令和3年6月24日
六月に入ってから、私は司馬遼太郎著の『坂の上の雲(一)~(八)』(文春文庫)を枕元に積み上げ、毎晩少しずつ読んできました。著者がこの大作を書くにあったっては、東京中の古書店から日露戦争に関する資料が一冊残らず消えたというエピソードがあります。たしか、トラック二台分もの古書を著者が買い求め、大阪の自宅に運んだからです。歴史家の中には、文中の内容に疑問を投げかける方もおりますが、小説としてはすばらしいい作品です。
この小説は連合艦隊の作戦参謀・秋山真之を主人公としていますが、兄の秋山好古や俳人・正岡子規もかなり登場します。もちろん、明治天皇や乃木希典将軍、陸軍大将・児玉源太郎、海軍大将・山本権兵衛、連合艦隊司令長官・東郷平八郎といった偉人の存在も見逃せません。印象に残った場面や会話には赤線を引きつつ眠りに就き、昨夜、その全巻を読み終えました。その赤線の一つをご紹介しましょう。
日露関係の緊張も風雲急をつげ、いよいよ開戦やむなしとなった折、明治天皇より山本権兵衛に、「連合艦隊司令長官に、なぜ東郷平八郎を選んだのか」とのご下問がありました。
山本はそれに対して、「東郷はまことに運のいい男だからであります」と意外な返答をしました。
世界最強のバロチック艦隊から日本を救い得るためには、強靭な〈運〉が必要だったからです。伝えによれば、東郷は「弾の当たらない長官」として有名でした。〈運〉こそは才能以上の才能、究極の才能なのでしょう。難攻不落とされた陸軍のあの旅順攻略も、何万という死傷者を出しつつ、児玉・乃木両将軍の強運がなければ達せられたとは思いません。
私は中学生の折は柔道に専念しましたが、稽古中に仲間が骨折をした時はよく近くの接骨院にかつぎ込んだものでした。そこの先生も柔道の師範であったからです。玄関に入ると東郷平八郎の扁額があり、その独特の花押(書き判)を今でも克明に覚えています。花押への関心もそこから始まりましたが、はたして、運のいい男の功徳をいただけたでしょうか。