傳法灌頂の厳修
令和3年11月22日
昨日は大変に忙しい一日でした。まず、午前十一時より金運宝珠護摩を(写真)、午後一時より光明真言の回向法要、その後には、今年加行(真言密教の基本的な修行)を終えた僧侶の方の傳法灌頂(教師になるための儀式)を厳修しました。その灌頂道具が本堂に並んでいましたので、ご参詣の皆様が興味深そうに見つめておりました。

傳法灌頂とは加行成満の僧侶に瓶水(加持した霊水)をそそいで印可を授け、教師(阿闍梨)の資格を与えるものです。もちろん、ただそれだけの作法をするのではなく、さまざまな戒律を唱え、曼荼羅に投華(曼荼羅に向かって花を投げること)して仏さまに結縁し、いろいろな道具を渡して儀式を進めます。そして、最後にお大師さまより伝えられた印可(奥義の印と真言)を授けます。今年は七名の方が入壇(写真前列)をしましたが、先輩諸師も教授としてお手伝いくださいました(写真後列)。

入壇の皆様はこの日のために加行をして来ましたが、阿闍梨になったから修行が終ったのではなく、これからが本番であるという自覚を持つようお話をしました。そして、まずは入壇の皆様の努力を讃えました。おめでとうございます。
音声菩薩拓影
令和3年11月18日
あさか大師本堂の片隅に、小さな床の間があります。今年は奈良岡寺の〈天人塼拓影〉を飾っていましたが、今日、東大寺の〈音声菩薩拓影〉に変えました(写真)。皆様が東大寺の大仏殿に拝観すれば、その正面の巨大な八角灯籠が目につくと思います。その扉にはゆかしい音声菩薩が羽目板となって浮き彫りされています。これは現存する最古の八角灯籠で、まさに創建時(天平時代)のままに残された貴重な文化財です。東大寺はこれまで二度の火災に見舞われ、大仏さえも創建時のお姿はありません。しかし、この八角灯籠だけはその災難をくぐりぬけ、天平美術の逸品となって残りました。これはその中の、銅鈸子を奏でるお姿です。

実は、この銅鈸子の音声菩薩は、昭和37年に盗難に遭いました。無残な姿で発見されましたが、その後は博物館に所蔵され、現在の八角灯籠には複製品(ほかの音声菩薩とは少し色が違っています)が飾られています。右上の網目が欠けているのはそのためですが、それだけに貴重な拓影といえましょう。
現代人は漢詩や和歌の筆跡は読めません。それが、私が拓影にこだわる理由の一つです。また、現品では見えにくい細部の文様まで、みごとに甦ります。さらに申し上げれば、この時代の美術品など、私たちは手にすることはできませんが、拓影ならそれが叶うのです(今どきはレプリカの拓影が出回っていますので、ご用心を)。
お大師さまも東大寺には法縁が深く、山内に真言院を建立し、経典の講伝もされました。あさか大師の本堂に、天平の奏でを捧げたいと思っています。
遍路大師像建立②
令和3年11月12日
あさか大師では、開創三周年記念の中心事業として「遍路大師像建立」を発願しました。遍路大師とは、編笠をかぶって錫杖(六輪が付いた長い杖)を持ったお大師さま修行時代の尊像のことです。
本日は朝から石材店の方々が見えて、まず高さ120センチの御影石台座(3トン)を、続いて高岡(富山県)から運ばれていた高さ180センチの遍路大師像を、それぞれクレーン車にて安置しました(写真)。石材店の方々も総勢6名での大がかりで、台座を水平に固定し、さらに穴を空け、尊像をボルトで固定する瞬間は息をのむ思いでした。少しでもズレがあっては、それこそすべてが台なし(!)になります。私も気になって落ち着かず、ずっと側で祈っていました。

また、私が大師流(お大師さまの書体)で揮毫した像標も彫りあがり、次回の作業で台座正面に埋め込みます(写真)。あさか大師が開創三年目でこのような勝縁をいただきましたことは、大変にありがたいことです。ご寄進を賜りました皆様には深く感謝をいたし、厚く御礼を申し上げます。

なお、遍路大師像の開眼法要は12月19日(第三日曜日)午前11時半の金運宝珠護摩終了後にに挙行いたします。来年の初詣には、大勢の方々にお参りをしていただきたいと願っております。
月初めの総回向
令和3年11月7日
昨日と今日は月初めの総回向を修しました。導師を勤める私はもちろん、僧侶の方もご信徒の方も、そして、そのお子さんやお孫さんまでがそろって読経するのがあさか大師の特徴です(写真)。コロナ禍が続いて、長らくお会いしていない方もいらっしゃいますが、こうしてお集まりいただけることは、何よりもうれししいことです。

法要後は、早くも来年の暦のお話をしました。来年は五黄中宮の年です。五黄は九星の中でも最強のエネルギーを持ち、特別な性質があります。五黄殺などといって悪い印象を与えますが、このことは五黄の方が「悪い」という意味ではないので、決して誤解をしてはなりません。
五黄の方はいわゆる帝王の星で、人望を集める盛大な運勢を持っています。また、慈悲深く義侠心があり、人のために身を粉にして働く方も多いはずです。ただ、自尊心が強く、気むずかしい短所が出過ぎると「位負け」をすることも事実です。自分を過信せず、高慢に走らぬことが人生の課題でしょう。
また、五黄の年はその最強のエネルギーにより、地震や戦争の多いことにも事実です。宝永四年(元禄時代)の富士山爆発による大地震、大正十二年の関東大震災、昭和四十三年の十勝沖地震はいずれも五黄の年でした。また、大正三年の第一次世界大戦勃発、昭和七年の上海事変や五・十五事件、昭和十六年の太平洋戦争勃発、昭和二十五年の朝鮮戦争もすべて五黄の年でした。
いたずらに恐れる必要はありません。何ごとも〈無常〉であることは永遠の真理です。変わらぬものは何もありませんが、逆に変えることができることも忘れてはならない真理です。新年からしっかりとご祈願をしてご加護を仰ぎましょう。
遍路大師像建立①
令和3年10月23日
あさか大師の開創三周年記念事業として、私は〈遍路大師像〉の建立を発願しました。遍路大師とはお大師さま修行時代の尊像のことで、網代笠をかぶって錫杖(六輪のついた長い杖)を持っておられる、あのおなじみのお姿のことです。このコロナ禍の中、少しでも参詣者の拠りどころとなることを願っています。今年4月より皆様からのご寄進をお願いしていますが、いよいよ工事着工の時期となりました。
まず、一昨日の21日より基礎工事に着工し、石材店の方々が建立地を掘りおこしました。何ごとも基礎が大事なので、念入りに施工していただきました(写真)。

また、本日は私が早朝より地鎮祭を修しました。家屋ではありませんが、地天さま(土地の神さま)にご挨拶をなし、供養の宝瓶も鎮めました。宝瓶とは中に五宝・五香・五薬・五穀の二十種物を封じて、地天さまとお大師さまへの供養とするものです(写真)。

本来は寺の行事として、僧侶の方が参列する予定でしたが、工程の都合上で私が一人で修したわけです。今日はこの上に生コンが入り、月末には御影石の台座が乗ります。完成を楽しみに待ちましょう。
得度式
令和3年10月19日
本日は得度式があり、二名の方が出家受戒されました。お一人は遠く讃岐(香川県)の高松市より来山され、はるばる私を訪ねて得度式に臨まれました(写真)。讃岐の善通寺はお大師さまご誕生の地でありますので、とりわけそのご縁も深いのでありましょう。
得度の〈度〉はサンズイを付けて〈渡〉ということ、つまり「渡ることを得る」という意味になります。迷いの此岸から悟りの彼岸に渡ることを得る入門が得度です。もちろん、彼岸に到るには、修行が必要です。そのための門出を得度式と言います。お大師さまとのご縁を大切にし、人生の目標に向かって精進していただきたいと願っています。
10月の総回向
令和3年10月3日
昨日と本日は月初めの総回向光明真言法要を奉修しました。緊急事態宣言解除のためか、ご参詣の方がいくらか増えてきたように思います(写真)。それでも油断は禁物で、気をゆるめると、また感染者が増える可能があります。そのことをお話し、発熱や喉の痛みに対応する私の考えをお伝えしました。〈イベルメクチン〉や〈5-ALA〉、また漢方薬も常備し、初期段階では充分に平癒した経過を説明しました。
また、昨日は年末に先駆け、大そうじをしました。年末は初詣の準備で忙しくなるからです。一年分のお護摩のススで、雑巾が真っ黒でした。本堂が明るくなり、心地よい気分となりました。挨拶をすることと同様、清掃をすることは生活の基本です。よい〈気〉は、挨拶と清掃から来ることを肝に銘じましょう。

秋彼岸会
令和3年9月23日
あさか大師では本日、秋彼岸会を挙行しました。数日前からお塔婆(お飾りしてある白い経木)を浄書し、光明真言曼荼羅を中心とする両部曼荼羅(左・金剛界と右・胎蔵界)の前に荘厳しました(写真)。実は、この荘厳そのものが、先祖供養における光明真言法(光明真言による真言密教の行法)の口伝なのです。

残暑きびしく、むし暑い一日でしたが、大勢の方が参列し、僧侶の方々の声明(譜のついた真言や経典)に続いて読経をしました(写真)。法要後は、先日のブログにも書きましたが、日本は春彼岸に木蓮、夏のお盆には蓮、そして秋彼岸には曼珠沙華が開く「仏の国」であるという法話をしました。本当に、そのとおりだと思っているからです。

また、終了後は参詣の方々とお供えしたオハギをいただき、楽しいひと時を過ごしました。よけいなことかも知れませんが、ボタモチとオハギは同じものです。しかし仏花に加えて、春彼岸には牡丹が咲くので「ボタモチ」と、秋彼岸には萩が咲くので「オハギ」と言います。これ、もちろん、皆様はご存知ですよね。
金運宝珠護摩
令和3年9月19日
今日は第三日曜日で、午前11時半より金運宝珠護摩を修しました。コロナ禍のさびしい集まりでしたが、僧侶の方もご信徒の方も力強く読経しました。ご祈願も多く、たくさんの護摩木(添え護摩)で高々と炎が舞い上がりました(写真)。

あさか大師の本堂は土間(床)なので、クツのままお参りし、僧侶の方もご信徒もイスに座って読経します。また、玄関までの段差もありません。これは車イスの方でも楽に入れるよう思案したからです。お隣りが特別養護老人ホームなので、入居者の方が車イスでお参りします。時代の流れからしても、これでよかったと思っています。
現代はどのお寺も、本堂には畳の上にイスを置くようになりました。現代人は家庭においても、ほとんど正座をしません。茶道なども立礼席(イス席でのお点前)が増えているはずです。正座は正しく座れば実は健康的な座法なのですが、膝や腰の悪い方には苦痛です。しかし、トイレも洋式となり、雑巾がけもしなくなり、車が普及して歩くことも少なく、足腰が弱くなったのも事実です。ところが、年齢だけは長命となり、グルコサミンやコンドロチンのお世話になっているのです(笑)。何ごとにも一長一短があるものですね。
遍路大師の到着
令和3年9月16日
あさか大師は今年、開創三周年を迎えました。そこで私は遍路大師像(お大師さま修行時代のご尊像)の建立を発願し、報恩謝徳に献じようと考えています。本日、そのご尊像が富山県高岡市の工房から到着しました。高さ六尺(180センチ)の青銅製で、200キロの重量があります(写真)。来月には石材店の方が基礎工事に着工し、年内にも開眼法要を挙行する予定です。

お大師さまは奈良の大学に入学しましたが、やかてこれを中退し、紀州や四国などで修行に励みました。遍路大師はこの時代のご尊像で、その道程が四国八十八ヶ所霊場です。お大師さまはきびしい修行によって仏教の真理に到達しましたが、さらにこれを大成するために唐(中国)の長安に渡ったのでした。そして、青龍寺の恵果和尚と劇的な出会いをなし、真言密教の奥義を授かりました。
遍路大師像には高さ四尺(120センチ)の御影石台座に乗ります。来年の初詣には、皆様の眼にも留まりましょう。あさか大師の新たな象徴として、ぜひお参りしていただきたいものです。

