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お大師さまの真蹟

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令和6年8月23日

 

本日は毎日のお護摩を修した後、東京国立博物館での『神護寺特別展』を拝観してきました(写真上)。展示された〈高雄曼陀羅〉や〈五大虚空蔵〉などにも関心を持っていましたが、私のお目あてはお大師さまの筆跡である『灌頂暦名かんじょうれきみょう』でした(写真下・筆者蔵本)。

〈灌頂暦名〉は弘仁三年十一月十五日と十二月十四日の両日、京都・高雄山神護寺で挙行された日本最初の灌頂かんじょうに入壇(参加)した方々の名を列記したものです。筆頭に後の伝教大師〈最澄〉の名があり、一時は伝教大師が弘法大師の弟子になったという事実が証明されることでも知られています。

もちろん、次々に入壇する方々の名をメモのように筆記するわけですから、ところどころに間違いもあって塗りつぶした箇所があります。それでも、この名跡が国宝と指定されるゆえんは、何といってもお大師さまの真蹟とされるからです。

私はお大師さまの最も著名な真蹟である『風信帖ふうしんじょう』(伝教大師にあてた手紙)は、これまで二度ほど拝観しました。しかし、この『灌頂暦名』は初めての拝観だったのです。まさにお大師さまの呼吸を、肌で感じる一瞬でした。今日という日は、お大師さまに直接に拝謁はいえつしたような、忘れがたい邂逅かいこうとして残ります。

中秋名月

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令和4年9月11日

 

昨夜の中秋名月は実にみごとでした(写真)。久しぶりに、あまりのみごとさに感動し、立ち尽くし、何人かの友人にも伝えました。もちろん、誰一人として見逃すはずがありません。みんなで同じ月を見て、気持ちを共有しました。日本人はやはり、お月見が好きなのです。

あさか大師のまわりはススキも豊富です。少しばかりを境内のお大師さま(遍路へんろ大師)に供えました。また所蔵の硯箱すずりばこに、ススキと満月の蒔絵まきえがあったことを思い出し、さっそくお大師さまのわきに置いてみました(写真)。

この硯箱は江戸期のものですが、まるで平安時代の嵯峨野さがのあたりを連想させられます。当時、現在の京都・大覚寺だいかくじには嵯峨御所さがごしょ(嵯峨天皇の御座所ござしょ)があり、お大師さまは天皇さまと深いご親縁をいただきました。特に仏教や書道については、時を忘れてご歓談をなさったことでしょう。

九月の古名を「長月ながづき」と言いますが、「夜長月よながづき」の略かも知れません。日が暮れる時間は早くなりますが、それだけに、秋の夜が楽しめます。今日の十六日は「十六夜いざよい」、十七日は「立待たちまちの月」、十八日は「居待いまち月」と、十五夜ばかりを讃えないところが、この国の文化です。守り続けてほしい、美しい日本語です。

気になる迷信③

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令和4年8月1日

 

うわさをされるとくしゃみが出る。

兼好法師の『徒然草』に、くしゃみへのおまじないをする一節があります。つまり、昔の日本人はくしゃみを、奇妙な現象ととらえていたのでしょう。もちろん、直接には鼻に何らかの刺激が加わった生理的なものです。しかし、そうとばかりは決めかねる疑問が残るのもいなめません。

もう一つ、「うわさをすれば影」があります。私はこの理由は逆だと思っています。その人の影が近づいて来るから、つまり、第六感が気配を感じるから噂をするのです。そうすると、噂とくしゃみの関係も、まんざらでもなさそうです。解明はできませんが、どうもそんな気がします。

⑨トイレ掃除をすると美しい子供が生まれる。

これは迷信どころか、正真正銘の真実です。トイレは家庭生活における最も不浄な場所ですから、これを掃除することは〈トイレの神さま〉に好かれます。そして、大きな功徳になります。安産はもちろん、丈夫な美しい子供が生まれます。トイレを使うということは、不浄を処理していただく〝神聖な場所〟に入るという意味を知らねばなりません。妊婦さんがプールの中を歩くのは安産のためでしょうが、トイレ掃除は功徳となり、開運の秘訣ともなることをゼッタイに保障します。

⑩ミミズにおしっこをかけると男の子のアソコが痛くなる。

最後になりました。ミミズにおしっこをかけると、男の子のアソコが痛くなります。子供の頃、私は何度も経験しました。それというのも、農家の庭にはあちこちにミミズがいます。遊び半分でおしっこをかけると、たいていはアソコが痛くなりました。これは本当のことです。

私はこの理由が知りたくて、何人もの医師・中医師・薬剤師・治療師などに質問をしました。しかし、結局は何の結論も出ませんでした。ただ、一つヒントになるのは、ミミズを漢方では「地龍じりゅう」と呼び、霊的な動物と考えていることです。つまり、蛇体としての霊力がこもっているということなのです。ミミズにおしっこをかければ、何かがおこって当然でしょう。

思い出すのですが、農村の子供がヘビを殺したりいじめたりすると、よく高熱を出しました。ヘビのたたりは、決して作り話ではないのです。そして、ミミズもヘビも、ともに蛇体です。後年、私が僧侶になって霊符(蛇体の護符)を書くにあたり、ウナギ・アナゴ・ハモといった蛇体の禁食を命じられました。私はこればかりは、霊符行者として守り続けています。

地龍(ミミズ)は解熱剤として効能があります。また最近は、食用ミミズより抽出するルンブロキナーゼが血栓けっせんを溶かす救世主となり、脳梗塞・心筋梗塞・動脈硬化の平癒に威力を発揮しています。世紀の福音といっても過言ではありません。サプリメントとして販売されていますので、ぜひ検索を。『気になる迷信』を終わります。

気になる迷信②

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令和4年8月1日

 

⑤茶柱が立つと幸先さいさきがいい。

茶柱とは茶碗に浮いた、茶葉(くき)のことです。これは迷信というより、いわば「縁起がいい」というほどの部類でしょう。そもそも柱を立てるということは、太古以来、神さまを迎えるという意味です。大国主命おおくにぬしのみことは宮殿の建立にあたって、まず土台の石にしっかりと柱を立てました。諏訪すわ御柱祭おんばしらまつりなども、その典型です。

お茶をてるには急須きゅうすを用いますが、それはお茶の葉が茶碗に入らないよう工夫した道具です。その網の目をくぐって茶碗に入り込んだのですから、よほど縁起がいいのでしょう。その意味では、確かに幸先がいいと言わざるを得ません。つまり、幸運を引き寄せる御守という意味になったのです。

もっとも最近は、家庭から急須が消えつつあります。大人も子供も、お茶はペットボトルで飲むのが当り前になりました。この〝迷信〟も、いずれは消え失せることでしょう。私はいつも、急須を使ってお茶を点てています。その香り、その色、その味は、ペットボトルとは雲泥の差です。ぜひ、お試しを。

丙午ひのえうまの女性は亭主を食い殺す。

これはまったくの迷信です。徳川五代将軍・綱吉の頃、八百屋やおやのおしちという女性が、恋人に会いたい一心で火付け(放火)事件をおこし、いわゆる「天和てんわの大火」となりました。井原西鶴の『好色五人女』の一人ですが、そのお七が丙午だったことから、この迷信が生まれたのです。いかにも「あばれ馬」を連想したのでしょう。

そもそも十二支じゅうにしうまと動物の馬は、本来はまったく別のものです。実は丙午の女性は大らかで明るく、愛嬌あいきょうのある方が多いのです。裏表がなく、心を開いて接するので、友人も多いはずです。皆様、重ねて申します。これは、まったくの迷信ですから、絶対に誤解をなさいませんよう。

⑦カラスが鳴くと人が死ぬ。

私の祖母は葬式を予言するのが得意でした。その目安の一つが、カラスの鳴き声であったように思います。鳴き声そのものではなく、その鳴き方に暗示があったのかも知れません。朝に私が目を覚ました頃、「近いうちに葬式があるよ」と言っては、それが的中した記憶があります。

私が生まれた農村ではまだ土葬でした。お墓にお供えがあると、カラスが集まっては鳴き声を発してこれをついばみました。葬服の黒とカラスの黒が一致して、決して好まれる鳥ではありません。ただ、動物にはすぐれた予知能力があり、その声によっては、的中する可能性は高いはずです。あながち、迷信とは思いません。

気になる迷信①

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令和4年7月31日

 

迷信にはまったくの迷信もあれば、必ずしも迷信とは言えないものもあります。また、はっきりとは断言できないものや、教訓やしつけ上から作り出されたものなどもあります。いくつかを検討してみましょう。

①ご飯をこぼすと盲目になる。

これは「ご飯は大切にいただきましょう」という教訓に間違いありません。米は単なる食品ではありません。神さまにお供えする、日本人の〝いのち〟です。特に毎年の新米は天照皇大神にお供えするわけですから、神さまの御眼おんまなこであるとされて来たのです。その大切なお米を粗末にすれば、何かおとがめがあって当然でしょう。盲目になるとまでは言いませんが。

②ご飯を食べて横になると牛になる。

これは行儀の悪さを戒めた、しつけ上のものでしょう。しかし現代人には、食事の後にすぐに寝る人は太るという方に関心があるはずです。これには両説があり、インスリンの分泌によって糖質の代謝を優先するために、脂肪の代謝が落ちるから太るのだという説と、食事の後は副交感神経の働きで眠くなるのは自然の摂理であるから、何の根拠もないという説に別れます。私は糖質や脂肪を摂り過ぎれば太るだろうと思いますし、あまり遅い時間の夕食でなければ、それほどの問題はないとも思います。両説があれば、大方はそれぞれに根拠があるものです。

③夜中にお金を数えると泥棒が入る。

これもよく聞くお話です。江戸時代の商人は使用人が寝しずまった後、よくお金を数えました。当時の小判は、当然「チャリン、チャリン」と音がします。真夜中であれば、なおさらその音が響きます。外にいる泥棒がならいを定めるのはもちろん、使用人ですらその音を耳にすれば気になりましょう。泥棒は外から入るとは限りません。特に主人からいじめ尽くされている使用人が、うらみをいだいて持ち逃げすることもあるのです。現代はほとんどがセキュリティーの問題で、あまり意味がありません。

④ひな人形を三月三日の内に片づけないと嫁にいけない。

これはまったくの迷信です。ただ、ひな祭りが過ぎたのに、いつまでも飾っておくのは心情として気になります。また、これに似合った女性もいたのでしょう。それがこの迷信を生んだのです。ついでですが、亡くなった人が持っていた人形を飾ってから災難が多いというお話なら本当です。私はこのことで、何度も相談を受けました。つまり、人形には人の〝想い〟がこもりやすいということです。おわかりですよね。

お世辞は偉大な文化です

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令和4年7月22日

 

お世辞は偉大な文化です。

なぜなら、世の人々はお世辞によって、その相互関係を円滑に運ぶことができるからです。また夫婦や家族との生活に、友人や知人との交流に、お世辞ほど順応するものはないからです。仮にそれが本意からのものではなかったとしても、聞いている本人は決して悪い気をおこすこともありません。時間もかからず、費用もかからず、手続きもいりません。

フランスの男性は女性に出会ったら、その服装を一日に何度もほめるよう、子供の時から教育されます。なんという賢明な風習でしょうか。たとえば、男性は5年前の自分の服装など思い出すこともありませんし、思い出そうともしません。しかし、女性は5年前の自分の服装を克明に記憶し、それが似合っていたかどうかをいつまでも気にします。男性は服装に対する女性の努力に対して、美しく見られたいという女性の努力に対して、ほとんど無知であることがわかっていません。そして、この女性に対する無知が、人生の幸福を大きく失っていることもわかっていません。

初対面のカップルが目の前に現れた時、女性ならまず男性よりも、相手の女性の服装を見るでしょう。しかし男性は、女性の服装などほとんど関心を持ちません。その時、その女性の服装にほんのわずかでもお世辞がいえるほどならば、その男性の運命は必ず変わります。自分の服装をほめてくれた男性を、その女性は生涯忘れることがないからです。こうした女性が世の中のあちこちにいるだけで、男性の運命は大きく変わることを、私が保証します。そして、女性にお世辞がいえるようになると、男性に対しても同じことがいえるようになるものです。

ところで、私はある時、お経というものは仏さまに対するお世辞の文面だということに気づきました。その仏さまがいかに偉大であるか、どんな修行を積んだか、どんな功徳があるか、あれでもかこれでもかと並べ讃えた文面が、すなわちお経なのです。だから、私は毎日、お大師さまの前でお世辞ばかりを唱えて生きていることになります。そして、唱えれば唱えるほど、どの仏さまも私に好意を寄せてくださり、私はますます仏さまの功徳をいただいているということになります。

ウソだと思う方は、仏像や仏画に向ってお経を唱えてみてください。唱え終ると、その仏さまがかすかにほほ笑んでくださることがわかるはずです。それは皆様に、仏さまが好意を寄せてくださったからなのです。お経が偉大な文化なら、その文面であるお世辞もまた偉大な文化です。皆様、大いにお世辞でほめましょう。特に、女性には一日に何度もほめましょう。偉大な文化です。

続・世界一美しい「君が代」

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令和4年6月26日

 

1903年(明治36年)、ドイツで行われた「世界国歌コンクール」において、日本国家の「君が代」がきびしい審査を経て一等に選ばれました。

その評価として残っている資料には、「荘重そうちょうにして民族性を遺憾なく発揮した優美なもの」とあります。また、あまり外国のものをほめないイギリス人が、「天上の音楽」と讃えた記載もあります。当時はベルリンで、世界的な音楽家や音楽評論家たちがいろいろな国歌を比較検討する開催があったそうで、その結果が衆口一致で折り紙がついたようです。

こうした評価は、各国の国歌を和訳すれば、ハッキリとわかります。つまり、ほとんどの国の国歌が〝戦争の歌〟であるからです。代表的なものを見てください。

①アメリカ国歌「星条旗」

おお、われらの星条旗よ。夜明けの空、たそがれの霧の中で、ほこりに満ちてきらめく。その太いしまと輝く星は、弾丸が飛びう戦いの庭に、夜通し堂々とひるがえっている。おお、われらの星条旗があるところ、自由と勇気とともにあり。

②フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」

いざ祖国の子らよ、栄光の日がやって来た。暴君の血に染まった旗がひるがえる。戦場に響く残酷な兵士の怒号どごう、我らの妻や子の命をうばわんと迫り来た。武器を取るのだ、わが民たちよ! 隊列を整えよ! 進め! 進め! 敵の不浄の血で土地を染めあげよ!

③中国国歌「義勇行進曲」

いざ立ち上がれ、奴隷になることを望まぬ人々よ、我らの血と肉をもって、我らの新しき長城を築かん。中華民族にせまり来る最大の危機、皆で危急のたけびをなさん。

もはや、説明もいりません。オリンピックで日本人選手が金メダルに輝いた時、表彰式で吹奏される「君が代」に独特の重みと品格を感じるのは、誰しものことです。「君が代」こそは、世界中の人々の幸せと平和を願った日本文化の英知なのです。このことを、私たちは日本の未来を背負う子供たちに伝える責務があります。そうすれば子供たちはきっと、日本に生れたことを、そして日本人であることを、生涯の誇りに思うことでしょう。

世界一美しい「君が代」

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令和4年6月26日

 

日本は神武天皇の建国以来、2600年の歴史を誇る(現存する)世界一古い国家です。これはギネスにも認定されてる事実なのですが、大部分の日本人が知らずにいることは、残念でなりません。そして、多くの国の国歌が戦争の歌でありながら、日本国歌「君が代」こそは、人々の幸せと平和を願った世界一美しい国歌なのです。

にもかかわらず戦後、「君が代」はきわめて悲運な歴史をたどりました。その理由は「君が代」の〈君〉が天皇を意味し、主権在民に反するとしたり、戦前の軍国主義を復活させかねないということのようです。しかし、私はこれらがまったくの間違いであることを知っていただきたいと思っています。

国歌「君が代」は明治二年、イギリスのエディンバラ公を国賓こくひんとして迎えるにあたり、国家の斉唱が必要との要望から誕生しました。そこで薩摩バンドの軍楽隊長フェルトンのすすめによって、歩兵隊長の大山いわお(西郷隆盛の従兄弟いとこ)が『古今和歌集』巻第七・冒頭の賀歌がか(祝いの歌)から、これを提唱しました。すなわち、

我が君は 千代に八千代に さざれ石の いわおとなりて こけのむすまで (読み人知らず)

が原歌です。では「我が君」の〈君〉とは誰のことでしょう。もちろん、おわかりですよね。この歌は女性が〝大切な我が君(あなた)〟に送った恋愛の歌なのです。つまり、「大切なあなたが千年も万年も生き続けますように」が、前半の意味です。だから、この歌に天皇を意味する言葉は一つもありません。しかし、国歌としてこれを制定するにあたり、「我が君」を「君が代」に変えました。さあ、そこが問題です。

では、「君が代」の〈君〉とは誰のことでしょう。皆様は当然、これを天皇という意味に考えているはずです。しかし、実は天皇を〈君〉と呼ぶことはありません。それでは、大変な無礼にあたります。天皇を表現する場合、古来から日本人は必ず〈大君おおきみ〉または、〈すめらぎ〉という言葉を使ってきたからです。

もちろん、天皇も国民の象徴ですから、「君が代」とは「天皇陛下を始めとする日本国民のすべてが生きる時代」という意味になりましょう。また、友人や恋人の〈君〉が外国人であるなら、「世界中のすべての人々が生きる時代」とまで解釈してもよいはずです。こんな国歌がほかにあるでしょうか。私は「君が代」こそは、世界に誇る日本文化の英知であると思っています。日本を愛するすべての人々が、みんなで「君が代」を歌う日が来ることを願ってやみません。では、私が日頃から考えている「君が代」の意味を書いておきましょう。

「天皇陛下を始めとする日本国民すべての人々が、そして世界中すべての人々が生きるこの時代が、千年も万年も幸せに栄え、小さな石が大きなかたまりとなってこけが生えるまで続きますように」

お墓と日本人

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令和3年9月8日

 

「墓じまい」という言葉があります。今や一種の流行語にさえなりました。たしかに、男性の相続人(特に長男)がいない、あるいは女性の相続人(娘さん)が嫁いでいる場合、やがては代々のお墓をどうするか、あるいはお墓を建てるべきかどうかの問題が発生します。相続人が結婚していない場合ならなおさらです。

親の遺骨をかかえながら、お墓を建てる余裕がないという方もおりましょう。〈樹木葬じゅもくそう〉はもちろん、〈散骨さんこつ〉に走る気持ちもわかります。宅急便で親の遺骨を送れば、五万円で海に散骨してくれるというお寺や業者があるとも聞きました。さらには、気球に乗せて大気圏外に散骨するいう〈宇宙葬〉まであるそうです。

日本人は先祖からの代々のお墓を大切にして、相続人がこれを守ってきました。これがが日本人の理想であることは、どなたでも充分に納得されましょう。しかし、今やそのお墓の形態が大きくくずれ、また問われようとしています。今後は永代供養として合祀ごうしする形態が主流になることは間違いありません。お寺もその要望に答えねばなりません。それでも私は、相続人がいるかぎりは、お墓といういう供養の形態を大切にしていただきたいと願っています。

最近、東京オリンピックの〈侍ジャパン〉を率いて金メダルを獲得した稲葉篤紀あつのり監督が、名古屋市にある故・星野仙一監督のお墓を訪れ、その栄誉を報告したというお話を聞きました。「見守っていただき、ありがとうございました」と報告したそうです。これは信仰の云々うんぬんではなく、ごく普通の日本人の姿なのです。

星野監督が〈侍ジャパン〉を率いた2008年の北京オリンピックでは、残念ながらメダル獲得はなりませんでした。稲葉監督は当時、星野監督を慕いつつ選手として出場しましたが、その悔しさを胸に秘め、いずれは必ず金メダルを獲得することを誓っていたようです。事実、東京オリンピックでの、アメリカをも破った5戦全勝は見事というほかはありません。闘将・星野監督の笑顔まで浮かぶようです。そして、これが日本人の姿なのだと、憶念おくねんされてなりません。

こんなお話を聞くと、「墓じまい」などという言葉が、びどくきょうざめて聞こえます。日本人はあくまで、お墓という供養の形態を大切にしていただきたいのです。うたの文句にあったように、先祖はお墓そのものにいるわけではありません。しかし、その形態を通じて祈りが届くのです。守り得るかぎりは、お墓を守っていきましょう。日本人の姿なのです。

端午の節句

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令和3年5月5日

 

今日は〈端午の節句〉で、菖蒲しょうぶ柏餅かしわもちをお求めになった皆様もいらっしゃると思います。午後にちょっと買い物に出ましたら、スーパーの特設売り場で、菖蒲を買う方があまりに多いのには驚きました。また、隣りの和菓子屋さんの前には20メートルもの行列があり、柏餅を求める方々でいっぱいでした。店内への入場制限からとは思いましたが、それにしても日本の風習もまだまだ健在のようです。

私の生家(栃木県の農村)にはき水があり、そこに天然の菖蒲が生えていて、端午の節句に事欠くことはありませんでした。昔の天然の菖蒲は香りぷんぷんで、湯に入れると、それこそ〈香湯〉そのものだったのです。また、以前は川越のご信徒さんが端午の節句ともなれば、頼まずとも天然の菖蒲を届けてくださいました。その方が他界なさって以来、私は菖蒲湯に入ったことはありません。なぜなら、売られている菖蒲を手にしても、たいした香りがしないからです。

柏餅にしても、実家のまわりには柏の木がありましたから、これにも事欠きません。また、堂々たる〈こいのぼり〉が屋根上まで列をなし、家々がそのカラフルな数を競ったものでした。今時のようにマンションやアパートのベランダに見る鯉のぼりは、何ともメダカ(失礼!)ほどにしか映りません。

端午の節句も、本来は旧暦(つまり約一ヶ月先)での風習です。梅雨に入れば大雨や疫病といった被害をもたらすので、その邪気を祓うという意味から菖蒲の香りが尊ばれました。また、菖蒲の葉は日本刀に似ており、その名も〈尚武しょうぶ〉に通じます。鎧冑よろいかぶとを飾るのもこの由来からで、武家では特に重んじました。実際、正面に菖蒲を飾った冑も作られました。

またかしわの木は冬になっても葉が落ちず、新芽が出るまで落葉しません。つまり後継あとつぎを絶やさないとう縁起から、柏餅かしわもちを食べるようになりました。昔の農村では山ほどに作り、神前や仏壇にも供え、親類にも配りました。私が子供の頃は、10個ぐらいは平気で食べたものです。

鯉のぼりはともかく、菖蒲湯や柏餅といった古き良き日本の風習が、永く続いてほしいと願わずにはいられません。文化はこんなところから生まれるからです。私も来年からは、天然の菖蒲を求めることにいたしましょう。

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