続続・毎日の施餓鬼法

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仏像

令和2年8月16日

 

私は毎日の施餓鬼法を修する一方、もう一つ心がけて来たことがあります。それは、生きているこの世の人にも、出来るだけ食事を布施しようということです。お店での外食の場合もありましたが、料理を作ることは好きなので、これまでもたくさんの方々に食事をふるまって来ました。

たとえば、四年前に退職した先のお寺は初詣が多く、お弟子さんやご奉仕の皆様は泊りがけでした。私は一日中お護摩を修してクタクタでしたが、それでも皆様が近くの温泉に行っている間も休むことなく、自分で料理を作ってねぎらいました。翌日のため、深夜遅くまで大鍋おおなべで汁を作ってもいました。風呂にも入らず、そのまま倒れるように眠りについたものです。また退職を決めた頃、一週間にわたって本場の(!)インドカレーを作り、役員の方々に最後のもてなしをしました。

私は今では、まったくと言っていいほど外食をしません。だから、時間があればお越しになった皆様に、料理を作ってふるまっています。専門に料理を習ったことはありませんが、これも飽食の時代に生きて、少しでもその恩に報いねばと思っているからです。つまり、布施のぎょうとして自らにこれを課しているということです。

さて、今日はついでながら、せっかくなのでお話をしておきましょう。私はたくさんの方々に料理をふるまって来ましたが、気になることが一つだけあるのです。それは料理をいただく時、何も言わずにただパクパクと口に運ぶ人があまりにも多いということです。特に男性にはこの傾向が強く、独身者はともかく、たぶん家でも奥様が作った料理をほめもせず、労もたたえず、黙々と食べているのでしょう。主婦の働きを給料に換算かんさんすれば、安くはないのです。休む日もないのです。ひと言でも「うまい!」と言ってあげれば、奥様はきっと喜びます。そのひと言を、どうして口に出せないのでしょうか。

思うに、日本は美しい武士道精神は浸透しましたが、女性をいたわる騎士道きしどう精神がないのです。それを学ばねばなりません。そこで、世のご亭主がたに申し上げましょう。奥様の料理をほめることも出来ないような方は、もはや亭主でもなく男でもないと知ることです。お世辞でもよいのです。いや、お世辞こそは最高の美徳、最高の文化なのです。ただひと言でよいのです。「うまい!」と言っていただくことです。これが家庭円満、夫婦円満の秘訣であることを保証します。

さらについでですが、出された食事を何も言わずに食いあさるような人は、餓鬼の姿そのものと知ることです。私はそう思って見ています。そして、私はその時、いま施餓鬼をしているのだと考えるようにしています。もちろん、こういう人はいずれ餓鬼道に堕ちること、閻魔えんまさまに代って私が宣告します。反対に、多いにほめながらいただく方は仏さまに喜ばれ、運もよくなります。そして、そのほめる数こそは社会的成功に比例することも申し添えておきましょう。

山路天酬密教私塾

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