秋明菊の魅力
令和6年10月15日
境内に咲いた秋明菊を挿しました。たくさん咲いていると、「いよいよ秋だな」と感じます。一本を楚々と差すと、これがまた清楚な風情がたまりません(写真)。
秋明菊はキク科ではなく、キンポウゲ科なので、一般の菊の花とは雰囲気が違います。信州のある山寺で出会って以来、すっかり気に入りました。
「秋の明るい菊」はピンク色もありますが、この清楚さは白花の方が漂います。山野草の園芸店に行けば、鉢植えを購入できましょう。育てやすい花なので、どこかの庭先で出会いましたら、ぜひご称讃を。
河原撫子(かわらなでしこ)
令和4年6月1日
カワラナデシコをいただきましたので、モミジの青葉と共に本堂脇の床の間に挿しました(写真)。漢字では〈河原撫子〉と書きます。そのかわいらしさが、「撫でてみたいような子」という意味なのでしょう。清少納言は『枕草子』で、「草の花はなでしこ。唐のはさらなり、大和のもいとめでたし」と讃えています。
花の盛りは晩夏ですが、長く咲くので〈常夏〉の異名があるのでしょう(現代語のように、一年中が夏という意味ではありません)。早いものは春から咲き出し、秋まで続いて〈秋の七草〉に入ることは、ご存知のとおりです。
かつて、「なでしこ」は日本女性の代名詞でした。可憐でありながらも、たくましさを秘めているからです。
実は私は、農耕民族である日本人は、闘いには向かないのではないかと思っていました。特に強靭な体力と闘争心を伴うスポーツでは、身長の低い日本人に不利であることは間違いありません。「日本人は小技のスポーツで勝負をすべきである」などと、自論を持っていたものでした。
しかし、2011年のワールドカップで〈なでしこジャパン〉がアメリカを破って優勝した時は、さすがにそんな自論は吹き飛びました。そのほかのスポーツでも、日本人選手の活躍はめざましいものがあります。殊に女性選手にはエールを送りたいと思っています。撫子のように強く、そして美しく。
入我我入
令和4年1月29日
昨日、ロウバイ(蝋梅)をいただいたので、音声菩薩の前に挿しました(写真)。まるで蝋細工のような花弁で、甘い香りが漂います。まさに一枝を挿しただけで、何の技術もありません。普通は挿した根もとに何か一花を添えて「根〆め」とするのですが、この時期は花が少なく、残念でありました(写真)。
私は花を習ったことはありませんが、その花が何を望んでいるか、どんなふうに挿して欲しいかを感じ取ることはできます。つまり、花そのものになって感じ取るのです。真言密教ではこれを〈入我我入〉といって、仏さまが自分の中に入り、自分もまた仏さまの中に入るという意味です。特殊な瞑想法ですが、慣れてくるとよくわかります。
それは仏像を見つめて、うっとりする感覚に近いかも知れません。仏さまと自分との境界がなくなるからです。また、道端のたくさんの花の中で、自分にささやいてくれるたった一つの花を見つけ出した時も同じでしょう。まるで花の声に誘われたような感覚で、こんな時、私は花と入我我入するのです。
ささやかな日常の中で、生きることの喜びを味わえる瞬間を会得したいものです。入我我入について、さらにお知りになりたい方は、ぜひお越しになってください。
サンキライ(山帰来)
令和3年11月27日
先日お話をしました東大寺八角灯籠の音声菩薩拓影の前に、サンキライ(山帰来)を飾りました(写真)。
植物学ではサルトリイバラといい、トゲのある枝に猿も引っかかることにちなんだと聞いています。漢方薬としても用いられ、病気や高齢で山に捨てられても、これを飲むと元気になって帰って来たゆえに「山帰来」と。花言葉の「不屈の精神」も、さすがだと思います。節ごとに屈折し、茎に鋭いトゲがあって生けにくく、お花の先生も悩むことでしょう。
山野の日当たりのよい所に群生しますが、葉の付け根に二本の巻きひげがあり、これで他の植物に巻きついて伸びていきます。とにかく強靭な花材です。やさしい菩薩の、あの強靭な誓願にはふさわしいと思いました。
花入れは平安時代の瓦製経筒で、写経を巻いて中に入れ、蓋で封じ、土中に埋葬しました。ただの筒なのに、花にもよく似合います。以前は蓮が咲くと、いつもこの経筒に生けたものです。いかがでしょうか。
紅桜
令和3年3月24日
あさか大師の桜はいま、二分咲きほどでしょうか。もう少しでまた、今年の様子をご披露いたします。
そんな中で、今日は朝一番に近所から紅桜が届きました。一瞬、桃の花かと思ったほどでした。すぐさま玄関わきの大壺に挿しました。境内も堂内も桜一色です。コロナで日本中の人々が疲れ切っていますが、しばらくは元気をいただきましょう。執筆がありますので、まずはこのへんで。
花に語り、花が語る
令和2年9月26日
お彼岸中のためか、いつもにも増して忙しい日が続きました。
身近な花でも挿してみようと思っても、この夏の猛暑でかなり枯れました。それでも道端をよく見ると、たくさんの野の花があります。私が花に語りかけ、花がまた私に語りかけます。まるで「自分を選んでほしい」と、望んでいるかのようでした。とりあえず二種、そっと摘みました。どこででも見る花ですが、誰も注目しません。それでも、私には花屋さんの商品より美しいと感じました。
まず、キクイモ。いくらでも群生しますが、こうして挿すとなかなかのものです。もうすぐ開花期を終えますが、縁あってお寺に来ました。「立派だね」と褒めてあげたくらいです。
もう一つが野生のニラ。臭いも少ないので、トイレに飾りました。ただ挿しただけで、流儀も技術もありません。それでも古民家づくりのトイレにはぴったりです。そう思いませんか、皆様。
女性なら仕事や買い物のついでに、花屋さんをのぞくでしょう。気に入った花があれば買うでしょう。それは、女性が美しいものによって得られる気持のよさを買うからです。男性には、そういう感性がありません。男性はいつも社会的な価値観を追いかけながら生きているからです。それは男性が花を買って部屋に飾ることなど、きわめて少ないことからもわかります。男性が花に興味を持つとすれば、多くは人生の辛苦を味わった後のことなのです。
ましてや名も知らない〝雑草〟に興味を持つ男性など、ほとんどいません。私がこのような花に興味を持つのは、実はお大師さまの教えを学んでいるからなのです。
お大師さまは人がただの雑草と思っていても、仏さまが見ればそれが薬草になるとおっしゃっています。あるいは刈り取られ、あるいは除草剤で消え失せる雑草も、薬になるほどなら挿花にもなりましょう。私はそれを学んでいるに過ぎません。
皆様もいかがでしょう。道端のエノコログサ(猫じゃらし)でもよいのです。何かの空き瓶にそっと挿してみてください。やがて霜が降りて枯草になっても、その美しさに見ほれるはずです。人生の宝も幸せも、智慧も悟りも、それはいつも足もとにあるからです。
花梅
令和2年2月17日
春らしくなって、梅が一気に開きました。
奈良時代の花見といえば桜ではなく、実は白梅だったのです。また平安時代には紅梅が渡来し、菅原道真公は特にこれを好みました。しかも、自分の住居を「紅梅殿」と称したほどです。天神社の境内に梅を植えるのは、この理由からです。また『枕草子』にも、「木の花は濃きも薄きも紅梅」と記載があります。
今日は花梅(ハナウメ)の小枝をいただき、さっそく床の間に挿しました。一種だけですが、ほかの花はこのさい不要でしょう。本堂に三千世界の香りが漂いました(写真)。
貝原益軒は『養生訓』の中で、人生の楽しみを次のように語っています。
「ひとり家にいて静かに日を送り、古書を読み、古人の詩歌を吟じ、香を焚き、名筆を写し、月や花を眺め、草木を愛し、四季の景色と戯れ、微酔ほどに酒を呑み、庭で育てた野菜を煮て、集まった仲間と楽しく食べれは、多いに気を養うことができる。これは貧しい人であっても出来ることであり、裕福でありながらこのような楽しみを知らない人より、はるかにすばらしいことである」(筆者訳)。
もはや、何もお話することはありません。うらやましいかぎりでありますが、私にも届かぬ楽しみではなさそうです。そして、人生の楽しみはこれに尽きるのでありましょう。皆様、いかが。
(明日から出張のため、2~3日ブログを休みます)
雑草いけばな
令和元年11月19日
尼崎市の飯尾一渓さんが、「雑草いけばな」という新分野を提唱しました。
〝いけばな〟とはいっても流派の生け花ではありません。道端の野の花を石やガラス瓶、切り株や竹の皮といった身辺にあるものに、さりげなく挿すだけなのです。これがまた独特の魅力に富み、お店の花にはない格別な世界を作り出します。
飯尾さんははじめ、障害児教育のためにこれを創案しました。しかし、その美しさに引かれた人たちがしだいに集まり、花も買わず、花瓶も使わぬ「雑草いけばな・一渓会」が立ち上がりました。大阪・梅田のカルチャースクールや東京・お茶の水女子大などに教室を開き、会員は千人を超えたといいます。
もちろん、「雑草」という名の花はありません。どんな花にも学名があります。しかし、無用とされ、さげすまされた花がアレンジしだいで見違えるように甦る姿はお見事としかいいようがありません。「雑草は見向きもされません。誰の力も借りずに育って、人知れず散っていきます。その無心の姿を、無心のままに受け止めるんです」と、飯尾さんは語ります。
私は数年前、当時八十一歳の飯尾さんと電話でお話をしました。そして、「最後の一冊なんですが、あなたに差し上げましょう」と言って、カラー写真の本も送っていただきました。私の宝ものです。お元気でいらっしゃるでしょうか。
曼珠沙華(まんじゅしゃげ)
令和元年9月27日
昨日で秋のお彼岸が明けました。
今年は暑さのせいなのか、曼珠沙華(彼岸花)の開花が遅れたように思います。本県日高市には有名な巾着田があり、年間30万人が訪れる観光地ですが、入場料を徴収したのは彼岸直前だったと聞きました。あさか大師の周辺でもほとんど目につかず、車を走らせて、やっと群生地を見つけました(写真)。地主さんから少し頂きましたので、いま、何の花器に挿せばよいかを思案しています。
私の郷里では、10年ほど前まで土葬(遺体を棺のまま埋める葬法)が続いていました。したがって、その土盛りが崩れぬよう、またモグラやネズミに荒らされぬよう、埋葬すれば曼珠沙華の球根を植えました。だから、曼珠沙華といえば、「死人花」「幽霊花」「親殺し」などという不吉な呼称があったのです。ましてや、花材になることもなく、茶室などではもっとも嫌われた禁花でした。
ところが近年では、各地の群生地に人気が集まり、禁花などと思っている人は誰もいません。花店でも販売されているはずです。私は5年ほど前に巾着田を訪れましたが、駐車場に入るだけでも2時間を要し、入場者は外国人でいっぱいでした。花の色も、本来の赤はもちろん、ピンクや白も目につきました。
現代人はほとんど知りませんが、昔はこの花の球根が飢饉の折の救荒食だったのです。球根にはアルカロイドの毒性がありますが、すりおろして粉末にすれば食用が可能でした。どれほどの人命を救ったかははかり知れません。漢方では〈石蒜〉といい、尿毒や水腫の妙薬として用いられました。
曼珠沙華は永く不運な歴史をたどりましたが、ここにいたってスターになったのです。栽培といっても何ら手間いらずで、強靭に繁殖するこの花が、世界中の人々から愛されることを私は願っています。
房藤空木(ふさふじうつぎ)
令和元年8月9日
炎天が続く中、とても涼しげな花をいただきました。
和名をフサフジウツギ(房藤空木)といい、西洋ではブッドレアの名が付けられています。イギリスの植物学者で、牧師でもあったバドルにちなんだそうです。正面からは見えにくいと思いますが(写真)、藤の花のように長く、はじめはトラノオ(虎の尾)かと思ったほどでした。白花以外では紅・紅紫・濃紅紫などがあります。
私は花については何の技術もないので、ただ一輪ばかりをそのまま挿しました。それでも、花の本はかなり買い込みましたし、家元茶花の本もどれほど読んだかわかりません。しかし、生け花ばかりはどうしても馴染めず、やはり〝素人の花〟こそ性に合っているようです。
素人といえば旅館や料理店、また古美術店には大変に上手な方がいます。お客様をおもてなしするその配慮に心引かれ、私もそれを見習っています。大事なことは〝さりげなく〟挿すことで、技術ばかりが目立つと、嫌味たらしく感じます。
私がどうして生け花に馴染めないかというと、いかにも「どうだ!」とばかりに、見栄を張るからです。無理にも枝をねじ曲げ、息が出来ぬほど挿し込み、まるで上座から見下すような構えです。目立つための技術としか思えません。
かつて、宗門の新聞に連載した花の写真とエッセイは、半分は『邑庵花暦』(創樹社美術出版)と題して刊行しましたが、残りの半分がまだ眠ったままなのです。いつかは皆様の目に止まるよう、努力しましょう。はたして、花は野にあるように、挿せましたでしょうか。