木蓮の花
令和4年3月19日
今月は18日から春彼岸に入り、木蓮の花が咲き誇っています。木蓮には紫木蓮と白木蓮がありますが、今日は行きつけのコンビニの前でみごとな白木蓮を見つけました(写真)。
日本は遠い先祖を神棚に、近い先祖を仏壇に祀り、神さまと仏さまが共存する国です。そして、神さまを父となし、仏さまを母となして2681年の世界一古い国家(ギネス認定)として存続して来ました。
私が特に、日本は仏さまに守られた国だと思う理由の一つは、春秋の彼岸にも、お盆にもそれぞれに特有の花が咲くことです。春彼岸には木蓮が、夏のお盆には蓮の花が、そして秋彼岸には曼珠沙華(彼岸花)と、その度に仏さまを讃える花が美しく咲くではありませんか。
これらの花につつまれて、日本人は先祖を尊び、墓参をします。しかも、誰に頼まれずとも、これらの花がおのずから咲くのです。私はこのことを思うだけでも、日本は何とすばらしい国なのかと感動すら覚えます。皆様も町かどで木蓮を見たならば、「仏さまの花」と讃えてください。
ついでながら、あさか大師の桜も、いよいよ開花を迎えるばかりとなりました。蕾はふっくらとふくらみ、明日にも開花の様相です(写真)。明日は午前11時半よりお大師さまの正御影供(金運護摩合修)、午後1時からは春彼岸会(お土砂授与)を奉修します。お大師様にもご先祖にも、木蓮と共にお供えになりましょう。
また、4月2日(土)に〈桜まつり〉を予定していますが、散らずに残ってくれることを祈っています。皆様、お楽しみに。そして、ぜひお越しになってください。
匂ひ起こせよ梅の花
令和4年3月13日
暖かい風を感じるようになりました。まさに、柔らかい〈東風〉の趣きです。そして、道真公(天神様)の歌が偲ばれ、梅が満開となりました。すなわち、
東風(こち)吹かば 匂(にお)ひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春を忘るな
都(京都)から大宰府に流される折の作とされています。「東風が吹いたら大宰府まで匂いを届けておくれ、あるじ(私)がいないからといって、春を忘れてはなりませんよ」という意味です。
道真公は梅が好きだったので、天神社には必ず植えられています。特に紅梅を愛でて、自分の住居を〈紅梅殿〉まで称しました。現代は花見といえば桜ですが、平安時代までは梅だったのです。清少納言の『枕草子』にも、「木の花は濃きも薄きも紅梅」とあるのはそのためかも知れません。
あさか大師の近辺でも、今が梅の満開です。今朝ほどの散策で、農家のみごとな紅梅を見つけました(写真)。まさに、匂いおこせよの真っただ中です。
もちろん、白梅もまた違った趣きがあります。こちらもまた見事というほかはありません(写真)。ともども、心地よい匂いにつつまれ、一日が豊かになりました。
あさか大師には隣りに桜並木がありますが、いずれは私も梅を植えたいと思っています。紅梅、白梅、いずれも、私がいなくなっても匂いをおこしてくれますように。
中秋名月
令和3年9月21日
今夜は中秋名月で、しかもお大師さまご縁日という特別な日です。つまり、旧暦8月15日の夜に当たり、これを「十五夜」と呼ぶわけです。昨夜は一点の雲もない〈待宵の月〉でしたが、今夜は雲が多く、多分に隠れるかも知れません。ご縁日のお護摩を修してより、何となく落ち着かず、空模様を気にしていました。実は今夜の雲を予測して、明け方近くに写真を撮っておいたのです。ほとんど満月ですが、わずかな欠けを感じるかも知れません(写真)。
せっかくですので、日本人なら知っておきたい〈月待ち言葉〉をお伝えしましょう。
先にお話しましたが、十五夜の前日、つまり14日の夜を「待宵」と言います。文字どおり15日の夜を待つ宵ですが、十五夜に雨が降りそうなら、晴れたこの日のうちにお月見をしておこうという意味も含まれています。ついでですが、竹久夢二作詞、多 忠亮作曲の抒情歌『宵待草』は夢二の造語で、正しくは「マツヨイグサ」と呼びます。しかし、恋人を待つ心境としては、「ヨイマチグサ」の方が詩情に合っているのでしょう。詩人はこうして、自分の造語を生み出すのです。
また、16日の夜を「十六夜」、17日の夜を「立待」18日の夜を「居待」と言います。もう、このへんになると、満月からは欠けますが、満月の名残を楽しむ余韻が日本人らしいところです。そして、「十三夜」も忘れてはなりません。旧暦9月13日の夜で、十五夜に並ぶ名月の美しさを楽しめます。十五夜は中国から伝わりましたが、十三夜は日本独特の〈未完の美意識〉を象徴しています。今年は10月18日なので、忘れずにいてください。
毎月1日を「ついたち」と呼ぶのは、次の月が始まる、つまり「月が立つ(始まる)」の意味からです。また30日を「つごもり」と呼ぶのは、「月隠もり(かくれる)」から転じた言葉です。
これらは、お大師さまがご在世の平安時代から使われてきました。お大師さまと親交の深かった嵯峨天皇さまは月見を好まれましたから、お二人で名月を楽しんだに違いありません。
彼岸花が咲く
令和3年9月17日
あさか大師の近辺でも彼岸花が咲き始めました(写真)。曼珠沙華という別称もありますが、かつては「お墓の花」「死人の花」として嫌われ、生け花として用いられることはありませんでした。まして茶室においては、今でも代表的な禁花となっています。
ところが、最近では事情が一変しました。全国の群生地には人が集まり、カメラマンの姿が絶えません。特に本県日高市には〈巾着田曼珠沙華公園〉があり、 約500万本がいっせいに花開きます。私も一度だけうかがいましたが、駐車場に入るだけでも2時間を要しました。公園を囲む高麗川の蛇行が〈きんちゃく〉に似ていることから、「巾着田」と呼ばれるようになったそうです。その高麗川が増水した折、漂流物に混じった球根が根付いたのでしょう。多くの方の関心を呼ぶようになりました。一面に赤ジュータンを引き詰めたような景観は圧巻としか言いようがありません。
私の郷里(栃木県芳賀郡)では近年まで土葬(火葬せずに柩のまま埋葬する葬法)の風習が残り、彼岸花はおなじみのものでした。土葬した盛土の上には堅い球根を乗せ、その球根が持つアルカロイドの毒性によってモグラや野ネズミから遺体を守ったのです。もちろん、田んぼのあぜ道や土手に植えるのは、土くずれを防ぐためです。また、その毒性さえ除けば、飢饉の折の救荒食として人命を救って来ました。すり込んで水にさらせば、毒が抜けるし、湿布薬や尿毒薬ともなったのです。
今日では白色・桃色・紫色と言った多彩さがありますが、私は昔ながらの赤色を好んでいます。多くの詩歌や小説に登場しますが、まずは俳人・山口誓子の「突き抜けて天上の紺曼珠沙華」が浮かびます。天上の青空(紺色)と真っ赤な曼珠沙華を対比させた名句です。すばらしいでしょう。
日本は春彼岸に木蓮、お盆には蓮、秋彼岸にはこの曼珠沙華(彼岸花)と、仏縁の花が咲く国です。遠い先祖を神棚に、近い先祖を仏壇に、神を父とし、仏を母としながら、皇室が一度も滅びなかった世界一古い国家です(ギネス登録)。世界一の日本に生れたことを喜び、世界一の日本を讃えましょう。
花と満月
令和3年2月27日
今日はご信徒の方より、紅梅・馬酔木・山茱萸・藪椿・水仙いった春のお花をいただきました。さっそく寺の中に挿して(私は生け花の技術はありませんので、ただ挿すだけです)楽しみました。普通の花屋さんには売っていない花ばかりで、まさに〝日本の花〟です(写真は馬酔木)。
また今宵は満月で、しかも雲一つない好天気です。あさか大師の境内からは360°の視界が開けていますので、もはや何も言うことがありません。最高です。先ほど、寒い中で襟をたて、30分ほど眺めていました(写真)。
どなたであったか、春は「魔法使い」と表現しました。うららかな日が射したかと思うと、突然に雨を伴った東風が吹きます。道真公(天神さま)は大宰府に流される前に「東風吹かば匂いおこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな」と一首を残し、大宰府まで匂いを届けてほしいと願っています。また、ぬくもりに満ちた光が、樹の枝や土の中から新芽をのぞかせていきます。寒い冬から立ち上がるには、こんな魔法が必要なのでしょう。
幸せな一日でした。まだまだ、夜明け前まで満月が楽しめます。このブログをご覧になった方は、ぜひ。
スキマの植物たち
令和2年7月17日
青森市のご信徒から、「ど根性朝顔」という写真付きのメールが届きました。何が〝ど根性〟なのかといいますと、ブロック塀の下から芽を出した朝顔に麻ひもを付けておいたところ、みごとに花を咲かせたからです(写真)。あまりのうれしさにスマホで写真を撮り、私にを送ってくださったのでした。
そこで思い出したのですが、植物学者の塚谷裕一氏が平成二十六年に『スキマの植物図鑑』、平成二十七年に『スキマ植物の世界』(いずれも中公新書)という本を刊行し、私は大変な感動をもって愛読しました。たしか、『読売新聞』の人気コラム「編集手帳」にも紹介されたような記憶があります。
街を歩けば、ブロック塀のすき間、アスファルトの割れ目、石垣の穴、電柱の根本などからいろいろな植物が芽を出し、立派に花を咲かせています。それらは花店で売られているように栽培されたものではありませんが、逆に素朴な味わいと発見の喜びを存分に与えてくれます。「おや、こんなところに」という意外な出会いは、雑多な人生において、豊かな潤いを感じるに違いありません。
著者は次のように主張しています。「大都会の真ん中にあっても、そこには豊穣な緑の世界が広がっているはずである。埃っぽくて騒がしい環境の中で、一見過酷に見えるそうしたスキマは、植物にとって幸せな楽園であるのが見えてくるだろう」と。そして小学生の時、動物のようにすばやくは動かないし、力もありそうに見えない植物がじわじわと成長し、アスファルトすらも割ってしまう事実に興味を持ったとも回想しています。
そういえば、兵庫県でアスファルトのすき間からダイコンが生え、大きく成長し、これを「ど根性ダイコン」と名づけたニュースがあったことを思い出します。以来、日本各地の〝すき間〟から「ど根性〇〇〇〇」が発見され、大新聞までが紙面に載せるほどのブームとなりました。
もちろん、「スキマの植物たち」の魅力はブームによって高まったわけではありません。春のタンポポやスミレ、夏のカタバミやニチニチソウ、秋のススキやエノコログサ、冬のツワブキやナンテン、そのほか多種多様な植物が街の片隅でたくましく育っています。そして通勤通学の途中、散策の合い間に、おりおりに小さな魅力を発揮しています。
そして、こうした「スキマの植物たち」に目を向け、その美しさを感じ取れる人は、他人に対しても細やかな配慮ができるに違いありません。目立たぬ努力を認め、目立たぬ能力を発見する感性を持ち得るに違いありません。人生は目立たぬところにこそ、大切なものがあるからです。
始めは処女のごとく
令和元年10月14日
今日は一日中、台風被害の片づけに終わりました。
暴風には備えましたが、とにかく記録的な豪雨となり、本堂が水浸しになりました。周辺の畑も田も一面が湖のようでした。午後10時頃、私が気づいた時は床下浸水は1センチ程度でしたが、わずか15分ほどで、20センチの浸水となりました。しかも、停電のために真っ暗闇です。こんな台風はめったにもないでしょうが、それにしても驚くばかりでした。
まずは御札や御守、印刷物を守らねばなりません。蝋燭ばかりはたくさんありますので、堂内を灯して深夜の大仕事となりました。テーブルやイスの上に運びましたが、かなりの被害を受けました。四分の一ほどが使い物になりません。皆様から電話やメールでご心配をいただき、昨日のブログで「変化に対応する能力」の大切さを説きながら、情けないお話です。。
子供の頃、川が氾濫したり小屋が流されたりした事実は見て来ましたが、こんな経験は初めてです。私は、浸水はまず緩やかに始まり、後には突然に、しかも急速に襲って来ることを知りました。まさに、「始めは処女のごとく、後は脱兎のごとく(孫氏)」です。
しかし、これは人生の災難、すべてに通ずることなのです。皆様、これだけは覚えておきましょう。人生の災難はすべて、始めは処女のように静かで弱々しく、油断をさせるものなのです。そして、その後は脱兎(逃走するウサギ)のように、素早く一気に攻撃をして来ます。
うまいお話も、おいしいお話も同じです。ローンもサラ金もまた同じです。そして、覚せい剤もまた同じです。孫氏はさすがに、兵法の達人です。
(明日より3日間、出張のためにブログを休みます)
変化に対応できる能力
令和元年10月12日
今回の台風19号は超大型です。私もさすがにテレビで情報を集め、昨日から対策を講じました。特に、隣りに新河岸川が流れているので、氾濫しないかが気がかりです。夕方からたくさんのお電話やメールをいただき、皆様からご心配をいただきました。
テレビでは、「ただちに、命を守るための行動をとってください」とくり返し語っているのですから、ただ事ではありません。こんな言い方での放映は、初めて視聴しました。それでも。お大師さまを置いて避難するには忍びず、私は寺にとどまってこのブログを書いています。
日本人は台風や地震には経験豊富ですし、四季おりおりの変化にも慣れています。生活環境の急激な変化にも、対応が早いのではないかと思います。闘争本能は弱いかも知れませんが、これは生きていくうえでの立派な才能です。
いまから150年前、イギリスの動物学者・ダーウィンはガラパゴス諸島に渡り、進化論を説きました。かれは著書の中でこんなことを述べています。
「この世で生き残ってきた動物はすべて、強い動物でもない。賢い動物でもない。それより、その時どきの環境の変化に対応できた動物だけが、生き残ってきたのだ」
これは災害に対しても、きわめて示唆に富んだ論説です。時の変化に対応できる能力こそ、〝命を守るための行動〟を可能にするのです。ダーウィンはさまざまな動物の生態を研究しましたが、変化に対応できる能力を持った動物こそ、一番強いのだと教えているのです。
稲の〈妻〉とは?
令和元年8月17日
稲が実りつつ、たわわな穂がもたれ始めました。この時期は稲が実ると共に、雷の轟きを聞くことも多いはずです。
ところで、皆様は雷が多い年は稲がよく実り、豊作であるという説をご存知でしょうか。これは昔から言われていることで、藤沢周平の『三屋清左衛門残日録』にも主人公が幼い頃、母からそのことを言い聞かされる場面があったことを記憶しています。しかし、その理由は科学者でさえ容易には解明できませんでした。
松江市の高校生・池田圭介君はこのことに興味を持ち、学校にあった放電装置で稲妻と同様の状況を作り出し、カイワレダイコンの成長を調べました。そして、50秒間を放電して育てた種子は、放電しなかった種子に比べると約2倍も成長が早いことを確認したのです。さらに、用いる水に対しても同じ実験をしたところ、結果には何の違いもありませんでした。つまり、放電によって水の窒素量が1.5倍になることを発見したのです。彼はこのことを〈科学シンポジュウム〉で発表し、最優秀賞に輝きました。雷によって稲妻が放電する時は、田の水の窒素量が増えて稲の生長が早まり、豊作となるのはこのような理由からなのです。
ところで、〝稲妻〟を稲の〈妻〉と書くのも、奇妙なお話です。実は、古代にあっては夫婦や恋人どうしが互いを呼び合う場合、男女に関わりなく〈妻〉も〈夫〉も共に「つま」と言ったからなのです。稲妻の放電は〈妻〉より〈夫〉でしょう。だから、稲妻は稲に活力を与える夫であり、その「稲夫」が「稲妻」と書かれるようになったのです。
あの怖い雷にも、こんな働きがあることを知りましょう。そして、自然にはムダなものがないことを知りましょう。