厄除・災難除のご祈願
令和4年1月30日
一月もいよいよ最後となりました。今年はコロナ禍にもかかわらず、あさか大師で厄除や災難除のご祈願をなさる方が増えたように思います。今日も力強いお護摩にお参りしていただきました(写真)。
お護摩では〈厄除〉〈災難除〉等としるされた「護摩札(一体5000円)」を開眼して願主の方にお渡しします。また、このほかにお護摩の炎の中に入れてお焚き上げをする小さなお札があり、これを「護摩木(一本200円)」といいます。皆様の目の前でお焚き上げされるためか、護摩木も人気があり、いつもたくさんのお願いごとが寄せられます(写真)。
護摩木は具体的にお願いごとを書いた方がよいので、たとえば同じ厄除の方でも、〈けが回復〉〈対人友好〉〈売上向上〉などと記入します。あさか大師にお参りされましたら、皆様もぜひ護摩木を書いてお供えしてください。毎日の午前11時半のお護摩の前にいらっしゃれば、その場でお焚き上げをいたします。不思議なことがおこりますよ。
入我我入
令和4年1月29日
昨日、ロウバイ(蝋梅)をいただいたので、音声菩薩の前に挿しました(写真)。まるで蝋細工のような花弁で、甘い香りが漂います。まさに一枝を挿しただけで、何の技術もありません。普通は挿した根もとに何か一花を添えて「根〆め」とするのですが、この時期は花が少なく、残念でありました(写真)。
私は花を習ったことはありませんが、その花が何を望んでいるか、どんなふうに挿して欲しいかを感じ取ることはできます。つまり、花そのものになって感じ取るのです。真言密教ではこれを〈入我我入〉といって、仏さまが自分の中に入り、自分もまた仏さまの中に入るという意味です。特殊な瞑想法ですが、慣れてくるとよくわかります。
それは仏像を見つめて、うっとりする感覚に近いかも知れません。仏さまと自分との境界がなくなるからです。また、道端のたくさんの花の中で、自分にささやいてくれるたった一つの花を見つけ出した時も同じでしょう。まるで花の声に誘われたような感覚で、こんな時、私は花と入我我入するのです。
ささやかな日常の中で、生きることの喜びを味わえる瞬間を会得したいものです。入我我入について、さらにお知りになりたい方は、ぜひお越しになってください。
尊勝曼荼羅
令和4年1月26日
昨日の伝授では、受者の方々に尊勝曼荼羅をご披露しました。若い時に苦労をして手に入れ、大切に保管して来ましたが、今頃になって役立つとは意外でした。真言密教に興味がある方でも、あまり目にすることはありません。それだけに、貴重な資料です(写真)。
人生〈縁〉はこのようなことから広がるのでしょうか。苦労をして身銭を切ったり、時間をかけて足を運んだりしなければ、縁は動かず、したがって運も人生そのものも動きません。ささやかなこのお軸が、昨日の伝授を呼んだのです。
真言密教はあの世でも救われますが、この世で生きている内に救われるためのものです。この世に仏さまの世界を顕現するための姿が曼荼羅です。今日も不思議なことがおこり、さっそく連絡が入りました。うれしいお知らせを受けると、真言行者も冥利に尽きるというものです。
皆様もあさか大師にお参りして、仏さまの不思議な体験をしてください。毎日、午前11時半にはお大師さまの前でお護摩(炎をあげてのご祈願)を修しています。また、ご相談がありましたら、いつでもお電話をください。
密教私塾での伝授
令和4年1月25日
本日は密教私塾にあさか大師の僧侶7名の方が集まり、「尊勝仏頂法」と「宝篋印陀羅尼経法」の伝授会を開きました。プロの方もいらっしゃいますが、あさか大師で得度(僧侶になる儀式)を受け、有髪のまま仕事をしながら、四度加行(真言密教の基本修行)、入壇(阿闍梨になる秘儀)へと進んだ方もおられます。遠い方では青森市からもお越しになりました。午前中は「尊勝仏頂法(略して尊勝法)」、午後は「宝篋印陀羅尼経法(略して宝篋印経法)」と分けましたが、皆様、真言密教の口伝や秘訣を熱心に受法されました(写真)。
この二つの行法は、特に亡くなった方の回向に威力があります。「尊勝法」はその名のとおり最尊最勝とされ、また「宝篋印経法」は、お寺でよく見る最高の仏塔である「宝篋印塔」の供養法です。どちらもきわめて大切でありながら、伝授の機会はほとんどありません。一般によく知られている「光明真言法」や「理趣経法」と共に会得すれば、まさに鬼に金棒です。興味のある方は、このホームページの「お問い合わせ」からご連絡ください。
けんちん汁
令和4年1月22日
寒い日が続くので、毎日のように「けんちん汁」をいただいています。黒ゴマ塩をかけた雑穀ご飯によく合い、これに焼き魚か納豆があれば、もう何もいりません。一般にはしょうゆ味ですが、塩味よし、みそ味よし、酒粕を加えてもまたよしで、いずれにしても体がよく温まります(写真)。
けんちん汁の語源については、建長寺(鎌倉)の精進料理、つまり「けんちょう汁」が訛ったという説があります。しかし、別説もあり、そのことを『鬼平犯科帳』DVD版の「馴馬の三蔵」の中で、村松忠之進(猫どの)が木村忠吾に講釈するシーンがあります。鬼平ファンの方は、ぜひご覧になってください。
すなわち、正しくは巻繊汁(けんちぇんじる)」だというのです。〈繊〉とはダイコンやゴボウを細く切ったもの、〈巻〉それを油で炒め、湯葉や海苔で巻いたもの、それを汁仕立てにしたものが「けんちぇん汁」とのことです。さすがは猫どの、なかなか説得力がありますが、それにしても「巻繊汁」とは当て字も発音もむずかしく、あまり実感がありません。私たちにはやはり、「けんちん汁」の方が親しめます。
けんちん汁は切った野菜を油で炒めることに特徴がありますが、豆腐やシイタケなどのキノコ類、さらにダイコン葉などの青菜を加えると色も鮮やかです。要は冷蔵庫の残り野菜でよいのです。お寺で野菜をムダにしないための智恵が、これほど生かされた料理はありません。私はダイコンばかりは銀杏切りですが、あとはすべて乱切りで、豆腐やこんにゃくは手で千切って入れています。寒いこの時期はショウガをすりおろして加え、特製の七味唐辛子をドバドバかけていただきます。一口飲めば、一人だけの食卓で、おもわず、「うめぇー!」。
赤ちゃんは「オギャー」と泣くのか
令和4年1月20日
お大師さまの作とされる宗門の歌に、「阿字の子が 阿字のふるさと立ち出でて また立ち帰る 阿字のふるさと」があります。〈阿字〉とは梵字の〈ア〉を示し、仏さまのふるさと、すなわち仏さまの浄土を示します。私たちは仏さまの浄土から生まれて生涯をおくり、臨終と共にまたその浄土に帰って往くという意味です。真言宗の位牌には、戒名の上に必ず〈ア〉という梵字が書かれるのはこのためなのです。
そこで、この阿字のふるさとについて、おもしろいお話をいたしましょう。それは、赤ちゃんの泣き声について、私が考えたことなのです。皆様は赤ちゃんは「オギャー」と泣くと思っているはずです。しかし私はこのことに、大きな疑問をいだいてきました。なぜなら、赤ちゃんは口を大きく開いて泣くからです。口を開いて「オギャー」の〈オ〉と発声できるでしょうか。ぜひ、試してみてください。大きく口を開いての発声なら、必ず〈ア〉音になるはずです。
つまり、赤ちゃんは「オギャー」ではなく、「アギャー」と泣いているはずなのです。ただ、赤ちゃんは大人のようには、まだ発声がはっきりしません。だから、「オギャー」と聞こえるかも知れませんが、実は「アギャー」と泣いているのです。私はこの考えに、かなりの自信があります。
もっとも、私は今どきの若い夫婦のように、出産の現場に立ち会った経験がありません。また、このことを多くのご婦人に質問もしましたが、大体は「そんなことを出産の最中に聞いている余裕などありませんよ(笑)」という返事でした。でも、私のこの考えは正しいと信じています。
もう、おわかりでしょうか。赤ちゃんが「アギャー」と泣くのは、仏さまの浄土からこの世に生れて来たぞと宣言する声なのです。赤ちゃんはただ泣くことによってしか、自分の意志を伝達する手段を知りません。しかし、出産直後のあの大きな声は、まさに宣言以外の何ものでもありません。あの泣き声こそが、阿字のふるさとから立ち出でた生命の燃焼なのです。
ついでですが、皆様は「ハハハ」と〈ア〉音で笑っていますか。阿字の子なら、阿字のふるさとから生れて来たなら、〈ア〉音で笑ってください。「ヒヒヒ」「フフフ」「ヘヘヘ」「ホホホ」はいけません。怪しげな笑いを続けていると、阿字のふるさとに帰れませんよ。
金運宝珠護摩
令和4年1月17日
本日は第三日曜日で、午前11時半より厄除・災難除に加え、金運宝珠護摩を修しました。新型コロナの感染者がまた増える中、マスク着用のうえ、体温測定や除菌に努めながらお集まりいただきました(写真)。
今年は五黄(!)の年ですので、このような事態は特に予測されます。お大師さまの前に『仁王護国般若経』と『仏母大孔雀明王経』を供え、地球規模での国難に祈りを込めました。終息を願ってやみません。
笑門来福
令和4年1月13日
今年もたくさんの年賀状をありがとうございました。私は年末は多忙なので、「立春大吉」にちなんだ〝春賀状〟なるものを考案し、もう20年近くも続けています。一年の始まりが立春にあることは、暦の上では常識です。だから、春賀状はきわめて理にかない、しかも年末の多忙さまで補助してもらえるのです。
おはずかしながら、実はこの春賀状が好評で、毎年これを心待ちしてくださる方が多いのです。中には、額に入れて拝んでくださる方もいると聞きました。気のせいか、これをマネる僧侶の方も増えて来たように思います。もうしばらくです。来月の2月4日を楽しみにお待ちください。
年賀状の決まり文句は「あけまして云々」のほか、「賀正」や「謹賀新年」がありますが、さすがにありきたり過ぎる気はします。中には「笑門来福」という、うれしい四文字も目につきます。そこで今日は、笑いについてのお話です。
そもそも、人は笑うから福が来るということです。福が来たから笑うのではないのです。その証拠に、よく笑う人は幸せに(もちろん、一般的な意味ですが)暮らしています。その笑いがまた次の福を呼び、また笑うからその次の福を呼ぶのです。だから、笑いの絶えない門(家)には福がやって来る、「笑う門には福来る」なのです。おわかりでしょう。
私はいろいろな方からご相談を受けた時、その方が笑うか否かを重視しています。なぜなら、笑う人に対しては「この人は大丈夫だ」と思えるからです。もちろん、ご祈願もご回向も勧めますが、笑いのオーラ(!)が困難を乗り越えることを知っているからです。
お会いして逆に困るのは、笑わない人です。何とかして明るい笑いのオーラを呼び寄せたいのですが、なかなかうまくいきません。そこで「無理をしてでも、笑うふりをしてごらん」とか、「鏡を見ながら、暗示をかけてでも笑ってごらん」などとお話します。また、いっしょに食事をしながら冗談をいいますと、少しずつ変わって来ます。お顔立ちも変わって来ます。
「百薬の長」は、お酒より笑うことです。お酒は飲み過ぎれば害になり、出費もかかりますが、笑いはいくら笑い過ぎて健康を害することはなく、しかも無料です。ストレスを除き、血流を改善し、免疫力を高め、美容効果ももたらします。まさに「笑門来福」です。
月始めの総回向
令和4年1月9日
昨日と本日は、新春大護摩の合い間に、月始めの総回向を修しました。新型コロナ感染者がまたまた急増したためか、初詣を済ませている方が多いせいか、さびしい集りでしたが、僧侶の方もご信徒の方も元気に読経をしました(写真)。
また、初詣には長年お会いしていたかった方が何人かお見えになり、とてもうれしくなりました。何の連絡もしていなかった方が、私を忘れずにいてくださったことに、感動すら覚えました。
まいた種は、スグに芽が出るわけではありません。一つの縁が永くつながり、その縁が熟さねば結果という芽は出ません。遠い過去に私がまいた種が芽を出し、花を咲かせてくれたのでしょう。さらに実を結ぶまで育つかどうかは、今後の努力しだいです。自分を戒め、肝に銘じることにいたします。
続・新春大護摩
令和4年1月5日
初詣の新春大護摩も5日目となり、会社の方がご祈願に見えています。また、毎年の地元・中学校野球部の方々が、練習始めに当たって必勝祈願にお参りしました(写真)。皆さん礼儀正しく、お大師さまの前で一人ずつ合掌して行きました。
今年は寅年なので、「トラの勢いで練習しましょう」とお話したこととは言うまでもありません。阪神タイガースにも、ぜひ優勝してほしいと思います。
また、聖徳太子の時代、寅年・寅の日・寅の刻に毘沙門天(福徳と必勝の神さま)が、奈良の信貴山に出現しました。寅年は毘沙門天とご縁が深いとされるのはこのためです。しかも、今年は元旦が寅の日でした。また立春の2月も寅の月です。皆様もぜひ、毘沙門天の福徳と必勝のご加護をいただいてください。