令和8年9月27日
江戸時代の中期(八代将軍吉宗の頃)、地球は丸く、太陽の周りを回っているという地動説が蘭学(オランダ)から伝わりました。そして、幕府によって浅草に天文台が設けられ、しだいに洋学に力を入れるようになりました。もちろん、地動説を研究する学者も増えていったわけです。
ところが、これによって仏教は大きな危機を迎えることになりました。なぜなら、仏教には「須弥山世界」という宇宙観があったからです。つまり、この地上は平らでその中央に須弥山という山があり、太陽も月もその上空を回っているという天動説だったのでした。
さあ、大変です。仏教など虚言もはなはだしく、須弥山はとんでもない妄想だという非難がおこりました。この時、仏教を守り、梵暦(仏教天文学)の正しさを主張する僧侶が何人か立ち上がりました。中でも円通(写真・臨川書店)はその中心となって護法運動に身を捧げ、『仏国暦象編』という書作を刊行しました。
この地動説か天動説かの論争は幕末までも続き、仏教は今なおどのように主張すべきかに悩んでいるといっても過言ではありません。須弥山を解説した著作はたくさんあっても、これが仏説であるという結論以外、何も進んでいないのです。

誤解を恐れず、思い切ってお話しをするなら、須弥山世界はあの世(霊界)の宇宙観です。つまり、この現実世界の地球と同時に、異次元世界に須弥山があると私は考えています。銀河系が円盤状の形なら、平らな地上があっても不思議ではありません。そして、須弥山の上には天上界や極楽があり、地下には地獄があるのです。
また天文学に関わりなく、私たちは朝には太陽が東から昇り、夕べには西に沈むことで一日を過ごし、日の長さや気温によって季節の移りを感じています。それによって渡り鳥は方位を違えず、産卵の魚は急流を進みます。つまり、この地上世界は天動説で生きていることを認めねばなりません。
地球が太陽の周りを回っているという天文学の常識は、間違いのない「事実」です。しかし、私たちは天動説によって暮らし、異次元世界に須弥山があることもまた「真実」なのです。私は仏教の須弥山世界を信じていますので、あの世へ行くのが今から楽しみです。ただ、霊界での太陽と月、時間と空間、天地と方位、すべてに慣れねばなりません。それもまた楽しみではありますが。

