山路天酬法話ブログ
疫病退散の写経勧進
令和2年8月17日
あさか大師ではコロナウイルス終息を願って、いま『般若心経』の写経勧進をお願いしています。
写経は初めてという方も多いと思いますので、白紙を下にすると文字が浮き出て、上からなぞれる形式の専用紙を用いています。また、筆や筆ペンなど持ったこともないという方は、サインペンや鉛筆でもよいとお話をしています。サインペンや鉛筆なら、子供さんでも写経は可能でしょう。巻末には「疫病退散・国家安泰」と、そしてご自分のお名前と写経日を記入していただき、一巻につき1000円をお納めいただいています(説明書があります)。ご奉賛いただける方には遠方でもお送りいたしますので、メールやお電話でご一報ください。
まだ始めたばかりですが、お納めいただいた写経はお大師さまのご宝前にお供えし(写真)、毎日のお護摩でご祈祷を続けています。字が下手だからとおっしゃる方もいますが、何の心配もいりません。心をこめて写していただければ、お大師さまはどなたの写経でもお受け取りくださることを申し上げておきましょう。

お大師さまは弘仁9年(平安時代)の春、天下に疫病が発生した折、時の嵯峨天皇さまにお願いして紺紙金泥による直筆の『般若心経』一巻を献じ、鎮護国家の修法をしてこれを退散させました。これが大覚寺(京都市右京区嵯峨)に秘蔵されるご宸翰の『勅封般若心経』です。弘仁9年は戊戌の歳であったので、同じ干支が巡る60年に一度のみ、勅使によってこれが開封されています。
また、お大師さまは『般若心経秘鍵』を著わし、この経典の奥義を解説されました。玄妙な名文で難解かも知れませんが、文章自体にお力がありますので、読誦したり仏前に供えるだけでも功徳になります。実は、私の友人が私財を投じてこれを印施(無料配布での布施)しました。最初、私に表題を書いてほしいとの依頼を受けたのですが、あまりにも恐れ多いので、お大師さまのご真筆からこれを集字しました。組み合わせに苦労しましたが、何とかまとまったと思います。あさか大師の縮小写真も付録にしました。こちらもご希望の方は、申し出てください。さっそくお送りいたします。合掌

今日のあさか大師
令和2年8月16日
今日は第三日曜日で、午前11時半より金運宝珠護摩、午後1時より光明真言法要がありました。静岡で観測史上初の40・9度をはじめとして、全国的な猛暑日でした。コロナウイルスの不安が続きながらも、常連の皆様はお参りにお越しくださいました。読経の声にも、暑さに負けぬ勢いがありました。
一度お護摩を修すると、全身が汗だくです。それでもお参りいただいた皆様の願いに答えようと、特に〈金運増大〉を中心に祈りを込めました。写真はまだ、さほどに炎が高くない時のものです(間を空けて座っていただきました)。

また、午後の法要の後、二名の新発意(仏門に入ることを決意した方)の得度式を挙行しました。黒衣も初々しく、袈裟も様になっていませんが、これから修行を重ねるたびに似合って来ます。これが礼拝の功徳、読経の功徳、そして何よりお大師さまの功徳というものです。私はそのことを、得度式の後の楽しみにしています。いつもながら、忙しい日曜日でした。

続続・毎日の施餓鬼法
令和2年8月16日
私は毎日の施餓鬼法を修する一方、もう一つ心がけて来たことがあります。それは、生きているこの世の人にも、出来るだけ食事を布施しようということです。お店での外食の場合もありましたが、料理を作ることは好きなので、これまでもたくさんの方々に食事をふるまって来ました。
たとえば、四年前に退職した先のお寺は初詣が多く、お弟子さんやご奉仕の皆様は泊りがけでした。私は一日中お護摩を修してクタクタでしたが、それでも皆様が近くの温泉に行っている間も休むことなく、自分で料理を作ってねぎらいました。翌日のため、深夜遅くまで大鍋で汁を作ってもいました。風呂にも入らず、そのまま倒れるように眠りについたものです。また退職を決めた頃、一週間にわたって本場の(!)インドカレーを作り、役員の方々に最後のもてなしをしました。
私は今では、まったくと言っていいほど外食をしません。だから、時間があればお越しになった皆様に、料理を作ってふるまっています。専門に料理を習ったことはありませんが、これも飽食の時代に生きて、少しでもその恩に報いねばと思っているからです。つまり、布施の行として自らにこれを課しているということです。
さて、今日はついでながら、せっかくなのでお話をしておきましょう。私はたくさんの方々に料理をふるまって来ましたが、気になることが一つだけあるのです。それは料理をいただく時、何も言わずにただパクパクと口に運ぶ人があまりにも多いということです。特に男性にはこの傾向が強く、独身者はともかく、たぶん家でも奥様が作った料理をほめもせず、労も讃えず、黙々と食べているのでしょう。主婦の働きを給料に換算すれば、安くはないのです。休む日もないのです。ひと言でも「うまい!」と言ってあげれば、奥様はきっと喜びます。そのひと言を、どうして口に出せないのでしょうか。
思うに、日本は美しい武士道精神は浸透しましたが、女性をいたわる騎士道精神がないのです。それを学ばねばなりません。そこで、世のご亭主がたに申し上げましょう。奥様の料理をほめることも出来ないような方は、もはや亭主でもなく男でもないと知ることです。お世辞でもよいのです。いや、お世辞こそは最高の美徳、最高の文化なのです。ただひと言でよいのです。「うまい!」と言っていただくことです。これが家庭円満、夫婦円満の秘訣であることを保証します。
さらについでですが、出された食事を何も言わずに食いあさるような人は、餓鬼の姿そのものと知ることです。私はそう思って見ています。そして、私はその時、いま施餓鬼をしているのだと考えるようにしています。もちろん、こういう人はいずれ餓鬼道に堕ちること、閻魔さまに代って私が宣告します。反対に、多いにほめながらいただく方は仏さまに喜ばれ、運もよくなります。そして、そのほめる数こそは社会的成功に比例することも申し添えておきましょう。
続・毎日の施餓鬼法
令和2年8月14日
ではいったい、人はなぜ餓鬼道に堕ちるのでしょうか。阿難尊者ほどの方が瞑想中に予告を受けるほどなら、世の僧侶という僧侶は、まず覚悟をせねばなりません。また目連尊者ほどの方を産んだお母様ですら餓鬼道に堕ちるなら、世の母という母も覚悟をせねばなりません。なぜなら、母たる者がわが子に執着するのは当然であるからです。
餓鬼道の恐ろしさは、ここでお話するのもはばかるほどの様相です。その一部を示せば、身はやせ細って腹部のみふくれ、口内は火を噴いて熱して渇き、吐く息は腐臭を放ち、咽喉は針穴のごとく細くふさがり、食べ物を口にしようとしても燃えて叶わず、飢餓に悩んで狂い叫ぶというのです。これははたして、単なる絵空事なのでしょうか。
では仏典に説かれる根拠を、わかりやすく訳してみましょう。まず、『正法念処経』によりますと、
「貪りの心によって人を欺き、物を惜しんで富裕を欲し、世間の悪事を重ね、所得に狂走して布施をせず、僧侶や病人の貧窮を助けず、物乞いが来ても与えず、功徳も積まず戒律も持たず、あの世の先祖に供養せず、生活に苦しむ妻子や使用人を捨て置き、貪欲に徹して自分を省みず、この因縁をもって餓鬼道に堕ちるのである」と。
また、『弁意長者子経』には、
「一つには貪欲にして布施をせず、二つには盗みを働いて親に孝行をせず、三つには愚鈍にして慈悲心がなく、四つには財物を増大させてこれを惜しみ、五つには父母・兄弟・妻子・使用人に報いず、この五事をもって餓鬼道に堕ちるのである。また女人は多く餓鬼道に堕ちる。女人は嫉妬心が強く、夫の気持が自分から離れると、ますます妬むからである」と。
いやはや、これでは貪欲の奴隷と化した現代人は、みな餓鬼道に堕ちましょう。人心荒廃の果てに自らを懺悔せず、与えることの喜びなど何ひとつ知らないからです。僧侶ですら修行を怠り、高額な布施を求め、贅沢な暮らしに甘んじ、葬儀や法事を単なるビジネスとして顧みない生活の果てに、何が待ち受けているのかを考えているのでしょうか。
最後に残るのは与えたものです。功徳こそはあの世に持ち越せる唯一の宝です。そして、あの世が救われねば、この世も救われません。餓鬼への布施は特に重要です。とりわけ、女性は布施を心がけねばなりません。では皆様、これから施餓鬼法を修してまいります。次回、さらに。
毎日の施餓鬼法
令和2年8月12日
明日から盂蘭盆(お盆)に入ります。盂蘭盆といえば〈施餓鬼〉がつきものですが、もともとの由来は異なります。
盂蘭盆はお釈迦さまの弟子で、神通(霊能)第一の目連尊者に始まります。餓鬼道に堕ちたお母様を救うため、お釈迦さまの教えにしたがって、この時節(インドの雨期)に大勢の僧侶に食事を供養し、その功徳を回向したことが由来です。つまり、その当時はお釈迦さまや弟子の僧侶こそ、仏さまであったということになります。
施餓鬼の方は同じくお釈迦さまの弟子で、多聞(たくさん教えを聞いた)第一の阿難尊者に始まります。瞑想中に餓鬼が現われて、「三日の後に、そなたの寿命は尽きて餓鬼道に堕ちるだろう」と予告を受けました。修行を積んだ阿難尊者も、決して気持のよいものではありません。そこでお釈迦さまに相談して施餓鬼法を授かったと伝えられています。したがって、施餓鬼法はお盆にかぎらず、本来はいつ修してもよいということになります。
ところで私は毎日、夕方の薄暗い時間になると施餓鬼法を修しています。夕食のご飯を専用のお椀に入れ、水を加えて境内の片隅に向い、略作法ではありますが、これを自らに課しています。
なぜ施餓鬼法を修するのか、しかも毎日修するのか言いますと、これが師僧の遺訓だからです。まだ二十代の頃でありましたが、師僧は「真言密教の行者は毎日、施餓鬼法を修さねばならない。その理由はいずれわかるだろう。ただ、施餓鬼法を修した行者は胃腸を病んだり、衣食に困ることがないことだけは伝えておこう」とおっしゃったのです。
私は昭和二十七年の生まれですから、終戦直後の飢えの苦しみを知っているわけではありません。たとえ粗末な食事ではあっても、一日として何も食べられないほどの生活を送ったことはありません。十八歳で上京して、貧しい暮らしはしていても、パンの耳をかじってでも何とか生きることはできました。また断食修行なども経験しましたが、飢えの苦しみとは比べようもないはずです。その私が僧侶になったのです。布施(特に食を施すこと)をせずして何を行ずるのでしょうか。飽食の時代にご馳走を食べ、満腹をかかえて何が供養か、何が施餓鬼かと思うばかりです。
布施の方法はいくらでもあります。身近な人への布施もあれば、被災地への布施、貧困国への布施もありましょう。それも、可能なかぎりは心がけています。しかし今、私にでき得る最善の方法は施餓鬼なのだと確信しています。なぜなら、コロナウイルスの不安や混乱を含め、「鬼神(死後の魂)乱るるが故にすなわち万人乱る(仁王護国般若経)」からです。あの世が乱れれば、この世も乱れるのも当然のことだからです。
あり得ないお話
令和2年8月11日
これは四十年近くも前、私の友人の子供(三男)に起こった奇跡談です。
その子は当時、四歳ほどだったと思います。友人の自宅は東京都文京区の、ある交差点から約30メートルほどの距離にありました。通りに面して車の往来も多いところでしたが、住民はけっこうスキを見て(横断歩道まで行かずに)道路を横切っていました。このことが裏目に出たのでしょう。
ある日、その子が自宅の反対側から道路を横切ろうとした時でした。交差点を左折したタクシーがスピードを出して迫って来ました。友人の妻、つまりその子の母親が自宅前で「あぶない!」と叫びましたが、すでに遅く、その子は急ブレーキを踏んだタクシーにはねられて倒れ、しかもタイヤの下敷きになったのです。一瞬のことでした。
母親もタクシーの運転手も、無我夢中でその子を抱き起こしました。うっすらと意識はありましたが、何が何だかわからなかったようです。着ていた赤いTシャツはボロボロで、胸にはタイヤの跡がはっきりと残っていました。もちろん救急車を呼び、すぐ病院に運びましたが、何と内臓に異常はなく、ほんのかすり傷で済みました。まず、あり得ないことです。
もちろん私は、その場に居合わせたわけではありません。しかし、この知らせを受けた時、これは世にもまれな奇跡だと思いました。そして後日、私はその子に会い、その時の状況を上手に聞き出しました。たぶん、何かに支えられて空中に浮いた感じとか、光のようなものを見たとか、そういう神秘体験をしたに違いないと思ったからです。
その時の答えを、私は忘れることができません。その子の答えは、「おじいちゃんやおばあちゃんが見えたよ」というものでした。私がさらに「どんなおじいちゃんやおばあちゃんだったの」と聞くと、「この人たち」と、仏壇の上を指さしました。その仏壇の上には、友人の祖父母からの遺影が飾られていたのです。私は驚くと同時に、十分にあり得ることだと確信したのでした。あり得ないお話が、あり得るお話へと変ったのです。
皆様はこのお話を信じるでしょうか。しかし、これは間違いのない実話です。私は友人に願い出て、ボロボロになり、胸にタイヤの跡までついた赤いTシャツを譲り受けました。そして折を見てそのTシャツを披露し、生々しいタイヤの跡を示しつつ、この奇跡談の法話をしました。何よりも、そのTシャツが事実を証明しています。そして、一段と声を大きくして、いつもの「大切なこと」をお話したのでした。
蓮の花が開く音
令和2年8月9日
蓮の花についての、別のお話です。よく、蓮の花が開く時、「ポン!」と音を立てると言いますが、皆様はどのように思うでしょうか。その音が聞きたいので、何時ごろに伺えばいいかなどと、問い合わせまで受けた経験もあります。中には立派なビデオカメラをセットし、夜明け前から待ち構えていた方もおりました。
正岡子規の俳句にも、「蓮開く音聞く人か朝まだき」とあります。石川啄木の詩にも、「靜けき朝に音たてて、白き蓮の花さきぬ」とあります。また題名は忘れましたが、川端康成の短編小説にも、上野(東京)の不忍池で音を立てて蓮が開く様子をを描いた作品がありました。文学の世界でも、蓮の花が音を立てて開くという〝言い伝え〟はおなじみのようです。ましてや、文士が描けば臨場感も漂いましょう。
蓮は日の出と共にゆっくりと開き、八時から九時ごろに満開になります。そして昼ごろから少しずつしぼみ、蕾にもどります。これを三日間くり返し、四日目には蕾にもどれなかった花弁から散って行きます。そして中央のガクだけが残り、しだいに大きくなって蓮の実を残すのです。その蓮の実を、持ち帰ってもよいかと尋ねる方もおりました。
結論を申し上げましょう。蓮はゆっくりと開くのであって、決して音など立てません。「ポン!」という音がするというのは、そのイメージなのです。蕾が開く様子から、そんなイメージが伝わったのです。蓮の花は、ワインのコルクを抜く時のようにはいきません。これは蓮の花を育てている住職や愛好家なら、誰でも知っていることです。
ただ、それでも蓮の花が開く音を、「確かに聞いた」という方がいるかも知れません。これはあくまでも私の仮説ですが、もしかしたら「異界の音」を聞いた可能性があります。つまり〝あの世の音〟をこの世で聞いたのかも知れないということです。そうでなければ、この言い伝えがかくも広まった理由がわかりません。文士までも、まるで自分が聞いたかのように描くでしょうか。たぶん、私のこの仮説は当たっていると思います。それは、仏さまがまさにご降臨し、お座りになるお知らせの音なのださえ思うからです。
私は蓮の花ばかりは、「この世のものとも思えません」といつも語っています。仏さまがお座りになる花です。霊験が顕現する花です。俗に「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」などと言いますが、芍薬も牡丹も百合も、みな美しい花です。この世の花です。しかし、蓮の花ばかりは品格が違います。あの世の花なのです。
蓮の花が開く時、「ポン!」という音などしないことは〈事実〉です。しかし、確かに聞いたという方の、その〈真実〉を認めるべきだと思うのです。あの世の花が、この世に開く音です。
煩悩の泥、菩提の花
令和2年8月7日
八月も初旬までは、蓮の花の見ごろを楽しむことが出来ましょう。本県の行田市には「古代蓮の里」があり、朝早くから大勢の観光客でにぎわっています。私も二度ほど訪ねました。そのほか、京都では三室戸寺や法金剛院など、奈良では生連寺や金剛寺など、いささかの思い出があります。
私はかつて、蓮の花を咲かせることに夢中になっていた時期がありました。出来れば今でも続けたいのですが、何しろ毎年春には、蓮鉢の土を植え替えねばなりません。その、蓮鉢が重いのです。しかも、大量の荒木田(粘着力のある土)が必要となります。お寺の住職が夢中になるのはいいのですが、高齢になると大変です。それを覚悟する必要があるのです。
ずいぶん、いろいろな先輩に教えを受けました。初めて蓮の美しさを知らされたのは、黄檗宗第六十一世管長の岡田亘令和尚からでした。まだお若い頃で、伏見のご自坊で奥様の手巻き寿司をご馳走になりながら、得々としてその魅力を聞かされました。和尚の蓮はやがて九州の弟子の寺に渡り、それが巡って私のところに送られて来たのです。管長猊下に就任なさるとは思いもよらず、ずいぶん気さくなおつき合いをしたものでした。また和尚からは、他の何びとからも学び得ぬ霊符の伝授まで賜り、私にはよほどのご縁であったのでしょう。深く感謝しつつ、あの世で恩返しをせねばと考えています。
また、蓮づくりの上手な住職や愛好家がいると聞けば、訪ねてはご指導いただきました。栽培法についての本も読み、石灰で消毒をしたり、土の中に加える、ある〝秘伝〟も知りました。学んで道を開けばまた悩み、悩んでは学んでまた開く、人生も蓮の栽培も、同じようなくり返しでなのでしょう。今でもそのように思います。
さて、早朝に蓮の花が最初(一日目)に開く時、その美しさはこの世のものとも思えません。実は私は、お釈迦さまがこの世に出現されたのは、この地上に蓮という花があるからだと信じているのです。なぜなら神さまは清らかな霊地にしか降臨しませんが、仏さまは汚い煩悩(迷い)の泥から、菩提(悟り)の花を開かせるからです。春に植え替える時、その泥からは悪臭が漂います。まさに煩悩です。しかし、その煩悩がなければ菩提の花は開きません。ここに仏教の深奥があるのです。煩悩を断つのではなく、その煩悩が、かえって菩提となるころに仏教の根底があるからです。
しかも、蓮は実を残します。仏種を絶やさぬため、つまり仏の修行者を絶やさぬため、蓮はその功徳も積んでいるのです。薬膳料理や精進料理に使えます。脾臓の妙薬であり、胃腸障害や疲労回復にも薬効があります。その実を残すため、蓮は三日間の開花の後、四日目には静かに散るのです。法要中の〈散華〉で唱えるがごとく、「香華供養仏」と。
理性と感情の谷間
令和2年8月5日
古い記憶ですが、私が親しくしていた、ある親と娘さんのお話です。まだ携帯電話など、普及する以前のことです。
その娘さんは大学生でした。家を出る時、母親には夜の8時までには帰ると言い残し、どこへ行くとも言わずに出かけました。ところが、11時になっても、12時になっても帰って来ません。親は当然、事故にあったか、何か悪い誘いにでも乗ってしまったのではないかと心配になりました。不安はつのるばかりです。父親も落ち着きません。玄関をのぞき、門の外まで出向き、とうとう駅の改札口まで行ってみましたが、娘さんの姿はありませんでした。
実はその日、娘さんは音楽仲間の誕生パーティーに呼ばれていたのでした。親がまだ知らない人だったのです。連絡の取りようがありません。しかし、こんな時の親の気持は想像するに余りあります。今か今かと電話の着信音を待つ中で、救急車のサイレンでも聞いただけで「ドキー!」とした経験は、私にも身に覚えがあります。
結局、その娘さんは深夜2時頃になって、何もなかったかのような顔で帰って来ました。出迎えた母親はホッとすると同時に怒りが爆発し、「何やってたの、こんな時間まで!」と怒鳴ってしまいました。娘さんは「そんなに怒鳴るんなら、もう帰ってこないから」と言って、そのまま飛び出してしまいました。電車もない時間なのにどうするのかと、またまた心配しましたが、仲のよい友人のアパートに泊めてもらったことが後になってわかりました。そして、その日の夜が遅くなったのは、誕生パーティーに出席した別の友人と帰る途中、その友人が車に接触してケガをしたためでした。救急車で病院まで同行し、診断の結果を聞いてから帰宅したために遅くなったこともわかりました。
さて、このお話は親と娘さんのどこに問題があったのでしょうか。今なら携帯電話ひとつで済むことでしょうが、それでも起こり得る可能性はあります。私たちもその立場になったなら、同じように怒鳴ってしまう可能性も十分にあります。決して人ごとではありません。理性はあっても、感情が先行するのは人の常です。
まず、娘さんの方ですが、行き先はきちんと伝えておくべきでしょう。それに、病院に行ったなら公衆電話があったはずです。親への連絡はいくらでもできたはずです。そして、この時間まで帰らなければ、親がどんなに心配しているかも大学生ならわかるはずです。まずは、これらに原因があったことは言うまでもありません。
しかし、私がここで気になるのは、むしろ親の方なのです。帰って来た娘さんを見たなら、安心と共に不安や恐れも消えたはずです。母親がその時、「ああ、よかった。心配してたのよ」と言ってあげれば、結果はまったく違ったはずです。娘さんもその言葉を期待していたはずです。そして「ごめんなさい」と言って、事情を説明したはずです。
皆様はいかがでしょうか。こんな時、どんな言葉をかけられますか。まさに、親としての正念場です。理性と感情の谷間にあって、親の器が問われるからです。
「三大不心得」の教訓
令和2年8月4日
「医者の不養生」と「易者の身のうえ知らず(不知)」と、そして「坊主の不信心」を、私は「三大不心得」と名づけています。そして、これを自らも教訓として戒めています。
まず「医者の不養生」と言いますが、お医者さんは特に忙しいので、自分の健康にはなかなか気配りができません。意外に〝病人〟が多く、痛々しい実態があるのです。トップに挙げたのも、笑い話では済まされないと思ったからです。
医師や医療従事者への情報サイト『日経メディカルОnline』(「2014年6月9日)によりますと、医師2286人を対象に「持病はあるか?」のアンケート調査に対し、約68パーセントの方が何らかの持病があると答えました。最も多かったのは高血圧で536人、次に脂質異常症が478人、花粉症などのアレルギーが410人で、そのほかに腰痛・関節痛が318人、高尿酸血症が216人、糖尿病が151人、胃炎・胃潰瘍が131人、不正脈が105人などで、持病なしは740人で約32パーセントという結果でした。もちろん、一人で複数の持病があるという方もおります。また、年齢につれて該当者が増すのは当然で、30代で50パーセント、60代で80パーセントの医師に何らかの持病があるようです。
これというのも、多くの医師は忙しさのうえに病院経営の管理職として、重荷とストレスを背負っているからなのでしょう。患者さんに高血圧の処方箋を出すと同時に、自分も降圧剤を飲んでいる医師は、何と80パーセントにも達しているといいます。世間には知られていませんが、いやはや驚くべき結果というほかはありません。押し寄せる患者さんに追われながら、影でこんなことが起こっている事実を、皆様は何と思いますでしょうか。
『易者の身のうえ知らず』はどうでしょう。ご存知のとおり、占いはよく〝当たり〟ます。しかし、易者さんもまた、意外に自分のことはわかりません。また、人相や手相、方位や家相、名前の画数や印相(印鑑)を鑑定しても、積徳(功徳を積むこと)の大切さを説きません。これは占いという〈術〉に溺れるからです。つまり、占いが人生を決めると思っているからです。人生の結果、つまり生き方の結果が占いであることに気づかないからです。
紙面がなくなりました。『坊主の不信心』は檀家さんのことには熱心でも、自分の家の先祖供養を怠る住職への笑い話です。また、毎日の〈おつとめ〉もしないような本堂に、檀家さんがお参りするはずはありません。住職は檀家さんのお手本となるよう、自らを戒めるべきです。人のことは見えても、自分の足もとはなかなか見えません。自分を省みることの教訓は、「三大不心得」ばかりではないこともお伝えしておきます。

