カテゴリー : 真言密教

仏さまの文字

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令和6年4月15日

 

今月の6日・7日、お護摩の前に弟子僧が集まり、梵字ぼんじの勉強会をいたしました(写真は7日)。

 

 

真言密教では自然界はすべて、仏さまの文字(説法)として解釈します。川の流れ、風の音、木の葉の一枚にいたるまで、すべてが仏さまの教えであるとするのがお大師さまの教えです。そして、その仏さまの文字で最も大切なのが梵字です。梵字は本来、得度を受けて僧侶となり、正しく伝授を受けねば学ぶことはできません。特に筆法や筆順など、厳密な決まりがあります。

よく、道路わきの石材店などが展示している石塔には、とんでもない間違いを散見することがあります。また仏具店に依頼して完成した位牌にも、いささか問題な点がないともかぎりません。僧侶の皆様には、ぜひ正しい梵字を習得していただきたいと思います。お札や塔婆を書くことは、仏さまそのものを書くことであることを自覚すべきだからです。

ついでながら、私は自分の著書の梵字は、タイトルと共に自分で浄書してきました。仏さまの著書を刊行するのですから、当然のことです。お大師さまに笑われぬよう、これからも精進せねばなりません。

弘法大師御影の秘密

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令和6年3月24日

 

20日の正御影供しょうみえくでは毎年、お大師さまの御影みえ(お姿の絵)に描かれた念珠・水瓶すいびょう木履ぼくり(木製のくつ)の三点を仙菓せんかのお供えと共に荘厳しています(写真上)。これは私の著書『弘法大師御影みえの秘密』(青山社刊・写真下)を上梓じょうしするにあたって、こうした法具を復元したことに由来します。

真言宗の僧侶は何をするにも、まずはお大師さまに礼拝します。しかし、その御影がどんな意味をなすのか、どんなご誓願をもってあのように残されたのか、まったく教えられていません。私はその一つひとつについて、自分の考えを発表しました。これはお大師さまに結縁した、私の人生の使命であると考えたのです。

これらの法具は、残念ながら高野山にも残っていません。江戸時代の目録には書かれていますが、御影堂みえどう(お大師さま居住の場所)にも霊宝館(宝物館)にも残っていません。これはとても残念なことです。

念珠は赤いので、よく瑪瑙めのうではないかといわれますが、中糸がいて見える以上、これは琥珀こはくに間違いありません。また、木履は福山の〈日本はきもの博物館〉にも所蔵されていないほど貴重なものです。興味のある方は、毎年3月21日(20日)の正御影供にご参詣ください。

お大師さまについての本は数かぎりがありませんが、この御影について書かれた類例はきわめて希少です。私の著書にもご縁をいただけますれば、幸甚のかぎりであります。

孔雀明王の秘法

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令和6年2月27日

 

本日、金沢より真言宗僧侶の方がお越しになり、3名の方に〈孔雀経法くじゃくきょうぼう〉を伝授しました。〈孔雀経法〉とは孔雀明王くじゃくみょうおう(写真)への祈願法で、真言密教〈三箇大法さんかのたいほう〉の一つであり、秘法中の秘法とされるものです。その秘法を修すれば絶大な法験を生むがゆえ、特に国家的な危機を救う祈りとして、ひそかに修されてきました。

 

私がなぜこのような秘法を伝授したのかと申しますと、震災はもちろんのこと、戦争・コロナ感染が未だに絶えないからです。そして、私自身も毎日の祈りに、この孔雀明王の真言を加えているからです。

孔雀は毒虫を食すので、それが人間の三毒(貪瞋痴とんじんち)を食する鳥としてたたえられました。また、その名を「救邪苦くじゃく」とも表記し、邪悪な苦しみを救う深意が込められています。「孔雀明王」とは呼ばれるものの、不動明王などの忿怒ふんぬの〈明王〉ではなく、「みょう(真言)の威力にすぐれた王」の意味であることも知らねばなりません。ご覧のとおり、尊顔はやさしい菩薩形です。

私も心ある有縁の僧侶の方には、今後もこの秘法を伝授していきたいと思っています。また能登半島の被災地が、一日も早く復興しますことを念じてやみません。

日本史最大の巨星

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令和5年10月19日

 

このたび、お大師さまのご尊号とご宝号の立札を設置しました(写真)。

あさか大師のご本尊さまは「厄よけ弘法大師」です。初めてお越しになった方には、尊前にご案内してそのように説明しています。そろそろ来年の厄除一覧表を公開しますが、初詣の折にはこの立札が衆目を集めると思います。

それから、お大師さまのご宝号は「南無大師遍照金剛なむだいしへんじょうこんごう」とお唱えします。〈遍照金剛〉とは真言密教の教主・大日如来を意味しますので、私たちはお大師さまを大日如来そのものとして礼拝しています。つまり、「南無大日如来」とはお唱えせず、「南無大師遍照金剛」とお唱えするという意味です。

このことはとても大切なことで、真言宗僧侶の方でも意外に理解されていません。お大師さまの宝号がすなわち大日如来であるという真実を、私は広く宣揚せんようしたいと思っています。お大師さまは今日、世界中から注目されていますが、まさに遍照(あまねく照らす)そのものでありましょう。

お大師さまは日本史における、最大の巨星です。戦国武将や明治維新の英雄より、はるかに大きな文化的業績を残しました。そして、真言密教の曼荼羅まんだらの教えはますます共感を呼んでいます。このご宝号が、あらゆる国々の人々からお唱えされる日を念じてやみません。

さらなるパワーを引き出す

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令和5年9月19日

 

このところ真言密教の〈法界力ほうかいりき〉という用語を、何度か使いました。文字どおり法界の力、つまりお堂に遍満へんまんする力です。

しかし、〈法界〉とはもちろん、お堂の中にかぎりません。極論をお話しするなら、宇宙のすべてが法界です。だから、その範囲や距離に関係なく法界力は発揮されます。ただ、その中心となる発信地が必要です。それがお寺であり、お導師が修法するお堂ということになりましょう。

あさか大師では開山前のネパール密教のお護摩、毎日の11時半のお護摩や先祖供養の光明真言法こうみょうしんごんぼう、そのほか修行僧や参拝者の読経や真言、そして全国のご信徒の皆さんの祈りが融合して法界力が遍満しています。だから、お護摩の祈りが熱祷ねっとうとなって発揮されるのです(写真)。

法界力は皆さんの祈りの結集です。この毎日の積み重ねがさらなるパワーを呼びます。皆さんの一人一人の祈りが、たとえ世間のほんの片隅にあろうとも、それが融合すれば強大なパワーとなることを忘れてはなりません。

私の祈りを発信地として、皆さんの祈りを融合させましょう。一巻の読経、一回の真言も、法界力の中にあるのです。そして、さらなるパワーを引き出すのです。

金運宝珠護摩の功徳

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令和5年6月18日

 

あさか大師では本日、午前11時半より真言密教の秘法である〈金運宝珠護摩〉が奉修されました。ブログを読んでくださる方にも、この日を持ち望んでいる方が多く、初めての方も含めて大勢が集いました(写真)。

この金運宝珠護摩は〈如意宝珠にょいほうしゅ〉を本尊とする独特のものです。如意宝珠は多くの仏さまや神さまが持つ、縁起のよいお宝として知られています。しかし、このお護摩にお参りしたからといって、一万円札がパラパラと降ってくるわけではありません。なぜなら、お金が入るということは、それに値する何かを世の中に与えた結果であるからです。与えなければ、お金は入りません。まさに、「与えよ、さらば与えられん」です。

しかし、その何かを与えるためには、能力や努力はもちろんのこと、さらには〈うん〉が必要です。その運の力を強めるには、能力や努力に加えた〈徳〉がなくてはなりません。その徳の集まりが如意宝珠なのです。万徳円満の如意宝珠に祈ると、自分も徳を積めるようになります。仏教ではこれを〈功徳くどく〉といいます。先祖には感謝し、社会には奉仕し、人には喜ばれて功徳を積むことができます。

お金はこの功徳を追いかけて、後ろからついて来るのです。世の中を見てください。人がそんをすれば自分がもうかると、利益ばかり追いかけている方は、絶対にお金持ちにはなれません。逆にどうしたら人が喜んでくれるかと、人の利益ばかり考えている方は、いつの間にかお金持ちになります。お金は追いかけるものではなく、後ろから追いかけて来るものだからです。

皆様も功徳をいっぱいに浴びる金運宝珠護摩にお参りください。どなたでも参加することができます。きっと、不思議なことがおこりますよ。

最も身近な宇宙とは

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令和5年5月26日

 

真言密教は人体を宇宙としてとらえます。これを説明するために、興教大師こうぎょうだいし(新義真言宗開祖)はこれを五輪塔ごりんのとうによって表現しました(写真)。

五輪とは地・水・火・風・空の自然界を、それぞれ四角・円・三角・半円・団の形によって説明したものです。大地は堅い四角で、水玉は丸で、立ち上る火は三角で、舞い上がる竜巻(風)は半円で、雲(空)は団形で表示しました。さらに、これを人体に配当すると、瞑想で座った足の形は四角い大地です。おなかと両腕は円となります。肩の形は三角で、顔は半円、頭は丸です。つまり、私たちの体はこの自然界の縮図であり、宇宙そのものなのです。

私たちはお母さんの体内から生まれましたが、このような姿を誰が創ったというわけではありません。世の中には不思議な出来ごとがあるものですが、最も身近なところに、こんな不思議があったのです。いうなれば、仏さまがお創りになったとしかいいようがないのです。

もう一つお話をしますと、かつて韓国の歴史ドラマに『ホ・ジュン』という名作がありました。主人公の名が許浚ほじゅんで、16世紀に活躍した漢方医学者です(写真)。ドラマは彼の生涯の偉業である医学書『東医宝鑑とういほうかん』を完成させるまでのストーリーで、私は長編のビデオでこれを見ました。『東医宝鑑』はユネスコの世界記録遺産にも登録され、韓医大学では今でもテキストとして学ばれているほどの古典的な名著です。

ところがストーリーの最後、まさに『東医宝鑑』が完成する場面で、すばらしい名言が放映されました。私はこれを夢中になってメモを取りましたが、その走り書きが残っています。

「人の頭が丸いのは天に似て、足が四角いのは地に似る。天に四季があるように、人には四肢しし(両手足)がある。天に五行ごぎょう(木・火・土・金・水)があるように、人には五臓ごぞう(心・肝・脾・肺・腎)がある。天に六極ろっきょく(疾・憂・貧・悪・弱)があるように、人には六腑ろっぷ(大腸・小腸・胆・胃・三焦さんしょう・膀胱)がある」

これもまた、人体の宇宙を説明するに、かんにしてようを得ています。私たちは最も身近な宇宙が自分であることを知らねばなりません。また、これがお大師さまの教えでもあることを覚えておいてください。人体とはかくも偉大なものなのです。

孔雀明王への祈り

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令和5年5月16日

 

私は昨年の秋より毎朝、お大師さまと共に孔雀明王くじゃくみょうおうへの祈りを続けています(写真)。なぜなら、長引く新型コロナの感染終息と、ロシアによるウクライナ侵攻が一日も早く終結することを願ったからです。コロナ感染は減少しつつありますが、まだまだ油断はできません。ウクライナ侵攻に対しては、皆様からの〈一食布施いちじきふせ〉などもユニセフに送金し、現地ニュースにも耳を傾けています。

孔雀明王はご覧のとおり菩薩の姿をしていますが、そのみょう(真言)の徳がきわめて勝れていることから、〈明王〉とお呼びしています。また〈孔雀〉は〝救邪苦くじゃく〟とも表記され、あらゆる人間苦への祈りに霊験いちじるしいと相伝されて来ました。ただ、その行法ぎょうぼうは真言密教の中でも特に秘法とされ、これを修する行者はなかなかいません。

私はこのような非常事態でありますゆえ、特に熱意ある弟子僧にはこの秘法を伝授し、緊急祈願として加わっていただくことを提唱しました。また、孔雀明王の経典である『仏母大孔雀明王経』の刊行に関しても、その表題揮毫を担当しました(写真)。祈りは結集することによって、さらに威力が強大となるからです。

なお、今年は大変に雨量が多く、各地で水害が発生しております。実は孔雀明王は祈雨きう(雨を呼ぶ祈り)にも霊験がありますが、雨を止める祈りにもよく相応します。もちろん、病気・災害・降伏・商売・招財・敬愛など、多くの利益りやくがあることはいうまでもありません。

お心のございます方は私といっしょにお祈りください。毎日11時半よりお護摩を修しています。ただ、出仕のある時は早朝に修しますので、遠方の方はご一報ください。皆様のご参加をお待ちしています。合掌

続・天下第一の高僧

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令和5年4月14日

 

浄厳大和尚じょうごんだいわじょうのお話を、さらに続けましょう。

大和尚は十歳の折に高野山にて得度し、以後二十三年間にわたって求道生活を送りました。その間、その才名は天下に聞こえ、これを敬慕しない人はなかったとまで伝えられています。高僧というと、一般には学識的な面ばかりが強調されますが、大和尚の偉才は密教修法による数々の霊験にあると私は思っています。

もちろん真言陀羅尼の編纂へんさんをはじめ、口決くけつ(行法の意味や口伝)に関する著作も多く、その功績もまたはかり知れません。ただ、大和尚の著作刊行にあたっては驚くほど多くの寄進者によって成り立っていたことは注目すべきです。たとえば、『普通真言蔵ふつうしんごんぞう』という名著の刊行においては、1042名の方がこれに協賛していますが、そのほとんどはご信徒の方々なのです。これは大和尚が祈念した護符の霊験が、いかに顕著であったかを示す確証にほかなりません。

江戸牛込の西村喜兵衛という人は、舌が腐って飲食もできない業病ごうびょう(前世からの宿業しゅくごうによる病気)を患い、医者にも見捨てられましたが、大和尚より光明真言の護符を授かりました。そして深く懺悔さんげして念誦ねんじゅしたところ、たちまちに平癒へいゆしました。尾道の今田屋新平衛という人は大和尚から阿字あじ(真言密教の象徴的梵字)の浄書をいただき、おじくにして日夜これを祈念しました。すると元禄15年の大火で、民家800軒あまりと共に新兵衛の家も焼失しましたが、大和尚のお軸だけは少しも損じませんでした。諸人はこれを奇跡としてあがめ、深く礼拝しました。また、日照りにあっては祈雨を念じ、渡海にあっては無事を念じ、いずれも不思議な霊験が記録されています。

大和尚は生涯に十七回の結縁灌頂けちえんかんじょう(ご信徒が仏さまとご縁を結ぶ儀式)を勤めました。その入壇者にゅうだんしゃは何と304055人と記録されています。これほど驚異的な入壇者の数を私は知りません。一日の予定が三日、七日、十日と続き、霊雲寺れいうんじでのその様相は『江戸名所図絵』にも描かれています。

大和尚は元禄15年、六十五歳で入滅にゅうめつしました。その威光は蓮体れんたいという弟子に継がれました。墓所は霊雲寺に近い、台東区池之端の妙極院みょうごくいんにあります(写真)。

その入滅が近づいた時、将軍綱吉つなよしの命によって大奥の医師が診脈にうかがいました。「何か苦しいことがありましたら仰せられませ」とお話したところ、「何もありません。ただ正法しょうぼうの興隆がまだまだ及ばず、それが心苦しいだけです」と語りました。これが大和尚の最後の言葉でした。

天下第一の高僧

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令和5年4月12日

 

江戸時代の初期、浄厳じょうごんという大和尚だいわじょうがいました(写真)。寛永16年、大阪・河内長野市に生れ、高野山で修行し、生家に延命寺えんめいじ建立こんりゅうし、真言密教の再興に尽くし、民衆を強化し、晩年は東京湯島に霊雲寺れいうんじを開山した方です。私はこの時代、この浄厳大和尚をして天下第一の高僧と断言してはばかりません。その幼少期のことをお話しましょう。

大和尚が母の胎内に宿った時より、その母には一切の苦しみがなく、身も軽く、すがすがしい毎日でした。ただ、少しでも生臭いものを口にすると、たちまちに腹痛をおこしたそうです。誕生の時も、世の女性は苦痛と共に不浄の血を伴うのに、まったくその兆候ちょうこうがなく、まるで絹に包まれたように誕生しました。

二歳までは乳を飲みつつ、右手の人差し指で母の胸に、いつの間にか梵字を書いていました。また、三歳になるや、習ったはずもないのに観音経や尊勝陀羅尼そんしょうだらにを唱えていました。どのように考えても、奇妙な子供として注目されたようです。

魚肉や葷辛くんしん(臭いや辛みのある野菜)を食さず、女性には近づこうともしませんでした。ある時、父に向って、「私は必ず僧侶になるだろう。そして、名を〈空海〉と名のるだろう」と宣言しました。驚いた父は、「お大師さまの名を用いることはならん」と言いつけるや、「では〈空経くうきょう〉と名のろう」と言い出しました。常に子供とは思えない英知を発揮し、身辺の人から弘法大師の再来とまで言われたそうです。

五歳になって父が大きな筆を与えると、知るはずもない阿弥陀如来や観世音菩薩といった諸仏諸菩薩の名、また経文の言葉をすらすらと書くのでした。その筆跡は今でも延命寺に残っています。また、ある人が熊野に参詣した道中を語ると、「その道なら私も知っている。高野山からそこを過ぎると・・・」などと言い出すではありませんか。「どうしてその道を知っているのか」と問うや、「私は師と共に何度も参詣している」と言うのでした。そして、諸国の霊山名跡を詳細に語るので、聞く人はみな身の毛もよだつ恐怖と不思議の念にかられ、何をおいても凡人ではないことを知りました。

しかも、自分が誕生した時のことを見て来たように、「私が生まれた時、お大師さまが隣りに座っておられた。そこがその場所だ」と言って指さし、そこに人を座らせることは決してありませんでした。経文でも漢書でも、ひとたび手にするや、水が流れるように音読しました。漢詩を作るや、その韻のみごとさはすでに詩人の域でした。

もう、余白がありません。皆様は信じられるでしょうか。また、このような方がどうしてこの世に生れるのでしょうか。常人には理解し得ない世界があることを、歴史の運命は少しだけ見せてくれるようです。それ以上を私には語れません。

山路天酬密教私塾

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