令和2年6月29日
初代・三遊亭圓朝は、幕末から明治にかけて活躍した落語家です。落語中興の祖と呼ばれ、歴代名人の筆頭ともされています。特にお笑いの滑稽噺より人情噺の評価においては、古今独歩の地位にあるといえましょう。
もちろん、名人として世に知られるまでには、並々ならぬ辛苦があったことは申すまでもありません。まだ小圓太と名乗っていた修行時代、師匠の圓正の家では、お使いや掃除ばかりさせられていました。師匠が寄席に向かう場合も、当然お伴としてついて歩かねばなりません。電車もバスもありませんから、遠い道のりでも師匠の荷物を持って歩けば、疲れもするし、空腹にもなります。
ある冬の夜、師匠がめずらしく「蕎麦でも食っていくか」と言って、暖簾をくぐりました。小圓太は自分も一杯食べさせてもらえれば、冷え切った体も温まるだろうと喜びました。ところが席に着いたのは師匠だけで、しかも天ぷら蕎麦とお酒を一人前しか注文しません。そして、お酒を飲みながら天ぷら蕎麦をうまそうに食べてしまうと、さっさとお代を払って出て行きました。そして、後ろをふり向くと、「蕎麦が食いたかったら、早く真打(高座で一番の出演者)になれよ」と、それだけでした。
弟子入りして二年余りになっても、一度として噺の稽古をつけてくれません。とうとう我慢できずに、そのことを師匠に願い出ました。すると師匠は、「では寒いだろうが、明日は夜明けまでに来い」と言います。翌日、小圓太は眠気も寒さも忘れて、師匠の家に駆けつけました。ところが、言いつけられたのは庭掃除です。小圓太が池のところを箒ではいていると、師匠がいきなり氷の池に突き飛ばしました。氷を砕いて全身ずぶぬれです.それでも、凍える体で着がえを済ませて庭に出ると、師匠がスズメに米粒を撒いていました。一羽のスズメが食べ終わると、樹の枝にとまりました。また別の一羽が食べ終わると、一段上の枝にとまりました。師匠はそれを、ジーッと見つめています。そして、「もう、稽古は済んだぞ」と言うのです。小圓太は何のことやらわかりません。そして、師匠が言いました。
「高座で空腹の噺をする時は、あの蕎麦のことを思い出せ。眠い時や体が凍えた時の話をする時は、さっきのことを思い出せ。そうすれば、噺が真に迫る。このスズメを見ろ。下のスズメと上のスズメを見る時は、目線を移さねばならん。わしはそれを教えたんじゃ。だから稽古は済んだと言ったんじゃよ」
小圓太は初めて、師匠の厚い情けを知りました。こうまでして、弟子である自分を仕込んでくれている師匠の慈悲を知りました。名人・三遊亭圓朝の誕生秘話です。