カテゴリー : あさか大師

コロナ対策

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あさか大師

令和2年7月19日

 

本日は第三日曜日で、午前十一時半より金運宝珠護摩(写真)、午後一時より光明真言法要を奉修しました。

コロナウイルスの感染者がまた増えましたので、お参りを遠慮している方もいらっしゃいますが、まずまずの方がお越しになりました。午前のお護摩では僧侶の方が「弘法大師御尊像」をお持ちになり、開眼祈願もなさいました。

ところで、コロナ対策でありますが、マスク・手洗い・アルコール消毒はもちろん、間隔かんかくを空けて座るよう努めています。また、加湿器に消毒液を入れて空中に噴霧ふんむしています。写真の左上にあるブルーの容器がわかりますでしょうか。

社会が活気を失い、コロナに加えて豪雨被害、これからどんな災害がやって来るとも限りません。法螺ほらを響かせ、力強いお護摩を奉修して、元気になるよう祈りました。また、玄間には常滑とこなめ大壺にドウダンツツジの大枝をし込み、植物パワーもいただきました(写真)。

皆様、大いに元気をいただいてお帰りになったと思います。終って「ゆうメール」の封書入れ、いただいたお手紙の返信、熊本県ご信徒へのお見舞い電話、今日も忙しい一日でした。

盂蘭盆会法要

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令和2年7月5日

 

あさか大師では昨日と本日、午前11時半にいつものお護摩を、午後1時には早くも盂蘭盆うらぼん法要を修しました。新型コロナウイルスの感染者数が再び上昇し、参詣を断念した方々もいらっしゃいますが、まずは集まった皆様と共に精霊回向の法要を修しました。そして、お施餓鬼せがきの説明をして(写真)、全員でその作法も修しました。

得度とくどをなさった僧侶の方々も声明に慣れ、お稽古の成果がよく出ていました。努力が実ってすばらしいと思い、よかったと思いました。ただ、私の法要に対する考えは、参詣者の方々との一体感を重んじることです。立派な声明や『理趣経りしゅきょう』の読誦どくじゅも大切ですが、「在家勤行式ざいけごんぎょうしき」を活用して、僧侶と参詣者が共に読経することが肝要ではないでしょうか。参詣者の方々は、皆様とても熱心なので、太鼓の響きに合わせて光明真言が堂内に遍満します。その唱和は「おみごと」としか言いようがありません。

今月はまた三名の方が得度を受けますので、法衣の着用を指導したり、その打合せをしました。また、加行けぎょう(教師になるための修行)の伝授もしました。すべてが終わった後は、さすがに疲れました。今日はこれで失礼させていただきましょう。

桜大臣

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令和2年3月28日

 

あさか大師となりの桜が本日、満開となりました(下写真)。ただ新型コロナウイルスの影響で、お花見に訪れる方は少ないようで、とても残念です。

私は毎日、このみごとな桜を〝ひとめ〟しています。幕末の漢学者・頼山陽らいさんようは自らの住居を「山紫水明処さんしすいめいしょ」と名づけ、京都・東山三十六峰ひがしやまさんじゅうろっぽうを独り占めしました。そして、「われ関白かんぱくなり!」と豪語してはばかりませんでした。私も特別に拝観を許された経験がありますが、当時はたしかに京都三十六の名山をすべて見渡せたことだろうと実感しました。私は関白までとは行きませんが、桜に囲まれるまま、「われ桜大臣さくらだいじんなり!」ぐらいを語れるかも知れません。

日本人ほど桜をで、詩歌や物語に取り上げている民族はほかにありません。日本人は世界一桜好きの国民なのです。そして「花は桜木、人は武士」と、美しく散ることをいさぎよしとした武士にもてはやされました。そのもんも例外ではなく数百種を超えるとまでいわれています。ただ、実際の使用している例となると、意外に少ないことに驚きます。それは散ることを悪い意味で受け止め、家紋としてはけたからかも知れません。

私が知っている著名人では原 敬はらたかし山縣有朋やまがたありとも・吉田茂・与謝野晶子・吉永小百合といった方々です。また、土俵どひょうの幕に染めぬかれているとおり、日本相撲協会も桜紋です。寺紋としては何といっても吉野の金峯山寺きんぷせんじでしょう。また奈良・唐招提寺とうしょうだいじや西宮・神呪寺かんのうじ(お大師さまの弟子であった如意にょいの開山)なども桜紋を使用しています。

私はいさぎよく散ることには何の異存もなく、今日のような満開の桜を見ながらあの世へければ、何の不足もありません。むしろ、それを楽しみにしているほどです。あさか大師を「香林寺」とごうし、桜の寺紋を選んだのも、こうした願いがあってのことでした。

まだ、間に合います。このブログを読んだ方は、ぜひお花見にお越しになってください。改めてあさか大師の寺紋もせておきます(下写真)。

春分の日

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令和2年3月20日

 

昨夜からお大師さまの正御影供しょうみえく(お姿の御影みえを供養する法要)の準備にかかり、御影のお持物(水瓶すいびょう木履きぐつ・念珠)を供えました。こうしたお持物は、今や高野山にすら残っていません。かつて、私が『弘法大師御影の秘密』(青山社)を執筆した時に発願ほつがんし、作成していただいたものです(下写真手前)。

また、仙菓せんが礼奠れいてんとして十種類の霊薬もお供えしました。これはお大師さまがご入定される前、五穀を断っていた折に召し上がっていたであろうと思われる物を、私なりに選んだものです(下写真奥の白い高坏たかつき)。お大師さまのご著書を読みますと、いかに漢方に通じていたかという事実に驚かされます。いったい、いつの間にあのような勉強をなさったのか、不思議でなりません。

このような準備のもと、本日の午前十一時半より正御影供の法要を迎えました。得度とくどをした僧侶の皆様も、だいぶ声明しょうみょう(ご真言や経典の曲)に慣れていただいたようです。またお導師の私が祭文さいもんを唱え、全員での勤行も加えました(下写真)。

続いて午後一時からは、春彼岸法要、その後は春彼岸の水子供養も奉修しました。春彼岸法要では大勢の方々がお参りし、それだけに読経の勢いがありました(下写真)。そして法要の後、一年間の祈りを込めた光明真言こうみょうしんごんの〈お土砂どしゃ〉を授与しました。白い小さな砂粒ですが、この一粒一粒が如意宝珠にょいほうしゅ化現けげんしたものです。

そして水子供養の後は、二名の新発意しんぼっち(仏門に入る決意をした方で、白い奉書を胸にしています)の得度式を挙行しました。まだお袈裟けさの着用が、サマなっていないのはやむを得ません。無事に修行をまっとうしていただきたいと念じています(下写真)。

忙しい一日でした。今日は写真でお伝えした方がよいと考え、文章はこのへんでとどめます。ご助法じょほういただいた僧侶の皆様、お参りいただいたご信徒の皆様に感謝いたします。ありがとうございました。

お金の神さま

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令和2年2月16日

 

本日は第三日曜日で、午前11半より金運宝珠護摩きんうんほうじゅごまを修しました。皆様、お金のこととなると特に熱心で、真剣でした。また、助法じょほうの読経にも力がこもっていたように思います(写真)。

お金のことで、私がいつもお話していることは、とにかくお金の神さまに好かれることに尽きましょう。お金の神さまに好かれるためには、お金を大切にすることです。だから、お金に感謝し、お金をていねいにあつかうことです。お財布さいふの中をカードやレシートでパンパンにして、それを尻ポケットに入れているようでは、お金が呼吸できません。また、お財布は常にきれいにして、お金が気持ちよく入っていられるよう心がけることです。私の場合はさらに、お金の神さまへの礼儀としてお香をも入れています。

そして、コンビニでもスーパーでも、お金を支払う時は心を込めて「行ってらっしゃい」と声をかけることです。お金はその言葉を喜んで受け止め、いつかまた返って来るからです。よく、折れたお札をまるで投げ捨てるように支払う人がいますが、お金の神さまから見捨てられた人です。そんな人がお金に恵まれことは、絶対にありません。

次に、お金が欲しいからといって、お金を追いかけてはなりません。お金は〝ついて来る〟ものだからです。どういうことかと申しますと、お金の神さまに好かれるということは、世の中の人々にも好かれるということだからです。世の中の人々が喜ぶことをすれば、お金は結果としてあとからついて来るのです。世の中の人々が喜ぶ商品や技術、情報やサービスを提供していれば、報酬ほうしゅうはおのずから高まりましょう。

その証拠に、どうしたらお金がもうかるかと、そればかり考えている人は決してお金には恵まれません。また、他人がそんをすれば自分が儲かると、そう考えている人は決してお金には恵まれません。たとえ一時的に儲かることがあっても、すぐにボロが出るからです。その視点で世の中を見れば、誰にでもわかることです。

僧侶の私がこんなお話をするのも、今時の風潮とご承知ください。昔の僧侶はよく、お金にさわことすらきらったものでした。でも、私のお金に対する考え方が間違っているとは思いません。そうではありませんか、皆様。

開運星祭り

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令和2年2月9日

 

今日は年頭最後の行事として、「開運星祭り大護摩供」を修しました。ちょうど満月にあたり、ご祈祷には最高の日となりました。また、神戸・鹿児島・沖縄などの遠方からも僧侶の方々が集まり、ご信徒の皆様もたくさんお参りくださいました(写真)。

星祭りは厄よけ・災難よけと同様、直接に自分や家族のこととなりますので、大変に関心が高いようです。また、私が『当年星供秘要次第とうねんじょうくひようしだい本地金輪護摩付ほんぢきんりんごまつき)』(青山社)を刊行し、各地で伝授をして以来、星祭りを年中行事とするお寺さんも大変に増えました。万年歴を用いて節分・立春を確認したり、旧暦での誕生日から宿曜を選出することにも、慣れていただいたように思います。特に二月三日や四日生まれの方は、万年歴で正確な節分・立春を調べる必要があるからです。

現在の星祭り行事は、ほとんどが〈当年星供とうねんじょうく〉といいまして、その年に巡って来る当り星を祈願します。そして、星祭りにはお護摩がつきもです。しかし、経典を調べますと〈当年星供〉にはお護摩の次第がありません。このような場合は〈本地護摩ほんぢごま〉といいまして、当年星の本来のお姿である本地仏ほんぢぶつ金輪きんりんさま)のお護摩を修します。

私が残念に思うのは、星祭りといいながら、お不動さまのお護摩を修しているお寺さんが多いことです。これでは星祭りのお護摩にはなりませんので、ぜひ、正しい本地護摩を修していただきたいと念じております。

星祭りの後は、お二人の方に印可を授け、さすがにクタクタになりました。今夜は早めに休ませていただきましょう。

野球部の参詣

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令和2年1月5日

 

本日は地元中学校野球部の練習始めで、ジョギングをしながら参詣に見えました。コーチの先生も部員の方々も礼儀正しく、一同で「必勝祈願」を受けました。「ご本尊は高野山を開かれた弘法大師空海さまです」と説明しましたら、スグに理解したようでした(写真)。

私の持論の一つですが、社会に出てリーダーシップを発揮する人は、たいていは部活で活躍した方です。授業や学習塾での勉強も大事ですが、他人とのつき合い方や強い精神力は部活によって養われるからです。

特に今時は正しく「気をつけ!」をしたり、「回れ右!」すら出来ない子供たちが多いのに驚きます。また、あまりに声が小さく、元気のない子供たちが多いのも事実です。スポーツや武道に励めば、こうした問題は自然に解決します。

何をするにも、姿勢が悪くては上達しませんし、人の元気さは声に出るのです。声の大きい人は体力があり、よく働くことも間違いありません。人選で、もし二人の中からどちらかを選ぶとすれば、声の大きい方を選べばよいと私は思っています。

祈願の後、再びジョギングで学校に向かった部員を、私は励ましながら見送りました。やがて社会に出て、立派な指導者になってくれることを願ってやみません。

人気の御守

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令和2年1月4日

 

あさか大師では御守も陳列しています。もちろん、「開眼かいげん」という作法をして、神仏の功徳を込めて授与しています。

最近では若い方も高齢の方も、御守りに対する見方が変わりました。特にご自分の守り本尊の御守や水晶パワーの御守といった、特定の意味を求める傾向があります(写真)。

腕輪うでわ念珠なども幸運の石や色にこだわりますし、車のステッカーもよほどにデザインが良くなければってはいただけません。すずも概して大きなものより、小さくてセンスのよいものに人気が集まります。

一番の人気は「水琴鈴すいきんれい」でしょう。水琴とは水滴すいてきによって琴のような音色を発生する洞窟どうくつ内の現象です。一般の鈴とは異なり、特にやさしいいやしの音色が好まれています(写真)。

現代人はストレスが多いのか、おこうやアロマテラピーといったかおりや静かな音楽に癒しを求めるようです。法要や法話も大事ですが、このようなニーズに応じるのも布教の大事な手立てです。曼荼羅にはあらゆる仏さまや神さまがいらっしゃるように、いろいろな個性が調和しています。誰にでも親しめる手立てを配慮することも、お寺の役割だと思います。

新春大護摩供

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令和2年1月2日

 

皆様、明けましておめでとうございます。

あさか大師では元旦午前〇時より新春大護摩供しんしゅんおおごまくを修し、皆様の厄よけ・災難よけを中心に諸願成就しょがんじょうじゅを祈念いたしました。深夜にもかかわらず、昨年よりご縁のあった僧侶の方々、特に沖縄からや他宗の方まで集まり、いっしょに助法してくださいました。またご信徒の方々には、何かとお手伝いをいただきました(写真)。

そして、午前9時から午後4時までは一般参詣の方々がお越しになり、お申込みのたびにお護摩を修しました。はさすがに声もれ、クタクタに疲れましたが、お越しいただけた喜びにもたれました。

今年はいよいよ2020東京オリンピック・パラリンピックの開催がありますが、昨年に続いての災害も懸念けねんされます。あさか大師でも台風19号による被害がありましたが、今後の対策も思案しています。また今年は九星気学では、庚子七赤金星かのえねしちせききんせいの年です。社会現象の予測なども、おいおい「法話ブログ」に書きましょう。

2月9日の開運星祭り大護摩供までは、特に多忙になります。健康への配慮を怠らず、皆様のお役に立てるよう精進をいたします。今年もまた、あさか大師にお参りください。

よいお年を

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令和元年12月31日

 

今年も、残すところ数時間となりました。昨日から沖縄より若い青年僧が見えて、初詣の準備を手伝ってくれています。お掃除そうじがとてもていねいで、助かっています。

間もなく、あさか大師も二年目を迎えるわけですが、昨年の暮れより厄よけの問い合わせが増えました。以前にもお話しましたが、私が厄よけ祈願に力を注ぐ理由は、皆様の関心が高いからです。なぜ関心が高いのかと申しますと、厄年はまさに自分のことであるという、単純な理由からです。どんな方でも仏教の深遠な教えに始めから興味があるわけではありません。また、お釈迦さまやお大師さまがこうおっしゃっているとお話しても、必ずしも耳を傾けるわけではありません。

しかし、自分のこととなると、目の色がかわり、身を乗り出して聞くのです。そして、厄よけを通じて交流が深まると、仏教の教えにも興味を示すようになってきます。私は長年に渡って厄よけ祈願をしてまいりましたが、人というものは、本当に自分がかわいいのだなと、心から思うようになりました。そして、厄よけ祈願をして少しでもいいことがあると、お釈迦さまのことばもお大師さまのことばも、まじめに聞くのですから奇妙です。この世が奇妙なら、人もまた奇妙なのです。

明日から忙しくなりますので、今夜はこのへんで失礼しましょう。皆様、どうぞよいお年をお迎えください。

山路天酬密教私塾

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