八十八夜

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自然

令和4年5月2日

 

今日は八十八夜、つまり立春から数えて八十八日目に当たります。

念のために暦で確認しましたが、まさにそのとおりでした。とりわけ農家にとっては大切な日で、今日をめどに本格的な仕事に取りかかります。〈米〉の字が〝八十八〟と書くのも、意味深く感じられましょう。二十四節気にじゅうしせっき(季節の名称)の合い間には雑節ざっせつが入りますが、八十八夜もその一つです。昔は雑節によって農事の予定を立てましたが、インターネットや天気予報のない時代、その智恵のすばらしさには驚かざるを得ません。

このところ冬にさかもどりしたかのような寒さですが、残念ながら最後に降りるとされる「別れじも」には出会えませんでした。別れ霜はよく晴れた日の夜に突然に降りやすいそうで、移動性高気圧が急速な放射現象を起こし、気温が低下するためと聞いています。

また、八十八夜は何といっても茶みの最盛期です。〝あかねたすきにすげかさ〟での、あのなつかしい小学校唱歌が思い出されます。四月の上旬から摘み始めて、今日を中心に一番茶から四番茶へと進みます。新茶が楽しみです。せっかくですので、私が好きな八十八夜や茶摘みの名句を挙げておきましょう。

折々は腰たたきつつ摘む茶かな(小林一茶)

きらきらと八十八夜の雨墓に(石田波郷)

母ねむり八十八夜月まろし(古賀まり子)

逢いにゆく八十八夜の雨の坂(藤田湘子)

私が生まれた農家などは、家族が飲食するものは何でも自家栽培していましたから、お茶もまた例外ではありません。摘んだ茶葉を蒸して、囲炉裏いろりの上で手もみをしました。家族がその囲炉裏のまわりで肩を寄せ合い、深夜まで続けるのですが、子供にとっては睡魔との戦いでした。やがて私が僧侶となって、八千枚護摩という断食不眠の荒行にいどんだ折、もうろうとした中でよみがえった記憶の一つがその茶もみの経験でした。普段は意識すらしなかった光景が、まるで映画を観るようにありありと浮かび、記憶とは恐ろしいものだと思ったものです。

そろそろ、着るものも軽やかになりましょう。藤の花や茶摘み歌に託して、春が去って行きます。それでも時節の変わり目、かぜを引きませんよう。

山路天酬密教私塾

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