山路天酬法話ブログ

中秋名月

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文化

令和4年9月11日

 

昨夜の中秋名月は実にみごとでした(写真)。久しぶりに、あまりのみごとさに感動し、立ち尽くし、何人かの友人にも伝えました。もちろん、誰一人として見逃すはずがありません。みんなで同じ月を見て、気持ちを共有しました。日本人はやはり、お月見が好きなのです。

あさか大師のまわりはススキも豊富です。少しばかりを境内のお大師さま(遍路へんろ大師)に供えました。また所蔵の硯箱すずりばこに、ススキと満月の蒔絵まきえがあったことを思い出し、さっそくお大師さまのわきに置いてみました(写真)。

この硯箱は江戸期のものですが、まるで平安時代の嵯峨野さがのあたりを連想させられます。当時、現在の京都・大覚寺だいかくじには嵯峨御所さがごしょ(嵯峨天皇の御座所ござしょ)があり、お大師さまは天皇さまと深いご親縁をいただきました。特に仏教や書道については、時を忘れてご歓談をなさったことでしょう。

九月の古名を「長月ながづき」と言いますが、「夜長月よながづき」の略かも知れません。日が暮れる時間は早くなりますが、それだけに、秋の夜が楽しめます。今日の十六日は「十六夜いざよい」、十七日は「立待たちまちの月」、十八日は「居待いまち月」と、十五夜ばかりを讃えないところが、この国の文化です。守り続けてほしい、美しい日本語です。

四十九日の回し打ち

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健康

令和4年9月10日

 

本日は私が親しくおつき合いをした、八丈太鼓はちじょうだいこ(八丈島の郷土芸能)の指導者であったM氏の四十九日法要を挙行し(写真上)、法要後は参列したお弟子さんたちによって〈まわし打ち〉の供養が捧げられました(写真下)。長年にわたって回忌法要をつかさどってまいりましたが、このような企画は初めてのことで、大変に感銘を受けました。

お弟子さん方は概してお若い年齢層ではありませんでしたが、太鼓を打ち始めると背筋が伸び、リズムに乗って体が躍動していました。週に一度のお稽古けいこを続けていらっしゃるそうで、日ごろの成果が充分に発揮されたように思います。私は改めて、趣味(と一般にいわれるもの)に対する効用のすばらしさを痛感せざるを得ませんでした。

音楽に関しては、そのリズムや響きが右脳うのう(情感を支配する部処)を適度に刺激し、その能力や記憶が蘇生そせいすると聞きました。たとえば、つい先ほどのことすら自覚しない認知症の人でも、曲に合わせて好きな歌を唄い出すと、間違えずに最後まで唄いきるというのです。言語障害の子供さんに対しても、歌の効用がすばらしいことをうかがっています。カラオケを健康法としてすすめる医師がいることも、納得できましょう。

そうすると、お寺は〈健康道場〉としても、大いに活用すべき場所であることがわかります。第一にいっしょにお経を唱えることで、右脳を活性化します。さらに太鼓や法螺貝ほらがい木魚もくぎょかねといった法具がそれを増長させます。第二に仏像や仏画の慈顔に接することで、浄土のようなやすらぎを得ることができます。第三に高雅なおこうの薫りで心をいやし、異次元世界へと誘導することができます。第四に法話を聞くことで教養を深め、生きる喜びを得ることができます。そして、いつも冗談にお話をするのですが、さらに温泉(!)があったら、もうこれ以上の理想はありません(笑)。

かつて、映画解説で活躍した水野晴郎みずのはるおさんに、「いやー、映画って・・・」という名台詞めいぜりふがありました。私も言いましょう。「いやー、お寺ってほんとにいいもんですね。またご一緒いっしょに楽しみましょう!」と。

20000回の食事

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食事

令和4年9月7日

 

私の母は体が弱く、あまり母乳が出ませんでした。心配した祖母は濃い目にぎ出した米汁を作り、それを母に渡してくれていたようです(農村のことで、まだ粉ミルクはありませんでした)。そのおかげで一年後には村の〈赤ちゃんコンクール〉で優勝し、また小学校の卒業式では男女一名ずつ選ばれる健康優良児として表彰されました。まさに、強運と幸運に恵まれたとしか言いようがありません。

母は入退院を繰り返しながら三十三歳の若さで他界しましたが、それでも私のことを病床に呼んでは話し相手になってくれました。苦しいことがあっても、私が今日まで何とか耐えてこられたのは、その病床の母の顔を思い出すからです。今さらながら、その恩の深さが憶念されてなりません。

私たちは三歳ほどまでは、母に一日に6回前後はオムツを変えていただきました。一年で約2000回、三歳までで6000回です。また、一日8回前後の母乳(ミルク)をいただきました。一年の授乳で約3000回です。そして離乳食を含めて、毎日毎日、三度の食事を作っていただきました。おやつまでを加えると、一年で約1000回、仮に十八歳までとして何と約20000回以上です。

私は外食をすることはほとんどなく、自分で食事を作って生活をしていますが、20000回を毎日続けることなどとてもできません。しかも、忙しい日はもちろんのこと、体の具合が悪かった日もあったことでしょう。今ならスーパーで買えるとしても、米屋さん、八百屋さん、肉屋さん、魚屋さんを廻り、重い荷物を持って歩いたはずです。食材を洗って切り、煮て焼いて、味つけをして、食卓に並べていただきました。それを私たちは当たり前のように、ただ黙って食べていたのです。「おいしい」のひと言がなくても、不平すらもらしませんでした。

そして、私たちがテレビやゲームに夢中になっていても、母には食後の片づけがありました。翌朝の準備もありました。お風呂の準備もありました。洗濯もありました。洋服のつくろい、片づけ、そのほか父の世話もあったはずです。いったい、母がいなかったら、私たちはどのようにして暮らし、どのようにして成長したのでしょうか。

私たちは母に対する自分のふるまいを思いおこす時、慙愧ざんきの念にえるものは何もありません。過ぎ去った恩の大きさに唖然あぜんとするばかりです。しかも、その恩に対して何も返したものはありません。返そうと思えるほどの年齢になった時、たいていはその母も、すでにこの世にはいません。私たちが母に対してできることは、あの世の母に対してであることをお伝えして、今日の法話といたします。

月初めの総回向

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あさか大師

令和4年9月5日

 

一昨日と昨日、あさか大師では月初めの総回向法要を挙行しました。先ず午前中は弟子僧の勉強会で阿字観あじかん(梵字の阿字を観じる瞑想)を伝授し、続いて毎日のお護摩、昼休みの後に総回向法要となりました(写真)。

まんじゅしゃげ

また法要後は、9月23日(秋分の日)の秋彼岸会法要についてお話をしました。日本は春彼岸に木蓮もくれん、お盆にはす、秋彼岸に曼珠沙華まんじゅしゃげ(彼岸花)が咲きます。それぞれに仏さまの花が咲く、仏さまの国なのです。彼岸やお盆にはご先祖や祖父母・両親の供養につとめましょう。

阿字観の伝授でもお話をしましたが、私たちが生まれて学校を卒業し、社会に出て独り立ちをするまで、親はいったいどのくらいの費用がかかったのかの統計があります。家の事情にもよりましょうが、何とその費用は2000万円~3000万円とされています。生活費のすべて、学費、娯楽費、諸経費、小遣いなどを総計すると、このくらいになるというのです。いったい親は、どのようにしてこの費用を工面していたのでしょう。つまり、これほどの費用と苦労をかけながら、私たちは親に育ててもらった(もちろん、育てていただいたというべきですが)ということなのです。

実は、親からこれほどの世話になりながら、私たちが世話をしたものはほとんどありません。逆に迷惑をかけたものばかりが残ります。そして、親孝行をの一つもしたいと思った時は、すでに親はこの世にはいません。せめてお盆やお彼岸の時は、供養の気持を捧げていただきたいと思います。皆様、いかが?

揮毫の苦心

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書道

令和4年9月1日

 

私は高校生の頃から、よく学園祭や運動会、また選挙事務所などの大字揮毫きごうを依頼されたものでした。

十八歳で上京してからは茶室や画室の板額、店舗の看板、書籍のタイトルなどが多かったように思います。もちろん自分の著作は、必ず自ら表題を揮毫することも心がけて来ました。あさか大師ホームページのトップ画面にスライドされる「遍照殿へんじょうでん」は、いまから五年前に揮毫したものです。

また今年11月には「あさか大師長野別院」が落慶するので、昨日、その院号を弟子僧に渡しました(写真)。若い頃は「どうだ!」と言わんばかりに、迫力や面白さを強調しましたが、今はごく自然に、日常のありのままを筆に託しています。

私は真言宗僧侶として、いずれ自分の大師流書道、つまりお大師さまの書風を世に問うてみたいと考えています。昔の僧侶は師僧の身のまわりのお世話をしながら、時間を作っては書の稽古けいこに励みました。しかし、現在は宗門の大学にも本山の学院にも、宗祖の書を習う授業すらありません。塔婆も位牌もパソコンで仕上げる時代なればこそ、私は僧侶は書の稽古をすべきだと確信しているからです。

たくさんの揮毫を発表し、それぞれに苦心をともないましたが、決して満足することはありませんでした。楷書で書けば活字を並べたようになりますし、奇をてらえばイヤ味ばかりが鼻につきます(失礼ながら、近年のNHK大河ドラマのタイトルがその代表です)。お大師さまのようにはいきませんが、一歩でも近づきたいと、私はいつも念じています。あの世でお大師さまにお会いしたら、何とお話をしましょうか。

「闘病生活」か「共病生活」か

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健康

令和4年8月27日

 

あさか大師では毎日お護摩を修しますので、皆様からの護摩木祈願が寄せられます。そして、その護摩木祈願にはほとんど「病気平癒」や「〇〇病平癒」といった願目が入っています。なぜなら、人のお願いごとは病気(健康の問題)とお金(生活の問題)と対人(人間関係の問題)が最も多いからです。いろいろなお願いごとがあっても、結局はこの三つに集約されるとしても過言ではありません。

その病気に関する護摩木なのですが、実は私は「病気よありがとう」と念じつつ、これをお大師さまのお護摩の炎に投じています。「そんなバカな!」と思うでしょうが、本当なのです。なぜなら、病気は私たちの健康を守る尊い働きであるからです。このことは、私はいつもお話をしています。

たとえば、人はよくカゼを引きますが、カゼとは新しい免疫をつくり、新しい体質に変わるためのプロセスなのです。だから、カゼを引いたら、まさに〈風〉のように通過させ、新しい自分に生まれ変わるよう心がけることが大切です。こうして考えれば、病気というものの本質、病気の真実が見えて来ます。

熱が出るのは害菌を減らし、汗によって毒素を排泄はいせつしようとする働きです。痛みが出るのは血液を集め、病根を壊滅させようとする働きです。吐気はきけ下痢げりもまったく同じです。このような症状が何ひとつ現れないとするなら、私たちは体の異常を感じ取り、自分を守ることなどできないからです。私たちは病気をしながら健康を守っている、いや、病気をするから健康なのだとさえ言えるのです。皆様、この真実がわかりますでしょうか。

このことは、私たちが恐れる〈がん〉も同じです。人の細胞はいずれはがんを発生させて、最後の防衛を図るのです。家族や社会のため、成功や名誉のため、人は多くの無理を重ねて生きています。その蓄積が体内環境をそこね、細胞を傷つけ、炎症をおこして行きます。そこで、何とか生き延びようとして変身した姿ががん細胞です。これを「ありがとう」と言わずして、何と語りかけるのでしょうか。

私はかつて、札幌がんセミナー理事長・小林博先生の『がんを味方にする生き方』を読み、大変に感動しました。先生は顕微鏡を見ながら、「今日も頑張っているね、立派だよがん細胞君!」と語りかけるそうです。「闘病生活」ではなく「共病生活」です。私が「病気よありがとう」と念じてご祈願をする理由は、この意味です。

そして、病気に立ち向かって闘うのではなく、健康を守ろうとする尊い働きに感謝をする方が、祈りの力が強まることも私は知っています。皆様もぜひ、「病気よありがとう」と念じてください。いいお話でしょう。

金運宝珠護摩

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あさか大師

令和4年8月21日

 

本日は第三日曜日で、午前中は作務の後の11時半より金運宝珠護摩(写真)、午後1時より光明真言回向法要を挙行しました。どなたでも参加できますので、このブログを読んだ方は、ぜひお越しください。また法要の後は、私の子供の頃の体験で、身近にあるものでお小遣こづかいをかせいだお話をしました。何かのヒントになっていただければと思っています。

曇り空の中、むし暑い一日でしたが、それでも朝晩はわずかに秋の気配を感じます。そこで『古今和歌集』の名歌、「秋ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる(藤原敏行ふじわらのとしゆき)」が憶念されます。昔の人は秋の気配を風の音で感じたのです。何という奥ゆかしさでしょうか。目に見えるところは昨日までと何ら変わりはありません。だから、「目にはさやかに見えねども」と言っています。でも、どこかが違います。それは風の音だったのです。「おどろかれぬる」はビックリするのではなく、ハッと気づくというほどの意味です。まあ、これ以上の講釈はやめておきましょう。

夕方、またサイクリングをしました。残念ながら風の音はなく、武蔵野線の電車が猛々たけだけしく過ぎて行きました。

私の健康法

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健康

令和4年8月20日

 

健康法は何ですかと聞かれた場合、私はいつも「仕事です」と答えることにしています。実際、本当にそう思っているのですから、やむを得ません。

僧侶の仕事は、まさに健康法そのものです。第一に読経をします。最近は〈声出し健康法〉としてカラオケやコーラス、詩吟や朗読をすすめる医師が増えました。なぜなら、声の大きい人は元気だからです。これは間違いありません。皆様も、まわりの人を見てください。声の大きい人はよく食べて、よく働き、よく眠ります。風邪を引いても、すぐに回復します。

私の場合は特に、一般の僧侶より高い声を張り上げ、早いテンポで読経をします。眠くなるような読経はできません。すると、自然に腹式呼吸となり、新しい気力を体内に送ることができます。ここが大切なところで、人は不安やイライラがつのる時ほど、実は呼吸が浅くなるのです。深呼吸をすると、落ち着きを取りもどすことでもわかりましょう。読経はさらに、声帯を振るわせて代謝を上げますから、健康法にならぬはずがありません。読経をすると髪や爪の伸びが早まるのはこのためです。もちろん、ストレスの発散にもなります。

次に大汗をかいて太鼓を打ちますので、ジムに通わずとも筋トレになります。また法螺貝を吹くので、腹筋や肺臓をきたえます。口元の筋肉も引き締まるので、表情が豊かになります。そのほか、仏花やお香の薫りによって精神を安らげ、仏像や仏画を見つめて瞑想に誘導できます。法話をするには読書や考える力が必要ですから、痴呆の予防にもなりましょう。

ただ、私はこのほかに毎朝、水平足踏あしぶみを3分間と腕立て伏せ20回を実践しています。水平足踏みとは文字どおり、ひざを床から水平になるまで上げながら呼吸法と共に足踏みをする運動で、ご宝前に供えるお茶を沸かす間にちょうどよいのです。スクワットもおすすめですが、腰痛のある方には負担がかかるかも知れません。

また、あさか大師のとなりを流れる新河岸川しんがしがわの土手が、今年の春から遊歩道(自転車道)となりました。私は夕方か夜に、愛用の自転車でサイクリングをしています(写真)。

余談ですが、ここは池波正太郎の名作『鬼平犯科帳おにへいはんかちょう』第八巻「流星りゅうせい」の舞台です。原作には「新河岸川は荒川とほぼ並行して武蔵野をながれ、やがて川の口(現和光市・下新倉)のあたりで荒川に合流する」とあります。現在の東京外環自動車道のハープ橋(さきたま大橋)のところが、その合流地点です。鬼平の時代から240年後の景観です。

終戦記念日

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人生

令和4年8月15日

 

今日は終戦記念日です。私は戦後の生まれですが、無謀むぼう極まりないあの太平洋戦争のことは、父からよく聞かされました。また私が子供の頃の郷里には、なお防空壕ぼうくうごうや弾薬などの残骸ざんがいが散見されたものでした。

私の父はいわゆる〈インパール作戦〉から、奇跡的な生還を遂げて帰国しました。私にもし強運というほどのものがあるならば、それは父の強運を受け継いだ以外に、何ものでもありません。父はマラリア感染と銃弾の負傷によって歩くこともできませんでしたが、戦友たちの死体の中を両臂りょうひじいながら、数日をかけて必死の思いで師団にたどり着きました。飢餓きが状態の中で、一体何を口に入れたのかは想像を絶するものがあります。

インパール作戦とは昭和19年3月より7月まで、インド東北部インパールを攻略するため、日本軍が立案した「史上最悪の作戦」です。2000メートル級のけわしい山岳地帯を転戦する過酷さに加え、重い装備、大量の雨、マラリヤや赤痢などの蔓延まんえん、そして何より食料もないまま、日本兵のほとんどが死傷しました。その死者は16万人に及び、その戦場はまさに「白骨街道」とまで呼ばれました。

このインパール作戦がどのように立案され、遂行されたのかについては、当時の資料、生還した兵士や白骨街道を目撃した現地人の証言をもとに、〈NHKスペシャル〉の取材班がまとめた『戦慄の記録・インパール』(岩波書店)に記載されています。これ以前にもインパール作戦を放映した番組はありましたが、父は「こんなものではなかったぞ」と語っていました。

父はマラリアに感染した体を震わせながら、浦賀(横須賀市)に帰国しました。夕暮れ時だったそうです。ところが、日本の敗戦を知る子供たちから、「兵隊さんがだらしがないから負けたんだ!」と石を投げられたそうで、これを語る時の父は、さすがに目に涙を浮かべていたものでした。生前の最後に、私はその浦賀に父を案内したことがありました。私が父に果たし得た、数少ない孝行であったかも知れません。

祖父は父が戦死したものと当然のように思い、多額の供養料を菩提寺に納めました。出兵してより5年後に、家族の前に現われた父の姿を見た驚きは、いかばかりであったのでしょうか。77年前、これが日本の姿だったのです。今日ばかりは、父が好きだった日本酒を位牌に供えました。

「ひらめき」がおこる時

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思考

令和4年8月14日

 

私はかなりの本を所蔵し、また本を読まない日はありません。しかし、愛書趣味はありませんので、必要があればページを折り、赤線を引き、手垢てあかで汚れることもいといません。また、雑誌や新聞の切り抜きも、必要があれば出所と日付を入れ、スクラップで保管しています。そのスクラップこそは、書店では手に入らない格別な資料になるからです。

たとえば、古い新聞の切り抜きに、横井恵子さんという方の〈ひらめき〉のお話がありました。横井さんはZYXYZ(ジザイズ)という会社をおこし、ネーミングという新分野を開拓したことで知られています。つまり、会社やブランド品の名前をつけるという仕事です。なかなかユニークな分野ですね。

これまでに彼女が手がけた代表作には、「NTTドコモ」「au」「りそな銀行」「あいおい損保」「日興コーディアル証券」などがあり、その手腕のみごとさは、まさに驚くほかはありません。私の切り抜きは、彼女がその新聞の記者の質問に答えている内容でした。

「どういう時に名前がひらめきますか?」という質問に対し、彼女はこう答えています。

「私にはひらめきなんかありません。考えて考えて、しつこく、またしつこく作り上げていくのが私の流儀です」

私はこの記事を読んだ時、まるで全身が打ち震えるような感動を覚えました。「なるほど!」と思ったからです。つまり、私たちはひらめきというと、何かこう降ってくような安易なイメージで受け取りやすいからです。もちろん、そういうことも絶対にないわけではありません。しかし、そうではないのです。

彼女がお話をしているように、考えて考えて、その努力が尽きた時、その先にひらめきがやって来るのです。私たちが日常に用いている前述の代表作でさえ、どれほどの努力の末に生れ得たかは、想像を絶します。努力なしに生れるものなど、何もありません。その努力が尽きて空を見上げた時、一息を入れた時、お風呂に入った時、まさに〝天の声〟がやって来るのです。発明王エジソンが言う、「99パーセントの汗と1パーセントの霊感」とはこれなのです。

私も努力を重ねてはいますが、思うようにいかない時は、この横井さんの言葉を思い出すよう心がけています。不思議なご加護は、待っているだけではやって来ません。ご加護も当然のご褒美ほうびとして、努力の先にやって来ます。だから、努力は必ず報われます。報われないのは、努力が足らないというほかに何の理由もありません。皆様、いかが。

山路天酬密教私塾

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