正しい秤(はかり)

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社会

令和元年7月23日

 

韓国歴史ドラマの名作に『商道(サンド)』があり、放送中は大変な人気だったそうです。日本でもDVDが出ており、長いストーリーでしたが、私もレンタルで見ました。

主人公のイム・サンオクは転落と逆境の人生をたどりますが、やがて商才に目覚め、ついには朝鮮一の大商人となるというのが、このドラマのあらすじです。ドラマの中で私が注目したのは、主人公が語る「財物は平等な水のごとし。人は正しいはかりのごとし」という台詞せりふでした。平等な水とは、五合ごごうの器にいれれば五合が、一升いっしょうの器に入れれば一升が、誰が計っても平等であるというほどの意味でしょうか。そして正しい秤とは、人は与えたに等しい分だけ与えられるという意味ではないかと思います。私は特に、この「正しい秤のごとし」という言い方が気に入り、急いでメモを取った記憶があります

つまり、人はこの世に何をどのくらい提供したかによって、相応の収入を得ているということなのです。そう言うと、「そんなことはない」という、反論が聞こえそうです。世の中には悪事や謀略ぼうりゃくを重ねて大儲おおもうけをしている人がいることは事実です。しかし、そんな人はやがて国税局の捜査が入ったり、検察庁より手が回って刑務所に入ることになります。築きあげた財産も名誉も、アッという間に失います。一生をトータルすれば、結局は平等な秤です。

よくお話するのですが、人がお金に関して最も間違いやすい過ちは、相手がそんをすれば自分がもうかるという思い込みでしょう。これは要するに、平等な秤がわかっていない典型的な考えです。相手が喜ぶことを提供しなければ、自分が喜びを得ることはないのです。

また、これもよくお話するのですが、一億円を稼ぎ出せる人とは、一億円に値する何かを世の中に提供できる人なのです。だから、ギャンブルや宝くじのような偶然の産物で手に入れた財は、いずれあわのように消え去ります。その財が残ることは絶対にあり得ません。一代で巨万の富を築いた人の伝記でも読めば、こんなことは誰にでもわかります。彼らは昼となく夜となく、人の何倍も何十倍も働き、世の人々を喜ばせる何かを提供したのです。

私たちはそうはいきませんので、まずはマジメに働くことが一番だと知りましょう。仕事が終わって、焼き鳥屋でグチを言うぐらいは許されましょうから、ね。

山路天酬密教私塾

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