肝のすわった僧侶

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令和2年6月30日

 

宮城県の松島は「日本三景」の一つに数えられる、天下の名勝です。そして、松島の古刹こさつといえば瑞巌寺ずいがんじです。伊達政宗ゆかりの寺としても有名ですが、幾多の変遷へんせんを経て、江戸時代に雲居うんご禅師によって興隆しました。この雲居禅師、松島の中の〈雄島おじま〉と呼ばれる小島の岩窟がんくつがよほど気に入ったのか、毎日ここで座禅をして、深夜に寺に帰るのが日課になっていました。瑞巌寺からさほどに遠い距離ではありませんでしたが、老杉や古松がうっそうとして昼でも薄暗い道です。村の人々は気味悪がって、めったに通ることもありませんでした。

さて、村の若い者が集まれば、いたずら心と遊び心は常のこと。いったい、この禅師がどのくらい度胸がすわっているのか、試そうじゃないかということになりました。つまり、何とかして驚かせてやろうということになったのです。

禅師が雄島から帰る時刻はわかっていましたから、おのおの、それぞれの部処について待ち受けることとなりました。墓場の影に隠れる者、木に登ってうかがう者、うずくまって待ち受ける者、それぞれです。それぞれの所で、禅師が近づいたら、仰天させてやろうと若者たちは得意げでした。

夜はしんしんと更けわたり、一面は妖気ようきにつつまれる頃となりました。そろそろ、禅師が帰る時刻です。すると、かなたよりゲタの音を運ばせながら、禅師が静かに近づいて来ました。若者たちは息をのんで、これを待ち構えました。

ある松の下に差しかかったその時、樹の上から禅師の頭をグッとつかんだ〝もの〟がありました。禅師は身じろぎもせず、ただ立ち止まって動きません。つかんだ方も、息を殺して動きません。ウンともスンとも言わず、静寂の時間が続きました。つかんだ方は決まりが悪くなりました。気がぬけてしまったのです。仕方なしに、つかんでいたその手をそっと離しました。手が離れると、禅師は何ごともなかったかのように、また歩き出して寺に帰りました。

その翌日、若者たちは何くわぬ顔つきで禅師のもとを訪ねました。そして談たけなわの頃、あの森では妖怪ようかいが出るなどと、知らんふりをして話題に出しました。そこで禅師は、こう語りました。

「うん、昨夜は松の木の下で頭をつかまれたよ。じっと立っていたら、だんだん五本の指先が暖かくなってな。妖怪ではないとわかった。人間のにおいじゃったよ。そういえば、お前さんたちのこの臭いと同じじゃったなあ」

若者たちはほうほうのていで逃げ去りました。きものすわった僧侶とは、こういう方のことなのでしょう。さすがですね。

山路天酬密教私塾

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