どういう人にお金が集まるのか

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あさか大師

令和3年2月23日

 

一昨日はお大師さまご縁日護摩を兼ね、第三日曜日恒例の金運宝珠護摩を奉修しました(写真)。皆様とても熱心です。それというのも、現代における人生の幸せとお金の所有は、切り離せぬ関係にあるからなのでしょう。つまり、「お金がなくても幸せになれる」とは、考えがたい時代に生きているからだと思います。もちろん、例外はありましょう。しかし、それはよほどに精神レベルが高い人であって、めったにお目にかかることはありません。

私が高校生の頃、どこの銀行だったか、「お金だけでは幸せになれません。しかし、お金がなくては幸せになれません」というキャッチフレーズを公開していました。当時の私は「そんなものか」と思う程度でしたが、50年以上も前のそのうたい文句をいまだに覚えています。今では「なるほど」とさえ思えてなりません。

私は経済のことも商売のこともわかりませんが、自分でも納得し、皆様にもお話していることが一つだけあります。それはお金を追いかける人に、お金は集まらないということです。つまり、どうしたらそんをしないか、どうしたらもうかるかという追いかける考え方だけでは、お金は集まりません。つまり、お金の神さまには好かれないということです。ましてや、人が損をすれば自分が儲かるなどという考え方では、見向きもされません。

ところが、どうしたら人に喜ばれるか、どうしたら人のためになるかと考えている人には、うしろからお金が追いかけて来るから不思議です。お金を追いかけるか、お金に追いかけられるか、その違いがわかりますでしょうか。つまり、お金は後ろからついて来るということなのです。別の言い方をすれば、人というものは、多くは〈利〉のために動くということなのです。どうしたら自分の利益になるかが生き方の基本なのです。その利益を与えれば、自分の利益にもなるのは当りまえです。〈善〉ため、〈義〉のために動くこともありますが、一般的にはやはり、人は利益を優先するということです。

皆様のまわりを見てください。人が喜ぶこと、人のためになることを心がけているる人には、多くの人も物も、そしてお金も集まって来るはずです。親切な人は親切にされます。人に物を与える人は物に不自由しません。お金に困ることがあっても、どうにかなるのです。特に裕福ではなくとも、お金の神さまに好かれるからです。何となくお金が集まって来るからです。私がお金についてお話するのは、いつもこのことばかりです。

ぜひ、金運宝珠護摩にお参りください。そして、お金の神さまに好かれてください。いいことがありますよ。きっと。

山路天酬密教私塾

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