月始めの総回向
令和3年5月2日
昨日と今日は月始めの総回向を奉修しました。コロナ禍にあって、勤務先から自粛命令が出ている方が多く、何ともさびしい集まりでした。それでも、集まった方々で元気に読経し、回向に勤め、楽しい時間を過ごしました(写真)。また、僧侶の方々とは理趣三昧(理趣経の法要)の稽古を兼ねて、声明(音曲)の練習をしました。皆様、連休を返上しての修行です。むずかしい声明にも、だいぶ慣れていただきました。さらなる精進を願ってやみません。

なお、あさか大師では「母方供養」や「妻方供養」を重んじています。先祖供養といえばほとんどが父方(あるいは現在姓の家)ばかりです。また、既婚者なら妻方に対する関心がありません。しかし、私たちは父母両家の血を受け、子供たちは妻方の父母両家の血をも受けて生まれて来ました。これは誰が考えてもわかることでありながら、人生のルーツがまったく無視されています。仏壇やお墓の風習とは異なる発想が必要です。私はこのことを念頭に、光明真言による先祖供養を長年にわたって修しています。興味のある方は、ぜひお問い合わせください。
青森別院落慶法要
令和3年4月29日
昨日、あさか大師青森別院(畑中聖海師住職・写真左手前))の落慶法要を修してまいりました(写真)。コロナ禍の中にもかかわらず、大勢のご信徒に参列をいただき、大変に感激いたしました(まわりにも、たくさんのご信徒が参列しています)。当山からも私ほか、三名が出仕し、初めてお会いする地元のご信徒と共に法楽をしました。

新寺建立を成し遂げることは容易ではありません。多くの資金を要することはもちろん、近隣の理解やご信徒の協力が必要となります。その成否はひとえに、住職の人徳にかかっていると言っても過言ではありません。みんなに好かれ、みんなに慕われるほどの人徳がなければ、決して叶わぬことだからです。
人の一生は結局、何を残したというより、何を与えたかということなのでしょう。青森別院の興隆を願ってやみません。
コロナ禍での祈り
令和3年4月18日
長いコロナ禍の中で、失業した方や倒産した会社が後を絶ちません。仕事をして生活していくことは、人が生きることそのものでもあります。仕事を続け、収入が維持できるよう願うのは、誰しものことでありましょう。
本日の第三日曜日は、午前11時半より金運増大を願う宝珠護摩を修しました(写真)。雨上がりのさわやかな薫風の中、新しい僧侶の方も加わり、ご信徒の方も力強く読経をしました。皆様の成就を念じてやみません。

また、午後1時からは光明真言法要でご先祖の回向を修しました。祈祷と回向は、いわば車の両輪、鳥の両翼です。どちらが欠けてもいけません。このブログをご覧になって関心をお持ちになった方は、ぜひお越しになっていただきたいと思います。葬儀や法事の読経とは異なる、力強い響きを味わえるはずです。

正御影供と春彼岸会
令和3年3月21日
お大師さまは承和2年3月21日寅の刻(午前4時頃)にご入定されました。したがって真言宗の寺院は本日、お大師さまのお姿(御影)を供養する〈正御影供〉を修します。あさか大師では第三日曜日でもありますので、金運宝珠護摩を兼ね、お大師さまへの報恩謝徳を献じました。朝から雨と強風が吹き荒れましたが、多くのご信徒の皆様が参詣されました。
お大師さまのご宝前には、御影に描かれている水瓶(水をいれる仏具)・木履(木製のクツ)・琥珀念珠を飾り、また仙菓仙薬(ご入定の前に召し上がっていたもの)を供えました。先の三点は私が自書『弘法大師御影の秘密』で考証し、発願して作成したものです。まさに本邦唯一の備品で、あさか大師の寺宝ともいっても過言ではありません(写真)。

お大師さまのお護摩は〈如意宝珠護摩〉にて修します。これはお大師さまが如意宝珠を真言密教の象徴として論じ、生涯の信仰を寄せておられたからです。大きな福徳が授かるるよう、午前11時半より私も丹誠を込めて修しました(写真)。

午後1時よりは春彼岸会を修しました。すばらしい声明や読経につつまれ、多くの精霊にご回向をいたしました(写真)。また本日は一年間にわたって光明真言をお唱えした〈お土砂〉を授与する日です。白いお砂が如意宝珠となる〈土砂加持〉の秘法が修されています。ご参詣の皆様には、大切にお持ち帰りいただきました(写真)。


三月総回向
令和3年3月7日
昨日と今日、三月の総回向を奉修しました。コロナ禍の中、まだまだ自粛の方もいらっしゃいますが、お集りの方々は元気に読経しました(写真)。早く、皆様がご心配なくお集りいただけることを願っています。

今月は21日(日)がお大師さまご縁日(ご入定の日)で、午前11時半より第三日曜日の金運宝珠護摩を兼ねて「正御影供」を奉修いたします。〈御影〉とはお大師さまのお姿のことで、つまりそのお姿を供養する行事という意味です。しかもお彼岸中で、午後1時よりは「春彼岸会」も奉修いたします。三つの行事が重なるのも、めずらしいことです。
ついでですが、春彼岸は牡丹が咲き出す(旧暦3月)ので〝ぼたもち〟を供え、秋彼岸は萩が咲きますので〝おはぎ〟を供えます。見た目は同じですが、お間違えなきよう。私が子供の頃は重箱につめて、親類や近所に配りました。たしか、今時のコンビニで売られる〈おにぎり〉くらいの大きさだったと思います。重箱から開けると、中を洗い、どの家でも小さなマッチ箱を〝お返し〟に入れるのが礼儀でした。なつかしい、昔の日本の風習でした。
さらについでながら、もう一つ。ホームページの「新着情報」欄にも書きましたが、来月4月4日(日)の午後1時半より第1回の「桜まつり」を行います(下のポスター参照)。桜はあさか大師の象徴なので、いっしょに楽しみましょう。私の友人が八丈島の郷土芸能「八丈太鼓」をご披露いたします。また、隣接の老人ホーム『花水木の里』のポニー「はなちゃん」も出演します。これも世の中が、早く元気になってほしいという私の願いです。

ただ、今年は桜の開花が早いそうで、3月中旬とか。何とか花が残ってくれることを祈りましょう。皆様、ぜひご参加を。
どういう人にお金が集まるのか
令和3年2月23日
一昨日はお大師さまご縁日護摩を兼ね、第三日曜日恒例の金運宝珠護摩を奉修しました(写真)。皆様とても熱心です。それというのも、現代における人生の幸せとお金の所有は、切り離せぬ関係にあるからなのでしょう。つまり、「お金がなくても幸せになれる」とは、考えがたい時代に生きているからだと思います。もちろん、例外はありましょう。しかし、それはよほどに精神レベルが高い人であって、めったにお目にかかることはありません。

私が高校生の頃、どこの銀行だったか、「お金だけでは幸せになれません。しかし、お金がなくては幸せになれません」というキャッチフレーズを公開していました。当時の私は「そんなものか」と思う程度でしたが、50年以上も前のそのうたい文句をいまだに覚えています。今では「なるほど」とさえ思えてなりません。
私は経済のことも商売のこともわかりませんが、自分でも納得し、皆様にもお話していることが一つだけあります。それはお金を追いかける人に、お金は集まらないということです。つまり、どうしたら損をしないか、どうしたら儲かるかという追いかける考え方だけでは、お金は集まりません。つまり、お金の神さまには好かれないということです。ましてや、人が損をすれば自分が儲かるなどという考え方では、見向きもされません。
ところが、どうしたら人に喜ばれるか、どうしたら人のためになるかと考えている人には、後ろからお金が追いかけて来るから不思議です。お金を追いかけるか、お金に追いかけられるか、その違いがわかりますでしょうか。つまり、お金は後ろからついて来るということなのです。別の言い方をすれば、人というものは、多くは〈利〉のために動くということなのです。どうしたら自分の利益になるかが生き方の基本なのです。その利益を与えれば、自分の利益にもなるのは当りまえです。〈善〉ため、〈義〉のために動くこともありますが、一般的にはやはり、人は利益を優先するということです。
皆様のまわりを見てください。人が喜ぶこと、人のためになることを心がけているる人には、多くの人も物も、そしてお金も集まって来るはずです。親切な人は親切にされます。人に物を与える人は物に不自由しません。お金に困ることがあっても、どうにかなるのです。特に裕福ではなくとも、お金の神さまに好かれるからです。何となくお金が集まって来るからです。私がお金についてお話するのは、いつもこのことばかりです。
ぜひ、金運宝珠護摩にお参りください。そして、お金の神さまに好かれてください。いいことがありますよ。きっと。
星祭り大護摩供
令和3年2月14日
本日、「開運星祭り大護摩供」を修しました。コロナ禍の中にあっては、多くの方々にお参りいただきました(写真).
また、私の星祭り次第や星供曼荼羅の刊行によって、星祭り行事を恒例とする寺院が増えましたことを、大変にうれしく思っています。今回は星供導師として弟子の一人が修し、私がお護摩の導師をつとめました。ご参詣の皆様がとても熱心で、一心にお祈りする姿には脱帽します。僧侶は皆様に祈られますが、皆様の祈りによって、僧侶の祈りが増大することを忘れないよう心がけています。
また、このブログをご覧になって、初めてお越しになった方も何人かいらっしゃいました。真言密教に強い関心をお持ちようでした。現代は、こうしたご縁も大切なようです。さらに多くの方々に、ご縁がありますことを切に念じています。
星祭りの荘厳
令和3年2月9日
昨日より、「開運星祭り大護摩供」の前行(当日に向けての前もっての修法)に入りました。七日間これを修して結願の大護摩供を迎えます。
星祭りは特殊な荘厳をしなければなりませんし(写真)、修法もむずかしいので、私は各地でこれを伝授して来ました。またこの「星供曼荼羅」が肉質原本であり、これを印刷軸装して販売されたものが、多くの真言宗寺院で使われています。さらに、これによって星祭りを年中行事とする寺院が増えたことも事実です。肉筆をご覧になりたい僧侶の方は、ぜひお越しいただきたいと思っています。

「厄除」と「星祭り」は何が違うのかと、よく質問を受けます。簡単にお話すれば、厄除は厄年の方だけがご祈願をすればよいのですが、星祭りは開運法なのです。つまり、今年の星回りが良い人は「善星皆来」を、星回りが悪い人は「悪星退散」を祈って、共に開運を呼ぶということなのです。あさか大師で「開運星祭り大護摩供」と呼ぶのはそのためです。
多くの方々に、この「開運星祭り大護摩供」にご祈願を込め、コロナ禍にあっても開運を呼んでいただきたいと願っています。結願の大護摩供は2月14日(日)の午後1時からです。ぜひご参拝ください。
如意宝珠
令和3年1月18日
昨日は如意宝珠を本尊とする「金運宝珠護摩」を奉修しました。コロナ感染者が増大し、外出への自粛が呼びかけられているため、いささかさびしい集まりで残念でしたが、僧侶の方々も参詣者も懸命に読経しました(写真)。

今年は六白金星が中宮にあり、経済がきわめて大きな意味をもたらします。しかし、六白金星の定位である乾宮(西北の方位)に暗剣殺という凶神が付き、さらに金運を意味する七赤金星が回座しています。つまり、きびしい経済状況に追い込まれることは間違いありません(今年の暦を参照)。
真言密教は如意宝珠を象徴としますが、それは心身の豊かさをもたらすからです。お大師さまは特に如意宝珠を重んじられました。人は心身共に豊かにならねば、幸せにはなれません。あさか大師に如意宝珠を安置するのはこのためです。ご縁のありました方々には、強い金運を得ていただきたいと、私は切に望んでいます。
また、如意宝珠がない場合は、仏舎利をもって代わりにするという口伝があります。あさか大師僧侶の方々に仏舎利とのご縁が強まったのか、お大師さまの前に小さな仏舎利塔が並び出しました。大変に喜ばしいことで、熱心に祈らねばこのようなことは起こりません。さらなる精進を期待しています。

新春祈願と総回向
令和3年1月10日
今日で1月も10日目を迎え、午前中は新春の厄除・災難除祈願を、午後は月始めの総回向を奉修しました。手洗い・消毒・マスク着用を励行のうえ、消毒液を噴霧しつつの挙行でした。苦しい時代を乗り越えるべく、法話もしました(写真)。いささかさびしい人数でしたが、久しぶりにお会いした方もおり、旧交をあたためることができました。

新春祈願は皆様が自粛されるかと思いましたが、それでも多くの方が厄除や災難除にお越しになりました。また、寺の責務として疫病退散と国家安泰を祈願しています。昨年からの『般若心経』写経と『仁王護国般若波羅蜜多経』をご宝前に安置して、コロナの終息を念じています(写真)。この『仁王護国般若波羅蜜多経』については、折を見ていずれお話をいたしましょう。お大師さまが尊ばれた、重要な経典です。
真言密教の僧侶はお大師さまがなさったこうしたの祈願を、決して絶やしてはなりません。先の大戦で原爆を落とされ、敗戦国となり、資源もなく、混乱の中でもこの国が繁栄を遂げたのは、こうした高祖の英知と先祖供養の功徳なのです。そうでなければ、今日の〝日本の奇跡〟はあり得ません。そのことを忘れぬよう、私も自戒をしています。力を合わせて、この未曾有の苦難を乗り切りましょう。


