山路天酬法話ブログ
香りについて
令和2年5月25日
私は二十代で真言密教の僧侶となり、三十代の10年間は八千枚護摩という難行に明け暮れました。これはお釈迦さまが、この世とあの世を八千回往復して悟りを開いたという説に基づくものです。一週間菜食して不動明王のご真言を十万遍唱え、さらに一昼夜断食して八千本の護摩木を焼き尽くしました。現在はこの八千枚護摩も各地で修されていますが、当時はこんな難行に挑む行者は少なかったように思います。
私はこれを50回も成満しましたが、始めの頃はすべて断食して修したため、意識がもうろうとする中で不思議な現象も体験しました。修法中には「加持物」と言って、白ゴマを炎に投ずる作法があります。その時、限りない無数の光輪につつまれるのです。その色がたとえようもない輝きを放ち、まるで夢のような心地であったことは忘れられません。私たちは普段は感ぜずとも、多くの異次元世界の中で生きていることを実感したものでした。
このような体験を重ねると、感覚が冴えわたることは間違いありません。特に嗅覚が発達するのです。当時の寺は三階建てで、一階が事務所やロビー、二階が本堂、三階が庫裡(居住所)でした。成満してすぐに境内を巡拝するのですが、その時は三階でどんな食事を作っているかさえ感じ取れるほどでした。「いま、味噌汁のダシをとっているな」ということがわかるのです。また自分が知らない土地で車に乗っていても、はるか手前で「この先にラーメン屋さんがありますね」などと言うと、そのとおりラーメン屋さんがありました。独特のにおいをいち早くキャッチしていたからです。歯が悪い人や胃が悪い人の、わずかなにおいもスグにキャッチしたものでした。
もっとも、私は今でも毎日お香を焚きますので、一般の方より嗅覚が発達するのは当りまえです。しかも伽羅や沈香といった高価なお香を焚きますから、なおさらのことです。皆様も毎日このような香りに接していれば、嗅覚の発達はもちろん、顔までがどことなく仏相を帯びてくるはずです。これは本当のことです。
どうしてこんなお話をしたのかと申しますと、香りこそは仏さまに近づく最も身近な手段であるからです。真言密教の僧侶が行法をするにも、最初に修するのはお焼香です。また、皆様が亡くなった方を回向するにも、お線香を供えます。つまり、香りこそはこの世とあの世の媒介なのです。
品格の優劣も香りです。「紳士の香りが漂う」とか「うさんくさい」などと言うでしょう。本物と偽物の違いもまた香りです。「本物の香りを放つ」とか「怪しいにおい」などと言うでしょう。あらゆる理屈を超えて、本質は香りに現れることを知らねばなりません。香りについてのお話はさらに続けましょう。
ほどほどの大切さ
令和2年5月23日
最近よく思うのですが、生きるということは〝ほどほど〟であることが大切です。たとえば、私たちが生きていくためには酸素・水・光・塩といったものが必要です。しかし、どんなに必要であっても、それが多過ぎてはいけませんし、逆に少な過ぎてもいけないことに気づくはずです。
私たちは酸素がなければ、もちろん生きてはいけません。また、大きく深呼吸をすることは自律神経を安定させ、健康増進にも役立ちます。しかし多過ぎると体内に活性酸素が発生し、健康を害します。アスリートでもない人が過激な運動をして、急死したりするのはこのためです。
水はどうでしょう。体の60パーセントは水分ですから、水の重要性は申し上げるまでもありません。特に真夏に大量の汗をかくと水分が不足し、血液がドロドロになり、熱中症や脳梗塞を招きかねません。この頃は気象予報士でも、「こまめに水分を補給しましょう」などとよく言います。しかし大量に水分をとり過ぎると、これを処理する腎臓に無理が生じます。体に不要な水がたまって冷えの原因となります。漢方ではこれを水毒といい、万病のもととするのです。今日、若い女性の体温が低く、また体がむくむのは、運動不足やクーラーに加えて冷たい水やお茶を必要以上に飲むからです。
太陽光の紫外線が皮膚がんやシミの原因になるとして、極端に避ける方がいますが、これもいけません。朝日を拝んでセントニンを浴びることは、心身のバランスをはかる上でとても大切なことです。うつ病や引きこもり、すぐにキレやすいといった症状は、脳内セントニンが不足しているからです。
塩も大事です。多くの医師が「塩分をひかえましょう」と言って減塩運動を呼びかけますが、高血圧の人口はいっこうに減りません。その理由の一つは合成した食塩(塩化ナトリュウム)にあるからです。また、熱中症は水分の補給だけでは予防できません。血液は塩分濃度を一定に保つ必要があるからです。よけいなことでしょうが、日本人は少しは高価でも、塩と醤油と味噌ばかりは昔ながらの天然ものを使うべきだと私は思います。
こうした事実に照合すると、見えてくる真理がたくさんあります。新型コロナウイルスはもちろん論外ですが、あまりに除菌が過ぎると免疫力が落ちます。謙虚であることは大切ですが、謙遜が過ぎると卑屈になります。正直に生きねばなりませんが、潔癖が過ぎると周囲から敬遠されます。迷惑をかけてはいけませんが、遠慮が過ぎると相手を困らせます。
「過ぎたるは及ばざるがごとし」と言うではありませんか。ほどほどの意味を知りましょう。そして、ほどほどに生きることの大切さを知りましょう。世の中を見てください。ほどほどを知らない人が病気になるのです。迷惑をかけるのです。問題をおこすのです。そうでしょう。
他人の悪口、自分の悪口
令和2年5月22日
人はよく誰かの悪口を言っては楽しみ、時間をつぶし、ストレスを解消します。男性どうしが焼き鳥屋に入れば、悪口にはこと欠きません。女性どうしが喫茶店に入れば、これも悪口にはこと欠きません。会議や会合の席では何もしゃべらなかった人が、まるで油紙へ火をついたようにペラペラと舌が回るのです。それぞれが一緒になって悪口を言っている場合もあれば、一方的に悪口を聞かされる場合もあります。ところが聞かされる人も、しだいに相手の悪口に乗ってしまうのはどういうことなのでしょう。
そして悪口は廻り巡って、「あの人があなたの悪口を言ってたよ」と、当人の耳にも届くものです。またそれを伝えた人からも、「この人は影で悪口を言う人なのか」と思われてしまいます。さらに、「もしかしたら、私の悪口も言っているのでは」となって、互いにまずい関係になってしまいます。少しのほころびが、人間関係の亀裂へと発展するからです。
こうなると、もう収集がつきません。なにを言ったかにを言ったで、今度はうわさ話に発展します。うわさ話は次の人に伝わるごとに、必ず誇張されるのです。また、うわさ話はそれを弁解したり、否定したりするほど真実味を帯びるから不思議です。ささいな悪口が、とんでもない事件に発展する可能性すらないとはいえません。舌が他人を傷つける刃物になることを、「舌刀」とまで言うのです。
そして、最も重要なことを申し上げましょう。それは自分が言った悪口を一番多く聞いているのは、ほかならぬ自分自身であるという事実です。私たちは他人の悪口を言っているつもりでも、実は自分の悪口を言っているに等しいという意味がわかりますでしょうか。他人の悪口を並べ立てる相手を好きにはなれないように、自分が悪口を並べ立てれば、無意識のままに自分を嫌っていくものなのです。
私も若い頃は、著名な人を批判しては得意になっていたものでした。こういう習慣が身につくと批判は悪口と堕し、身辺の人の悪口に発展したものです。そして、最もみじめなのは自分なのだという事実すら気づきませんでした。若気の至り、不徳の至りとはいえ、おはずかしいかぎりです。
それでも二十代の半ばからお大師さまの教えにふれ、自分のことを大切に思い、人を思いやることの大切さを知りました。いろいろな遍歴を重ねましたが、今では人のお役に立てることが楽しくてなりません。人のために尽くしていれば、その気持ちはおのずから伝わるものです。そして、私に会いたいと思ってくださる方が増えてまいりました。全国からいろいろな方が集まって来ています。一般の方はもちろんですが、僧侶の方もお見えになっています。まだ二年目のささやかなお寺ですが、皆様もぜひお越しになってください。「悪口など言っている場合じゃない」と、思うようになりますよ。
数学の詩人
令和2年5月21日
昭和の時代に岡潔という天才数学者がいました。『春宵十話』という随筆集も残していますが、天才にありがちが奇行も多く、「希代の仙人」とか「現代のアルキメデス」などとまで呼ばれていました。
京大理学部卒業の後、フランスに留学して理学博士となりましたが、「私の研究に必要なものは俳句である」と言って松尾芭蕉の研究に没頭する始末でした。数学には美意識こそ大切だという考えがあったからです。そして二十年後、世界中の数学者が誰も解けなかった〈三大難問〉を独力で解き明かすという快挙を成し遂げました。「もしノーベル数学賞があれば、間違いなく受賞したであろう」とまで言われています。
家族五人の生活は極貧で、財産もすべて売り払い、一時は物置小屋を借りてやっと飢えをしのぐほどでした。いつもよれよれの背広にノーネクタイ、長靴だけをはいて歩いていました。「ネクタイは交感神経をしめつけ、革靴は歩くと頭に響くので思考を妨げる」と言い張っています。文明の利器とは縁がなく、奥さんが電話を引いてくれるよう頼んでも、「あれは俗物の代物だ」と言って聞き入れませんでした。それでも奈良女子大教授となってからは、生活もいくらかは楽になりました。そして、数学の研究を始める前の一時間は、いつもお経を唱えていました。
昭和三十五年には文化勲章に輝きましたが、この時ばかりは家族の説得でやっと革靴をはいたという〝伝説〟があります。その受章祝賀の席で天皇陛下より「数学とはどういう学問ですか」と問われると、「数学は生命の燃焼です」と答えました。また新聞記者から「数学で最も大切なものは何ですか」と問われると、「野に咲く一輪のスミレを美しいと思う心です」と答えました。
数学の研究と美意識がどう結びつくのか、私たちにはわかりにくいかも知れません。しかし論理的に数学を考え、また考えて、その最後にひらめく感覚は、美しいものを見て感動する心に通じるのではないでしょうか。だから、数学は生命の燃焼なのでしょう。私は野の花を(普通の花瓶ではなく)よく古い仏具や土器に挿しますが、花を習ったことは一度もありません。それでも、一輪の花が何を語っているのか、どんな器に入れて欲しいのかはよくわかります。そのことはお大師さまの教えを学ぶうえで、大変に役立ちました。
美しいものを見て感動する心がなければ、最後のひらめきには到達しません。自然を見て感動し、絵画を見たり音楽を聴いて感動する時、偉大な科学的発見が生まれるのはこのためです。仏師が木材の中に仏を見い出して仏像を彫るように、数学の埋もれた真理も感動する心から掘り出されるのだろうと思います。昭和の偉大な天才数学者は、まさに「数学の詩人」であったのです。
銭洗い弁天
令和2年5月19日
「銭洗い弁天」という、お金のパワースポットをご存知でしょうか。弁天は「弁天さま」、つまり弁財天のことです。鎌倉の銭洗弁財天宇賀福神社が最も有名ですが、他にもこれに類したの神社やお寺がたくさんあります。
宇賀福神社は文治元年(1185)巳の年の、巳の月、巳の日、巳の刻に源頼朝に、弁財天に使える宇賀神さま(蛇体の神)が、「この地に湧き出す水で神仏を供養せよ。されば天下泰平の世がおとずれる」というお告げがあったことから始まりました。〈巳〉は蛇体で、つまり宇賀神さまを示します。ちょっと出来過ぎた逸話ですが、これが頼朝が建立した宇賀福神社の由来です。その後、北条時頼がこの湧き水で銭を洗い、一族の繁栄を願ったことから「銭洗い弁天」として知られるようになりました。さらにその湧き水で銭を洗うと、その銭が倍になるという信仰が生まれたのです。
私は従兄弟が鎌倉にいるので、訪れたついでに宇賀福神社を参拝したことがあります。まだ若い頃で、何人かの人が熱心にザルでお金を洗っている姿を見ましたが、自分もやってみようとは思いませんでした。「ずいぶん俗な信仰があるものだ」という程度にしか思わなかったからです。
ところが、今になってお金というものの大切さや、お金を大事に扱うべきことを思案し、そのことを力説するようになって以来、銭洗いの意味も納得するようになりました。私たちはよく、お金を「きたないもの」とする誤った先入観があります。お金持ちはみな悪い人だとする一方的な思い込みと、誰が触ったかわからないから衛生上〝きたない〟という観念を兼ね、このような考えが通用しているのです。
お金はそれを扱う人間によって、善にも悪にもなるのです。しかしそのお金をザルに入れ、清らかな湧き水で洗うことはお金を大事に扱う行為として好ましく、ほほえましいことです。また弁財天は本来は〈辯才天〉と表記し、水や農耕の神さま、歌や音楽の神さまなのです。だから清らかな湧き水で銭を洗ってシャラシャラと音を奏でることは、大きな功徳になるのです。弁財天に喜ばれ、それによって自分が好かれれば、銭が倍になるという信仰もまんざらではありません。
こういう信仰が時代を経て続いているということは、確信があるからです。つまり、霊験があるからです。昔からの伝承に対し、謙虚に受け止めるべきものがたくさんあるはずです。あの頃、銭洗いになど何の関心も持たなかった自分を、今はただただ反省しています。
二つの生き方
令和2年5月18日
私は人の悩みを聞く仕事を、40年以上も続けています。そして、少しでもお役に立てるよう毎日のお護摩のご祈願にも、また先祖の回向にも努力を重ねています。
たくさんの方々に出会って来たわけですが、中には思いのほか早く解決する方があります。お寺に来ただけで、また私とお会いしただけで、心がやすらぐと言ってくださる方もいます。しかし中には、ご祈願に励んでも回向を重ねても、望むようにいかない方がいることも事実です。この違いは何なのだろうと、私はずいぶん悩みました。
ある時わかったことは、望むようにいかないという方は、それをすべて世の中や他人のせいにするということでした。口にすることは世の中や他人への不平不満ばかりなのです。これに間違いはないと、今でも確信しています。こういう方は、自分がうまくいかないのは社会が悪いのだと考えています。それなりの学歴もあり、外見もよく健康でもありながら、それを職場のせい、上司のせい、同僚のせいだと言い立てるのです。
そもそも私たちは社会でも職場でも、多種多様な人に接しなければなりません。上司が寛容で大らかな人ならいいものの、小さなミス一つにでもガミガミと怒鳴る人もます。隣りの席にすわった人が、親切でやさしい人ならいいものの、とんでもなく冷たい人という場合もあります。つまり、世の中はいろいろな人間がいっしょに集まり、人間それぞれの性格によってそれぞれに動いているということなのです。この単純な事実が、思いのほか理解されていません。
つまり、大人になっても、学校を出ても、知識はあっても、人間を理解していないということなのです。また、このことは家庭でも学校でも、一般には教えません。皆様は驚くでしょうが、難関を通って一流大学を卒業し、さらに人もうらやむ一流企業に勤めながら、意外にこういう人が多いのです。自分が今日ある幸運や恩恵が誰によってかなど、考えもしません。何をされた、かにをされたと、そればかりなのです。別のいい方をすれば、感謝ができない人です。
人はもちろん、何をもって幸福であるか不幸であるかなど、一概に決めることはできません。しかし、どんな人でも、どんな状況でも、人が幸福になれるのは感謝をする時です。まわりの人を見てください。誰によらず「ありがとう」と言える人は、まず大丈夫です。悩みごとも願いごとも、何とかなるのです。逆に世の中や他人の悪口を重ねる人は、自分も悪口を言われ、望むことも叶いません。
皆様はこの二つの生き方の、どちらを選びますか。私のブログを読んでくださる方なら、もうわかりますよね。大丈夫ですよね。私からも申し上げましょう。「皆様、ありがとう」と。
ここで気を許すな!
令和2年5月16日
新型コロナウイルスに対する緊急事態宣言が、まず三十九県で解除されました。
宣言期間中は、国民の多くが強いストレスや危機感を感じたことと思います。外にも出られず、学校にも行けない子供たちは勉強も遅れ、友達とも遊べぬ不満が重なったはずです。また、ご主人もお子さんもいる狭い家の中で、炊事も家事も休めぬ主婦は言葉も乱暴になったかも知れません。家族や夫婦間のDVが増え、「コロナ離婚」なる冗談(もしや本音!)まで耳にする始末でした。一方、お店も工場も未曾有の危機に立たされています。すでに倒産した会社も、数知れません。補助金や借入れで乗り切れるかどうか、まさに瀬戸際の様相です。
また、マスクや消毒液すら、なかなか手に入らない状況は今も続いています。一時はティッシュやトイレットペーパーまで不足する有様でしたが、こちらはほとんど復旧しました。食品も、納豆ばかりは「一家に一パック」などと表示されていますが、さほどのことではありません。私は戦後の生まれですから大きなことは言えませんが、終戦を経験した方ならどうということもないはずです。サツマイモのツルを食べて飢えをしのいだお話をうかがえば、まだまだ楽な時代だと思います。
物に不自由する生活を、初めて経験した国民も多かったことでしょう。つまり、〝平和ボケ〟した私たちは喝を入れられたのです。また人類の愚行に対して、地球そのものがリセットを強いられたのです。このブログでも何度かお話をしましたが、この世は無常なのです。いつ何が起きるかわからない、変わらないものなど何ひとつないということなのです。平和で安心して暮らせる社会など、この世にはないのです。それだけに、私たちは危機感に対してもっと敏感にならねばなりません。地震や台風だって、いつやって来るかはわかりません。誠実でまじめに生きていても、どんな凶悪が迫っているかはわかりません。私も昨年は台風被害を経験しましたので、早くも備えを固めています。
コロナウイルスの件にもどりますが、ここで気を許してはなりません。もし二次感染が増え、再び非常事態宣言が発令されることになどなったら、今度こそ最悪です。人は「もう大丈夫だろう」という時が、一番あぶないのです。九割かた終ったと思って安心すると、最後にミスをします。これで勝ったと思って油断すると、最後に逆転されます。おそらく、一年ほどは警戒を続けねばなりません。専門家の意見にも耳を傾けましょう。
多くの人々が外出を始め、仕事を始め、お店にも入り始めています。もう一度申し上げますが、「もう大丈夫だろう」という時が一番あぶないのです。「ここで気を許すな!」と、おまじないのように何度でも唱えることです。声に出すと、人は実行するものです。そうなのですよ。
はじめに教えを説いた第一の仏
令和2年5月15日
『徒然草』の逸話を、もう一つご紹介しましょう。これは最終段(第二四三段)からの引用です。
兼好法師(作者)が八歳になった時、父親にたずねました。「仏とはどのようなものでしょうか」と。父親は「仏には人がなったのじゃよ」と答えました。幼い兼好はまた、「人はどのようにして仏になったのですか」と問いました。父親は「それは仏の教えによってなったのじゃ」と答えました。兼好はさらに、「その教えを説いた仏は何によって仏になったのですか」と問いました。父親は「そのまた先の仏の教えによって仏になったのじゃ」と答えました。兼好はなおも食い下がり、「そのはじめに教えを説いた第一の仏は、どういう仏だったのですか」と問いました。父親はとうとう、「そうじゃなあ、空から降ったのか、土の中から湧いたのじゃろうよ」と笑ってしまいました。そして、「息子に問い詰められて、どうにも答えられんかったよ」と大勢に語っておもしろがったのでした。
八歳の子供がこんなことを父親に質問するのですから、さすがに兼好法師は秀才(もしくは天才!)です。私が八歳の頃はとてもとても、泥だらけになって遊んでいたぐらいの記憶しかありません。こんな質問など浮かぶ道理もありません。皆様はいかがですか。
さて、これもおもしろいお話です。歴史的にはお釈迦さまがはじめて仏になったわけですから、「人がなった」ということになります。そして、それはお釈迦さまが作り出した教えによってではなく、もともと存在していた真理を悟ったということですから、父親はそれを「仏の教えによって」と答えています。ところが私が注目するのは、最後の「はじめに教えを説いた第一の仏」なのです。強いて申し上げるなら、それが真言密教の大日如来ということになりましょう。歴史的には存在しない大日如来について説明する場合の、よいお手本になるからです。
兼好法師も出家者(僧侶)ですから、この最終段は仏教のことで締めくくりたかったのでしょう。また、八歳の息子がこんなことを聞いてきたのですから、父親としてはよほどうれしかったのでしょう。事実、大勢に語って喜んでいます。いささか自慢の気持があったかも知れません。そこに親子のおもしろさと深い味わいがあります。『論語』のような強い道徳性とは異なり、『徒然草』の魅力はここにあるのです。受験のための強制的な勉強としてではなく、社会人になってからこそ愛読してほしいのです。男の生きざまを教える人生の名著ですよ。無人島に一冊の本を持って行くとしたら、私はたぶん『徒然草』を選ぶでしょうね。
明恵上人の逸話
令和2年5月14日
『徒然草』(第一四四段)に、栂尾(京都)の明恵上人の逸話が紹介されています。
上人が道を歩いていたら、ある男が川で馬を洗っていました。そして、その馬の足を洗うため、男は「足!足!」と声を出しました。それを聞いた上人は、「ああ、ありがたや。前世の功徳が実を結んで、『阿字(足)阿字(足)』と唱えておる。どういうお方の馬であるか。あまりにも尊いことじゃ」とたずねました。
男は「これは府生殿の馬です」と答えました。すると上人は「何と何と、これはめでたいことじゃ。阿字は本不生という意味で、まさに『府生(不生)』ではないか。うれしいご縁をいただいたものじゃ」と涙をぬぐったそうです。
ちょっと解説をしましょう。〈阿字〉というのは真言密教の梵字で、大日如来という最高の仏さまを示します。真言宗のお位牌やお塔婆には必ず書かれている梵字で、この梵字がなければ真言宗そのものが成り立ちません。それくらい大事な梵字なのです。そして、その〈阿字〉には〈本不生〉という深義があるのです。本不生とは「本来不生不滅」を略した言葉で、私たちはもともと、生ずることも滅することもない永遠の生命であるということを教えているのです。阿字と本不生と、明恵上人はこの二つの言葉に同時に出会えたご縁に感激したのでした。なかなか〝おもしろい〟お話です。
皆様はどう思うでしょうか。「何だ、ただのこじつけじゃないか」と、そう思うでしょうか。もちろん、〈足〉と〈阿字〉はまったく別のものです。また、〈本不生〉という深義と〈府生〉という人物の間に、何のかかわりもありません。
でも、どうでしょうか。私たちもお護摩の炎を写真に撮ったらお不動さまの姿が出ていたとか、ロウソクが蛇腹に垂れて龍神さまが現れたとか言うことがあります。また、壁のシミが観音さまの姿に見えるということから、お賽銭を上げたりするものです。これも自然な心理であって、単なる〝こじつけ〟では済まされません。
明恵上人の逸話も、何か特別な意図があったのでしょう。弟子が同行していたのなら、修行の心得を教えたとも受け取れます。山の形や川の流れに、風の音や人の声に、もっと五感をはたらかせなさいという意味ではなかったかと思うのです。自然界はすべて仏さまの文字であり、仏さまの説法であるというのが、お大師さまの教えなのですから。
天空の仏教音楽
令和2年5月12日
「讃祷歌」という仏教音楽があります。東京代々木の智韻寺初代住職・新堀智朝尼(故人)が、その創始者です。
仏教音楽というと声明やご詠歌・和讃は知られていますが、讃祷歌は童謡ありクラシックありで、この分野ではきわめて特異な存在です。キリスト教の教会では聖歌隊はもちろん、信徒も共に讃美歌を歌って祈りのボルテージを上げますが、仏教寺院はもっぱら読経が中心です。仏さまやお大師さまを讃える歌が、もっと採用されるべきだと私は思います。
智朝尼は「讃祷歌詠唱団」を組織し、全国の寺院やステージに立ちました。また海外公演も数知れず、特にカーネギーホールや国連ホール、バチカン特別謁見でも詠唱しました。私も東京芸術劇場大ホールでの公演では、修験道(山伏)の衣帯で法螺師を務めた経験があります。圧巻のオーケストラ演奏の中、自分がお護摩を修しているイメージで法螺貝を吹奏しました。目の前に作曲家の黛敏郎さんが座っていたので、かなり緊張したことを覚えています。
私は智朝尼とは若い頃、京都東山の総本山智積院で出会ってより、大変に親しいおつき合いをしました。彼女とは親子ほど歳は離れていましたが、互いに意気投合して時を忘れるほどでした。思い出すこともたくさんあります。当時はまだ携帯電話もありませんでしたが、いっしょに街を歩いていると、「ちょっと待って」と言って公衆電話に飛び込むのです。何だろうか思ってと見ていると、何やら受話器を持って口ずさんでいます。あとで聞いてみると、突然に浮かんだ詩曲を自宅の留守電に入れていたというのです。もちろん、忘れないためです。
音楽の神さまは、思いがけない時に啓示を垂れるのでしょう。彼女はその「天空の仏教音楽」を、自分の身でキャッチしたのです。その時は〈わらべ歌〉でした。
「いとけなき子らに よみじを照らしつつ みてには乳び たれさせたもう 南無観世音 今日は父 明日は母よと叫ぶ子に 慈悲の雨ふる 晴れをまたなん」
私の車に同乗していても、急に「止めてください」と言うのです。キャッチした詩曲がエンジンの音で聞き取れなかったのでしょう。彼女の日常はすべて音楽と共にありました。旋律が降臨し、歌詞が浮上するや、天空のその詩曲を地上へと届けていたのです。聡明で一途な人柄を、私は忘れることはありません。あの世でまた出会うのが楽しみです。

