山路天酬法話ブログ

白紙の観音さま

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仏教

令和2年6月3日

 

その昔、美濃みの(現・岐阜県)と尾張おわり(現・愛知県)の国境くにざかいに、一人のお婆さんが営む茶店がありました。年とともに視力が衰え、ほとんど盲目に近い状態でしたが、どうにか茶店だけは続けていたのでした。

そこにある若者がやって来て、白紙しろがみを一枚渡しました。それは文字も絵もない単なる白紙だったのですが、お婆さんには見えません。しかしその若者は、「お婆さん、この紙にはありがたい観音さまが描かれているんだよ。これを信心するとご利益があって、見えない眼も開くんだそうだ。だから、しっかり拝むといいよ」と言うのです。

お婆さんはさっそくこの白紙を壁にはり、香華こうげを供え、「南無観音なむかんのんさま」と宝号を唱えて拝みました。店に立ち寄る客は、「婆さん、あんた何を拝んでいるんだ。ただの白紙じゃないか。あんたには見えんだろうが、白紙には何にも描かれてなんかいないんだぜ」とバカにしました。お婆さんはこんなことを言われて時には迷いましたが、拝んでいるところに観音さまはいらっしゃるに違いないという信念を貫き、一心に念じました。

そして、半年ほどが過ぎました。何と、お婆さんの眼がかすかに見えるようになったのです。そして、拝んでいた白紙まで〝真っ白〟に見えてきました。確かに観音さまの絵などありません。しかし、お婆さんは考えました。「半年あまりも拝んできたこの白紙は、私にとってはただの白紙ではないんだ。眼には写らなくとも、きっと観音さまがおこもりになっているに違いない。これからもそのつもりで拝んでいこう」と。

やがてこの「白紙の観音さま」のうわさが広まり、いろいろな方がお参りするようになりました。時には僧侶の方までがわざわざ遠方からやって来て、読経をしていきました。もちろん、そうなれば茶店の方も繁昌し、お婆さんは二重のご利益をいただいたことになったのです。

皆様はこのお話をどのように考えますでしょうか。問題は「拝んでいるところに観音さまはいらっしゃるに違いない」というお婆さんの信念に尽きましょう。私はこのような霊験は十分にあり得ると思います。それが信仰だからです。世に知られた『観音経』には、「念彼観音力ねんぴかんのんりき」という聖句が何度もくり返されます。一般には「の観音の力を念ずれば」と訳されています。観音さまを念ずればあらゆる災難から逃れられると、多くの描写が列記されています。しかし、どうでしょう。「彼の観音」とあります。ただ漠然ばくぜんと観音さまを念ずるのではなく、どこにいようとも自分が信仰し、香華を供え、宝号を唱え、よくよく拝んでいる〝彼の観音〟でなければならないということです。安易に観音さまを念じても、奇跡は起こりません。

それにしても、お婆さんに白紙を渡した若者とは誰だったのでしょう。私はそれが誰であろうと、彼こそは観音さまのお使いだったと信じます。そして皆様のまわりにも、そういう方が必ずいるのです。意外にも、ごく近くにです。早くそれに気づかねばなりません。これもお大師さまの教えですよ。

胸のすくような快僧

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仏教

令和2年6月2日

 

明治時代の始め、曹洞宗そうとうしゅう原坦山はらたんざんというとい禅僧がいました。儒教や医術も学びましたが、やがて出家し、僧侶として初めて東京大学で仏教講義(インド哲学)をしたり、晩年は現・駒澤大学の総監を務めたりもしました。

大変な酒豪で、仏前でも平気で飲んでいました。訪問して来た僧侶にも酒を勧めると、おかたい方はたいてい断ります。すると「酒も飲まんヤツは人間じゃないぞ」とまで言うのです。「人間でなければ何ですか」と聞き返すと、「仏さまじゃ」と放言する始末でした。

この坦山が、まだ若い修行時代のことです。連れの僧侶を伴って大井川を渡ろうとしましたが、昨夜の雨で増水していました。二人は迷いましたが、勇気を出して渡ってみようと決心したのです。二人はすそを巻き上げ、ひもを結び、いよいよ川に入ろうとしました。その時、旅姿の若くて美しい娘が、同じように川を渡りたいおもむきで岸辺に立っているのに気づきました。どうやら急いでいるのに、困惑している様子でした。まさか、娘の身ですそを巻き上げるわけにもいきません。

そこで若い坦山が、「あなたも向こう岸へ渡りたいのかね」と聞くと、そうだと言います。何とかしていただけませんかとでも言いたげでした。しかしこの時代、僧侶が女性の体に触れることなどあり得ないことでした。しかし、坦山は腹をくくって自分の荷物を連れの僧侶にあずけるや、「しっかりつかまっていなさい」と言って、その娘を軽々と抱き上げました。そして、ザブザブと川を渡り始めました。浅瀬を探りながら、注意深く進んで行ったのです。連れの僧侶はにがい顔で後から、坦山について行きました。

そして無事に向こう岸に着くや、娘は「何とお礼を申していいのかわかりません。ご出家しゅっけさまに抱いていただくなんて、身にあまる光栄です。このご恩は決して忘れません。ぜひお名前をうかがいとうございます」と礼を言いつつ願い出ましたが、坦山はにっこり笑うばかりで、振り向きもせずに歩き始めました。

その日の夕方、ある家に一夜の宿をうた二人でしたが、連れの僧侶がどうも不機嫌ふきげんでした。坦山は「おぬし、やけに陰気な顔をしているが、どうしたのだ」と問うと、「どうもこうもあるまい。若い娘を抱き上げるとはどういうことだ。道をみはずすぞ」と言うのです。坦山は答えました。「なんだ、おぬしはそんなことにこだわっていたのか。わしはもう、すっかり忘れていたぞ。おぬしはいつまでもあの娘に思いを寄せて抱いていたのか」と。

このお話はよく語り伝えられています。僧侶は俗にあっても俗に染まってはならないという戒めとして、なかなかに味があります。またこの時代、かくも胸のすくような快僧がいたのです。維新の英雄も政治家も、軍人も学者も、そして若者も、新しい日本を築くために必死でした。それだけ、人としての器も大きかったのです。

合掌でボロが出る俳優・女優

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仏教

令和2年6月1日

 

俳優さんや女優さんは、もちろん立派な演技をします。しかし、合掌した時の姿にたいていはボロが出るので、そのことがとても気になっています。私もたまにはテレビを視るのですが、特に刑事ドラマなどで、若い俳優さんや女優さんが死体に向って合掌するシーンは、「まったく!」といっていいほどサマになりません。

こうしたシーンは、たとえば『鬼平犯科帳おにへいはんかちょう』での中村吉右衛門さんなどはさすがだと思いました。一般に大御所おおごしょと呼ばれる俳優さんや女優さんは、堂に入っているように思います。たぶん、それだけの努力を重ねて来たのでしょう。あるいはお寺や仏壇の前で合掌する習慣があるのでしょう。そもそも合掌の姿は、修行をして生活に溶け込まなければ体得できません。念珠の持ち方も、そのり方も同じです。つまり、単なる演技では必ずボロが出るということなのです。

黒澤明監督は数々の美学的映像を仕上げ、多くのファンを魅了しました。どのシーンを瞬間的に止めても、完璧な構図をなしている手腕には脱帽します。ところが『影武者』での上杉謙信が、「信玄死す!」の知らせに合掌する姿ばかりはいけません。春日山城の雪降る景観をリアルに描きながら、「惜しいな」と思ったものでした。

映画といえば、仏教の祖師や僧侶を主人公にした作品にもいくつか接しました。その昔の『釈迦』では本郷功次郎さんがお釈迦さまを演じましたが、残念ながら紙芝居かみしばいほどの記憶しかありません。萬屋錦之助さんの『日蓮』は貫禄かんろくはありましたが、どうしてもサムライという印象から離れません。『子連れ狼』を僧侶にしたような感じでした。

北大路欣也さんの『空海』を、皆様はどのようにご覧になったでしょう。おそらく、お寺である程度の作法は〝勉強〟したはずです。しかし、大変に失礼ではありますが、私は途中で劇場を出ようかとさえ思いました。お大師さまこそは日本史上、最大の巨星です。俳優さんが演じること自体、どだい無理なのです。もし私が監督だったら、お大師さまの映像は〈後ろ姿〉ばかりに留め、低めの声を静かに流すでしょう。合掌の姿も手に持つ念珠も、ボロを出したくはありません。

私がまずまず得心したのは、『天平てんぴょういらか』で鑑真和上がんじんわじょうを演じた田村高廣さんでしょうか。かなりの〝修行〟をしたのだと思います。主演の普照ふしょうを演じた中村嘉葏雄さんも琵琶法師びわほうし以来、僧侶役には適切だと思いました。

最後に『少林寺』における出演者はみな相当な武術家だけに、拳法も合掌の姿もみごとだったと思います。中国でも日本でも少林武術の旋風をまき起こしましたが、あの鍛錬たんれんこそは修行そのものです。ストーリーはともかく、これぞ僧侶なのだという気迫が見られるはずです。また韓国歴史ドラマの中にも、風格のある僧侶役の俳優さんがいたのを覚えています。

もう、字数が尽きました。酷評を並べましたことはお詫びいたします。それだけ俳優さんにも女優さんにも、期待をしているからです。多謝、多謝。

一目ぼれした尼僧

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仏教

令和2年5月30日

 

お釈迦さまの十大弟子の一人に、阿難尊者あなんそんじゃ(アーナンダ)という方がおられます。お釈迦さまの侍者として最も身近に使え、従って最も多くその教えも聞いたので「多聞第一たもんだいいち」とまで呼ばれています。また、阿難は大変な美男であったことでも知られ、多くの女性からもあこがれの的であったようです。

ある日、阿難は朝の托鉢たくはつを済ませ、祇園精舎ぎおんしょうじゃへ帰る途中でのどのかわきを覚えました。どこかで水を飲もうと思っていた時、清らかな池のほとりに出ました。そして、そこには近所の摩登伽まとが(マータンガ)という娘がちょうど水を汲みに来ていたのでした。阿難は静かに娘に近づき、ていねいに「水を一杯いただけませんか」と所望しました。摩登伽は「かしこまりました。いま汲んで差し上げましょう」と言って、阿難の食器に水を注ぎました。阿難はうやうやしく押し頂き、静かにその水を飲んだのでした。

ところが、その気高く美しい阿難の姿を見て、摩登伽はすっかり心をうばわれてしまいました。もの静かな気品に打ち震え、胸の高鳴りを押さえることができませんでした。この摩登伽という娘は、もともと多情多感であった旨を表記をした経典もあります。礼を言って立ち去る阿難の姿を追いながら、ものにかれたように、ぼんやりとたたずんでいたのでした。

そして家に帰ると、一目ぼれしたやるせない気持ちを母親に訴えました。「女として生まれて夫を持つなら、あの阿難さまのような方と結ばれたいのです。どうか私の心を察して、阿難さまにお願いしてください」と懇願こんがんしたのです。もちろん阿難は仏弟子(出家者)ですから、結婚などできるはずがありません。母親は「それは無理というものだ。阿難さまはお釈迦さまの大事なお弟子なのだよ。こればかりはあきらめなさい」と言いましたが、娘はなおも「この願いが叶わぬなら死んだほうがましです。生きていく意味がありません」とまで訴え続けました。

母親はやむなく、このことを阿難に告げましたが、阿難もまた解決する手立てもなく悩んでしまいました。こうなると、もうお釈迦さまの指示を仰ぐほかに道はありません。お釈迦さまは慈愛に満ちた表情で摩登伽の訴えを聞き、「そなたの気持はよくわかった。しかし、阿難と結ばれるためには、阿難と同じ境界きょうがいに到達しなければ、夫婦となっても破綻はたんしてしまうのだよ。毎日ここに通って私の説法を聞き、修行をすることができるかな」とさとされました。

摩登伽はもちろん承諾し、尼僧にそうとなって世俗の煩悩ぼんのうを超え、一心に修行の道に励みました。そして、やがて大きな悟りに到達し、阿難とは世俗の夫婦としてではなく、法友として共に歩むことに喜びと生きがいを感じるようになったのです。お釈迦さまも阿難も、そして摩登伽自身も、すべてが丸くおさまったのでした。

なお、日本の僧侶は結婚している方が多いのですが、それはこの国独特の仏教として異質な発展を遂げたからです。「堕落した仏教」などと一概に考えてはなりません。念のためです。

「できる男」の薬指

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人間

令和2年5月29日

 

女性が男性のどこを見るかというデータを調べますと、意外に手や指を見ているとの事実が判明しました。

特に現代は営業マンが商品を説明する場合、その手や指に視線が注がれるのは当然です。汚い手や指で説明されれば、誰だって買う気にはなれません。だから、男性専門のネイルケヤーが流行しているともうかがいました。今や男性にとっても、手や指は大事な〝商売道具〟となったことに間違いはありません。男性は常に、自分の手や指への気配りが必要な時代になったのです。

そこで、その指のお話です。読者の男性は自分の薬指を、既婚の女性はご主人の薬指を、恋人どおしの女性なら彼氏の薬指を、てのひらの方から見てください。そして、人差し指との長さを比較してください(この文章から離れて、まずはよく見てださい)。はっきりしないという方は、指の根元のシワから指先までを定規で測りましょう。どうでしょうか、もし薬指の方が長くれば、まず「できる男」と思って間違いありません。つまり、社会的能力に優れているということです。これは単なる遊びではないのです。動物行動学に基づく、学問的な裏づけがあるからです。

このことは、イギリスのケンブリッジ大学での調査結果があります。ロンドンの金融街でデータを出したところ、薬指が長いグループは反対に短いグループに対し、何と年間平均60万ポンド(7800万円)も収入が多かったというのです。7800万円もです。「それは聞き捨てならぬ」と思うでしょう。だから、まじめに測ってみてください。

これは、どうしてなのかと言いますと、男性ホルモンの代表であるテストステロンの分泌量が多いからです。母体に宿って男性としての体が形成される段階で、薬指に投影されるのです。テストステロンは女性にも分泌されますが、やはり男性に多いことは当然です。つまり、薬指の長い人はテストステロンの分泌量が多く、したがって精子の量も多いのです。そして行動力や闘争力があり、男性としての魅力にも富んでいるはずです。

しかし、もし薬指の方が短いという方も、がっかりすることはありません。テストテロンだけで社会的能力のすべてが決まるわけではないからです。たとえばセントニンの分泌量が多いと、気配りや冷静さといた精神性が高く、これも社会的能力となりまです。行動力や闘争力ばかりが男性の魅力ではありません。また、テストステロンの分泌量が多いと、失礼ながらハゲやすいという弱点もあります(そっとお教えしますが、新幹線のグリーン車に乗っている男性客はハゲが多いとの調査結果があります)。

真言密教では薬指のことを「無名指むみょうし」と呼びます。「あえて名づけない指」という意味でしょう。何とも気になる呼び名です。そして呼び名からして目立たず、何の役に立っているのかと思うところに秘密があるのです。私は毎日のお護摩で常に印を結びますので、その重要性がよくわかります。

ちなみに私は、人差し指が根元から七センチ、薬指は七・五センチで、「できる男」のようです(笑)。どうかな。

中央線吉祥寺駅

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令和2年5月28日

 

私がいだくお釈迦さまのイメージは、祇園精舎ぎおんしょうじゃ竹林精舎ちぃりんしょうじゃでの布教と共に、インド各地を伝道して歩いた「旅の行者」であったということです。そして、もう一つが「瞑想の達人」であったということです。おそらく弟子や信徒から解放されたとき、無上の楽しみは瞑想にあったのではないかと思います。仏典には、瞑想中しているお釈迦さまの横を数かぎりない馬車が通りながら、何も気づかなかったという表記が残されています。これが意識(心)というものの不思議さなのです。

お大師さまも若い頃は、奈良や四国各地の山中で瞑想に明け暮れました。後年は京都で華々はなばなしい活躍をされましたが、本心は高野山での静かな瞑想を好むお方であったことが、その詩文を拝読すればわかります。〈空海くうかい〉という名は、一般には「空と海」と解釈されますが、私はそうではなく「空の海」だと考えています。「空と海」はすなわち海辺での壮大な景観ですが、「空の海」とはつまり〈雲海〉のことです。雲海の漂う山上での瞑想を好む真言の行者という意味です。私はこの考えに、かなりの自信を持っています。

お大師さまはその瞑想に励むや、時空を離れ、人との約束すら忘れてしまうことがありました。つまり瞑想という異次元世界は、時空を離脱しているということなのです。たとえば、私たちがわずかに15分程度のうたた寝をしている間に、東京と大阪を往復した夢を見たりすることでもわるはずです。これが、異次元世界との接点なのです。

さてお話のレベルは急に下がるのですが、いささか時空を離脱した記憶として、私は東京の中央線吉祥寺きちじょうじ駅での経験を忘れることができません。まだ上京して間もない、右も左もわからぬ十八歳の時でした。その日はあいにくの雨で、傘を持ってバスで吉祥寺駅に向いました。そして、私はほんの気晴らしに、高木彬光たかぎあきみつ著の『成吉思汗じんぎすかんの秘密』という小説を読んでいました。ところが、そのストーリーのおもしろさに夢中になり、その後の行動に何の意識もなくなるほどになっていたのです。吉祥寺駅でバスを降り、傘をさして、どのようにして改札口に向かったのか、それすらも覚えていませんでした。ただ、意識ばかりが本の中に没入し、手足は勝手に動いていたのでしょう。

何やら私は、人を視線を感じました。そして気がつくと、みんながジロジロと私を見て行きます。私はたちまち赤面しました。何と、私は駅の構内でも傘をさしたままだったのです。「気のふれたヤツが傘をさしている」ぐらいに思われたのでしょう。その後も、本を読みながら駅を乗り越した経験はありましたが、これほどまでのことは二度とありませんでした。

ものごとに集中して何も見えず、何も聞こえなくなるといった偉人(もちろん、私は偉人ではありませんが)の逸話を聞きますが、十代での忘れ得ぬ経験となりました。こんな経験をしながら、何かを求めて遠くを夢見ていたのかも知れません。「中央線吉祥寺駅」と聞くと、今でもドキッとします。

涙も止まらぬ法悦

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仏教

令和2年5月27日

 

日清戦争は明治28年に終結しましたが、日本国内は不景気で失業者があふれ出る始末でした。この当時、茨城県のある村(現在の石岡市近く)に、一家五人暮らしの貧しい小作こさく農家がありました。小作だけでは暮らしも立ちません。親夫婦は東京に出て土木作業員となりました。村には長男の元三(十八歳)、長女のサヨ(十六歳)、次男の巳之助(十二歳)の三人が残り、親の仕送りを待ちつつ、元三ばかりは農家の手伝いをしながらやっとの生活をしていました。

しかし運命とは非情なもので、東京に出た両親が流行はややまいの腸チブスにかかり、相次いで亡くなってしまったのです。三人はかゆをすすってどうにかえをしのぎましたが、困窮こんきゅうを絵にかいたような暮らしでした。この頃の運動会はハカマをはいて競技をしましたが、学校に通う次男の巳之助にそんな余裕などありません。「兄ちゃん、明日はみんなハカマをはいて来るんだよ。僕にもハカマを買っておくれよ」とせがまれた元三は弟かわいさに、とうとう「そうか、買ってやるよ」と言ってしまったのでした。

元三はあてもなく夜道を歩きつつ、何とかしようとしましたが、どうにもなるものではありません。とうとう、石岡のある店からハカマ一着を盗み出してしまったのでした。翌日、彼は喜んで運動会に向かう弟を見送ったものの、警官から出頭を求められて尋問じんもんされるまま、素直に自白して監獄かんごく送りとなりました。短い刑期で済んだものの、以来彼は、村にもいられぬ誹謗ひぼうの的となったのです。妹や弟までもいじめに泣かされ、悔恨かいこんの念も逆転して「覚えていろよ!」と、凶賊きょうぞくへと転じました。ついに彼は恨みの農家三軒に放火し、再び入獄して長期の刑を受ける身となったのでした。悪事をなそうと思って生まれて来る人など、いるはずがありません。背負った〈ごう〉が人を動かすのです。運命を動かすのです。元三はその後も転落を重ね、前後六回の監獄入りをしつつ、三十六歳を迎えました。

そして、彼のこの悲運な人生を救ったのが、東京品川のある寺の住職でした。最後の刑期を終えた彼を自坊に引き取り、家族同様の生活をさせました。お茶も食事も、風呂も就寝も、そして日常の生活も、これまでの人生にない暖かい情けとうるおいを与えたのでした。ある時、住職が「死ぬ気になって生まれ変わることができるか」との問いに、彼は「できます」と答えました。そして、合掌して住職が唱える〈三帰依さんきえ〉に、静かに耳を傾けました。「南無帰依仏なむきえぶつ南無帰依法なむきえほう南無帰依僧なむきえほう」と。彼は生まれて初めての、涙も止まらぬ法悦を知りました。

以来、元三はどのような誹謗を受けようとも、「自分は生れ変わったのだ。仏さまの弟子なのだ」という信念を貫き、さる農家での奉公を続けました。そして、しだいに信頼が高まり、家庭を築き、村人の手本とさえなりました。善悪のはざまをくり返した彼の人生は、実は私たちの写しでもあります。〈業〉が動けば、私たちの人生でさえ何がおこるともかぎりません。しかし、その〈業〉によって、また立ちなおれるのも人生です。私たちはそれを背負って生きています。

続・香りについて

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真言密教

令和2年5月26日

 

八千枚護摩はっせんまいごまにはさまざまな思い出があります。使用していた腕時計が、決まって15分進んでしまうのもその一つでした。「こんなはずはない」と思い、かなり無理をして高級品を買い求めましたが、結果は同じでした。しかしカシオのデジタル腕時計は、安物(!)でも進みませんでした。あれはどうしてであったのかと、今でも思います。

お話をもどしましょう。八千枚護摩中には何度か護摩木がいぶって、キナくささがただようことがありました。その時、思ってみない遠い記憶がよみがえるのでした。それは子供の頃に毎日、風呂を沸かしていた時のことでした。父のいいつけで、これが私の日課になっていたのです。現代のようなユニットバスなどありませんから、たきぎに点火し、竹吹きで風を送りながらマキをくべました。その時、キナくさいにおいが発生するのです。つまり、私はそのにおいを毎日嗅覚きゅうかくとどめていたのです。しかし年齢を重ねると共に、私の記憶からすっかり遠のいて行ったことは申すまでもありません。

ところが、八千枚護摩中に同じにおいに接するや、何十年もの時を超えてよみがえる嗅覚の不思議さには、驚きを禁じ得ませんでした。しかも風呂場の前にしゃがみこんで、その炎をじっと見つめていた幼い自分の姿まで、映像のように浮かぶのです。もちろん視覚も聴覚も、味覚も触覚も、五感のすべてが同じように作動しているのでしょう。一度見たものも、一度聞いたことも、一度触ったものも、みな記憶の底には残っているはずです。母親が作ってくれた〈おふくろの味〉も、味覚として残るのも当然です。しかし、嗅覚がこれほどまでに記憶と直結している事実は、意外というほかはありませんでした。八千枚護摩の思い出の中でも、格別な体験として忘れ得ません。

私たちは自宅の前に巨大なマンションが建って景観をそこなわれても、しかたがないとあきらめるはずです。線路や道路わきに住んで騒音に悩まされても、だんだんに慣れるはずです。注文した料理がまずくても、次は別の店に行こうと思って食べるはずです。購入した洋服の肌ざわりが悪くても、ガマンをして着用するはずです。しかし、悪臭の中で生活することはできません。つまり、嗅覚こそは五感の中でも特別な存在なのです。

現代は空気清浄機はもちろん、消臭剤や芳香剤が数限りなく売られています。それだけ、私たちはにおいに対して敏感なのです。また私たちの生活と嗅覚には、特に密接な関わりがあるのです。ついでですが、〈におい〉は悪いにおいで「くさい」とも読みますが、〈におい〉はよいにおいで香りのことです。お間違いなさいませんよう。

いま、若い女性の間でもお香が流行はやっています。ストレスをやわらげ、安眠へ誘う手立てとしてお香を愛用することは私も勧めています。昨日、香りはこの世とあの世の媒介ばいかいだとお話しました。そして毎日、幽玄なお香をお大師さまにお供えしています。その時、お大師さまの方からその香りをお届けくださっているようにも思えてきます。香りの感応道交です。

香りについて

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真言密教

令和2年5月25日

 

私は二十代で真言密教の僧侶となり、三十代の10年間は八千枚護摩はっせんまいごまという難行なんぎょうに明け暮れました。これはお釈迦さまが、この世とあの世を八千回往復して悟りを開いたという説に基づくものです。一週間菜食さいじきして不動明王のご真言を十万遍唱え、さらに一昼夜断食だんじきして八千本の護摩木を焼き尽くしました。現在はこの八千枚護摩も各地で修されていますが、当時はこんな難行にいどむ行者は少なかったように思います。

私はこれを50回も成満しましたが、始めの頃はすべて断食して修したため、意識がもうろうとする中で不思議な現象も体験しました。修法中には「加持物かじもつ」と言って、白ゴマを炎に投ずる作法があります。その時、限りない無数の光輪につつまれるのです。その色がたとえようもない輝きを放ち、まるで夢のような心地であったことは忘れられません。私たちは普段は感ぜずとも、多くの異次元世界の中で生きていることを実感したものでした。

このような体験を重ねると、感覚がえわたることは間違いありません。特に嗅覚きゅうかくが発達するのです。当時の寺は三階建てで、一階が事務所やロビー、二階が本堂、三階が庫裡くり(居住所)でした。成満してすぐに境内を巡拝するのですが、その時は三階でどんな食事を作っているかさえ感じ取れるほどでした。「いま、味噌汁のダシをとっているな」ということがわかるのです。また自分が知らない土地で車に乗っていても、はるか手前で「この先にラーメン屋さんがありますね」などと言うと、そのとおりラーメン屋さんがありました。独特のにおいをいち早くキャッチしていたからです。歯が悪い人や胃が悪い人の、わずかなにおいもスグにキャッチしたものでした。

もっとも、私は今でも毎日お香をきますので、一般の方より嗅覚が発達するのは当りまえです。しかも伽羅きゃら沈香じんこうといった高価なお香を焚きますから、なおさらのことです。皆様も毎日このような香りに接していれば、嗅覚の発達はもちろん、顔までがどことなく仏相を帯びてくるはずです。これは本当のことです。

どうしてこんなお話をしたのかと申しますと、香りこそは仏さまに近づく最も身近な手段であるからです。真言密教の僧侶が行法をするにも、最初に修するのはお焼香です。また、皆様が亡くなった方を回向するにも、お線香をそなえます。つまり、香りこそはこの世とあの世の媒介ばいかいなのです。

品格の優劣も香りです。「紳士の香りがただよう」とか「うさんくさい」などと言うでしょう。本物と偽物にせものの違いもまた香りです。「本物の香りをはなつ」とか「あやしいにおい」などと言うでしょう。あらゆる理屈を超えて、本質は香りに現れることを知らねばなりません。香りについてのお話はさらに続けましょう。

ほどほどの大切さ

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健康

令和2年5月23日

 

最近よく思うのですが、生きるということは〝ほどほど〟であることが大切です。たとえば、私たちが生きていくためには酸素・水・光・塩といったものが必要です。しかし、どんなに必要であっても、それが多過ぎてはいけませんし、逆に少な過ぎてもいけないことに気づくはずです。

私たちは酸素がなければ、もちろん生きてはいけません。また、大きく深呼吸をすることは自律神経を安定させ、健康増進にも役立ちます。しかし多過ぎると体内に活性酸素が発生し、健康を害します。アスリートでもない人が過激な運動をして、急死したりするのはこのためです。

水はどうでしょう。体の60パーセントは水分ですから、水の重要性は申し上げるまでもありません。特に真夏に大量の汗をかくと水分が不足し、血液がドロドロになり、熱中症や脳梗塞のうこうそくを招きかねません。この頃は気象予報士でも、「こまめに水分を補給しましょう」などとよく言います。しかし大量に水分をとり過ぎると、これを処理する腎臓じんぞうに無理が生じます。体に不要な水がたまって冷えの原因となります。漢方ではこれをすいどくといい、万病のもととするのです。今日、若い女性の体温が低く、また体がむくむのは、運動不足やクーラーに加えて冷たい水やお茶を必要以上に飲むからです。

太陽光の紫外線が皮膚がんやシミの原因になるとして、極端に避ける方がいますが、これもいけません。朝日を拝んでセントニンを浴びることは、心身のバランスをはかる上でとても大切なことです。うつ病や引きこもり、すぐにキレやすいといった症状は、脳内セントニンが不足しているからです。

塩も大事です。多くの医師が「塩分をひかえましょう」と言って減塩運動を呼びかけますが、高血圧の人口はいっこうに減りません。その理由の一つは合成した食塩(塩化ナトリュウム)にあるからです。また、熱中症は水分の補給だけでは予防できません。血液は塩分濃度を一定に保つ必要があるからです。よけいなことでしょうが、日本人は少しは高価でも、塩と醤油しょうゆと味噌ばかりは昔ながらの天然ものを使うべきだと私は思います。

こうした事実に照合すると、見えてくる真理がたくさんあります。新型コロナウイルスはもちろん論外ですが、あまりに除菌が過ぎると免疫力が落ちます。謙虚であることは大切ですが、謙遜けんそんが過ぎると卑屈ひくつになります。正直に生きねばなりませんが、潔癖けっぺきが過ぎると周囲から敬遠されます。迷惑をかけてはいけませんが、遠慮が過ぎると相手を困らせます。

「過ぎたるは及ばざるがごとし」と言うではありませんか。ほどほどの意味を知りましょう。そして、ほどほどに生きることの大切さを知りましょう。世の中を見てください。ほどほどを知らない人が病気になるのです。迷惑をかけるのです。問題をおこすのです。そうでしょう。

山路天酬密教私塾

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