山路天酬法話ブログ
人が本来は仏さまである証明
令和5年3月7日
人は誰でも、本来は仏さまなのです。なぜなら、誰に教えられたわけでもないのに、仏さまの真言(マントラ)を唱えながら生れて来るからです。その事実を証明しましょう。
日本人は赤ちゃんの産声を「オギャー」と表現しますが、このことに私は以前から疑問がありました。なぜなら、赤ちゃんは口を大きく開けて泣くからです(写真提供はユニ・チャーム)。口を大きく開ければ、〈ア〉の発声はできますが〈オ〉の発声は絶対にはできません。つまり「オギャー」ではなく、実は「アギャー」と泣きながら生まれて来るのではないか、と私は主張しています。ただ、赤ちゃんは大人のようには、ハッキリとした発声ができません。だから、〈ア〉なのか〈オ〉なのか曖昧なのです。でも、よく聞けば、やはり〈ア〉のはずです。ネットで産声を聞いてみてください。私がお話していることが、事実だと納得できるはずです。

では、「ア(阿)」とは何でしょう。実は、これは大日如来の真言なのです。真言密教の根本であり、最も大切な仏さまなのです(写真はその梵字)。赤ちゃんはこれを、誰に教えられたわけでもないのに、唱えながら生れて来るではありませんか。だから、人は生まれながらに仏さまなのです。

また、「アギャー」の〈ギャー〉は何でしょう。皆様がご存知の『般若心経』の真言「ギャーテイ、ギャーテイ」は〈到達した〉と解釈します。だから、「アギャー」は「仏の国から、いま生まれて来たぞ!」と大声で宣言しているのではないか、と私は大胆に推察しています。皆様はこの推察を、何とお思いでしょうか。
人はこうして仏さまとして生まれながら、しだいに煩悩の垢が増え、四苦八苦の人生を歩みます。だから、垢おとしをする必要があります。信仰に精進するのも、修行に励むのも、先祖供養をするのも、すべてはこの意味です。お寺で庭を掃き清める時は、「塵を祓い、垢を除かん!」という気持で箒を持つのは、この意味なのです。
パワースポットにも用心を
令和5年3月5日
あさか大師では昨日と今日、お彼岸前の総回向を修しました。お護摩と同様に、僧侶はもちろん、ご信徒の参詣者も全員が世代を超えて読経しました(写真)

お寺に行っても、格別にパワーを感じない場合があります。それから、昔はすごいパワーがあったのに、今は残念だなと思う場合もあります。そして、入っただけで気分が良くなり、体が軽くなる場合もあります。この違いは何なのでしょうか。
ご祈願であれ、ご回向であれ、成就をするためには三つのパワーが必要とされています。すなわち、ご本尊さまとお導師とご信徒の三つパワーが融合しなければ、ご祈願もご回向も成就しないという意味です。そのためには、普段から三つのパワーを融合させねばなりません。お導師だけが頑張っていても片手落ちです。ご信徒が自力で頑張っても、その祈りには限りがあります。特に真言密教のお導師は、ご本尊さまに感応する行法がありますから、ご信徒はお導師と共に、いっしょに祈ることが大切なのです。また、毎日続けることも大切です。年に一度の大祭や記念行事だけでは、本当のパワーは生まれません。
したがって、この三つのパワーが融合しているお寺に行くと、気分が良くなり、体が軽くなり、不思議なパワーがみなぎって来るのです。あさか大師にもいろいろな方がいらっしゃいます。僧侶の方が葬儀をしたり、火葬場に出向いた場合、体が重くなったり、体調をくずす方もいますが、本堂に一歩入るや、体が軽くなり、体調を取り戻しています。ご信徒の方も同じです。ご信徒の場合、よほど具合が悪い場合は、直接にお加持や整体をすると、たいていは解決します。
それはどうしてかといいますと、毎日ご信徒と共に、この三つのパワーを融合させているからです。まさに単純明快、これ以外には何もありません。よくパワースポットといいますが、常にパワーを融合させる管理者(つまりお導師)がいなくてはかえって危険です。用心せねばなりません。このことは念頭に入れておいてください。
人は臨終で何を思い出すのか
令和5年3月2日
人はターミナルステージ(末期)を迎えた時、子や孫の名をさかんに呼ぶことがあります。これはこの世で過ごした家族への想いがこみ上げて来るからでしょう。また、現実には誰もいないのに、子や孫がそこにいるといった幻覚を伴うことも特徴のひとつです。私も思い当たる例を、何人か知っています。
また、例外なく「水が飲みたい」と訴えます。すでに体は衰弱し、呼吸や発声もむずかしく、水を飲み込むのも困難なはずなのに、もうろうとした意識の中で水を欲するのはなぜなのでしょうか。特に私の祖父がそうであったことを目の当たりにして以来、私は長い間このことが気になっていました。
私論をお話するなら、これは母親の胎内で羊水に浸っていた記憶が甦っているからではないでしょうか(写真提供・竹内正人医師)。血液の主成分は水です。その血液の流れる肉体が終ろうとする時、この世に誕生する前の、胎内での〝ふわふわした思い出〟が浮上するのだと推察されるのです。それだけに、水と生命が密接に関わっていることは言うまでもありません。水こそは生命が欲する最初の、そして最後の物質なのです。

また、さらにお話をするなら、いわゆる〈末期の水〉もまた、この羊水への回帰を意味するのではないかと私は思っています。意識が肉体を離れるその時、末期の水は最高の贈り物です。そして、人の想いを伝える最高の媒体も水です。真言密教では修法の始めに、水を用いた〈洒浄〉という作法で道場を清めます。仏壇にも必ず水を供えます。お墓参りにも、まずは水桶が必要です。人は水がなければ、この世もあの世も生きられません。
単に、乾いた唇を湿らすだけではないのです。あの世に旅立つ大切な儀式です。末期の水を差し上げるだけでも、旅立つ人はその人に感謝を捧げるはずです。決して、おろそかにはなさいませぬよう。
霊感は誰にでもあります
令和5年2月28日
私はいわゆる霊能者ではありません。また、自分は霊能者だと称する人を、あまり信用する気にはなれません。しかし、霊的な体験はいくらでもあります。また、〈ひらめき〉や〈霊感〉という言葉なら、少しは馴染める気がします。そして、「霊感は誰にでもあります」というのが私の持論です。
それはどういう意味なのかといいますと、私たちの身辺にあるもの、身辺におこっていることは、すべてこれ仏さまのお知らせ、仏さまの説法だとするのがお大師さまの教えだからです。だから、これに気づかねばなりません。気づくためには身辺にアンテナを張り、何を意味するのかを考え、反省をすることです。そして、その答えに行きついたなら、誰でもみな霊感を得るのです。
たとえば、一生懸命に祈っているのに何の変化もないという場合、よくよく考える必要があります。相手が傷つくような祈りをしていないか、不相応な祈りをしていないか、時期尚早の祈りをしていないか、成就することが本当によいことなのかを考えることです。このような時、仏さまはあえてヒントだけをくださることがあります。自分の健康を害したり、対人関係でつまづいたり、もう一歩のところで行き詰まったりしてヒントをくださいます。それは、祈る自分や祈る内容のどこかに問題があるからです。だから、祈る人は謙虚に反省をすることが大切です。そして、謙虚に反省して、どんなお知らせなのかに気づいた時、人はひらめき、霊感を得るのです。
私はこのあさか大師を建立するにあたっては、いろいろな土地を探し歩きました。はじめは本県入間郡三芳町に手頃な土地があり、そこにしようと決めていたのです。私はどうしてもその土地を購入したいと思い、深夜に何度も出向いては、「この土地を私にお譲りください」と祈願をしていました。ところが、地主さんとの交渉は結局、合意しませんでした。私は一時、自分の祈りに自信を失いかけたほどでした。どうしてなのか迷いました。そして、そのことをお大師さまに問いました。すると、しだいに理由がわかって来たのです。これは叶ってはいけないことなのだ、あの土地に問題があるのだとわかったからです。事実、そのとおりでした。まさに霊感です。
すると、どうでしょう。あさか大師のこの土地が突然に浮上し、地主さんとも二つ返事で決まってしまいました。私に本当に必要な土地が現われるまで待ちなさいというお大師さまの意図が、霊感を通じてわかりました。祈りは必ず通じます。しかし、その結果はまちまちです。何の変化もないと思えることもあります。それをどう受け取るか、どんなお知らせなのか、霊感をもって探ることです。
キリスト教では、それぞれの祈りをするにあたって、どのように祈るのか、その具体的な文章を記載した教本があります(写真は光明社刊)。

私はご祈祷を本領とする真言密教にも、このような教本が必要ではないかと思っています。病気を祈るにも、天命をまっとうしたいのか、平癒の後は何をして報いたいのか、最良の医師や病院を探しているのか、そのへんが曖昧です。そのためにも、こうした祈りの教本が必要です。「皆様がそれぞれの祈りの中で、ひらめきと霊感に恵まれますように。ソワカ」
五黄の日は何がおこるのか
令和5年2月26日
まず、「五黄(土星)の日は要注意ですよ」と申し上げておきましょう。
私は毎朝、机上の『四盤暦』(青年気学研究会)を開いてその日の日盤を調べ、「今日は何の問題が舞い込むのか、何が話題になるのか」といったことを推理しています(写真)。四盤歴とはその日の年盤・月盤・日盤・時盤がページごとに記載されたプロ用の暦です。特に日盤を見れば、その日の九星の象意によって、だいたいの予測がつきます。

一白の日は病気や借金の問題が舞い込みます。また水に関する話題、男女間の話題、部下や従業員の話題が多い日です。
二黒の日は土地や労働(仕事)の問題が舞い込みます。また介護の話題、就職の話題、古い話題が多い日です。
三碧の日は新規ごとや子息(青年)の問題が舞い込みます。また音や声の話題、驚く話題、うわさの話題が多い日です。
四緑の日は商談や結婚の問題が舞い込みます。また遠方の話題、拡張の話題、仲介の話題が多い日です。
五黄の日はやっかいな問題やとらえがたい問題が舞い込みます。またお墓や霊的な話題、毒性悪性の話題が多い日です。
六白の日は政治や法律の問題が舞い込みます。また上司の話題、競争の話題、貴金属の話題が多い日です。
七赤の日はお金や恋愛の問題が舞い込みます。またグルメの話題、行楽の話題、買い物の話題が多い日です。
八白の日は変革や貯金の問題が舞い込みます。また山の話題、修養の話題、相続の問題が多い日です。
九紫の日は警察や役所の問題が舞い込みます。また芸術の話題、学問の話題、火災の話題が多い日です。
ところで、一昨日は五黄の日でした。朝から覚悟はしていましたが、私にとっては、大変な厄日となりました。舞い込んでくることが厄介なことばかりです。同じ土星でも、二黒の〈大地〉、八白の〈山〉に対して、五黄は〈原野〉を表します。畑になるのか、家が建つのか、お墓になるのか、とらえようがありません。つまり、この自然界の太極であり、何もかも取り払った原点(白紙)なのです。だから、どんなものでも舞い込んできます。ドロドロとして、出口の見えない問題が多いのも特徴です。
五黄は九星中最強の座にあり、それだけに孤独で不安定でもあります。五黄の人は波乱が多く、何となくとらえがたい性格であるのもうなずけましょう。したがって人一倍の能力と徳が必要となります。逆にそれを備え得れば、万人の長となるのです。皆様、「五黄が来りて口笛を吹く日」にご用心を。
失物をする理由を知っていますか
令和5年2月24日
前回、私は「この世で所有するものは何もない」と言い、天与の預かりものだと言い、どれだけ預かれるかは徳のいかんだとお話をしました。今回はちょっと、その続きのお話です。
皆様は大切なものを失くして、困った経験がありませんか。落とし物や忘れ物をして交番や駅長室を訪ねた経験はありませんか。また、盗難にあって途方に暮れた経験はありませんか。こうして、自分の所有から離れたものを、総じて〈失物〉と呼びます。
失物をする原因は、注意が散漫であるとか、そそっかしいとかの性格が大きいかも知れません。また、偶然という範疇で考えられるかも知れません。しかし、この理由が「荒神さまからお叱りを受けたからです」といったら、皆様は驚くでしょうか。しかし、これは間違いのない事実です。不敬によって、徳を失ったからです。
荒神さまは正確には〈三宝荒神〉といい、昔は〈竈の神さま〉として信仰されました。つまり、火を使って生活をする以上、そこには必ず荒神さまがおり、家の中を守ってくださるとされて来ました。現代の生活では、ガス台やIHがこれに該当します。したがって、荒神さまのお札があろうがなかろうが、信じようが信じまいが、火を必要とする家には必ずいらっしゃることになります(写真)。

昔は神棚や仏壇の前はもちろん、竈の前で腹を立てたり、悪口を言ってはいけないとしつけられました。荒神さまへの不敬になるからです。そして、真言密教においては、それが失物の原因だという伝承があるのです。まさかと思うでしょうが、私は失物を見つけ出す方法として、どれほどこれを実証して来たかは数知れません。もちろん、私自身も何度も実証しました。これを「失物発見法」として弟子僧はもちろん、ご信徒の方にもお伝えして来ました。今でも、多くの方々に感謝をされています。
方法は簡単です。ガス台かIHのスイッチを入れ、お線香を一本立てます。そして、「過ちを犯しましたなら、どうぞお許しください」と念じ、般若心経と荒神さまの真言(オン ケンバヤケンバヤ ソワカ)を唱えればよいのです。家の中で紛失したものはスグに出ます。外の場合は少し時間はかかりますが、そのまま見つかる場合、財布のお金だけが抜き取られて見つかる場合、形跡が見つかる場合など、何らかの結果は必ず現れます。
皆様もガス台やIHのスイッチのそばではもちろん、家の中で腹を立てたり、悪口を言ってはならないと自戒しましょう。そして、もし失物をしたならば、心から荒神さまにお詫びをしましょう。現代生活に「何が竈の神さまか」などとあなどってはなりません。どんな時代であっても、神も仏も荒神さまも、間違いなくいらっしゃるからです。
なお、あさか大師では荒神さまのご加護がある火伏札(火難よけ札・千円)を元旦からお授けして、台所に貼っていただいています。(写真)。

目にするたびに荒神さまを意識しますし、不敬を慎む習慣が身につきます。この火伏札にも不思議な霊験は数知れません。ご希望の方はホームページ「お問合わせ」からお申し込みください。不思議ですよ、本当に。
この世で所有するものは何もありません
令和5年2月22日
私達はこの世で所有するものは何もありません。この体も、お金も財産も、土地も家も、名誉も地位も、すべては天与の預かりもの、いうなれば借りものです。このお話を、皆様は何と思うでしょうか。
私たちはこの体を、親から授かりました。現代人は驚くほど長命です。健康法にも熱心です。しかし、どんな人もいずれは病み、死を迎えます。つまり、お返しせねばなりません。そして、魂は本来の位に戻ります。戒名の後に、〈位〉とあるのがこの意味です。肉体はありませんが、別の体をまた授かります。
お金も財産も同じです。人は働き、世の中に何かを与え、それが認められた分の報酬を得ます。しかし、不正を働けばやがて失い、相続者に徳がなければ消えていきます。真言密教ではこれを、〈虚空蔵〉という宇宙の蔵、宇宙銀行にお返したためと教えています。
長いローンを組んで手に入れた土地も家も同じです。二代・三代と過ぎれば、まったく別の人が住みます。名誉も地位も、永遠のものではありません。二代目はどうにか維持しますが、三代目がどうなるかはわかりません。これらはすべて、徳のいかんで決まるからです。徳が尽きれば、虚空蔵にお返しせねばなりません。初代は世の中に尽くし、徳を積みますが、二代目・三代目も同じように積めるかどうかです。二代目・三代目でさらに発展する家は、かならず、それだけの徳を積んでいます。
ところで、お寺が永く続くのは、どうしてでしょうか。それは僧侶たる者はこのことを理解し、徳を積んでいるからです。すべては預かりもの、借りものであることを理解し、挨拶を忘れず、恩に報いるからです。つまり、人が亡くなれば仏さまを念じて、本来の位に送っています。建物を建てるなら、土地の地鎮祭(仏式)をして、借り受けの挨拶をしています。おわかりでしょうか。
私はこの19日と21日の二度、真言密教の〈地鎮鎮壇法〉という行法の伝授をしました。これは、この世の預かりものである土地の神さまに対し、一般の家なら地鎮祭を、お堂を建てるなら鎮壇法(写真はその荘厳)を修するためです。

最近は家を建てるにも、地鎮祭をする方が少なくなりました。それは、土地も家も借りものであることがわかっていないからです。お借りする以上は、挨拶をするのが当りまえです。挨拶をしなければ人間どおしでもトラブルをおこします。土地の神さまに感謝をしなければ、それだけでも徳が消えます。住んでから体調不良や厄難災難が起きるのは、このせいだと理解しましょう。
土地や家の値段に比べれば、その費用など微々たるものです。このブログを読んだ皆様が家を建てる時は、必ず地鎮祭を依頼していただきますようお願いいたします。なお、地鎮祭をせずに建てた家(建売住宅)の問題に対しては、〈鎮宅法〉があることもお伝えしておきましょう。
金運護摩のツボ
令和5年2月20日
あさか大師では昨日、第三日曜日恒例の金運宝珠護摩を奉修しました(写真)。

金運において、皆様の関心は物価の高騰にありましょう。特に食品への出費は、どのご家庭でも頭を抱えていらっしゃるはずです。買い物をするたびにおサイフの中を気にする日常は、どなたも同じではないかと思います。
金運へのお護摩は如意宝珠を祈ります。如意宝珠は諸宝を吐く真言密教の球体で、上部が突起し、そこからパワーが上昇します。私はお護摩の中に如意宝珠を観じ、パワーが参詣者に遍満するよう祈念するのです。その瞬間、堂内は金色に輝き、パワーが参詣者の百会(頭のてっぺんのツボ)より注入していくことでしょう。
百会はいろいろなツボが交わる身体の要所ですが、下がった内臓を「引き上げる」という働きもあります。私は同時に、金運をも引き上げると観じるのです。ここがこのお護摩の肝心であり、極意もここにあることはいうまでもありません。参詣者は体が「軽くなりました」ともいい、また「熱くなりました」ともいいます。
最近はこのブログを読んで金運宝珠護摩を知り、遠くからもお越しになる方が増えました。皆様もぜひお越しになってください。毎月第三日曜日の午前11時半からです。
続・健康は呼吸で決まる
令和5年2月18日
私は毎日の読経による〈声出し健康法〉や法螺貝のほか、呼吸による健康法をもう一つ実践しています。
それは加藤治秀医師(故人)の発案による〈水平足踏み〉です。その著書『万病に効く・水平足踏み』(マキノ出版)はすでに絶版ですが、まだアマゾン等の中古品で求められます(写真)。著書の序文にもありますが、実は瀬戸内寂聴さんもこれを実践していました。彼女の精力的な活動の影には、こうした努力があったことは間違いありません。

世の中にいかほどの健康法があろうとも、腸腰筋を鍛え、呼吸法によって血流を活性化する運動として、私はこれほどにすぐれた方法はないとさえ思っています。ジョギングやウォーキングは雨天には向きません。スポーツクラブに通うには、時間もお金もかかります。健康器具を買えば場所を取ります。雨天に関係なく、時間もお金もかからず、場所も取らず、これほど便利な手立てはあり得ません。
スクワットもよいのですが、腰痛の方が無理をするには問題があります。その点、水平足踏みは骨盤のゆがみを正して、腰痛の回復までも早めてくれます。期待できる症状として、心臓病・高血圧・糖尿病・高脂血症・狭心症・喘息・胃炎・便秘・肩こり・頭痛・ひざ痛・神経痛・下痢・うつ病・認知症など、それこそ枚挙にいとまがありません。
水平足踏みとは、足踏みをしながら太ももをを床から水平になるまで上げるものですが、加藤医師はこれに呼吸法を加えました。口をすぼめて「ハク・ハク・ハク・ハク・ハク・ハク」と六回吐き、「スウ・スウ」と鼻から二回吸う八拍子リズムをくり返すのです。もちろん、腕もしっかり振りましょう。水平足踏みは腸腰筋も鍛えますが、この呼吸法に万病を癒す秘密があるのです。加藤医師は90歳に至っても、これを毎朝3分間、300回を自ら実践していました。私も同様に毎朝、お供えするお茶を沸かす間に実践しています。それこそ、アッという間です。3分間ですよ。
始めは10回からでも、イスにつかまりながらでもよいのです。注意することは、太ももが床から水平になるまで上げること、これだけです。始めはちょっとキツイかも知れませんが、決心さえすれば、誰でもできます。皆様もぜひ、試してみてください。まず、駅の階段が楽に登れます。息も切れません。歩くスピードも速くなります。この速さが、歩行力の目安となります。出勤をする方は、駅までに何人を追い越せるかを、朝の秘かな楽しみにしましょう。
健康は呼吸で決まる
令和5年2月17日
生きるとは〈息る〉こと、〈息をする〉ことです。だから、生きていくうえで、呼吸ほど大切なものはありません。健康は呼吸で決まるとさえいえるのです。よい呼吸をすれば健康になり、悪い呼吸をすれば健康を害するのです。
私たちは「食べていけるのか」「何を食べようか」と、食べることは忘れません。しかし、食事をせずとも何日かは生きていけますが、呼吸が止まれば、もはや生きていくことはできません。呼吸は生命を守る一大事であるのに、むしろ食事より大事であるのに、人は何も考えなければ、ケアもしないのです。これは誰が考えても、おかしなことです。
私たちは1分間に約15回、1日に約2万回、1年間に約730万回の呼吸をします。しかも、片時も休むことがありません。空気中の酸素を体内に取り入れ、栄養素を燃焼させてエネルギーに変え、これを生涯にわたって繰り返しているのです。ところが食事と同様、よい呼吸を習慣にして健康な人もいれば、残念ながら悪い呼吸によって不調を招いている人が多いのも事実です。
では、よい呼吸とは何でしょうか。それは深くて乱れのない呼吸です。反対に悪い呼吸とは浅くて乱れの多い呼吸です。実は、ここで健康の差が出るのです。皆様は「乱れた呼吸など、するはずがない」と思うでしょうか。では、悩みや苦しみを抱えた時、どんな呼吸をしているでしょうか。あるいは不安や怒りを覚えた時、どんな呼吸をしているでしょうか。このような状況に陥いると、人はゼイゼイ、ハアハアとまではいかずとも、大変に浅い、乱れた呼吸をしています。
そうすると、酸素が不十分となり、エネルギーを生み出せません。自律神経が乱れ、体内の機能が低下します。疲労が重なり、健康までも害するのです。呼吸は私たちが意識している以上に、はるかに大きなレベルにあることがわかりますでしょうか。健康法は数限りなくありますが、呼吸に無関心であることは、まるで足もとで墓穴を掘っているようなものです。
私はいつも〈声出し健康法〉をおすすめしていますが、これは深くて乱れのない呼吸そのものであるからです。もう、おわかりでしょう。お寺で読経をすることは、最高の健康法です。ストレスを解消し、心を平安に導きます。臓器の衰えを防ぎ、老化までも遅らせます。しかも、仏さまには法楽となり、先祖には供養となります。
私はさらに、吹奏楽器(あるいは類した健康機具)による呼吸筋の鍛錬もおすすめしています。つまり、肺を膨らませる筋肉を強化することです。私は毎日のお護摩で法螺貝を吹きますので、この点でも幸運この上がありません(写真)。

皆様もハーモニカや笛など、呼吸筋に関わる楽器に親しんでみてください。口元やほうれい線などにも効果テキメンで、美顔に導くことを保証します。顔の表情も豊かになりますよ。実は「私が証明です!」といいたいのですが(笑)。

