入我我入

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挿花

令和4年1月29日

 

昨日、ロウバイ(蝋梅)をいただいたので、音声菩薩おんじょうぼさつの前にしました(写真)。まるで蝋細工ろうざいくのような花弁で、甘い香りが漂います。まさに一枝を挿しただけで、何の技術もありません。普通は挿した根もとに何か一花を添えて「根〆ねじめ」とするのですが、この時期は花が少なく、残念でありました(写真)。

私は花を習ったことはありませんが、その花が何を望んでいるか、どんなふうに挿して欲しいかを感じ取ることはできます。つまり、花そのものになって感じ取るのです。真言密教ではこれを〈入我我入にゅうががにゅう〉といって、仏さまが自分の中に入り、自分もまた仏さまの中に入るという意味です。特殊な瞑想法ですが、慣れてくるとよくわかります。

それは仏像を見つめて、うっとりする感覚に近いかも知れません。仏さまと自分との境界がなくなるからです。また、道端のたくさんの花の中で、自分にささやいてくれるたった一つの花を見つけ出した時も同じでしょう。まるで花の声に誘われたような感覚で、こんな時、私は花と入我我入するのです。

ささやかな日常の中で、生きることの喜びを味わえる瞬間を会得したいものです。入我我入について、さらにお知りになりたい方は、ぜひお越しになってください。

山路天酬密教私塾

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