続続・今なぜ二宮尊徳か

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令和2年7月13日

 

二宮尊徳の言葉を続けましょう。

「富と貧とは、遠く隔たったものではない。ほんの少しの隔たりであって、それはただ一つの心がけである。貧者は昨日のために今日をつとめ、昨年のために今年をつとめる。それゆえ、苦しみは絶えることがない。富者は明日のために今日をつとめ、来年のために今年をつとめる。だから、思うことがよく叶うのである」

貧富の差は、ほんの少しの心がけだと言っています。勤勉な人は未来に向かって働き、勤勉を怠る人は過去の埋め合わせのために働くという意味でしょう。その埋め合わせのために借金をすれば、またそれを埋め合わせるために借金をせねばなりません。これが現代の借金地獄です。欲しいものがあるからすぐにローンを使うのではなく、働いて賃金を得て、その後に本当に必要かどうかを考えるのが経済の基本です。

「人はみな、財貨は富者のところに集まると思っているが、そうではない。節倹せっけんで勤勉なところに集まるのである。百円の収入を八十円、七十円で暮らせば、財が集まり富がやって来る。百円の収入を百二十円、百三十円で暮らせば、財が去り貧がやって来る」

きびしいことを言っていますが、当然のことです。節倹せっけん(倹約)など流行はやらぬ時代と思うかも知れませんが、この油断が貧の原因、貧の原因が不幸の原因です。尊徳は貧しさが人を卑屈ひくつにし、怠惰たいだにし、絶望させることを誰よりも知っていました。その七十年の生涯は、貧困からの脱出をいかにして実現するかの一点でした。

「衰えた村を復興させるには、篤実精励とくじつせいれいな良民を選んで大いにこれを表彰し、一村の模範とし、それによって放逸無頼ほういつぶらいの貧民がついに化して良民となるように導くことである」

これが人を導くにあたっての、尊徳の方法でした。正直で善良な人をまずめ、表彰して村の模範としました。怠惰たいだな貧民は離散するにまかせ、やがて改心する日をじっと待つのでした。成果が上がれば、人は必ず帰って来ます。その時こそ賃金を与え、衣服を与え、家を与え、支援を惜しみませんでした。

「富める者は必ずといってよいほど、前の前から徳を積んでいる。今日を安楽に暮らせるのは、父母や祖父母が勤勉にして徳を積み、よく働いたからである。それを考えれば子孫のため、今日の精進が何よりも大切である」

積善の家には、必ず余慶よけい(よいこと)があるのです。だから、幸運も福徳も先祖のおかげと思い、その法恩を忘れてはなりません。そして、私たちの生き方が子や孫に継がれることも忘れてはなりません。徳を積むことが富への道であることを教えない教育の荒廃こうはいを、尊徳は予言していたのでしょうか。

山路天酬密教私塾

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