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さらに、トイレのこと

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令和元年11月26日

 

さらに、トイレのことです。

日本中のトイレには何十年もの間、「トイレを汚さないでください」というり紙がありました。ところが、平成に入った頃でしたでしょうか、「いつもトイレをきれいに使っていただき、ありがとうございます」に変わりました。気づかいをしてもらったうえ、サービスを受けた気分です。私は初めてこの貼り紙(シール)を見た時、どれほどにほめても、ほめ過ぎではないなと思いました。そして、「革命がおこるな」とつぶやきました。

事実、コンビニもスーパーも、駅も公園もこのアイデアを取り入れ、日本中のトイレが変わりました。コピーライターが用いる感謝法や共感法です。要するに、人は「汚さないでください」と命令されるより、「ありがとうございます」と感謝された方が気持がいいに決まっています。そして、きれいに使うことを互いに共感できるのです。「芝生しばふに入らないでください」なら命令ですが、「芝生に入ると農薬の臭いがつきます」なら誰もが共感するのと同じです。

公衆のトイレはそれまで、きたない場所の筆頭でした。それでも、だいぶ変わりました。駅や公園のトイレも、以前に比べればきれいになったと思います。日本人は清潔で、親切で、勤勉なはずです。残る課題は〝ゴミ捨て〟でしょう。いつも思うのですが、いい街というのは、ゴミやトイレに対する配慮がどこまで行き届いているかなのです。立派な公共施設があっても、ゴミが散乱し、トイレがきたなければ、人は寄りつきません。

トイレは生活するうえで、なくてはならないものです。お風呂には入らなくても、トイレばかりはどうしても必要です。私は毎朝、トイレの神さまにお香をそなえ、ご真言をお唱えしています。

「前略」はやめましょう

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令和元年11月12日

 

私はかなり手紙をいただきますし、自分でもマメに書くほうです。何もかもメールで済ませる方がいますが、重要な要件はやはり手紙でこそ誠意が伝わるものです。

手紙は慣れればもなく書けますが、現代人の多くは不得手ふえてなようです。しかし、手紙には差出人の教養が赤裸々せきららに出ることは覚悟せねばなりません。特に公用文に誤りがあれば、役所や会社の信用まで落としてしまいます。

手紙の関して、気になることを一つだけお話しましょう。

それは、受取人が誰であれ、「前略」で書き出す方があまりにも多いということです。時候や冒頭の挨拶が面倒めんどうなのはわかりますが、目上や未知の人に対して「前略」は失礼です。つまり、社長室にノックもしないで入るようなもので、常識を知らないと判断されてしまします。「前略」はあくまで、親しい者どうしと自戒じかいし、一般的な「拝啓」と「敬具」を礼儀と心得ましょう。

『手紙の書き方』等の本がなくとも、今はネットで検索すれば、月ごとの時候の挨拶が出ています。それすら面倒な方は、「拝啓 時下じかご清栄のこととお慶び申し上げます」などと書き出せば充分です。

お大師さまは手紙の達人でいらっしゃいました。常に相手の健康や生活を気づかい、細かい配慮をなさっておられました。いや、偉人とされる方は、みな同じです。たとえ豪放磊落ごうほうらいらくに見えても、細心誠意を重ねるものです。

ちなみに私は、手紙はほとんどパソコンで書き、相手の名前はポイントを上げて大きく入れます。ただし、文末の署名と封筒の宛名は毛筆で揮毫きごうしています。すべてパソコンというのも、味気なさはいなめません。

メールの時代だからこそ、手紙はうれしいものです。万年筆なども、人気が高まっていると聞きました。ぜひ、手紙の書き方に慣れていただきたいものです。お人柄が伝わりますよ。

スマホの狂宴

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令和元年9月13日

 

今や、スマホはなくてはならない生活の必需品です。私はきわめて基本的な操作しかできませんが、もちろん愛用しています。車を運転中でも、電話に出ねばならないことが多いからです。しかし、常に心がけていることは、スマホを使っても使われないということでしょうか。

電車に乗れば、ほとんどの乗客がスマホを操作そうさしています。混雑で人にぶつかっても、歩きながらスマホを操作しています。自転車に乗った高校生が、平気でスマホの操作をしています。喫茶店やレストランでは、入りながらスマホ、料理が運ばれてもスマホ、トイレに立ってもスマホです。ラーメンを食べながら、牛丼を食べながら、回転ずしを食べながら、ここでもスマホです。

先日、待ち合わせで近くの駅に行きましたら、ある女子大生の方たちがスクールバスを待つ列を作っていました。30人近くでしたが、教科書や文庫本など読む姿など一人としてありません。全員が全員、すべてスマホです。おそらく、家族との食事中でもスマホなのでしょう。かつては、テレビが家族の会話を奪いましたが、現代はさらにスマホが拍車はくしゃをかけています。

眼科の医院に行けばわかりますが、大人も子供も視力障害で大にぎわいです。それでも、待合室ではスマホを手放しませんん。親が注意すればいいのにと思えば、その親もまたスマホに夢中です。

笑われるかもしれませんが、これはどれほど寛大かんだいに見ても、明らかに異常です。依存症としかいいようがありません。私はこれを「スマホの狂宴きょうえん」と名づけ、こういう〝宴会えんかい〟ばかりは遠慮えんりょしようと心がけています。スマホを上手に使って使われぬための、そういう名案はないのでしょうか。

続・パーキンソンの法則

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令和元年9月2日

 

若い頃、住んでいた所の近くに、とても繁昌してるうどん屋さんがありました。

特に昼時になると、10メートルほどの行列ができるのです。ただ、店構えはプレハブ作りで、とても古いものでした。私はそこを通りがかっただけで、一度もそのお店に入ったことはありません。でも、そのうち新装開店になるのだろうと思っていました。そして予想どおり、やがて立派なお店が新築されました。常連のお客さんも喜んだはずです。

もちろん、始めは以前のように行列もできました。ところが、しだいに「おや?」と思うほど客数が減っていきました。行列も見られなくなっていったのです。そして、とうとうそのお店は解体され、まったく別の建物にと変わりました。

私は、このような例をほかにも知っています。食べ物屋さんの店構えが変わると、シェフが変って味も変わるのでしょうか。それとも返済のため、経費節減で素材まで落としたのでしょうか。

実はここにも、「組織の膨張ぼうちょう衰退すいたいをもたらす」というパーキンソンの法則があるのです。彼は企業が建物の新築を計画すると、そこから崩壊ほうかいきざしが見えることを発見しました。なぜなら、発展に向かっている間は仕事への情熱が先で、店構えや本社ビルなど眼中にありません。ところが、多いに利益を得て建物が変わると、慢心まんしんがおこるのです。ここまでになったという安堵感あんどかんが慢心を呼び、経営を悪化させることが多いのです。さらに、新築による経費は予想以上に増大します。あのうどん屋さんのみならず、バブル期の新築が崩壊を招いた例はキリがありません。

もちろん、逆に急成長を遂げる例はありましょう。しかし、この法則にも自戒すべき要素は多いはずです。貧しくとも情熱に燃えていると、それが仕事にも現れます。まさに、「貧しき者は幸いなり」なのです。私にも身に覚えがあることです。

パーキンソンの法則

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令和元年9月1日

 

何となく気づいたことなのですが、収入と支出はそれぞれに比例するようです。つまり、収入の多いお金持ちは豊かな暮らしをしていますが、それだけ経費がかかります。収入の少ない貧しい人は生活は苦しいけれども、あまり経費をかけずにそれなりに生きているということなのです。

たとえば、お金持ちは食事をすれば高級レストランに入り、旅行に出れば高級ホテルに宿泊します。広い住宅に住み、立派なドイツ車に乗り、ブランド品の衣服を着用し、子供には英才教育をしますから、万事に費用がかかり、税金も大変です。貧しい人はそんなことは無理とあきらめ、どうにか生活ができればよいのです。冷凍食品やコンビニのお弁当でも我慢ができますし、バーゲンやリサイクルを利用して何とか工面します。そして、時おり家族で〈回転ずし〉にでも足を運べば、充分に満足します。収入は少ないけれども支出も少なく、税金も少額です。

この事実には「支出額は収入に見合うまで増加する」というパーキンソンの法則があることを、最近になって知りました。つまり、お金は入れば入るほど出るという意味です。収入が増えれば支出も増える法則は、未来永劫みらいえいごう変わらないとまで喝破かっぱしています。大いに自戒せねばなりません。

中国の『礼記らいき』に、「るをはかりてずるをせいす」という言葉があります。パーキンソンの法則から私たちが学ぶべきは、このことでしょう。つまり、本当に必要なもの以外は、買わないことです。それでなくても、私たちの身辺にはローンを始めとして、多くの情報に誘惑されるはずです。テレビのショップ番組や、ネット販売の衝動しょうどうを制するのも容易ではないはずです。衝動を制す前に、まずは自分を制さねばなりません。自分を制すれば、ずるを制するのです。

正しい秤(はかり)

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令和元年7月23日

 

韓国歴史ドラマの名作に『商道(サンド)』があり、放送中は大変な人気だったそうです。日本でもDVDが出ており、長いストーリーでしたが、私もレンタルで見ました。

主人公のイム・サンオクは転落と逆境の人生をたどりますが、やがて商才に目覚め、ついには朝鮮一の大商人となるというのが、このドラマのあらすじです。ドラマの中で私が注目したのは、主人公が語る「財物は平等な水のごとし。人は正しいはかりのごとし」という台詞せりふでした。平等な水とは、五合ごごうの器にいれれば五合が、一升いっしょうの器に入れれば一升が、誰が計っても平等であるというほどの意味でしょうか。そして正しい秤とは、人は与えたに等しい分だけ与えられるという意味ではないかと思います。私は特に、この「正しい秤のごとし」という言い方が気に入り、急いでメモを取った記憶があります

つまり、人はこの世に何をどのくらい提供したかによって、相応の収入を得ているということなのです。そう言うと、「そんなことはない」という、反論が聞こえそうです。世の中には悪事や謀略ぼうりゃくを重ねて大儲おおもうけをしている人がいることは事実です。しかし、そんな人はやがて国税局の捜査が入ったり、検察庁より手が回って刑務所に入ることになります。築きあげた財産も名誉も、アッという間に失います。一生をトータルすれば、結局は平等な秤です。

よくお話するのですが、人がお金に関して最も間違いやすい過ちは、相手がそんをすれば自分がもうかるという思い込みでしょう。これは要するに、平等な秤がわかっていない典型的な考えです。相手が喜ぶことを提供しなければ、自分が喜びを得ることはないのです。

また、これもよくお話するのですが、一億円を稼ぎ出せる人とは、一億円に値する何かを世の中に提供できる人なのです。だから、ギャンブルや宝くじのような偶然の産物で手に入れた財は、いずれあわのように消え去ります。その財が残ることは絶対にあり得ません。一代で巨万の富を築いた人の伝記でも読めば、こんなことは誰にでもわかります。彼らは昼となく夜となく、人の何倍も何十倍も働き、世の人々を喜ばせる何かを提供したのです。

私たちはそうはいきませんので、まずはマジメに働くことが一番だと知りましょう。仕事が終わって、焼き鳥屋でグチを言うぐらいは許されましょうから、ね。

砥石のおかげ

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令和元年6月15日

 

台所の隅に電動の包丁ぎ機をおいて、マメに包丁を研いでいます。包丁の切れ味が悪いと、料理の意欲も薄れるからです。板前さんなら、なおさらのこと。毎日、砥石といしで包丁を研いで手入れをしているはずですし、昔は床屋さんもそうでした。農家の方なら毎日、鎌を研ぎました。

だから、刃物が切れるのは砥石のおかげだということを忘れるべきではありません。砥石はもちろん、まったくの下役したやくえんの下の役で、表に出ることはありません。日本刀の美しさや包丁の切れ味が称賛されても、砥石が讃えられることはありません。しかし、日本刀も包丁も砥石がなければどうすることもできません。砥石は誰にも注目されず、その産地すら知られていません。これはいったい、どうしたことでしょうか。

実は京都の亀岡に〈たくみビレッジ天然砥石館〉があり、丹波青砥たんばあおと等の名品が展示されています。京都は木造建築や和食文化が永く継承され、それらの道具を研ぐために、すぐれた砥石が集められたのです。観光名所もけっこうですが、こういうところが京都ならではなのです。

私たちの社会は、多くの裏方によって支えられています。自分が裏方になったり、逆に裏方に助けられて仕事をしています。いずれも必要なものです。刃物を扱う方々は、無事に仕事ができるのは、すべてこれ砥石のおかげだということを肝に銘じましょう。

真の勝利

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令和元年6月4日

 

三度〈事〉をなして、三度とも成功するのは危険です。自信過剰から増上慢ぞうじょうまんになり、怖いもの知らずになり、いずれは暴走して自爆じばくするからです。

この世は競争の社会ともいえましょう。競争に勝ち負けはつきものです。そして、やたらと強運な人がいることも事実です。しかし、強運がいつまでも続くことはありません、反対に衰運がいつまでも続くこともないのです。

かつて、ヤクルト・スワローズの監督として、またプロ野球解説者として活躍した関根潤三さんに『一勝二敗の勝者論』という本があり、私は大変に感銘を受けました。いったい、一勝二敗がどうして勝者になれるのか、皆様はおわかりになりますでしょうか。

当然ながら、一勝二敗では負け越しです。一勝二敗がいつまでも続けば、勝者にはなれません。しかし、関根さんが言うのは、そうではない。その先なのです。

その一勝二敗にくじけず、とにかく一勝する努力を続ければ、いつかは必ず二勝一敗に持ち越せるというのです。もしかしたら、三勝することだってあるかも知れない。そうなれば、態勢が変わり、勝者への道が開かれるのです。大切なことは、くじけずに一勝すること。そして、時に二勝し、まれに三勝して逆転勝利をめざすことだというのです。まさに目からウロコ、私は今でもこの本を大事に保存しています。

たしかに三勝ばかりをめざすと、一敗しただけでも士気が落ち込み、ヤケをおこすのです。勝ちたい気持ちだけでは、長いペナントレースには勝ち残れません。

もう一度お話しますが、三度〈事〉をなして、三度とも成功したなら、「危ない! 危ない!」と思いましょう。ほどほどに勝つこと、負けながら勝つこと、これが真の勝利というものです。ああ、今日もいいお話をしました。

天・地・人

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令和元年5月29日

 

何ごとにも、〈天の時と地の利と人の和〉が大切であるとされています。これを〈三才さんさい〉といい、この三才が整わなければ、物ごとは成し得ないといわれています。

天の時とはいつことを起こすか、その時期をいいます。地の利とはどこでことを起こすか、その場所をいいます。人の和とは誰とことを起こすか、その結束をいいます。ところが、さらに次の言葉が肝心なところです。すなわち、「天の時は地の利にしかず、地の利は人の和にしかず」というのです。

つまり、どんなに天の時を得ていても地の利には及ばず、地の利を得ていても人の和には及ばないと教えいます。大切なことはあくまで人であって、人の和がなければ何ごとも成し得ないということなのでしょう。

考えてみれば、物ごとがうまくいかなかった時は、すべて人の和がくずれた時であったはずです。世の中は人の集まりです。大切なのは、あくまでも人なのです。政治も経営も、会社も家庭も、すべては人の和で決まるということです。頭の痛いお話ですが、私も肝に銘じますよ。

インスタントラーメン

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令和元年5月25日

 

ごく、まれにですが、インスタントラーメンを食べることがあります。

ちょっと気づいたのですが、一時のような高級品がなくなったように思います。『中華三昧』はスーパーにはありますが、コンビニにはありません。かつて『揚夫人(マダムヤン)』という高級品が流行し、美しい台湾女優さんの「マダムヤンは私のラーメンです」というテレビCMが一世を風靡ふうびしました。商品よりも、画面に映る妖艶ようえんなこの夫人を、日本中の男たちが口を開けて見ていたものです(笑)。昭和50年代でしたが、ネットの動画で見ることができますので、なつかしい方はぜひご覧ください。

同じころ、『華味餐庁(カミサンチン)』が発売されました。こちらの女優さんの「お客さまに出せるラーメンです」を覚えていますでしょうか。また、生タイプのものも発売され、インスタントラーメンはまさに苛烈かれつな競争となりました。
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