山路天酬法話ブログ

遍路大師の到着

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あさか大師

令和3年9月16日

 

あさか大師は今年、開創三周年を迎えました。そこで私は遍路へんろ大師像(お大師さま修行時代のご尊像)の建立を発願ほつがんし、報恩謝徳ほうおんしゃとくに献じようと考えています。本日、そのご尊像が富山県高岡市の工房から到着しました。高さ六尺(180センチ)の青銅製で、200キロの重量があります(写真)。来月には石材店の方が基礎工事に着工し、年内にも開眼法要を挙行する予定です。

お大師さまは奈良の大学に入学しましたが、やかてこれを中退し、紀州や四国などで修行に励みました。遍路大師はこの時代のご尊像で、その道程が四国八十八ヶ所霊場です。お大師さまはきびしい修行によって仏教の真理に到達しましたが、さらにこれを大成するために唐(中国)の長安ちょうあんに渡ったのでした。そして、青龍寺しょうりゅうじ恵果和尚けいかかしょうと劇的な出会いをなし、真言密教の奥義を授かりました。

遍路大師像には高さ四尺(120センチ)の御影石台座に乗ります。来年の初詣には、皆様の眼にも留まりましょう。あさか大師の新たな象徴として、ぜひお参りしていただきたいものです。

ビデオ伝授

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真言密教

令和3年9月14日

 

私は今年6月に真言宗住職葬儀、つまり真言宗寺院の住職が死亡(これを遷化せんげといいます)した場合の、葬儀法を説明した本を出版しました。住職の葬儀は、もちろん一般の方とは異なります。お檀家さんの葬儀を長くつかさどって来たのですから、それは当然でしょう。しかし、残念ながら若い副住職は、これについてほとんど学ぶ機会がありません。私がこの本を出版した理由はこれなのです。永く活用されることを願っています。

そして、9月7日に奈良の東大寺で伝授会をする予定でした。ところが、緊急事態宣言の発令でこれも叶わなくなり、やっむなくビデオに撮影して配布することとなりました。本日は出版社の方が見えて、その録画をしました。緊張しましたが、約3時間をかけてビデオ伝授を終了しました。クタクタになりましたが、無事に終わってホッとしています(写真)。

先日、市川海老蔵さんの歌舞伎がオンラインで公演されるという広告を見ましたが、真言密教もオンライン伝授を真剣に考えるべきかも知れません。政治もビジネスも、テレビ電話やオンラインを活用する時代です。まして、このコロナ禍の中ではなおさらです。私の場合は北海道や沖縄からも僧侶の方が受法に見えるので、関心を持たざるを得ません。今回はビデオ撮影の方法をとりましたが、さらに思案を重ねたいと思っています

生涯最高のご飯

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食事

令和3年9月11日

 

服部栄養専門学校長の服部幸應氏が、自分にとっての生涯最高の料理は、比良山荘ひらさんそう(滋賀県大津市)の〈月とスッポンなべ〉だと語っています。死ぬ前にもう一度食べたい〝最後の晩餐ばんさん〟と決めているそうで、「この世のものとも思えない味」とまで豪語しています。あらゆる美食に通じた服部氏のお話なればこそ、さすがにインパクトがありますね。

何でも琵琶湖の天然スッポンのだし汁で、ツキノワグマの肉を煮るという〈熊鍋くまなべ〉だそうで、まさにぜいを尽くした料理であることは間違いなさそうです。私はこのお話に興味をいだきましたが、残念ながら禁食(戒律で禁じられた食品)なのでいただくことができません。私は霊符れいふという特殊な御札おふだを書くので、その行者はスッポン料理とウナギのような長物ながもの料理は、亀蛇きだのご神体(玄武神げんぶしん)として禁じられているからです。

では、私にとって生涯最高と思えるモノは何であろうかと回想してみました。思うに、多くの方のそれは一流料亭やレストランの美食ではなく、遠い記憶や思い出と結びつく何かではないでしょうか。それはたぶん、子供の頃に家族と共に味わった〝おふくろの味〟であるかも知れません。おふくろの味は、時間と共にさらに熟成するからです。終戦後の食べ物のなかった時代なら、なおさらです。えた時代には、サツマイモさえ生涯最高になるからです。

私に心あたりがあるとすれば、それは毎年12月30日の正月飾りに食べたもちつきの前の、あの一瞬のうまさだったと思います。農家の庭先にうすきねをそろえ、かまどにマキをくべてかしたもち米が入ると、晴れた冬空に湯気がボオーと舞い上がりました。すぐに杵を入れるのが私の役目でしたが、一分間だけ楽しみがありました。片手でその熱々のもち米をすくい、フウフウ息を吹っかけながらそのまま口にしたその味は、晴れた冬空と絶妙に溶け合い、この世のものとも思えなかったからです。塩も醤油しょうゆも何もいりません。私の生涯最高のご飯でした。

私はこの世で一番おいしいものはご飯だと、いつも思っています。人にも語り、法話集『一話一会』(第一集)にも書きました。それは一日としてきることも、忘れることもないからです。そんな食べ物がほかにあるはずはありません。そして、その名を「シャリ(舎利)」とも言うではありませんか。舎利はお釈迦さまのお骨であり、如意宝珠であり、仏さまそのものです。ご飯を食べることは、仏さまの功徳をいただくということです。その功徳によって、幸せをいただくということです。だから、多くの日本人が合掌をしていただくのです。

お墓と日本人

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文化

令和3年9月8日

 

「墓じまい」という言葉があります。今や一種の流行語にさえなりました。たしかに、男性の相続人(特に長男)がいない、あるいは女性の相続人(娘さん)が嫁いでいる場合、やがては代々のお墓をどうするか、あるいはお墓を建てるべきかどうかの問題が発生します。相続人が結婚していない場合ならなおさらです。

親の遺骨をかかえながら、お墓を建てる余裕がないという方もおりましょう。〈樹木葬じゅもくそう〉はもちろん、〈散骨さんこつ〉に走る気持ちもわかります。宅急便で親の遺骨を送れば、五万円で海に散骨してくれるというお寺や業者があるとも聞きました。さらには、気球に乗せて大気圏外に散骨するいう〈宇宙葬〉まであるそうです。

日本人は先祖からの代々のお墓を大切にして、相続人がこれを守ってきました。これがが日本人の理想であることは、どなたでも充分に納得されましょう。しかし、今やそのお墓の形態が大きくくずれ、また問われようとしています。今後は永代供養として合祀ごうしする形態が主流になることは間違いありません。お寺もその要望に答えねばなりません。それでも私は、相続人がいるかぎりは、お墓といういう供養の形態を大切にしていただきたいと願っています。

最近、東京オリンピックの〈侍ジャパン〉を率いて金メダルを獲得した稲葉篤紀あつのり監督が、名古屋市にある故・星野仙一監督のお墓を訪れ、その栄誉を報告したというお話を聞きました。「見守っていただき、ありがとうございました」と報告したそうです。これは信仰の云々うんぬんではなく、ごく普通の日本人の姿なのです。

星野監督が〈侍ジャパン〉を率いた2008年の北京オリンピックでは、残念ながらメダル獲得はなりませんでした。稲葉監督は当時、星野監督を慕いつつ選手として出場しましたが、その悔しさを胸に秘め、いずれは必ず金メダルを獲得することを誓っていたようです。事実、東京オリンピックでの、アメリカをも破った5戦全勝は見事というほかはありません。闘将・星野監督の笑顔まで浮かぶようです。そして、これが日本人の姿なのだと、憶念おくねんされてなりません。

こんなお話を聞くと、「墓じまい」などという言葉が、びどくきょうざめて聞こえます。日本人はあくまで、お墓という供養の形態を大切にしていただきたいのです。うたの文句にあったように、先祖はお墓そのものにいるわけではありません。しかし、その形態を通じて祈りが届くのです。守り得るかぎりは、お墓を守っていきましょう。日本人の姿なのです。

総回向

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あさか大師

令和3年9月6日

 

あさか大師では4日(土)・5日(日)の両日、月始めの総回向法要を挙行しました。コロナ禍にありながら、少しずつ地元の方も加わり、ありがたいことだと思っています(写真)。

ただ、ご信徒の中からも感染した方が現われました。私はただちに漢方薬の「銀翹解毒散ぎんぎょうげどくさん」やアミノ酸の「KーARA」等を送り、治癒した実例も体験しました。また個人輸入でイベルメクチンも取り寄せ、対策への常備としています。

イベルメクチンは2015年、ノーベル生理学・医学賞に輝いた大村智おおむらさとし博士(北里大学特別名誉教授)による発見です。博士は熱帯地方におけるブユによる感染症に対する抗寄生虫薬としてイベルメクチンを発見しました。日本ではあまり普及していませんが、海外から新型コロナに対する効果報告が寄せられ、大変に注目されています。博士は「さらに科学的なデータを提示し、そのうえで新型コロナの治療薬となり得るかどうかを判断してほしい」と語っています。

今後はワクチンばかりではなく、このような飲み薬が開発されることを望んでやみません。そして、まずは国民すべてにワクチン接種が行き渡ることを願っています。人類は戦争以上に、ウイルスとの戦いを強いられるのかも知れません。

もう、一年以上もお会いしていない方がたくさんいらっしゃいます。早く平穏な日常が戻るよう、毎日のお護摩でご祈願を続けています。

安心という御守

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人生

令和3年8月31日

 

私もほどほどの生命保険(医療保険)には加入しています。本日は担当の方が見えましたので、いささか意地悪な質問をしてみました。私が以前から興味と疑問をいだいていたことです。

それは、「健康に自信があるからといって保険を解約した場合、病気になる確率が高くなるのではありませんか」という質問です。担当の方は、「そのとおりです。自分が知っている範囲では、集団で加入した自衛隊員で解約をした方は、その確率は間違いなく高いと思います。保険は〝御守おまもり〟と同じで、その安心がさらに安心を呼ぶのではないでしょうか」との答えでした。いささかセールス気味な意見でしたが、私はなるほどと思いました。論理的にはあり得ないことですが、人生にはこうした理不尽さがあることは否めません。

似たような例として、不要と思って処分した物が、急に必要となる確率は高いのではないでしょうか。私の場合は処分した書籍や雑誌、スクラップや切り抜きなどに、よくその経験があります。著作をしていると、なかなか〈断捨離だんしゃり〉のルールどおりにはいきません。だから、一つの著作をする場合、私は必要な資料を宅急便の丈夫な紙袋に、まとめて入れ込むことにしています。そうすることで紛失の不安が消え、安心の御守となるからです。

これは余談ですが、車を運転しながらガソリンスタンドやコンビニを探しても、なかなか見つからないという経験があります。見つかっても、道路の反対側だったという経験も多いはずです。ところが、必要もない時には、いくらでも目につきます。つまり、必要な時は見当たらず、不要な時ほど目につくというおかしな現象はどうしたことなのでしょうか。

こうした現象は、あるいは私たちの認識上の錯覚であるかも知れません。世の中は正確な確率で動いているはずです。しかし、それでも私は安心という御守は大切だと思っています。まさに「そなえあればうれいなし」なのです。厄よけのご祈願をしたからといって、何の災いもないわけではありません。しかし、ご祈願をした安心がさらに安心を呼ぶのです。その安心という御守が、どこかで災いを除く働きをするからです。心の持ち方で人生は変わるという真理が見えてきます。

何ごとにも用心という心がけが安心を呼ぶのです。自信もけっこうなのですが、過信すると新型コロナにも感染します。私は小心で臆病者であることに、むしろ誇りさえ感じています。

お寺の奥さん

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仏教

令和3年8月27日

 

皆様は〝お寺の奥さん〟を何と呼ぶのか、ご存知でしょうか。近年では「寺庭婦人じていふじん」などという洒落しゃれた呼び方がありますが、これは必ずしも住職の奥様個人を指すとはかぎりません。つまり、お寺で働く老若の女性を総称し、その中でも特に住職夫人を代表しての呼称なのです。

また、特殊な呼び方として、そのお名前の後に「〇〇〇〇刀自とじ」などと尊称する場合があります。「とうじ」ではなく、「とじ」と読みます。ちょっと違和感があると思いますが、これも住職夫人にのみ使われるのではなく、特に年輩女性に敬意を表しての尊称です。〈戸主とぬし〉の略語とも言われますが、要するにかたな、すなわち包丁ほうちょうをつかさどる人の意味から、家事を引き受ける貴婦人という意味に転じました。

では、昔から住職夫人を一般には何と呼んできたかというと、「お大黒さん」がその代表です。お大黒さんはもちろん、七福神の中のあの大黒天のことで、いつも大きな袋を背負ってにこやかに笑い、いかにも福を呼ぶ面相をしています。大黒天は台所の神さまであり、食物と財福の神さまですから、なるほどと思えるはずです。住職の食事を調え、身のまわりを世話するわけですから、「お大黒さん」はふさわしい呼称でしょう。

私は住職の品格も地位も収入も、福の神さまである「お大黒さん」次第であるとさえ思っています。やはり内助の功なくして、お寺は発展しませんし、お檀家やご信徒からの人気も高まりません。その証拠に、ずいぶん流行はやっているなと思う寺は、決まって「お大黒さん」が明るくて愛嬌あいきょうがあり、世話好きで親切です。間違いはありません。これから住職になる若い僧侶は、何としてでも「お大黒さん」にふさわしい女性を射止いとめることです。

ちなみに、豊臣秀吉が天下人になり得たのは、日本一の良妻とされる寧々ねね三面さんめん大黒天(大黒天・弁財天・毘沙門天が合体した尊像)との出会いがあったからだという説があります。京都東山の高台寺圓徳院えんとくいんにはその三面大黒天が祀られていますので、新型コロナが落ち着きましたらお参りするとよいでしょう。

得度式

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あさか大師

令和3年8月22日

 

本日、得度式とくどしきがありました。得度を受ける方を〈新発意しんぼっち〉といいますが、新発意は当然ながら、とても緊張しますが、立派に成し遂げました。私が戒師かいし(お導師)を勤め、先輩僧侶の方々が立会人として列席しました(写真)。

得度の〈度〉はサンズイを付けて「渡ることを得る」という意味です。悟りの世界である浄土の岸、つまり彼岸に渡ることを表示します。仏道修行に向って、新たな志をいだき、得度を決意していただいたことを、私はうれしく思っています。

あさか大師で得度される方は、ほとんど社会人としての仕事を持っています。つまり、土曜・日曜・祭日にあさか大師に来て伝授を受け、修行に励んでいます。皆様、大変にまじめで真剣です。大切なことは、俗にあっても俗に染まらぬ〈非俗性〉でありましょう。

これは寺院住職にもいえることですが、日本の僧侶はほとんどが結婚し、家族を養い、社会的なかかわりを持っています。つまり、俗世ぞくせと何の関係もなく生活することはあり得ません。その中でいかに非俗性を貫くか、そこが正念場です。

私は僧侶はその体から、その言葉から、その心から〝法の香り〟が漂わなければならないと、そのように思っています。それにはやはり、日頃から仏さまに向い、読経に勤め、心を清らかに保つことでしょう。それを毎日続けること、それ以外にあるはずがありません。最も大切なことです。

金運宝珠護摩

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あさか大師

令和3年8月17日

 

あさか大師では一昨日、コロナ禍と大雨警報の中、金運宝珠護摩の行事を挙行しました。さびしいお参りでしたが、これはやむを得ません。僧侶の方々とお参りの皆様とで、力強く読経をしました。ただ、お願いごとの護摩木は多く、皆様が金運護摩に寄せる思いが伝わります。一段とエネルギッシュな炎が立ち上がり、私は汗でびしょれでした(写真)。

また、いつも『仁王護国般若経』と『孔雀明王経』を供え、新型コロナの終息も祈念しています。医療の恩恵に浴しつつも、こうした〝祈りの力〟が大切であることは言うまでもありません。一日も早く平穏な社会が取り戻せますように。

コロナ対策への私案

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健康

令和3年8月13日

 

新型コロナによるデルタ株の蔓延まんえんははすさまじく、もはや猶予ゆうよのない時となりました。インドばかりではなく、日本がどうなるともかぎりません。ワクチンを打てば感染の可能性は薄れますが、万全とは言えません。〈三密〉どころか、〈一密〉でも感染する状況です。それでも、まずは早く若い方にもワクチンが回るよう、努力を重ねていただきたいと思います。

感染者急増の原因として、若い方の認識の甘さがあることは自明のことです。インフルエンザ程度のことでしょうとか、充分な栄養をとっているから大丈夫だとか、ジムで体をきたえているから安心だとか、これではお話になりません。スマホで情報を集め、もっと認識を深めていただきたいと思います。

ノーベル生理学・医学賞に輝いた大村さとし博士が開発したイベルメクチンによる臨床実験の成果が、各国から寄せられています。寄生虫によるアフリカの疫病から救ったイベルメクチンが、コロナの感染治療に役立つ可能性は高いと思います。博士は「何より重要なのは、科学的根拠やデータを提示すること。その結果により、新型コロナの治療薬となり得るかを判断してもらえれば」と語っています。イベルメクチンはまだ日本では販売されてはいませんが、個人輸入として購入するすることができます。

また、長崎大学熱帯医学・グローバルヘルス研究所長の北潔きたきよし教授は、5-ALAアラ(アミノレブリン酸)に着目し、新型コロナ治療への可能性を追求しています。5-ALAは天然アミノ酸ですが、感染症に対する効果が期待されており、こちらはサプリメントとして購入することができます。ネットで検索してみてください。

ワクチンの接種はもちろんですが、手洗い・うがい・消毒・マスクに加え、こうした可能性に期待することも大切ではないでしょうか。コロナ対策への一環いっかんとして私案を述べました。最近よく聞く「命を守るための行動」です。私はもちろん、新型コロナ退散の祈願も怠りません。

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