山路天酬法話ブログ

御守が割れる時

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祈祷

令和3年1月15日

 

よくある聞くお話ですが、御守おまもりが所持している本人の身代わりになる時、中の木札きふだが真っ二つに割れことがあります。特に交通安全の御守など、事故にあった後に割れていたという報告を、私は何度も聞かされました。

車が接触や衝突しょうとつをしたなら、もちろん物理的な力が加わりますから、それによって割れたのではないかと、考えられなくはありません。しかし、それによって御守の木札に力が加わるという可能性は、きわめて少ないはずです。これはやはり、物理的な力以外の何かが働いたと考えるのが妥当ではないでしょうか。それに、このような事故にあった本人は、かすり傷ひとつなく助かった例が多いというのも奇妙なことです。

もちろん、事故はけられるにこしたことはありません。しかし、人間が運転する以上、どのような不可抗力が働くやは誰もが知るところです。そして、長い間ご祈祷に関わって来て、不思議な霊験を数多く体験したことも事実であります。

あさか大師では「身代わり銀杏ぎんなん御守」が人気があり、今年の初詣でもたくさんの方がお求めになりました。私はこの御守が身代わりになることを予測し、御守のパッケージに「身代わりになる時は銀杏が割れます」とあらかじめ印刷しておきました。一昨日、早くも「山主さん、銀杏が割れました」と言って来た方がおり、「買い物に行く途中、走っている車にあやうく接触する所でした」との報告でした。今年の第一号です。ご本人はもちろん、お寺の御守が不出来だったなどとは少しも思わず、快く新しいものをお求めになりました。

この銀杏は割れやすいことは確かです。しかし、普通にカバンやランドセルに付けているかぎり、まず破損はそんすることはありません。しかし、多くの方がその霊験を知り、話題になったようです。特に地元タクシーのある女性ドライバーさんなど、お客様にまでお話をするので、かなり知られるようになりました。また、あさか大師にいらっしゃるお客様をよく拾うのも、どのようなご縁なのでしょう。ご祈祷の力は、思わぬところにも働くものです。

新春祈願と総回向

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あさか大師

令和3年1月10日

 

今日で1月も10日目を迎え、午前中は新春の厄除・災難除祈願を、午後は月始めの総回向を奉修しました。手洗い・消毒・マスク着用を励行のうえ、消毒液を噴霧しつつの挙行でした。苦しい時代を乗り越えるべく、法話もしました(写真)。いささかさびしい人数でしたが、久しぶりにお会いした方もおり、旧交をあたためることができました。

新春祈願は皆様が自粛されるかと思いましたが、それでも多くの方が厄除や災難除にお越しになりました。また、寺の責務として疫病退散と国家安泰を祈願しています。昨年からの『般若心経』写経と『仁王護国般若波羅蜜多経にんおうごこくはんにゃはらみったきょう』をご宝前に安置して、コロナの終息を念じています(写真)。この『仁王護国般若波羅蜜多経』については、折を見ていずれお話をいたしましょう。お大師さまが尊ばれた、重要な経典です。

真言密教の僧侶はお大師さまがなさったこうしたの祈願を、決して絶やしてはなりません。先の大戦で原爆を落とされ、敗戦国となり、資源もなく、混乱の中でもこの国が繁栄を遂げたのは、こうした高祖の英知と先祖供養の功徳なのです。そうでなければ、今日の〝日本の奇跡〟はあり得ません。そのことを忘れぬよう、私も自戒をしています。力を合わせて、この未曾有みぞうの苦難を乗り切りましょう。

北斎の富士山

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文化

令和3年1月7日

 

あさか大師となりの土手に登ると、晴れた日には富士山を望むことができます。今年の正月は、どうしたことか葛飾北斎かつしかほくさいの富士山が気になり、改めてその画集も開きました。なるほど、海外での人気もうなずけます。

『富嶽三十六景』で知られる北斎は、江戸時代の浮世絵師として有名ですが、生涯に何と三万点を超える作品を発表しています。その作品はゴッホなどにも影響を与え、森羅万象を描いて、その特異な才能を開花させました。また『北斎漫画』などにも新境地を示し、晩年は銅版画やガラス絵の研究までも試みています。

1999年、アメリカの『ライフ』誌が企画をした「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」で、日本人として唯一ランクインを果たしました。門人の数もきわめて多く、孫弟子を含めると200人に及ぶとされています。

北斎は江戸本所の農民の子として生まれましたが、幼い頃より手先が器用で絵師を志し、19歳にして浮世絵師の勝川春章に弟子入りしました。しかし、浮世絵のみに飽き足らず、師匠に内緒で狩野派などの画法も学んだために破門されています。その後は行商をしたり、うちわ絵の内職をして糊口ここうをしのぎました。

数々の奇行でも知られ、生涯に転居すること93回に及び、一日に3回転居の記録も残しています。その理由は絵を描くことに熱中して、あまりにも部屋が汚れたためでした。食事を作ることも掃除をすることもせず、夏季のほかは炬燵こたつに入りっぱなしで、眠くなるとそのまま横になっていました。また、新ジャンル挑戦のたびに画号を改めること30回に達し、「春朗」「宗理」「群馬亭」「画狂人」「為一」「まんじ」などと名のり、「北斎」は北斗妙見への崇拝すうはいから選んだようです。

北斎は卒寿(90歳)という、当時としては破格の長寿を得ました。しかし、私が最も印象に残っているのは、死を目前にして「天が私の命をあと10年、いや5年ばしてくれたなら、私は本当の絵描きになることができるだろう」と語ったことです。天才とは尽きることのない努力の証明でしょうが、北斎の富士山は何を語っているのでしょうか。

続・新春大護摩供

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あさか大師

令和3年1月5日

 

今日から仕事始め、練習始めで、会社の方や中学校野球部の方々(写真)が新春大護摩供お参りくださいました。コロナ禍のきびしい世相の中、会社もお店も生き残りをかけねばなりません。皆様、真剣にお大師さまのご宝号「南無大師遍照金剛」を一心に唱えて、ご加護をお祈りくださいました。

今年は六白金星が中宮に入り、高貴・品格や権力・支配の意味に加えて、「たたかい」の意味が強く反映します。人間は和合が第一ですが、同時に闘うことも大切な責務です。なぜなら、ライバルという相手と闘いぬいてこそ、真剣になれるからです。闘わねば強くはなれませんし、本当のやさしさも生まれません。子供の頃にケンカをした者どうしに、深い友情やきずなが生まれるのはこのためです。これは会社の経営者でもスポーツ選手でも、同じことです。

宗教は〈慈悲〉や〈愛〉を説きますが、強さがなければ慈悲も愛も生まれません。真言密教にお不動さまや愛染さまのようなこわい形相をした仏さまがいらっしゃるのは、そのためです。そして何より、人は煩悩ぼんのうとい〝自分の中の敵〟と闘わねばなりません。六白金星の今年こそ闘いに励み、堅固な身心を獲得しましょう。

新春大護摩供

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あさか大師

令和3年1月3日

 

明けましておめでとうございます。

元旦午前〇時より新春大護摩供を修し(写真)、開山三年目の三ヶ日が過ぎました。コロナ禍の中、ご参詣の方が少ないかと思っていましたが、予想以上の皆様にお越しいただきました。大変にありがたいことでしす。

 

また、おだやかな気候の中、近在の方が多いことにも驚きました。散歩途中でお立ち寄りくださった方もいらっしゃいました。皆様、御守りを求め、おみくじを引き一年の無事息災を祈りました(写真).

毎日、何座もお護摩を焚けばさすがに疲れますが、元気に仕事が出来ることはありがたいと思っています。お弟子さんたちも祈祷独特のの読経にも慣れ、大きな声が出るようになりました。先が楽しみです。今年もよろしくお願いいたします。

東海道五十三次

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仏教

令和2年12月29日

 

今年も残すところ、あと2日となりました。いよいよ正月体制に入りますので、これが年内最後のブログです。

一日だけ、いや半日だけでも時間をとって旅に出たいと思いつつ、今年はとうとう叶いませんでした。こうしてパソコンに向かっていても、車を運転して、あるいは各駅停車にでも乗って行ってみたい所が浮かびます。だから、時おり瞑想の中で旅をしつつ、いながらにしてこれを楽しんでいます。

私は長期の旅行は出来ませんので、かつては奈良や京都に出張した折、半日ほどの時間をとって旅をしました。特に奈良の明日香村には、どれほど足を運んだかかわかりません。寺跡に立って悠久の流れを思う時、その満ち足りた時間にはこの上もない感動がありました。古代瓦こだいがわらの美しさに魅せられたのも、そんな経験からだったのです。

ところで旅といえば、江戸時代に制定された東海道五十三次は、よく知られています。この江戸から京都までの五十三次という宿場は、実は『華厳経けごんきょう入法界品にゅうほっかいぼん典拠てんきょとしていることをご存知でしょうか。法界とは、つまり悟りのことです。主人公を善財童子ぜんざいどうじといい、この聡明な童子が文殊もんじゅ菩薩にうながされて、53人の善友(善知識)を次々に訪ね、最後は弥勒みろく菩薩や普賢ふげん菩薩にも教えを受けてついには悟りを得るという物語です。

53人の善友の中には菩薩や修行僧ばかりではなく、女神や仙人、外道や漁師、医者や商人、子供や遊女まで含まれています。つまり仏教の悟りは職業や身分、年齢や性別に関わりなく、いかなる人からも学び得ることを示しているのです。

この53人の善友を訪ねる旅になぞらえ、東海道五十三次の宿場が設けられました。だから、五十三次は単なる宿場ではなく、善友を求める旅の道しるべだったのです。『華厳経』入法界品の教えを生かしたすばらしい着想であり、まさに日本文化の誇りと言っても過言ではありません。

現代の新幹線なら2時間程度で到着しますが、昔の江戸から京都への旅は2週間ほどかかりました。しかし、その五十三次の宿場に、旅人はそれぞれの思いをせたのです。人生はよく旅にたとえられますが、それは長い修行の旅、悟りへの旅であり、また道連みちづれの善友がいるということなのです。

いつもブログを読んでいただき、感謝しています。では、よいお年をお迎えくださいますよう。

正月準備

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あさか大師

令和2年12月27日

 

今日は年内最後の日曜日となり、六人の方が集まって、正月準備の掃除やお守りの整理をしました。私はもっぱらお護摩札の浄書に専念し、六人の方ははそれぞれの部でご奉仕の作務をしてくださいました(写真)。

来年の初詣はコロナ禍の影響で、郵便やネット申し込みが多いようです。あさか大師はまだまだ混雑は避けられますので、ぜひ初詣にお越しいただきたいと思います。コロナ対策の消毒も、複数噴霧等を含めてかなり強化しました。

毎年お会いしている方々のお顔を見られないのは、さびしいかぎりです。皆様のお詣りをお待ちいたします。

なお、あさか大師ホームページのトップ画面を変更し、ファイルも一部削除しました。当山の桜をバックにした明るい配色です。いかがでしょうか。

人間の魅力とは

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人間

令和2年12月24日

 

今朝の目覚めに、突然に中学生時代の記憶がよみがえりました。

あれはたしか理科の授業中であったと思います。担当の先生が、「〈力〉という字が入る単語を、一人ずつ黒板に書いていってごらん」と言うのです。たぶん作用と反作用の課題から、こんなお話になったのだと思います。

生徒たちはめいめい、〈体力〉〈引力〉〈風力〉〈能力〉といった具合に、順に板書しました。後の生徒ほどなかなか思いつかず、困った顔をしていたものです。私は最後に近く、思案に暮れましたが、大きな字で〈魅力〉と書くや、一番の喝采かっさいを博しました。以来、〈魅力〉の二文字こそは、私の守護神のようにさえ思えたものでした。長らく忘れていましたが、どうやら久しぶりに守護神の呼び出しを受けたようです。

いったい、人間の魅力とは何でしょうか。トップの器であること、一芸にひいでていること、誠実であること、雄弁であることなど、思いつく要素はいくつかあります。そこで気になるのは、『呻吟語しんぎんご』という古典の言葉です。これは中国のみん代末に呂新吾りょしんごという方があらわしたものですが、私は安岡正篤まさひろ先生の『呻吟語を読む』によってこの古典の存在を知りました。

その冒頭に「深沈厚重しんちんこうじゅうなるは、これ第一等の資質。磊落豪勇らいらくごうゆうなるは、これ第二等の資質。聡明才弁そうめいさいべんなるは、これ第三の資質」とあります。つまり、落ち着いて思慮しりょ深いことが、人間の魅力として最高だと言っています。また、肝っ玉が太くて勇敢ゆうかんであることがこれに次ぐ魅力であり、意外にも、頭がよくて弁が立つは三番目の魅力だと言っています。

〈呻吟〉とは苦しみうめくことです。落ち着いて思慮深い人間になるには、苦しんでうめくほどのきびしい修養が必要だという意味なのでしょうか。自分の足りなさを指摘されたようで、とても気になったことを今でも覚えています。

落ち着いて思慮深い人間なら、どんな時でも冷静に判断し、他人からも信頼され、苦難や災難を最小限に止めることができるのです。なるほど、それが人間の魅力として最高であることは間違いありません。

青年の意気、熟年の智恵

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人生

令和2年12月15日

 

.私は今では、まったくと言っていいほど外食をせず、毎日の自炊が常となりました。いわば悠々自適ゆうゆうじてき、気ままな暮らしをしているということです。もちろん、以前は友人や知人とのつき合いも多く、なじみの店もいくつかありました。今でも、出入りしていたなつかしい店名や店内を思い出します。

私はカウンターに座るのが好きで、よく板前さんの調理を〝のぞき見〟していたものでした。特に寿司と天ぷらばかりは、その手さばきを観察し、揚げたてやにぎりたてを阿吽あうんの呼吸で口にしたものです。せっかくカウンターに座りながら、仕事の問題に熱中していては、もったいないことです。

その天ぷらのことですが、何人かの分を揚げ終わると、油を足します。特に質問をしたわけではありませんが、その新古の比率にコツがあるように思いました。つまり、使い古した油にまったく新しい油を混ぜることにより、絶妙のバランスがあるらしいのです。これは、人生そのものを考えるヒントだと思いました。

まっさらで、世間をまったく知らないような青二才あおにさいばかりでは困ります。しかし、世間の諸悪に汚れ切っていても使えません。いわば、青年だけでは経験に乏しく、熟年だけでは新鮮さに欠けるといった道理にも通じるということです。何ごとにも、このバランスが大切です。いかがでしょうか、私はこのことをとても印象的に覚えています。

新しいものに挑戦する青年の意気はすばらしい、だからといって、熟年の智恵をおろそかにしてはなりません。このバランスを上手に使えれば、それこそ人生の達人です。それぞれに代わりはきません。それぞれに貴重な存在です。青年と熟年と、その融合をはかることが大切です。

年寄りの智恵を青年が学び、青年の意気を年寄りが学べば、それこそ理想のバランスでしょう。会社も家庭も、営業も人事も、このバランスなのです。かつて、私は天ぷらの技を見ながら、そんなことを思ったものでした。しばらく行っていませんが、またあの技を見たいものです。汚れた油に新しい油を足す、人生はこの加減に極意があるのです。久しぶりに、あの店に行ってみたくなりました。

「三密」の正しい理解を

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真言密教

令和2年12月10日

 

2020年の新語・流行語の大賞に「三密」が選ばれました。

私は新型コロナウイルスの感染が始まって間もなく、この「三密」なる用語を聞くたびに困惑したものでした。なぜなら、「三密」こそは真言密教における、きわめて重要なキーワードであるからです。真言密教とはまさに、「三密」の教義とその実習にあると定義しても過言ではありません。

もちろん、真言密教の「三密」は、人が密にならない、密を避けるというコロナ対策とはまったく意味が異なります。簡単に説明をしますと、人の言動は体と言葉と心の三つの働きに集約され、それらを通じて祈りを捧げるということです。つまり、合掌をしたり特殊な印を結んで〈身密しんみつ〉となし、口に真言を唱えて〈口密くみつ〉となし、心に浄土や仏を観想して〈意密いみつ〉となし、これを総じて「三密」の行法ぎょうぼうとするのです。

追悼の式典などで、よく「黙祷もくとう」をしますが、祈りは言葉に出した方がより直接に通達します。また、祈りに応じた印を結び、どのように観想するかの規範があれば、そのパワーも増大します。真言密教の祈りは、人の体も言葉も心も総動員した「三密」なればこそ叶うのです。コロナ禍で浮上した「三密」が同じ用語であったことは、まったくの偶然でした。このブログを読んでいただいた皆さんには、ぜひ正しい「三密」の意味を理解してほしいものです。

浄土真宗の教義に「他力本願たりきほんがん」がありますが、まったく誤解されて通用していることは遺憾いかんとしか言いようがありません。宗門には迷惑なお話なのです。このような事実はほかにもたくさんありますが、これが世間というものなのでしょう。

体と言葉と心の中でも、特に注意を要するのは言葉です。だから「口は災いのもと」と言うのです。お大師さまがあえて〝真言密教〟を立宗された由縁もそこにあるのです。人はたった一言から成功もするし、失敗もするのです。ご用心を。

山路天酬密教私塾

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