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仏教
令和8年6月24日
私は毎日の深夜10時頃、外に出て施餓鬼法を修しています。これは20代で真言宗僧侶になった折、師僧からきびしく訓示されたためです。夕食のご飯(雑穀米)を別の器に取り置き、時間になったら味噌汁(粕汁)をかけ、外に出てお作法をしています(写真)。

私が師僧から訓示されたことは、真言宗僧侶は毎日この施餓鬼法を心がけることと、施餓鬼法においては何の利益も求めないことの二点でありました。この「何も求めない」という訓示が大切です。求めないことで、かえって大きな功徳を生むからです。
私が知るかぎり、この施餓鬼法を修している僧侶は、生活していけるだけの衣食が、必ず与えられます。檀信徒が少なくとも、お寺を維持していくことができています。それは、餓鬼界の亡者が必要な衣食を届けてくれるからです。求めることは大切ですが、それに固執すると我欲ばかり先行して、世間からも人からも嫌われます。
金運宝珠護摩でもよくお話をするのですが、お金を儲けようとしてお金を追いかける人には、実はお金が入りません。むしろ、どうしたら人が喜んでくれるかを考える人は、自分も人から喜ばれ、いつの間にかお金が入ります。世間の人に喜ばれるのも、餓鬼界の亡者に喜ばれるのも同じことです。
与えねば与えられませんが、与えることに固執していては、決して与えられません。ただ、与えることそのものに喜びを感じる時、人はすべてが与えられるのです。これが仏教の極意です。

