続・この世の「事実」とあの世の「真実」
令和8年9月30日
あの世(霊界)について、もっとも信頼される著作を残したのは、18世紀に活躍したエマニュエル・スェデンボルグです。彼は天才科学者であり、天文学・医学・数学・工学・地学などに、ノーベル賞クラスの業績をたくさん残しました。ところが、50歳過ぎから一転して霊界研究に没頭し、膨大な霊界著述(大英博物館所蔵)を執筆したのです。
あの世の姿は、それを体験する人の宗教や国籍と関連します。彼が東洋人であったなら、仏教の須弥山(写真・円通の作図)が必ず登場したと私は確信しています。ただ、「霊界は三つの世界に分かれている」という表現は、仏教の「欲界・色界・無色界」に相当し、天上の大宮殿は真言密教の光明心殿に相当し、それぞれに共通した景観があるようには思われます。

あの世では時間と空間の制約がありません。この世の何十年という一生も、あの世では一瞬に映し出されます。物質世界ではありませんから、壁をぬけることも、空を飛ぶこともできます(もちろん、その人の霊的資質にもよります)。この世の財産も名誉も、あの世では役立ちません。ありのままの自分がさらされ、生前の人徳と遺族の追善によって霊格が決まり、生活する場所が決まります。
昨日、ある弟子僧から、生母様が他界されたメールが入りました。私はあの世に旅立った初七日の大切さと、不動真言の重要さを返信しました。生前に霊界のお話を聞けなかった方にとっては、遺族の追善が往生の支えとなります。このことは、皆様も記憶していただきたいと思います。
現代は親のお葬式すらしないという人が増えました。死んでしまえば何もないとするのが知性的であるかのように考えているのでしょう。こういう人は、やがて自分が臨終を迎えても迷うばかりです。肉体を離れても、まだ生きていると思ってこの世に留まります。あれもこれも気になって、あの世に向かうことができず、地縛霊や浮遊霊となって人に迷惑をかけます。
しかし、皆様から先祖供養のご相談をいただくたびに、あの世があることを信じ、先祖と共に生きていることを実感している方が、どれほど多いかに驚きます。この世とあの世は一体であり、また同時にあるのです。私たちの魂は本来、生まれながらにそのことを知っているのです。決して、理屈で考えることではありません。
地球が自転しながら太陽の周りを回っていることは、天文学の「事実」です。しかし、私たちは太陽が東から昇って西に沈むのを見て一日を過ごします。日の長さや季節の移りは生活の目安です。地動説の「事実」と共に、天動説の「真実」が同時にあるのです。そして、あの世の須弥山も天動説です。霊界には須弥山があり、往生した魂はこの世の遺族と共に生きるのです。
*あさか大師では「この世とあの世は一体である」を理念に、先祖供養に励んでいます。導師(大阿闍梨)は一日も欠かさず、皆様の父母両家の供養を修します。高額な供養料は不要です。遠方の皆様には郵送します。ご希望の方はホームページの「先祖供養」をご覧になり、「お問合わせ」からご連絡ください。
この世の「事実」とあの世の「真実」
令和8年9月27日
江戸時代の中期(八代将軍吉宗の頃)、地球は丸く、太陽の周りを回っているという地動説が蘭学(オランダ)から伝わりました。そして、幕府によって浅草に天文台が設けられ、しだいに洋学に力を入れるようになりました。もちろん、地動説を研究する学者も増えていったわけです。
ところが、これによって仏教は大きな危機を迎えることになりました。なぜなら、仏教には「須弥山世界」という宇宙観があったからです。つまり、この地上は平らでその中央に須弥山という山があり、太陽も月もその上空を回っているという天動説だったのでした。
さあ、大変です。仏教など虚言もはなはだしく、須弥山はとんでもない妄想だという非難がおこりました。この時、仏教を守り、梵暦(仏教天文学)の正しさを主張する僧侶が何人か立ち上がりました。中でも円通(写真・臨川書店)はその中心となって護法運動に身を捧げ、『仏国暦象編』という書作を刊行しました。
この地動説か天動説かの論争は幕末までも続き、仏教は今なおどのように主張すべきかに悩んでいるといっても過言ではありません。須弥山を解説した著作はたくさんあっても、これが仏説であるという結論以外、何も進んでいないのです。

誤解を恐れず、思い切ってお話しをするなら、須弥山世界はあの世(霊界)の宇宙観です。つまり、この現実世界の地球と同時に、異次元世界に須弥山があると私は考えています。銀河系が円盤状の形なら、平らな地上があっても不思議ではありません。そして、須弥山の上には天上界や極楽があり、地下には地獄があるのです。
また天文学に関わりなく、私たちは朝には太陽が東から昇り、夕べには西に沈むことで一日を過ごし、日の長さや気温によって季節の移りを感じています。それによって渡り鳥は方位を違えず、産卵の魚は急流を進みます。つまり、この地上世界は天動説で生きていることを認めねばなりません。
地球が太陽の周りを回っているという天文学の常識は、間違いのない「事実」です。しかし、私たちは天動説によって暮らし、異次元世界に須弥山があることもまた「真実」なのです。私は仏教の須弥山世界を信じていますので、あの世へ行くのが今から楽しみです。ただ、霊界での太陽と月、時間と空間、天地と方位、すべてに慣れねばなりません。それもまた楽しみではありますが。
続・秋彼岸会法要
令和8年9月24日
あさか大師では昨日の午後1時、秋彼岸会法要を無事に修しました(写真)。予報に反しての雨天となりましたが、たくさんの皆様が列席し、遠方の皆様は同時祈念にていっしょに回向を捧げました。

私達がこの世にあるのは、あの世のおかげです。尊い命をつないでいただいたおかげです。だから、あの世に対して感謝の礼を尽くすのは、この世にいる私達の勤めです。そのことに目覚めた皆様が、こうして集い、読経して祈りを捧げました。この世とあの世の交流です。
法要の後はオハギとコンニャクのご接待となり、真っ赤な彼岸花を見ながら楽しいひとときを過ごしました。皆様、お疲れさまでした。
秋彼岸会法要
令和8年9月22日
台風25号は、関東にも多大な風害水害をもたらしました。被害地の皆様には謹んでお見舞いを申しげます。
あさか大師では明日の午後1時より、秋彼岸会法要を勤修いたします。私は9月に入ってより毎日、お申込みの塔婆(特別供養)をお供えして前行を修してまいりましたが、いよいよ明日の法要を迎えることになりました(下写真)。

台風は過ぎ去り、雨風の心配はなさそうです。桜並木の曼殊沙華(彼岸花)も満開となり(下写真)、絶好の日和となりました。日本は春彼岸には木蓮が、夏の盂蘭盆には蓮が、そして秋彼岸会は曼殊沙華が咲き、本当に「仏の国」だと思います。

明日、お参りができない皆様、遠方の皆様は同時祈念をして、読経や真言の響きに感応道交していただきたいと思います。そして、生きていること、生かされていることを喜び、神棚の遠い先祖、仏壇の近い先祖に感謝を捧げていただきたいと思います。お大師様と共に、この国が平和で私たちが幸せであることを祈りましょう。
続・お金はお客さまです
令和8年9月21日
あさか大師では昨日の午前11時半より金運宝珠護摩を奉修し、雨天の中、たくさんの方々が参詣されました(写真)。

私はお金はお客さまのようなもので、神さまからのお預かりものだと思っています。お預かりものである以上、自分が所有するものではありません。大切に扱わねばなりませんし、失礼があってもなりません。
このことは、この世のものすべてについても、同じことが言えるのです。自分の体も、両親からの、そして先祖からの預かりものです。一杯の水も、水天さまや龍神さまからの預かりものです。スイッチ一つで発火するガスやIHの熱も、火天さまや荒神さまからの預かりものです。もちろん、毎日のご飯は天照皇大神さまからのお預かりものです。
私たちは「家を手に入れた」と思っていますが、これもその土地の地天さまからお借りし、一時的にお預かりしているということなのです。だから、その土地に家を建てる時は地天さまにご挨拶をして、了解を得ねばなりません。これが地鎮祭の本当の意味です。単にお祓いをするのではありません。昔の人は、こういうことが常識だったのです。
金運を望む方は、お金に対して謙虚に礼を尽くすことが大切です。〝自分のもの〟と思わず、お金の神さまからお預かりした大切なお客さまと、どう接するかを考えることです。その接し方しだいで、自分のところに留まるか、次のところに移るかを、お金の神さまが判断するはずです。
お金は「天下のまわりもの」です。それをお預かりするにふさわしい人だけがお預かりするのです。皆さまも、そのふさわしい人になり、金運を高めていただきたいと思います。
お金はお客さまです
令和8年9月18日
あさか大師では9月20日(日)午前11時半より、金運宝珠護摩を奉修いたします。ご参詣の皆様は如意宝珠の功徳を直接にいただき、金運銭(写真)を持ち帰って、そのパワーを持続させましょう。遠方の皆様は同時件念によって、感応道交を目ざしましょう。当日は雨天の予報ですので、十分なご用意をなさってお越しください。

金運を望む方は、お金に対して謙虚に礼を尽くすことが大切です。なぜなら、お金は自分が所有するものではなく、お金の神様からお預かりするものであるからです。お預かりする以上は、いわば大事なお客さまです。お客さまに対して失礼があってはなりませんし、気持ちよく過ごしていただかねばなりません。
お金は自分の能力と徳に応じて与えられる、いわば自分自身の分身でありますが、またその分身は同時にお客様でもあるということです。真言密教では自分の心の仏様(法身)と共に、絵木の仏様(応身)と法界の仏様(報身)をお客さまとしてお迎えし、供養し、祈願を込めます。自分自身の分身がお客さまであるという意味がお分かりいただけますでしょうか。
そのお客様に対して悪口を言ったり、乱暴に扱ったり、偏見を持てば、お客さまは必ず離れていきます。そして、お金の本質を十分に理解し、社会に対する能力と徳のある人を求めて移動します。お金を称して「天下のまわりもの」とは、なるほど名言なのです。この道理を理解しなければ、金運を望むことはできません。
金運宝珠護摩に祈願を寄せる皆様は、この道理を理解し、謙虚な気持ちで臨んでいただきたいと思います。ただ「お金がほしい」という欲だけでは、決して達成することはすることはできません。お金の神様に好かれ、お金に好かれる生き方をしていただきたいと思います。
健康の大前提
令和8年9月17日
現代人は平均的に体温が低く、常温の36、5度に達しない人が多いようです。そこで、体温を上げる食品として注目されたのがショウガ(生姜)でした。今やブームを巻きおこすほどによく知られています。ショウガは安いし、どこででも買えます。また、シロップやパウダー(写真)もあるので、そのノウハウは限りなく広いといえましょう。

人間の体は車のエンジンのように、常に温まった状態が理想です。冷えが万病のもととされるのは、その意味です。だから、冷えた場所に病気やがんが発生します。「心臓がん」という病名がないのは、心臓が常に鼓動して一定の温度を保っているからです。「体を温めると病気は治る!」は本当なのです。健康のためには、体重よりも体温を測りましょう。
現代人の体温が低い理由はいろいろありますが、体を冷やす夏野菜や南方の果物を一年中食していること、冷房で体を冷やす機会が多いこと、運動不足や代謝低下の人が多いこと、冷たい飲み物が多すぎることなどが考えられます。体温が低いと、血流も臓器も十分に機能しません。薄着や寒い所にいるから冷えるのではなく、冷えるような生活をするから低体温になるのです。
ショウガは漢方では「ショウキョウ」といい、多くの処方に用いられます。よく知られた葛根湯もその一つで、体温を上げて免疫を高めるので、寒気や風邪の初期症状によく効きます。また、ショウガ紅茶も体温を上げる効果抜群なので、普段から愛飲するとよいでしょう。
私はショウガをすり下ろして冷蔵庫に常備し、いろいろな料理に薬膳として用いています。いま、青汁が流行っていますが、大麦若葉やケールは野菜不足を補いますが体を冷やします。豆乳や牛乳に混ぜてショウガパウダーを加えるとよいでしょう。とにかく、体温を上げることは、健康の大前提です。いろいろな工夫をして、ショウガを食用しましょう。ショウガがなければ「しょうがない!」のです。
風邪と咳の妙薬があります
令和8年9月13日
和歌山のご信徒よりナシが届き、お大師様にお供えしました。今が旬で、スーパーにもよく並んでいます。ずいぶん高価になりましたが、やはりこの時期、一度は口にしたいものです(写真)。

漢方の古典『東医宝鑑』にはナシの薬効として、①肺を潤し、咳や痰を鎮める。②体内の熱を冷ます。 ③お酒の毒を解毒する、などとあります。急に冷えてきたせいか、風邪を引いたり、ノドに痛みを感じる人が増えています。ナシは肺を守り、熱を取り、咳や痰を止めるので、風邪を引いた時には絶好の果物なのです。薬膳では白キクラゲとのデザートが、よく知られています。
韓国ドラマ『ホ・ジュン』は、不良青年だった主人公が刻苦勉励して、朝鮮一の名医になるという物語(日本では豊臣秀吉の頃)です。その天下の名医が、過労から咳が止まらなくなった時、心配した母親がナシ汁を持参したところ、ホ・ジュンが素直にこれを受け取るシーンがありました。名医は民間療法にも通じているのでしょう。普段から食品としている野菜や果物が、実は立派な薬であるという「医食同源」の教えは肝に銘じねばなりません。
実は、先の『東医宝鑑』はホ・ジュンが編成した、朝鮮で最初の漢方医書だったのです。韓国では今でも『東医宝鑑』に基づいたナシとショウガとハチミツで作った「ペスク」という飲み物が、風邪やノドの炎症に適した民間薬になっています。ちなみに、ナシをお送りくださった和歌山のご信徒もまた、勤勉な女医さんでした。
秋の果物は夏の熱を除きつつ、寒さへの予防となるのです。自然の恵みは、私たちの体を守るように働いているのです。何んという神業でしょうか。
続々・先祖供養は何が楽しみか
令和8年9月11日
私は今、秋彼岸会の前行に入っています。毎朝の光明真言法の折、秋彼岸会にお迎えするご先祖のため、特に塔婆建立(特別供養)をした諸精霊のため、念入りな実修をしています(写真)。

塔婆建立のお申し込みはかなり増えておりますので、私は旅館の主人にでもなったような気持ちで応対しています。お客様が多くれば、もちろん忙しくなります。特にこのところ、熟睡していないような気がするのです。
就寝しても、何かざわめきを感じます。ドアをノックされたり、「住職さん!」と呼ばれたような気がして眼が覚めるのです。そんな時は真夜中でも本堂に行き、回向殿に灯明をともし、お香をたいて「23日(秋彼岸会の当日)まで、もう少しですよ」などと、お話をしています。いずれは私も、あの世に往くのです。睡眠妨害と思わず、今から慣れておくのも楽しいものです。
私は休日もなく、旅行に出ることもなく、三ツ星レストランに行くこともありませんが、あの世の人たちと異次元の楽しみがあります。そして、私を信頼してくださる弟子僧やご信徒の皆様、宗派を超えて遠来する僧侶の方々のお役に立てることが無上の楽しみとなりました。決して過言ではありません。ささやかな一生を、縁ある方々のために捧げたいと思っています。
*あさか大師では、光明真言による先祖供養に心血を注いでいます。住職も全国の弟子僧も、それぞれの地域で毎日の念誦に励んでいます。念誦の統合なくして、不思議な霊験は現れません。この先祖供養に参加をご希望の方は、ホームページの「お問合わせ」からご連絡ください。人生のルーツである父母両家を、一日も欠かさず実修します。遠方の皆様には郵送します。
続・先祖供養は何が楽しみか
令和8年9月8日
私たちは初めてなのに、以前に出会った、あるいは体験したように思うことがあります。心理学ではこれを既視感(フランス語「デジャヴ」の和訳で、すでに見たという意味)といい、脳の錯覚や情報処理のズレとされています。
しかし、私は大胆な仮説として、睡眠中にあの世と交流した記憶の片鱗なのだと考えています。この世はあの世の写しです。この世でおこることはあの世で先におこっています。20代の頃、私が師僧の寺(坂東第十七番)に初めてうかがった時、そのことを実感しました。これは睡眠中に、自分の幽体が肉体をぬけ出した中での体験だったのです。
よく、「〇〇さんの生き写し」などといいます。「〇〇さんの身代わり」などともいいます。これもあの世にいる「〇〇さん」の意志が強く働いていると思います。他界した人の夢を見た場合、たとえ記憶から薄れていても、気づかぬところで人生の一部をなしていることは間違いありません。遠いはずの人が急に接近するのも、この世とあの世の不思議さであり、おもしろさでもあります。
先祖供養をしていると、ドアをノックされたり、足音を聞くことがあります。以前は真夜中にインターホンを押され、あわてて玄関を開けたものでした。もちろん、この世の現実には誰もいません(睡眠妨害になると思うのか、最近はなくなりました)。迷惑になることもありますが、これもこの世とあの世のおもしろさです。
また修法中に、お灯明の炎が二倍以上も高く燃え上がったり(写真)、風もないのにゆらいだりすることがあります。

通常のお灯明なら、この半分も行きません。常識では考えられないことです。これはお護摩と同じで、〈火〉が異次元と感応しやすいためです。特に私は、仏様やご先祖様が喜んでいらっしゃると感じています。歓喜のリズムに似ているからです。視覚で体験する、あの世との楽しい接点です。
真言密教の修法は苦しいこともありますが、お大師様を信じ、そのお力を信じれば、楽しいことがたくさんあります。この世の楽しみは、まずあの世の楽しみから、と思っています。
*あさか大師の先祖供養に参加をご希望の方は、筆者のブログやホームページの「先祖供養」をご覧になり、「お問合わせ」からご連絡ください。一ヶ月2千円で、父母両家の供養を毎日受けることができます。遠方の皆様には郵送します。

