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花粉症の薬膳パスタ

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令和6年4月1日

 

桜の開花を待ちつつも、花粉症に悩んでいる方が多いようです。そこで、私が作っている〈薬膳やくぜんパスタ〉をご紹介しましょう。

花粉症アレルギーにはロスマリン酸やα-リノレン酸が有効ですが、実は赤ジソの葉に多量に含まれています。赤ジソは梅干しに漬け込んだり、サプリメントやジュースとしても販売されていますが、一番手ごろなのはスーパーのふりかけ売り場にある『ゆかり』(写真)を普段から食することです。

『ゆかり』はシソご飯としてふりかけたり、おにぎりに混ぜるのですが、意外にも、ハーブとしてパスタに使ってもよく合います。私はキノコや魚介類のパスタを作って、最後に混ぜ込んでいます(写真)。ちょうど、バジルを入れたような雰囲気になって、ちょうどよいのではないでしょうか。ただ、塩分もかなり多いので、入れ過ぎないように注意してください。

お寺での食事じきじ作法では「五観ごかん」を唱えますが、その四番目に「まさ良薬りょうやくこととするは、形枯ぎょうこりょうぜんがためなり」とあります。つまり、食事はそれがすなわち良薬であり、病気にならない体を作るためにいただくのであるという意味でありましょう。普段からの食事が薬であり、「医食同源」なのです。花粉症の方は、ぜひお試しになってください。

蛇足ながら、『ゆかり』の名の由来は、中国では紫色を「縁(ゆかり)色」ともいい、また『ゆかり』に縁があったお客様を大切にしたいという思いからです。「ゆかりちゃん」という女性が発案したものではありません。念のため。

カレーはマンダラ料理です

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令和4年12月28日

 

昨夜カレーを作りました。ただ、私の役割はカレーソースを作るだけです(写真)。トッピングする具は誰が作ってもよいので、材料だけを用意します。カレーは特に猛暑の夏に合いますが、暖かくした部屋で冬にいただくのも、格別なおいしさです。私は子供の時から研究しましたので、自分のカレーにはかなりの自信があります。お坊さんをやめたらカレー屋になってもよいとさえ思っています。

ところで、カレーはインド料理の代表でしょうが、私はあえて「マンダラ料理」と呼んでいます。なぜなら、カレーは五味(甘味・苦味・辛味・塩味・酸味)のすべてが融合して混然一体となり、絶妙の味をかもし出しているからです。五味のそれぞれが互いに溶け合い、毎日でも飽きることなく、子供から高齢者まで、世界中でこれほど愛される料理はありません。さらに、薬膳やくぜんとしても評価されています。私がマンダラ料理と呼ぶ理由もここにあります。まるで教義の違った世界中の宗教が、いっしょに手をつないだ感がありましょう。

皆様もご存知とは思いますが、インドには「カレー粉」と呼ばれる食材はありません。インドの家庭ではいろいろなスパイスを調合して、それぞれの家庭で独自の〝カレー粉〟を作るからです。私は既製のカレー粉も使いますが、芳醇な香りを出すため、かなりのスパイスを使います。また、日本のカレールウは小麦粉でとろみを出しますが、インドではヨーグルトやタマネギ(チャツネ)、野菜や果物でとろみを出します。その濃厚な味を知ると、日本のカレーはどんなに工夫を加えてものりのような食感にしか思えないほどです(失礼!)。

最近はいろいろなカレーが、レトルト商品として発売されています。インドカレーを日本に知らしめた〈〇〇屋〉のみならず、タイカレー、各地の名店カレー、うわさの〈〇〇カレー〉など、スーパーには列をなして並んでいます。私はかなり買い込んで食べ比べをしましたが、どれ一つとして、太鼓判を押す商品はありませんでした。私の味覚は、レトルトには合わないのかも知れません。

かといって、私は日本のカレーを卑下ひげするつもりはありません。野菜がゴロゴロと入ったお母さんのカレーは、家族にとって最高のごちそうです。普段、スーパーのお惣菜で済ませることはあっても、カレーばかりは手作りでお願いしたいと思っています。また手軽な昼食として、キャンプやもよおしの献立として、カレーほど適切な料理はありません。主婦は何をおいても、まずはカレーを工夫すべきであると私は思っています。何しろマンダラ料理です。カレーだけでも、一家和合は間違いありません。

20000回の食事

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令和4年9月7日

 

私の母は体が弱く、あまり母乳が出ませんでした。心配した祖母は濃い目にぎ出した米汁を作り、それを母に渡してくれていたようです(農村のことで、まだ粉ミルクはありませんでした)。そのおかげで一年後には村の〈赤ちゃんコンクール〉で優勝し、また小学校の卒業式では男女一名ずつ選ばれる健康優良児として表彰されました。まさに、強運と幸運に恵まれたとしか言いようがありません。

母は入退院を繰り返しながら三十三歳の若さで他界しましたが、それでも私のことを病床に呼んでは話し相手になってくれました。苦しいことがあっても、私が今日まで何とか耐えてこられたのは、その病床の母の顔を思い出すからです。今さらながら、その恩の深さが憶念されてなりません。

私たちは三歳ほどまでは、母に一日に6回前後はオムツを変えていただきました。一年で約2000回、三歳までで6000回です。また、一日8回前後の母乳(ミルク)をいただきました。一年の授乳で約3000回です。そして離乳食を含めて、毎日毎日、三度の食事を作っていただきました。おやつまでを加えると、一年で約1000回、仮に十八歳までとして何と約20000回以上です。

私は外食をすることはほとんどなく、自分で食事を作って生活をしていますが、20000回を毎日続けることなどとてもできません。しかも、忙しい日はもちろんのこと、体の具合が悪かった日もあったことでしょう。今ならスーパーで買えるとしても、米屋さん、八百屋さん、肉屋さん、魚屋さんを廻り、重い荷物を持って歩いたはずです。食材を洗って切り、煮て焼いて、味つけをして、食卓に並べていただきました。それを私たちは当たり前のように、ただ黙って食べていたのです。「おいしい」のひと言がなくても、不平すらもらしませんでした。

そして、私たちがテレビやゲームに夢中になっていても、母には食後の片づけがありました。翌朝の準備もありました。お風呂の準備もありました。洗濯もありました。洋服のつくろい、片づけ、そのほか父の世話もあったはずです。いったい、母がいなかったら、私たちはどのようにして暮らし、どのようにして成長したのでしょうか。

私たちは母に対する自分のふるまいを思いおこす時、慙愧ざんきの念にえるものは何もありません。過ぎ去った恩の大きさに唖然あぜんとするばかりです。しかも、その恩に対して何も返したものはありません。返そうと思えるほどの年齢になった時、たいていはその母も、すでにこの世にはいません。私たちが母に対してできることは、あの世の母に対してであることをお伝えして、今日の法話といたします。

けんちん汁

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令和4年1月22日

 

寒い日が続くので、毎日のように「けんちん汁」をいただいています。黒ゴマ塩をかけた雑穀ご飯によく合い、これに焼き魚か納豆があれば、もう何もいりません。一般にはしょうゆ味ですが、塩味よし、みそ味よし、酒粕さけかすを加えてもまたよしで、いずれにしても体がよく温まります(写真)。

けんちん汁の語源については、建長寺けんちょうじ(鎌倉)の精進料理、つまり「けんちょう汁」がなまったという説があります。しかし、別説もあり、そのことを『鬼平犯科帳』DVD版の「馴馬なれうま三蔵さんぞう」の中で、村松忠之進(猫どの)が木村忠吾に講釈するシーンがあります。鬼平ファンの方は、ぜひご覧になってください。

すなわち、正しくは巻繊汁(けんちぇんじる)」だというのです。〈ちぇん〉とはダイコンやゴボウを細く切ったもの、〈けん〉それを油でいため、湯葉ゆば海苔のりで巻いたもの、それを汁仕立てにしたものが「けんちぇん汁」とのことです。さすがは猫どの、なかなか説得力がありますが、それにしても「巻繊汁」とは当て字も発音もむずかしく、あまり実感がありません。私たちにはやはり、「けんちん汁」の方が親しめます。

けんちん汁は切った野菜を油で炒めることに特徴がありますが、豆腐とうふやシイタケなどのキノコ類、さらにダイコン葉などの青菜を加えると色も鮮やかです。要は冷蔵庫の残り野菜でよいのです。お寺で野菜をムダにしないための智恵が、これほど生かされた料理はありません。私はダイコンばかりは銀杏いちょう切りですが、あとはすべて乱切りで、豆腐やこんにゃくは手で千切ちぎって入れています。寒いこの時期はショウガをすりおろして加え、特製の七味唐辛子しちみとうがらしをドバドバかけていただきます。一口飲めば、一人だけの食卓で、おもわず、「うめぇー!」。

生涯最高のご飯

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令和3年9月11日

 

服部栄養専門学校長の服部幸應氏が、自分にとっての生涯最高の料理は、比良山荘ひらさんそう(滋賀県大津市)の〈月とスッポンなべ〉だと語っています。死ぬ前にもう一度食べたい〝最後の晩餐ばんさん〟と決めているそうで、「この世のものとも思えない味」とまで豪語しています。あらゆる美食に通じた服部氏のお話なればこそ、さすがにインパクトがありますね。

何でも琵琶湖の天然スッポンのだし汁で、ツキノワグマの肉を煮るという〈熊鍋くまなべ〉だそうで、まさにぜいを尽くした料理であることは間違いなさそうです。私はこのお話に興味をいだきましたが、残念ながら禁食(戒律で禁じられた食品)なのでいただくことができません。私は霊符れいふという特殊な御札おふだを書くので、その行者はスッポン料理とウナギのような長物ながもの料理は、亀蛇きだのご神体(玄武神げんぶしん)として禁じられているからです。

では、私にとって生涯最高と思えるモノは何であろうかと回想してみました。思うに、多くの方のそれは一流料亭やレストランの美食ではなく、遠い記憶や思い出と結びつく何かではないでしょうか。それはたぶん、子供の頃に家族と共に味わった〝おふくろの味〟であるかも知れません。おふくろの味は、時間と共にさらに熟成するからです。終戦後の食べ物のなかった時代なら、なおさらです。えた時代には、サツマイモさえ生涯最高になるからです。

私に心あたりがあるとすれば、それは毎年12月30日の正月飾りに食べたもちつきの前の、あの一瞬のうまさだったと思います。農家の庭先にうすきねをそろえ、かまどにマキをくべてかしたもち米が入ると、晴れた冬空に湯気がボオーと舞い上がりました。すぐに杵を入れるのが私の役目でしたが、一分間だけ楽しみがありました。片手でその熱々のもち米をすくい、フウフウ息を吹っかけながらそのまま口にしたその味は、晴れた冬空と絶妙に溶け合い、この世のものとも思えなかったからです。塩も醤油しょうゆも何もいりません。私の生涯最高のご飯でした。

私はこの世で一番おいしいものはご飯だと、いつも思っています。人にも語り、法話集『一話一会』(第一集)にも書きました。それは一日としてきることも、忘れることもないからです。そんな食べ物がほかにあるはずはありません。そして、その名を「シャリ(舎利)」とも言うではありませんか。舎利はお釈迦さまのお骨であり、如意宝珠であり、仏さまそのものです。ご飯を食べることは、仏さまの功徳をいただくということです。その功徳によって、幸せをいただくということです。だから、多くの日本人が合掌をしていただくのです。

続・マンダラの料理

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令和2年9月1日

 

昨日、日本のカレーは「インドカレー」ではないと言いました。しかし、日本のカレーにはまた別のよさがあることは、私も十分に承知しています。それというのも、あまりにも気安くインドカレーと名乗る商品が多いので、ちょっとケチをつけたくなったのです。既製のルーやレトルトを試食しても、この考えは変りません。

そこで、日本のカレーです。私は世のお母さん方は、何をおいてもおいしいカレーが作れるよう工夫すべきだと思っています。なぜなら、昭和の時代から現代にいたるまで、日本の子供さんたちが最も好きな料理はカレーだからです。調べてみてください。そして、考えてみてください。お母さんの料理、つまり〝おふくろの味〟を知ってこそ、子供さんは身も心も健康に育つのです。スーパーの揚げ物だけでしつけをしても、お母さんが思うようには育ちません。たとえパートで忙しくても、一品だけは手作りの料理を出してほしいのです。

そして、手作りの料理で最も喜ぶのがカレーなのです。既製のルーであっても、かくし味などネットで調べればいくらでも出ています。各メーカーもスパイスの研究には余念がありません。おいしい商品がたくさん出ています。得意の味を一つでも持っていれば、それだけで子供さんは手をたたいて喜びます。野菜がごろごろ入ったカレーを何杯もお代わりすれば、子供さんの躾けは必ずうまくいきます。だから、お母さん方はぜひ独自のカレーを作り出してほしいのです。

また若い男女も、カレーがあればうまくいくこと、間違いはありません。仕事を終えた頃、「今夜はカレー!」とメールをすれば、足をかせて帰って来るからです。そして家にたどり着くや、外にまで漂うそのにおいにつられて、夢見る思いで玄間のドアを開けるでしょう。

荻窪おぎくぼ二丁目裏通り

どこかの窓から幸せそうな

カレーライスの匂いがいつか

僕の心を急かせてる(南こうせつ・「荻窪二丁目」)

このカレーはもちろん、インドカレーではありません。ありふれた日本のカレーです。でも、あたたかく、心がなごみます。そして、日本人の心をとらえて離さないカレーこそは、みんなが喜ぶ「マンダラの料理」です。

マンダラの料理

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令和2年8月31日

 

皆様は信じないと思いますが、実は私はインドカレーの名手(!)で、かなりの研究をして来ました。もし僧侶をやめたら(もちろん、やめませんが)、インドカレーの専門店をやっていく自信さえあるのです。このことは味にうるさい友人やご信徒の皆様が太鼓判たいこばんを押すところで、決して誇張ではありません。

もちろん、ここでいうインドカレーは、インスタントルーをポチャと落とす日本のカレーではありません。日本のカレーは小麦粉でとろみを出すのりのような舌ざわりで、お世辞にも「インドカレー」とはいえません(失礼!)。インドカレーは野菜やヨーグルトによってとろみを出すので、サラッとしてしかもコクがあり、夢幻ともいえる香りに特徴があるのです。

講釈をしましょう。そもそもインド人は、過酷な熱帯気候に耐えるため、体温を下げる食事が必要でした。そこでスパイスを豊富に使い、発汗させて涼しくなるカレー料理が伝統食となったのです。したがって、インドには〝カレー粉〟という食材はありません。その家のスパイスはその家の好みによって、石臼でくだきながら調合するからです。

十八世紀の昔、インドを植民地支配していたイギリスがこれを本国に持ち帰りました。そしてインド人とはまったく発想を変えて、西洋料理の手法から小麦粉でとろみを出したのです。日本には明治時代にそのイギリスから伝わりましたが、今日のような「カレーライス(あるいはライスカレー)」として普及しはじめたのは大正時代からでした。

本場の国々を除けば、日本人ほどカレーの好きな国民はいません。私も子供の頃から何とかおいしいカレーを作ろうと、とぼしい食材で工夫をしました。しかし、どのような工夫を重ねようと、本場の味を知らなければ作りようがありません。上京しておいしいカレーには出会いましたが、まだインドカレーまではたどり着きませんでした。

ところが十代の終わりにアジアの各地を訪れ、はじめて本場のカレーに出会いました。そして、私のカレーに対する概念が一変しました。カレーとはまさに香りであることを知りました。一にスパイス、二にスパイスで、辛みはどうにでもなるのです。だから、辛みがなくてもカレーの香りがすることも知りました。

やがて私は真言密教の僧侶となりましたが、ますますカレーにはこだわるようになりました。なぜなら、カレーこそはマンダラの教えそのものだからです。酸味・苦味・甘味・辛味・塩味の五味が融合ゆうごうするカレーは、諸仏諸尊が融合するマンダラにも等しいからです。つまり、五味が融合して香りが加わると、カレーという「マンダラの料理」になるということです。香りはすなわち、マンダラへの入壇にゅうだんのようなものでしょう。

もう余白がありません。私が作ったインドカレーをお見せしましょう(写真)。先日、炎天下で土木工事を手伝ってくださったお弟子さんに出したものです。カレーソースだけを盛って、具は好みでトッピングします。サラッとした舌ざわりで、サラッと汗が引きました。食欲をそそるこの香り、伝わりますか?

ご飯にまつわる言い伝え

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令和2年7月22日

 

昨日は「食事作法じきじさほう」についてお話をしました。こうした作法によって、仏教は食事の大切さをいかにして教えて来たかがわかりましたでしょうか。

ところで、私はこれまで、「この世で一番おいしいものはご飯です」と、どれほどお伝えして来たかわかりません。ご飯は特別な主張などしません。いたって平凡です。目立ちません。それなのに、一生つき合っても飽きません。一日だって、忘れることはありません。そして、どんな料理にもなり、どんな料理にも合い、どんな料理にも合わせられます。仮にたとえても、こんな人物がこの世にいるでしょうか。このことは、法話で何度も語り、本にも書きました。

私はお百姓ひゃくしょうの子として生まれ、幼い頃から田植えや稲狩りをして育ちました。忙しい農繁期のうはんきなどは、学校を休んでまでも手伝ったものです。だから、お米を収穫するまでの労働がどれほどのものであるかは、よくわかっています。米一粒が汗一粒でした。また、〈米〉という字は〝八十八〟と書きます。つまり、お百姓が八十八回もの手間をかけて育てたという意味です。それだけに、秋に収穫したピカピカの新米をいただく時は、家族一同で涙を流さんばかりに喜んだものでした。

お米は単なる食べ物ではありません。天照皇大神や氏神さまに献じ、仏さまが宿るとされる尊い供え物です。昔のお百姓は苦労して作ったお米も年貢ねんぐに取り立てられ、自分たちはなかなか口にすることができませんでした。私は毎日お護摩を修し、飯食おんじき(お米)をその炎に献じています。しかしお大師さまの頃、お護摩に飯食を献ずるということは、黄金を献ずるにも等しかったのではないでしょうか。それほど貴重な供え物であったはずです。

それだけに、たとえ迷信とは思っても、日本人はお米にまつわるさまざまな言い伝えをして来たのです。いくつかは、皆様もご存知のはずです。

「ご飯をこぼすと目がつぶれる」は、それだけ大切にいただきなさいという子供へのしつけでした。「ご飯を食べて横になると牛になる」は、これも行儀の悪さに対する躾けでした。牛は反芻胃はんすういなので、食べたものを口にもどしやすくするために横になります。牛にとっては当然のことですが、人が同じことをしてはいけません。「ご飯茶碗をたたくと餓鬼がきになる」は、早く食べたい、もっと食べたいという貪欲どんよくさを戒める言葉でした。貪欲な人は布施をしませんから、貧乏になり、食べられない胃腸の病気になり、餓鬼になるのです。これは迷信ではなく、本当のことです。「朝ご飯に味噌汁をかけて食べると出世しない」は、朝からゆっくりと食べられないような人は不作法でもありますが、余裕がない、計画性がない、だから出世しないとみなされたのです。さあ、どうでしょうか。

続続・日本人の食事

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令和2年3月15日

 

現代の日本人はペットボトルを持ち歩き、常に冷たい水やお茶を飲んでいます。会議や集会に出れば、テーブルにはさらに別のペットボトルが置かれています。そして、医者も栄養士も「水分をとりなさい」と言います。一日二リットルが理想だというのです。朝に目覚めれば冷たい水をまず一杯、夜の就寝前にまた一杯、夜中にトイレに起きれば不足したその水分をまた一杯です。本当に必要な水分であるのかは、多いに疑問です。

ペットボトルがそこに〝ある〟から飲むのです。あるいは、せっかく買ったのにもったいないから飲むのです。昔の日本人なら、夏でも急須きゅうすてた温かいお茶を、梅干しなどと共にいただきました。だから、水分がしっかりと細胞内に吸収され、熱中症になどなりませんでした。

また、夏野菜や南方の果物といった体を冷やす食品が、一年中食卓にのぼります。しかも、夏になればクーラーを使いますから、体はますます冷えていきます。これではいくら水分をとっても細胞には吸収されません。漢方でいう〈水毒〉の症状です。水分信仰にはこんな落とし穴があることを知らねばなりません。

もう一つ気になるのが減塩信仰です。いまスーパーに行けば、減塩味噌みそと減塩醤油しょうゆのオンパレードです。まるで「塩分が日本人を滅ぼす」と言わんばかりです。それでいながら、高血圧の人口はいっこうに減りません。これはいったい、どうしてなのでしょうか。

そもそも病状というのは、たった一つの要因で語られるものではないのです。年齢・体質・遺伝・運動・食事・ストレスなどが、さまざまに関わることは当然のことです。むしろ、わずか数グラムの塩分を減らすためのストレスの方が高血圧を呼んでいるのかも知れません。それに、いま販売されている醤油のほとんどは、脱脂加工大豆(油をしぼった残りカス)から作られています。醤油本来の酵素が働きませんから、ますます高血圧を呼ぶことになります。

塩は大切なミネラルです。問題なのは人工的に合成された食塩(塩化ナトリュウム)であって、海水を天日干てんひぼしにした自然塩ならさほど気にする必要はありません。それに、体温を上げるのも塩のはたらきです。体を冷やす食事や水分と食塩の相互関係が、日本人の体温を下げています。特に若い女性には35度代、まれには34度代までいます。これでは赤ちゃんを産めません。妊娠しない女性が多いのも当然のことです。

昔の僧侶は真冬でも素足で過ごしました。自然な発酵食品や塩をしっかりとっていたからです。これからは、体温を上げる医学や栄養学が重要視されるべきなのです。

続・日本人の食事

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令和2年3月11日

 

私が小学校に入った頃でしたでしょうか、日本中に妙な風評が立ちました。

それは、「ご飯を食べるとバカになるから、パンを食べなさい」というものでした。同時に、「『味の素』をとると頭がよくなる」というものまでありました。思い出す年代の方もいらっしゃるのではないでしょうか。現代からすればとんだお笑いぐさですが、当時の日本人は大まじめで受け取りました。本当に信じていたのです。

それからしばらくして、今度は「タンパク質が足りないよ!」というテレビCMが一世を風靡ふうびしました。たしか、クレージーキャッツの谷啓たにけいさんの出演だったと記憶しています。それがやがて「肉を食べなければ体力がつかない」という信仰まで生み出しました。

これらの社会現象には、戦争に敗れた日本がアメリカから大量の小麦粉(パン)や石油(『味の素』は当時、石油から作られていました)、また肉類(タンパク質)を輸入しなけらばならなかった政治的な背景がありました。そして、肉の信仰を決定的にしたのが昭和39年の東京オリンピックでした。体の小さい日本人は、筋肉モリモリの外国人に対して大きなコンプレックスをいだいたからです。特にお家芸の柔道では、そびえるような巨体のヘーシンク選手(オランダ)に敗れたことが、国民に大きなショックを与えました。

では、改めて考えてみましょう。ご飯を食べると本当にバカになるでしょうか。『味の素』で本当に頭がよくなるでしょうか。肉を食べなければ体力がつかないというのなら、昔の日本人が一汁一菜でも重労働に耐え得たのはなぜでしょうか。馬は草やニンジンばかり食べていても、あれだけの〝馬力〟があります。パンダは竹や笹ばかり食べていても、あれだけの脂肪を温存しています。そして体の小さい日本人が、今なお世界一の長寿国です。体力とは何をもって尺度とするか、それはさまざまであることを知るべきです。オリンピック競技に勝つことばかりが体力ではないのです。腸の長い日本人には、外国人とは違った和食が合うことはいうまでもありません。

現代の日本人に、特に若い方に一汁一菜の生活はできません。それでもご飯を食べるとバカになるとも、『味の素』で頭がよくなるとも思っていません。だから「肉を食べなければ体力がつかない」という信仰からも、そろそろ脱却すべきなのです。たまに食べる、少しは食べるくらいが、ちょうどよいのではないでしょうか。日本人はやはり、動物性タンパク質は魚介類を中心にすべきだと思うのです。

昔から僧侶は長命だといわれますが、ご飯と共に味噌・納豆・豆腐などの植物性タンパク質で健康を維持してきたのです。もちろん、漬物つけものなどの発酵食品も重んじました。そして腹から声を出して読経し、仏教について思索しさくを重ね、托鉢たくはつ巡礼じゅんれいでよく歩くことにその秘密があったのです。このお話はさらに続けます。

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