明日まで待てません

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あさか大師

令和5年3月28日

 

あさか大師の桜が満開となりました(写真)。今日、明日が見ごろでしょうか。皆様には、ぜひお花見にお越しいただきたいと思います。

ところで、桜というと私は、親鸞聖人しんらんしょうにんんだとされる歌が憶念されてなりません。

明日あすありと 思う心の仇桜あだざくら 夜半よわに嵐の 吹かぬものかは」

これは親鸞聖人が九歳の折、仏門に入ろうと決心して比叡山の天台座主ざす慈円じえんさまを訪ねた折の作とされています。ところが、すでに夜だったので、慈円さまは「明日になったら得度式とくどしき(仏門に入る儀式)をあげましょう」と語りました。しかし、聖人は「明日まで待てません」として、この歌を詠まれたのでした。

すなわち、「美しく咲いている桜を、明日も見ることができるだろうと油断ゆだんしていいものでしょうか。夜半に嵐が吹いて散ってしまうかも知れませんよ」という意味になります。つまり、自分の命を桜にたとえ、明日はどうなるかわからないから、今すぐ自分の願いを叶えてほしいと懇願こんがんしたのでした。慈円さまが、「この子はただ者ではないな」と思ったのも無理はありません。とうとう、その日の夜のうちに得度式を済ませたというのです。

ちょっと、でき過ぎたお話とは思いますが、心に残る道歌どうかとして忘れることができません。子供の頃、「今日できることを明日にのばすな」などと教えられましたが、桜に喩えられると、情感がこもります。たしかに、明日に延ばしてホゾをかんだ覚えが、ないはずはありません。このところ風雨が続き、満開の桜もこの歌のとおりです。

境内にて4月1日午後2時より、第三回〈桜まつり〉を開催します。少しでも〝仇桜〟とならぬことを願っていますが、この歌をきもに銘じて、葉桜でもよしとせねばなりません。私も皆様も、明日はわが身です。すべては縁のなすままです。

山路天酬密教私塾

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