歯周病への警告
令和3年11月30日
2019年、医学界に衝撃的なニュースが報じられました。それはアルツハイッマー病患者の脳内から歯周病の原因とされるジンジバリス菌が発見されたからです。これによって、脳内は鉄壁の守りに囲まれて、異物が侵入すことはないという従来の常識がくつがえされました。
たとえば、日本でもベストセラーになったカリフォルニア大学名誉教授の『アルツファイマー病 事実と終焉』では、脳に毒物が入ってしまう原因として次の三つをあげています。
①炎症(感染・食事または他の原因によるもの)
②栄養不足(補助的な栄養素、ホルモン、その他脳の栄養が足りない場合)
③毒素(金属やカビなどの微生物が発生する場合)
アルツハイマー病の直接の原因はまだ解明されていませんが、脳に何らかの毒物が入ると、それと戦うためにアミロイドベータ(Aβ)という物質がたまって機能障害をおこすらしいのです。このことは、九州大学や北京理工大学(中国)などの研究チームによっても盛んに研究されています。
その他、歯周病は全身に悪影響を及ぼし、がん・脳出血・心臓病をはじめ、糖尿病・胃炎・腸炎・肺炎・肝炎・腎炎・早産などの原因となることがしだいに判明しました。歯で食べ物をよく噛むという行為は、脳の活性化を促し、内臓器官とも密接な連結をはかっているのです。歯周病によって一部の歯を失ったり、すべての歯を失うということは、噛む力を失うと同時に、アルツハイマー病や多くの疾病と呼ぶことを知らねばなりません。
ちなみに、私はまずまず歯は丈夫な方で、白くて歯並びもよく、皆様からもほめられます。子供の頃から朝晩の歯磨きには熱心で、今ではさらにリステリンを用いて口内の消毒を心がけています。ついでですが、人の悪口を言った時も消毒し、お大師さまにお詫びをします(笑)。さらについでですが、就寝中の口内は特にバイ菌が繁殖します。起床した時の口臭やネバネバでわかるはずですです。仲のよい夫婦や恋人どうしが朝のキスをするのはけっこうですが、バイ菌のキャッチボールをしていると覚悟しましょう(笑)。いや、笑い話ではありません。明日はわが身、一生の問題ですよ。
サンキライ(山帰来)
令和3年11月27日
先日お話をしました東大寺八角灯籠の音声菩薩拓影の前に、サンキライ(山帰来)を飾りました(写真)。
植物学ではサルトリイバラといい、トゲのある枝に猿も引っかかることにちなんだと聞いています。漢方薬としても用いられ、病気や高齢で山に捨てられても、これを飲むと元気になって帰って来たゆえに「山帰来」と。花言葉の「不屈の精神」も、さすがだと思います。節ごとに屈折し、茎に鋭いトゲがあって生けにくく、お花の先生も悩むことでしょう。
山野の日当たりのよい所に群生しますが、葉の付け根に二本の巻きひげがあり、これで他の植物に巻きついて伸びていきます。とにかく強靭な花材です。やさしい菩薩の、あの強靭な誓願にはふさわしいと思いました。
花入れは平安時代の瓦製経筒で、写経を巻いて中に入れ、蓋で封じ、土中に埋葬しました。ただの筒なのに、花にもよく似合います。以前は蓮が咲くと、いつもこの経筒に生けたものです。いかがでしょうか。
傳法灌頂の厳修
令和3年11月22日
昨日は大変に忙しい一日でした。まず、午前十一時より金運宝珠護摩を(写真)、午後一時より光明真言の回向法要、その後には、今年加行(真言密教の基本的な修行)を終えた僧侶の方の傳法灌頂(教師になるための儀式)を厳修しました。その灌頂道具が本堂に並んでいましたので、ご参詣の皆様が興味深そうに見つめておりました。
傳法灌頂とは加行成満の僧侶に瓶水(加持した霊水)をそそいで印可を授け、教師(阿闍梨)の資格を与えるものです。もちろん、ただそれだけの作法をするのではなく、さまざまな戒律を唱え、曼荼羅に投華(曼荼羅に向かって花を投げること)して仏さまに結縁し、いろいろな道具を渡して儀式を進めます。そして、最後にお大師さまより伝えられた印可(奥義の印と真言)を授けます。今年は七名の方が入壇(写真前列)をしましたが、先輩諸師も教授としてお手伝いくださいました(写真後列)。
入壇の皆様はこの日のために加行をして来ましたが、阿闍梨になったから修行が終ったのではなく、これからが本番であるという自覚を持つようお話をしました。そして、まずは入壇の皆様の努力を讃えました。おめでとうございます。
音声菩薩拓影
令和3年11月18日
あさか大師本堂の片隅に、小さな床の間があります。今年は奈良岡寺の〈天人塼拓影〉を飾っていましたが、今日、東大寺の〈音声菩薩拓影〉に変えました(写真)。皆様が東大寺の大仏殿に拝観すれば、その正面の巨大な八角灯籠が目につくと思います。その扉にはゆかしい音声菩薩が羽目板となって浮き彫りされています。これは現存する最古の八角灯籠で、まさに創建時(天平時代)のままに残された貴重な文化財です。東大寺はこれまで二度の火災に見舞われ、大仏さえも創建時のお姿はありません。しかし、この八角灯籠だけはその災難をくぐりぬけ、天平美術の逸品となって残りました。これはその中の、銅鈸子を奏でるお姿です。
実は、この銅鈸子の音声菩薩は、昭和37年に盗難に遭いました。無残な姿で発見されましたが、その後は博物館に所蔵され、現在の八角灯籠には複製品(ほかの音声菩薩とは少し色が違っています)が飾られています。右上の網目が欠けているのはそのためですが、それだけに貴重な拓影といえましょう。
現代人は漢詩や和歌の筆跡は読めません。それが、私が拓影にこだわる理由の一つです。また、現品では見えにくい細部の文様まで、みごとに甦ります。さらに申し上げれば、この時代の美術品など、私たちは手にすることはできませんが、拓影ならそれが叶うのです(今どきはレプリカの拓影が出回っていますので、ご用心を)。
お大師さまも東大寺には法縁が深く、山内に真言院を建立し、経典の講伝もされました。あさか大師の本堂に、天平の奏でを捧げたいと思っています。
四十五年ぶりの再会
令和3年11月16日
私にとって、今日はとてもうれしい日でした。なぜなら、熊本県八代市在住のある女性ご信徒が、はるばると私を訪ねて来てくださったからです。彼女とは、私が二十代の初めにお会いしてより、実に四十五年ぶりの再会でした。彼女は当時、東京で働いていましたが、兄弟のことで大変に悩んでおりました。私もできるだけの智恵をしぼっては相談に応じましたが、その後に結婚し、子を授かり、郷里の熊本に帰り、久しくお会いすることはありませんでした。
しかし、この四十五年間、彼女は毎月のご回向やご祈願を郵便にて欠かすことなく、私を信頼してコツコツと地味な信仰を続けました。四十五年間です。その間、私はお会いすることも、(電話以外では)お話をすることもありませんでした。決して、並みの決意でできることではありません。「四十五年間の信仰はあなたの財産ですよ」と、今日、私はそのように自分の気持を正直に伝えました。
その四十五年前の遠い記憶をたどると、その頃の彼女は非常におとなしく、口数の少ない方でした。ところが、お会いした今日は何とも明るく、ペラペラとしゃべる天真爛漫な性格に一変していたのです。「ずいぶん変わりましたね」と私が言うと、「もう恥も外聞もありませんよ」と笑っていましたが、その笑いの裏にどれほどの辛苦をなめて来たかのか、そんな面影を感じる一瞬がありました。
人はそれほどに変われるものではありません。しかし、男性に比べると、女性の方が変わり身の早い傾向はあるかも知れません。これは私の考えに過ぎませんが。男性は大人になるまで、自分の身体にさほどの変化がありません。大人になる前に声変わりをしたり、体毛が増えたりはしますが、せいぜいこの程度です。それに比べると、女性は乳房のふくらみから始まって、初潮があり、妊娠があり、出産があり、授乳があり、閉経がありで、何度も身体の変化を体験します。いつまでも過去にこだわっていては、身が持ちません。大切なのは、あくまでも〝いま〟なのです。つまり、きっぱりと過去を捨て去る天性の覚悟が備わっているからではないでしょうか。
それに比べると、男性は意外にもグズグズと過去を引きずるものです。たとえば(もちろん、一概には言えませんが)、かつての家柄や栄誉を自慢したり、別れた女性の写真や手紙をいつまでも保管していたりで、変わり身がありません。仕事の面では縦横無尽でも、私生活にはさほどの変化がありません。男性は仕事を離れるや、まったく融通のきかない一面があることは確かなようです。
今日の私は、まるで浦島太郎です(笑)。人生という時間の半分を費やして、まるで夢のような体験をしました。これはいかに努力を重ねても、万巻の書物を読んでも、パソコン技術を駆使しても、決して作り出すことはできません。この四十五年間は、「空白の意匠」です。
遍路大師像建立②
令和3年11月12日
あさか大師では、開創三周年記念の中心事業として「遍路大師像建立」を発願しました。遍路大師とは、編笠をかぶって錫杖(六輪が付いた長い杖)を持ったお大師さま修行時代の尊像のことです。
本日は朝から石材店の方々が見えて、まず高さ120センチの御影石台座(3トン)を、続いて高岡(富山県)から運ばれていた高さ180センチの遍路大師像を、それぞれクレーン車にて安置しました(写真)。石材店の方々も総勢6名での大がかりで、台座を水平に固定し、さらに穴を空け、尊像をボルトで固定する瞬間は息をのむ思いでした。少しでもズレがあっては、それこそすべてが台なし(!)になります。私も気になって落ち着かず、ずっと側で祈っていました。
また、私が大師流(お大師さまの書体)で揮毫した像標も彫りあがり、次回の作業で台座正面に埋め込みます(写真)。あさか大師が開創三年目でこのような勝縁をいただきましたことは、大変にありがたいことです。ご寄進を賜りました皆様には深く感謝をいたし、厚く御礼を申し上げます。
なお、遍路大師像の開眼法要は12月19日(第三日曜日)午前11時半の金運宝珠護摩終了後にに挙行いたします。来年の初詣には、大勢の方々にお参りをしていただきたいと願っております。
私の本棚
令和3年11月12日
あさか大師は四十五坪ほどの平屋建てですが、その内の四分の三が寺の施設、残りが庫裡というか、つまり住職である私の居住スペースです。とはいっても、八畳ほどの寝室を除けば、ほかは壁一面の本棚で埋め尽くされ、そこがお弟子さん方の更衣室を兼ねた食堂となります(もちろん、キッチンや浴室もありますが)。
そうなると、並べられた(あるいは積み上げられた)本がどうしても目に尽きます。そして、小さな図書館ほどもある蔵書に、たいていは驚きます。入って来たお弟子さん方は、ジロジロと本のタイトルを見つめ、遠慮する気配すらありません。中には、勝手に何冊かを取り出してメモを取る方まで現われました。
ここで、このブログを読んでくださる皆様に申し上げますが、私にとって本は自分自身にも等しく、これらの中には所持品を売ったり、借金を重ねてでも購入したものすらあるのです。私はスーツの一着すら所有せず、高級車に乗るでもなく、海外旅行に行くでもなく、収入のほとんどを本のために費やして来ました。もうお分かりと思いますが、断りもなくのぞき見されたり、勝手に触れられることは、いくらお人好しの私でも決していい気持ちにはなれません。
そこで、奉書用紙に達筆な(!)字で、「本に手を触れてはなりません」と書いておきました。しかし、それでも目にすることは勝手ですので、相変わらずのぞき見ばかりは止まりません。やむを得ず、薄手のカーテンを設置してシャットアウトに転じました。私は本に囲まれて食事をするのが好きなので、とても残念です。
かつて、寺山修司は「僕はその人よりも、その人が読んでいる本に興味があるんです」と語りました。まったくの同感で、私もお弟子さん方と逆の立場なら、案外同じことをしたかも知れません(笑)。その人がどんな本を読んでいるかは、その人に対する大きな目安になることは確かだと思います。この頃は大学や大学院を出ていても、ほとんど本をもたない方が多いのには驚きます。必要な情報をネットや電子書籍で済ませるにしても、また生活空間が狭いにしても、紙のページをめくる醍醐味を知らない人は、私とは価値観が違うのだと考えるほかはないのでしょうか。
どんな食生活をして来たかで、その人の健康が決まりますが、どんな本を読んで来たかで、その人の質が決まるのです。質とは教養であり、考え方であり、生き方そのものでもあります。もちろん、本を読んだらといって、人生がわかるとは思いません。しかし、本を読まなれば、なおさらわからないと私は思っています。
三年目の浮気
令和3年11月10日
昭和の終わりごろに、『三年目の浮気』というおもしろいデュエット曲が流行りました。まず、男側がこういう歌詞で歌い出します。
「馬鹿いってんじゃないよ お前と俺は
ケンカもしたけどひとつ屋根の下 暮らして来たんだぜ
馬鹿いってんじゃないよ お前のことだけは
一日たりとも忘れたことなど なかったぜ」
だから、この男にしてみれば、「三年目の浮気ぐらい 大目に見ろよ」と言いたいのでしょう。熱愛した二人も、三年もたつと冷めて来るのでしょうか。
しかし、この〝三年目〟という言葉には、きわめて重要な人生のキーワードがあるように私は思います。なぜなら、何をしても三年もたつと、気ごころが変わるのは人の常であるからです。
たとえば、お花やお茶を習っていても、三年近くになると、このまま続けるかどうか迷う人が多いことをご存知でしょうか。それは月謝への負担や、先生への不満といった理由があるかも知れませんが、たいていは対人関係の悩みです。続けたい気持ちはあっても、あの人に気遣うのはイヤだといった感情が先行するからです。
ここが一つの山なのです。ここをガマンして続けると、また一つ大きな成長があるからです。「石の上にも三年」「茨の道も三年」と言うではありませんか。また、僧侶の修行にも、千日回峰や千座法などいった言葉があります。千日はつまり〔1000÷365=2.73・・・〕で、ほぼ三年です。
何をするにも、三年目の変化に気をつけましょう。そして、やめたいと思った時にそれを乗り越えて五年もすれば、必ず成果が生まれます。さらに、六年・七年でまた壁に突き当たります。また迷いながらも進めば乗り越えますが、また壁に突き当たります。この繰り返しを十年も続ければ、〝先生〟として教えることができます。そして、ついに、これを三十年も続けられるなら、その道の極意に達することも夢ではありません。
まずは三年目の山を乗り越えましょう。修行も仕事も、学問も芸事も、そして男女の仲も同じです。人間がすることに、さほどの違いはありません。みんな、同じです。「三年目の〇〇」ですよ、皆様。
月初めの総回向
令和3年11月7日
昨日と今日は月初めの総回向を修しました。導師を勤める私はもちろん、僧侶の方もご信徒の方も、そして、そのお子さんやお孫さんまでがそろって読経するのがあさか大師の特徴です(写真)。コロナ禍が続いて、長らくお会いしていない方もいらっしゃいますが、こうしてお集まりいただけることは、何よりもうれししいことです。
法要後は、早くも来年の暦のお話をしました。来年は五黄中宮の年です。五黄は九星の中でも最強のエネルギーを持ち、特別な性質があります。五黄殺などといって悪い印象を与えますが、このことは五黄の方が「悪い」という意味ではないので、決して誤解をしてはなりません。
五黄の方はいわゆる帝王の星で、人望を集める盛大な運勢を持っています。また、慈悲深く義侠心があり、人のために身を粉にして働く方も多いはずです。ただ、自尊心が強く、気むずかしい短所が出過ぎると「位負け」をすることも事実です。自分を過信せず、高慢に走らぬことが人生の課題でしょう。
また、五黄の年はその最強のエネルギーにより、地震や戦争の多いことにも事実です。宝永四年(元禄時代)の富士山爆発による大地震、大正十二年の関東大震災、昭和四十三年の十勝沖地震はいずれも五黄の年でした。また、大正三年の第一次世界大戦勃発、昭和七年の上海事変や五・十五事件、昭和十六年の太平洋戦争勃発、昭和二十五年の朝鮮戦争もすべて五黄の年でした。
いたずらに恐れる必要はありません。何ごとも〈無常〉であることは永遠の真理です。変わらぬものは何もありませんが、逆に変えることができることも忘れてはならない真理です。新年からしっかりとご祈願をしてご加護を仰ぎましょう。