをそろえ、かまどにマキをくべてかしたもち米が入ると、晴れた冬空に湯気がボオーと舞い上がりました。すぐに杵を入れるのが私の役目でしたが、一分間だけ楽しみがありました。片手でその熱々のもち米をすくい、フウフウ息を吹っかけながらそのまま口にしたその味は、晴れた冬空と絶妙に溶け合い、この世のものとも思えなかったからです。塩も醤油しょうゆも何もいりません。私の生涯最高のご飯でした。

私はこの世で一番おいしいものはご飯だと、いつも思っています。人にも語り、法話集『一話一会』(第一集)にも書きました。それは一日としてきることも、忘れることもないからです。そんな食べ物がほかにあるはずはありません。そして、その名を「シャリ(舎利)」とも言うではありませんか。舎利はお釈迦さまのお骨であり、如意宝珠であり、仏さまそのものです。ご飯を食べることは、仏さまの功徳をいただくということです。その功徳によって、幸せをいただくということです。だから、多くの日本人が合掌をしていただくのです。

山路天酬密教私塾

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