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泣いて涙を流すと

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令和3年10月30日

 

最近はよく、いろいろなホルモンの名称を耳にします。いやしホルモンのセントニン、快楽ホルモンのドーパミン、怒りホルモンのアドレナリン、悲しみホルモンのノルアドレナリンなどといった名称のことです。これらは交感神経と副交感神経による、いわゆる自律神経の働きによって、それぞれに分泌されます。

一般には、日中は交感神経による興奮系のホルモンが分泌され、気持ちを前向きに促進します。一方、夕方から夜にかけては副交感神経によるやすらぎ系のホルモンが分泌され、精神を安定させて休息を求めます。したがって、朝の寝覚めが悪いとか、夜の寝つきが悪い人は、このホルモンバランスが悪い状態であるといえましょう。夜ふかし型の人や、夜間勤務の人が健康を害しやすいのはこのためです。つまり、人は朝早くに起床して太陽を拝み、日中は働いて夕日と共に帰宅し、早めに就寝するのが理想なのです(もちろん、現代人はなかなかこうはいきませんが)。

また、人の性格はさまざまで、ストレスを感じやすい敏感な人と、のんびりとして鈍感な人もいます。ストレスに敏感な人が怒りや不安などで交感神経を緊張させた場合、その対応がうまくいかないと副交感神経が逆流し、無気力や自信喪失におちいることがあります。この時、泣いて涙を流すと、この逆流が融合します。だから、悲しい時は多いに泣いて、悲しみを癒しましょう。悲しみに沈んでガマンを重ねると生きる気力を失い、やがては病気にもなりかねません。したがって、悲しい時に感情をむき出し、泣いて悲しみを吹き飛ばせる人は、意外に健康だといえるのです。

では、ストレスに鈍感な人は健康で長生きであるかといえば、必ずしもそうではありません。なぜかといいますと、生命はストレスを感じても、それを乗り越えることで一段と強い気力を養えるからです。つまり、安穏あんのんすぎる生活からは、生活に弾みがないように、自分の異変に気づかぬようでは、そのまま寝たきりになるかも知れないということです。。

もっとも、まったくストレスのない生活など、現代人にあるはずはありません。たとえ一人の相手でも対人関係が生じれば、そこには必ず何らかのストレスが生じます。それは、夫婦や家族であっても変わりません。要はストレスをいたずらに嫌悪せず、それを持続させず、受け流すことが大切だということです。あるいは人生の達人ともなれば、ストレスとも、病気とも、この世の一切とも、花見をするようなつき合いができるのでしょうか。

「頑張れ、頑張れ!」はやめましょう

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令和3年10月27日

 

日本語は美しいのですが、私がいつも困っていることの一つは「頑張れ」に変わる言葉がないことです。私たちはよく、何かにつけて「頑張れ、頑張れ!」と言います。しかし、人はそんなに頑張れるものでしょうか。その励ましの言葉が、むしろ負担にはならないでしょうか。もちろん努力を重ねることが習慣となり、逆境を乗り越えることを生きがいとさえ思える人もいます。そういう人は励まされなくとも、自力で進める人なのです。

でも、多くの人はストレスから心に不安をかかえ、動悸どうきやめまいに悩み、さらに悪化すると、うつ病にさえおちいってしまいます。中医学(漢方)ではこれを「しん血虚けっきょ」と呼び、血液が脳に昇ってしまって、本来の「心臓の血液」が不足した状態と見ます。このような時に無理に頑張ろうとすると、脳はますます疲れ果て、かえって自信を失う結果にもなりかねません。まずは脳を休め、持ち前の〝頑張れる状態〟に導くことが大切です。

江戸時代の名僧・白隠禅師はくいんぜんじは二十六歳の折、重いうつ病や結核を患いました。しかし、そこはさすがの名僧で、座禅と呼吸法により、みごとにこれを克服しました。その著『夜船閑話やせんかんな』はこれまた名著中の名著で、今日でのベストセラーとも言えるものです。禅師は心気を丹田(へそ下3~9センチほど下の前方)に集めて気を静めて深い呼吸をすると気持ちが落ち着き、心臓への血液もよく巡るようになると説いています。これによって症状も軽減するのでしょう。心の問題を心そのもので立ち向かってはなりません。つまり、心の問題は体から克服すべきなのです。事実、禅師は多くの人々の病気を平癒へいゆさせた実績も残しました。ただ指導者が必要なので、私はよく心の問題を抱えている人に対しては、ウオーキングや山歩き、読経やカラオケ(コロナ禍では自粛じしゅくを)を勧めています。

それにしても、「頑張れ」に変わる言葉はないものでしょうか。時には「頑張らないで、ガンバレ!」と冗談じょうだん(いや、もちろん本音)を放つのですが、いかがなものでしょうか。ほかには「楽しんで」「気楽に」「力をぬいて」「リラックスして」などといった言葉が思いつきますが、どうかな。

続・「調子がいい」とは

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令和3年9月29日

 

それでは、腸の調子がいい状態を保つには、何が必要なのでしょう。いうまでもなく、その答えは「腸内フローラ」にあるのです。つまり、善玉菌・悪玉菌・日和見ひよりみ菌のバランスが整い、まるで腸内がお花畑(フローラ)のように美しく、明るく、生き生きとしている状態のことです。

そういうと、善玉菌さえ増えればいいと単純に思うかも知れませんが、そうとばかりも言えません。善玉菌が二割、悪玉菌が一割、日和見菌が七割のバランスが理想的な腸内フローラとされるからです。優等の善玉菌、不良の悪玉菌、そして、普通ほどの日和見菌がこのバランスで整えば、腸は絶好調といえましょう。便秘をすることもなく、力まずに心地よく、バナナ状の排便をすることができるはずです。

このことは世の中を考えるうえでも、大切なことです。多くの人は、世の中に特別な貢献ができなくても、悪いことをせず、まずまず〝いい人〟になろうと心がけています。これが日和見菌です。しかし、慈悲心をもって、世のため人のために貢献しようとする人が二割ほどはいて、これが善玉菌です。そして、一割ほどの悪人も必要です。それはどういうことかと言いますと、悪の見本を示してくれるからです。こういうことをしてはいけないという見本があるからこそ、人は自らをいましめるからです。これが悪玉菌も必要な理由です。世の中はこのバランスで成り立っています。そして、このバランスを腸内に保つためは、食物繊維や発酵食品を食事に取り入れることが大切です。これによって腸内フローラを保つことができるのです。

最近の研究では、幸せホルモンであるセントニンも、腸管にあることがわかってきました。セントニンは腸内でのトリプトファンというアミノ酸から合成されるからです。このセントニンが脳を高揚させ、幸せを感じることができるのです。つまり、腸内フローラは人生の幸せをももたらし、人生そのものの調子もよくなるということになるのです。

私たちは「腹黒いヤツ」とか、「腹を見せろ」とか、「腹を割って話す」などと言います。これは腸に心があることを、昔から直観的に知っていたからです。また、臍下丹田せいかたんでんという〈気〉の集まる場所でもあり、腹式呼吸をして気持を落ち着かせることもできます。さらに真言密教ではおヘソのことを〈臍輪さいりん〉といい、修法をするうえでも重要なかなめなのです。

腸は脳でもあり、心でもあり、何とも偉大な存在であることがお分かりいただけましたでしょうか。

「調子がいい」とは

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令和3年9月27日

 

「健康は血液で決まる」「人は血管から老いる」などと言いますが、その血液の云々うんぬんを決めるのは大小の腸と、「肝腎かんじん(心)かなめ」の肝臓・腎臓だと私は思っています。もちろん、人の内臓器官に何一つムダなものがあるはずはありません。それでも、腸の働きは特に重要です。なぜなら、私は「調子ちょうしがいい」とは、「腸の調子がいい」ことだとさえ考えているからです。「肝腎要」については以前にもお話をしましたし、法話集『一話一会 第2集』にも掲載しました。ここでは腸について、私なりの考えをお話をしましょう。

腸について、多くの人は食べ物の消化吸収や排泄の器官ぐらいとしか知っていません。ところが、これが大間違いなのです。実は腸こそは「第二の脳」とさえ呼ばれるからです。この定義はアメリカのコロンビア大学医学部教授のマイケル・D・ガ―ション博士が、1999年に刊行した著書『セカンド・ブレイン』に由来します。博士は腸は非常に賢く、豊かな感情を持っている、と発表しました。この衝撃的しょうげきてきな発表はまたたく間に普及し、今や重要な研究課題となりました。

腸が感情を持っていると聞くと、奇妙な感じを受けることでしょう。しかし、腸内には数億という膨大ぼうだいな神経細胞のネットワークが機能し、脳の指令を受けずに独立して働いているというのです。人が脳死にいたれば、続いて心肺停止となりますが、腸ばかりは正常に機能します。つまり、心臓は脳の支配下にありますが、腸は独立し続けるのです。これが「第二の脳」と呼ばれる由縁なのです。

腸の基本的な働きは、もちろん消化吸収と排泄です。しかしそのほかにも、自律神経と深く関わりつつ、病気を未然に防ぐ免疫組織であることがわかってきました。また、消化器官全体に張り巡らされた毛細血管全体を統括とうかつし、人の健康状態を維持管理しています。つまり、危険なものを見逃さず、消化吸収してよいかどうか、消化するにはどんな酵素が必要かを瞬時に判断するのです。まるで、あらゆる物質のデータを備えた高速コンピューターではありませんか。

そもそも、地球上に最初に誕生した生物には、脳などありませんでした。臓器と呼べるのは腸だけだったのです。つまり、食べて生きるという生命活動の根源は腸から始まったといえるのです。たとえば、田や沼に棲むヒドラという1センチほどの生物がいます。水草に付着してミジンコなどを食べて生息しています。脳はなく筒状の先端に口と触手がありますが、あとは腸だけの生物です。ほかの臓器はここから進化したものに過ぎません。これが生物の最も根源的な姿なのです。

始めに腸あり。腸は脳なり。腸こそは「第2の脳」どころか、「第1の脳」なのです。私たちの今の脳は、後に付属した臓器といっても過言ではありません。このお話、次回また。

コロナ対策への私案

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令和3年8月13日

 

新型コロナによるデルタ株の蔓延まんえんははすさまじく、もはや猶予ゆうよのない時となりました。インドばかりではなく、日本がどうなるともかぎりません。ワクチンを打てば感染の可能性は薄れますが、万全とは言えません。〈三密〉どころか、〈一密〉でも感染する状況です。それでも、まずは早く若い方にもワクチンが回るよう、努力を重ねていただきたいと思います。

感染者急増の原因として、若い方の認識の甘さがあることは自明のことです。インフルエンザ程度のことでしょうとか、充分な栄養をとっているから大丈夫だとか、ジムで体をきたえているから安心だとか、これではお話になりません。スマホで情報を集め、もっと認識を深めていただきたいと思います。

ノーベル生理学・医学賞に輝いた大村さとし博士が開発したイベルメクチンによる臨床実験の成果が、各国から寄せられています。寄生虫によるアフリカの疫病から救ったイベルメクチンが、コロナの感染治療に役立つ可能性は高いと思います。博士は「何より重要なのは、科学的根拠やデータを提示すること。その結果により、新型コロナの治療薬となり得るかを判断してもらえれば」と語っています。イベルメクチンはまだ日本では販売されてはいませんが、個人輸入として購入するすることができます。

また、長崎大学熱帯医学・グローバルヘルス研究所長の北潔きたきよし教授は、5-ALAアラ(アミノレブリン酸)に着目し、新型コロナ治療への可能性を追求しています。5-ALAは天然アミノ酸ですが、感染症に対する効果が期待されており、こちらはサプリメントとして購入することができます。ネットで検索してみてください。

ワクチンの接種はもちろんですが、手洗い・うがい・消毒・マスクに加え、こうした可能性に期待することも大切ではないでしょうか。コロナ対策への一環いっかんとして私案を述べました。最近よく聞く「命を守るための行動」です。私はもちろん、新型コロナ退散の祈願も怠りません。

皿洗いをしましょう

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令和3年7月8日

 

2015年、合衆国フロリダ州立大学のアダム・ハンフリー博士が、皿洗いに著しいストレス解消効果があるとする研究成果を発表しました。50人のグループを二つに分け、一方には単なる皿洗いの指示書を渡し、一方には「心を込めて楽しく皿洗いをする指示書」を渡し、双方を比較したのです。すると、後者の方がイライラする気持を軽減させる効果が、はっきり認められたというのです。

もちろん、ただ皿洗いをすればよいのではなく、「心を込めて楽しく皿洗いをする」ところに重要な意味があります。しかたなしに、しぶしぶ皿洗いをするだけではストレスはたまる一方です。しかし、皿の汚れを取り去る泡の感触、その泡を流す水の感触、その水が流れ去る感触が、同時にストレスそのものを洗い流していくと考えれば結果はまったく異なります。このわずかな考え方の差が、人生そのものを変えるのです。

思い当たるのですが、昔の女性、つまりとついだ主婦の方々は、寒い台所でげついたなべをたわしで楽しそうにこすり、洗い流していました。農村で育った私は、そんな姿をよく見ています。それはしゅうとしゅうとめ、そのほかあらゆる抑圧よくあつからの解放だったのでしょう。人が生きるとは、このような智恵を会得えとくすることなのです。

つまり、心と体は一体だということです。心の問題を解決するには体を動かすことが大切です。体を動かすことによって、心と体のフィードバックが生じさせることです。心の問題を、心で解決しようとしてはなりません。心で心に立ち向かってはなりません。これはきわめて重要なことです。

お寺でお百度ひゃくどやお遍路をすすめるのもこの意味です。本堂の前で何度も往復をくり返したり、三十三ヶ所や八十八ヶ所の霊場を巡ることは、足の運びと読経の発声によって心のバランスをはかることができるからです。それも、楽しくできれば言うことはありません。

悩んだ時には体を動かしましょう。皿洗いをしましょう。もちろん、ウォーキングやストレッチでも、カラオケやゴルフでもよいのです。さらによいのは、お寺に来ることです。もう、これ以上は申しません。お寺は本当にいいところです。おわかりでしょうね。

ズボラに生きる

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令和3年7月2日

 

人はズボラに生きることが大切です。ズボラに生きるとは、腹を立てない、悪口を言わない、くよくよしないこと、要するにストレスをためないという意味です。また、几帳面きちょうめんであることも大切ですが、あまりに完璧かんぺきが過ぎると健康を害します。うつ病になる人は、たいていはこの傾向があります。

ある統計を見ると、百歳以上の男女は、意外にもプロレスや格闘技が好きだとありました。以前、世界最高齢者とし知られた沖縄の泉重千代いずみしげちよ翁(一説では120歳)などはその代表で、アントニオ猪木氏の表敬訪問まで受けました。テレビの前でコブシを振り上げ、声をあげて応援をすれば、なるほどストレスを発散し、血行もよくなりましょう。

もちろん、職業によっては、そうはいかないという方も多いはずです。医者・弁護士・警察官・教師・公務員などは常に身なりを整え、その言動に気づかわねばなりません。たぶん医者で百歳以上という方は、あまり聞かないはずです。こういう職業の方は、仕事以外の生き方に工夫をしましょう。

反対にアーティスト・音楽家・画家・政治家などは言いたいことややりたいことを実行しているので、長命な方が多いはずです。そういう意味では、主婦の井戸端会議も重要かも知れません。もっとも今は井戸がありませんので、パート先やスポーツクラブ先でのお友達とのおしゃべりが大切です。

では、僧侶という職業はどうなのでしょう。聖職者として緊張していることが多いものの、昔からお坊さんは長生きだと言われます。それは何といっても、読経で声を出すからでしょう。深い呼吸と強い発声が活力をもたらすことは間違いありません。そして、声を出すことで、心の抑圧を開放し、その調整をはかることができます。また、元気な人は声が大きいことも確かです。

ついでですが、読経して声を出し、供養をして功徳を積み、写経をして精神を統一し、法話を聞いて教養を高め、お茶をいただいて息ぬきをすれば、お寺ほどいい所はありません。皆様、ズボラに生きつつ、お寺参りをしましょう。これが現代における最強の長生き法です。

続・笑いは万薬の長

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令和2年7月29日

 

遺伝子の研究で知られる村上和夫博士が「心と遺伝子研究会」を立ち上げ、大変におもしろい実験をしました。それは、糖尿病の患者さんに協力していただき、笑いと血糖値の関係を調べようというユニークなものです。つまり、笑いによってどの遺伝子のスイッチがオンとなり、またオフとなるかがテーマです。

実験は二日間に分けて行われました。まず一日目は、糖尿病の患者さん25名の人たちに集まっていただき、糖尿業について大学教授の講義を聞くという試みでした。大学教授の講義ですから、おもしろさは期待できません。普段どおりの調子で40分の講義を聞いていただいた後、全員の血糖値を測りました。前もって一度測っておき、講義の後にまた測って、その差を比較したのです。すると、平均で123ミリも上がりました。退屈な講義だったのでしょうか、予想外の結果でした。

次に二日目です。前日と同じ時間に、同じように実験をしましたが、今度は吉本興業のB&Bという二人組による漫才を聞いていただきました。いざ漫才が始まる前、村上博士は二人に、「もしこの実験が成功したら、間違いなく糖尿病研究の歴史に残りますよ。笑いと血糖値の関係など、まだ誰もやっていませんからね」と耳打ちしました。つまり、二人に気合を入れたわけです。予想どおりB&Bは乗るに乗り、聞く方も笑うに笑いました。いやはや、爆笑の連続でした。

さあ、その結果です。前日、同じ時間に退屈な講義を聞いて123ミリも上がった血糖値が、今度は逆に平均で77ミリも下がっていました。「これはいったい、どういうことですか」と、患者さんたちの目の色が変ったのも無理はありません。この実験結果は、アメリカ糖尿病学会の論文として掲載されました。さらに、笑うだけで血糖値が下がるという衝撃的なニュースは、ロイター通信などから全世界に伝えられました。

科学者は一生のうちに何度かは、飛び上がるほどの喜びに打ち震えるようです。自分が世界で初めて発見した快挙なら、なおさらのことです。博士もこの時はうれしくて眠れず、体ががたがたと震え出したそうです。科学者の実験としては、アホみたい(!)に単純なものです。でも、そのアホみたいな発想こそ歴史を変えるのです。

博士はいろいろな芸人さんを呼び、毎年この実験をくり返していますが、いずれも血糖値が下がっています。そして、この研究が進めば、いずれは薬の代わりにお笑いDVDを出すような病院が出て来るかも知れないと語っています。「食事の前後にこのDVDを見てください」と、そんな病院が現われるかも知れません。

笑いは決して〝笑いごと〟ではないのです(笑)。笑いは健康を増進し、病気の治療にもなることを知りましょう。「笑い万薬の長」に間違いありません。

笑いは万薬の長

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令和2年7月28日

 

以前にも書きましたが、私は悩みごとの相談があった時、その方がよく笑うかどうかに注目します。

もちろん悩みごとがあってお越しになっているのですから、ケラケラと楽しそうに笑う方はいません。しかし、お話を伺いながら、前向きに笑える方、少しでも笑おうと心がけている方に対しては安心するのです。「ああ、この方は大丈夫だな」とホッとするのです。もちろん、病気のことでも仕事のことでも、夫婦や家族のことでも、ご祈祷はします。しかし、本人に願いごとを成就させる前向きのパワーが漂っているかどうか、そこが問題なのです。

そして、その前向きのパワーはどこに現れるかといえば、それは笑えるかどうかなのです。「ほんとうかな」と思うかも知れませんが、これは〝本当に〟ほんとうのことです。なぜなら、逆のことを考えればわかるからです。まったく笑わない方、私が笑わせようとしても、なかなか乗ってこない方には、まるで生気せいきというものがありません。「困ったな」と思うのです。こういう方は、お護摩を修しても、どこか炎の勢いにパワーが遍満しません。

「〇〇さん、もっと笑いましょう。自分の顔を鏡で見ながら、無理にでも笑ってみましょう。そうすれば何とかなりますよ」などと励ますのですが、心の奥底にある性格はなかなか変わりません。本人もつらいのです。私が思うに、こういう方は前世からつらい思いをして来たのでしょう。その抑圧よくあつに深層意識が占領されているのです。また、似たような父母や祖父母のもとに生れて来ているのです。だから、こういう方の背中を押すのは大変なのです。

皆様も開運を願うなら、まず笑うことです。神社には「笑いの神事」を行うところがありますが、大変にけっこうなことで、参加すれば「福の神」を呼べるはずです。あのアマテラスの大御神おおみかみですら神々の笑い声に誘われ、ついにあまの岩戸を開いたではありませんか。ここから国が開かれ、国の運が開かれたのです。福の神は、笑わなければ訪れてはくれません。また、「日本笑い学会」という研究グループもあります。ネットで調べてみてください。

「酒は百薬の長」と言いますが、飲み過ぎれば健康を害しますし、まわりに迷惑もかけます。そして、お金もかかります。したが超えればなおさらで、さらに美酒を求めるようになります。でも、笑いはどれほど笑っても、健康を害することはありません。せいぜい、おなかの皮がよじれる程度です。お金もかかりません。一切無料です。しかも、福の神を呼び、幸運を招き、健康をもたらすのです。これほどのいいことづくしは、この世にありません。「笑いは万薬の長」なのです。

続続・腎臓が寿命を決める

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令和2年6月27日

 

何度もお話していますが、私たちは健康のために「これがいい、あれがいい」と言っては、いいものを取り入れることばかりに専念します。しかし、いいものを取り入れるためには、まず悪いものを取り除かねばなりません。悪いものを取り除いて、次にいいものを取り入れる、この順序が大切です。

では、悪いものを取り除くとは、何なのでしょうか。答えは明白です。つまり、よい排泄はいせつをするということなのです。いいお通じをして、いいおしっこをすることです。この単純な真理こそ、実は健康の秘訣だといえるのです。

よいお通じは、腸内環境で決まります。つまり、「腸内フローラ」と呼ばれる〝お花畑〟のように善玉菌・悪玉菌・日和見菌ひよりみきんのバランスを整えれば、お通じはスムーズに排泄されるのです。スムーズに排泄されれば、栄養もスムーズに吸収されます。そして、おしっこは腎臓、広くは〈腎〉のはたらきで決まります。〈腎〉が弱ってはいいおしっこが作れません。特に腎臓は肝臓とのネットワークによって、悪いものを排泄してくれます。だから〈腎〉が弱っていては毒素がたまり、よい血液が作れず、体力が衰え、老化が進むのです。〈臍下丹田せいかたんでん〉という言葉がありますが、生命力はここに集中し、それをつかさどるのが〈腎〉なのです。「腎臓が寿命を決める」とは、このことを指しているのです。

〈腎虚〉に対しては、根菜類を食べるとよいとお話をしました。実は根菜類は体を温めるはたらきがあります。一般に、太陽に向かって伸びる葉類の野菜は体を冷やし、逆に地面の中に伸びる根菜類は体を温めます。これも重要なことで、葉類のサラダを多食する人の体温が低いのはこのためです。〈腎〉は冷えに弱いことも知らねばなりません。下半身を温め、下半身の筋肉が強くなれば、〈腎〉の機能は格段に高まり、いろいろな症状が改善されるはずです。

最後に、私の大胆な仮説をお話しましょう。〈腎〉には「先天の精」が蓄えられ、これに「後天の精」が補充されます。「先天の精」とは父母から受け継いだ遺伝的な生命力です。では、父母から受け継いだとは、どういう意味でしょうか。私は〈腎〉は〝あの世〟とつながっていると考えています。私たちはもちろん〝この世〟に生きています。しかし、この世とあの世は同じものです。あの世は〝ここ〟にあるからです。あの世の〝うつし〟が現世うつつよ、つまりこの世です。いや、生も死もなく、私たちはこの世とあの世を共に生きているのです。『般若心経』が説く「不生不滅ふしょうふめつ」なのです。父母の父母、そのまた父母、つまり先祖の精を受けて生きているということです。先祖を大切にすることも〈腎〉の養生ようじょうであるという事実が、いずれ明かになる日が来ることを私は信じています。

山路天酬密教私塾

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