小心という大胆

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人間

令和元年9月28日

 

私は小心しょうしんで、臆病おくびょうな人間です。幼い頃はカメラを向けられただけでも、はずかしくて逃げ回っていました。まして、大勢の前で自分の意見を述べるなど、考えられないことでした。

ところが、そこが人間の不思議さなのです。そういう自分を素直すなおに認めると、逆に大胆で豪放ごうほうな人間に一変するからです。今では自分をアピールすることが大好きですし、どんなに大勢の前でも堂々と講演をすることができます。けっして、特別な訓練をしたわけではありません。

つまり、小心と大胆、臆病と豪放とは紙一重なのです。自分の弱さを知ったものほど、逆に強くなるからです。考えてみれば、人は誰でも気の小さい、気の弱い一面があるものです。ただ、そのことを自覚しているかどうかが問題なのです。だから、それを自覚しない人ほど、度胸どきょうがあって気の強そうな態度を見せるのです。

「弱い犬ほどよく吠える」というでしょう。弱い犬はたたえば負けてしまうので、えまくって相手に逃げて欲しいからです。強い犬はいつ闘っても勝てるので、そんなことはしません。犬にたとえて申し訳ないのですが、本当に実力も自信もある人は、むやみに怒鳴どなるようなことはしません。

自分は気が小さい、気が弱いと悩むことがあるなら、まずは素直にそれを認めることです。すると、かえって居直いなおれるはずです。強い自分は、そこから始まるのです。実力も自信もある人は、小心で臆病な自分を知っています。重箱のスミをつっつくように細かいことにこだわるのです。それでいて、いざとなれば驚くほど大胆な働きをします。人間は誰でも、〝小心という大胆〟の矛盾を背負って生きているものなのです。

山路天酬密教私塾

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