山路天酬法話ブログ
金運心得帖
令和3年7月18日
今日は第三日曜日で、午前11時半より月例の金運宝珠護摩を修しました。コロナ禍と連日の猛暑で、ご信徒の皆様がお集りになれるか心配しましたが、まずまずのお顔触れでした(写真)。

せっかくなので、午後の回向法要の後、私が考えるお金のルールを「金運心得帖」と題してお話をしました。ブログを読んでいただいている皆様にも、お伝えしたいと思います。次の12ヶ条が、私の考える金運心得帖です。
①人が欲する利益を与えなければお金は入りません。【人が損をすれば自分が儲かるという考えは、大きな誤りです】
②お金持ちを尊敬し自分もそれを目ざしましょう。【お金を持っている人は悪いヤツだという考えも、同様です】
③お金を大切にするほどお金からも大切にされます。【大切にしなければ大切にされないことは、世の中の道理です】
④お金は神さまからの預かりものと思いましょう。【人が喜べば神さまも喜び、お金はそのご褒美なのです】
⑤収入の一部は社会への御礼に還元しましょう。【利益は分かち合ってこそ、さらに大きな利益を生み出すのです】
⑥お金のそばで腹立ちや悪口は慎みましょう。【お金は腹立ちも悪口も聞いており、そういう人から遠ざかります】
⑦お金の出し入れには挨拶を忘れてはなりません。【入る時も出る時も、「ありがとう」の一言を忘れてはなりません】
⑧敬意を払わず「カネ」と呼んではなりません。【「お金」と呼ばずに「カネ」と呼び捨てる人に、お金は集まりません】
⑨財布はお金の居心地がいい長財布を用いましょう。【お札を折らずに、居心地を考えた長財布を使うことです】
⑩財布の中はお金の向きをそろえて入れましょう。【お金を逆さづりにして、愛されることはありません】
⑪カードの厚みでお金の呼吸を妨げてはなりません。【お金は生きものであり、呼吸するものであると心得ましょう】
⑫二つ折り財布を尻ポケットに入れてはなりません。【お金が二度と戻りたくないような行為は、慎まねばなりません】
以上の中で、最初の①②は多くの方が陥いる誤りです。また④⑤は、よく考えていただければおわかりいただけましょう。ほかは特に財布の扱いについての心得です。お金はご自分の分身であり、生きものであり、呼吸をして、感情があることをご理解いただき、大切に扱っていただきたいと思います。
〈神供〉という作法
令和3年7月13日
真言密教はもちろん仏さまを祀り、仏さまを供養し、仏さまに祈願をしますが、神さまも大事にします。稲荷さまや、弁天さま、大黒さま、荒神さまなど、多彩な神さまがいらっしゃいます。私は毎日のお護摩でお大師さまに祈願をしていますが、神さまに対しても同じです。
ただ、神さまにもいろいろなタイプがあって、お護摩で祈願ができる神さまもいれば、境内でなければいけないという場合もあるのです。これを「実類の神さま」といい、〈神供〉という特殊な作法でこれを修します。そして、神供を修するには神供壇という法具を用います(写真)。

今日は近在からも、遠く青森からも僧侶の方が集まり、私が神供の作法を伝授しました。地鎮祭のように境内に神供壇を安置して、閼伽(水)・粥・洗米・香・花を次々に供えました。初めての方もあってか、皆様がメモを取り、写真を撮って熱心に学びました。
こうした神さまはあさか大師が建立される以前から、この土地に住んでいたということになります。地鎮祭はもちろん修しましたが、この土地をお借りし、この土地にお寺を建てたのですからご挨拶をするのは当たり前です。何度もお話をしますが、神さまと人間との間で、また人間と人間との間でトラブルが起きるのは挨拶をしないからです。お世話になったら御礼を、ご迷惑をかけたらお詫びをするのが当然です。それを怠ると、必ずトラブルが起きます。神さまとのおつき合いにも、同じようにマナーが必要なのです。おわかりでしょうか。
皿洗いをしましょう
令和3年7月8日
2015年、合衆国フロリダ州立大学のアダム・ハンフリー博士が、皿洗いに著しいストレス解消効果があるとする研究成果を発表しました。50人のグループを二つに分け、一方には単なる皿洗いの指示書を渡し、一方には「心を込めて楽しく皿洗いをする指示書」を渡し、双方を比較したのです。すると、後者の方がイライラする気持を軽減させる効果が、はっきり認められたというのです。
もちろん、ただ皿洗いをすればよいのではなく、「心を込めて楽しく皿洗いをする」ところに重要な意味があります。しかたなしに、しぶしぶ皿洗いをするだけではストレスはたまる一方です。しかし、皿の汚れを取り去る泡の感触、その泡を流す水の感触、その水が流れ去る感触が、同時にストレスそのものを洗い流していくと考えれば結果はまったく異なります。このわずかな考え方の差が、人生そのものを変えるのです。
思い当たるのですが、昔の女性、つまり嫁いだ主婦の方々は、寒い台所で焦げついた鍋をたわしで楽しそうにこすり、洗い流していました。農村で育った私は、そんな姿をよく見ています。それは舅や姑、そのほかあらゆる抑圧からの解放だったのでしょう。人が生きるとは、このような智恵を会得することなのです。
つまり、心と体は一体だということです。心の問題を解決するには体を動かすことが大切です。体を動かすことによって、心と体のフィードバックが生じさせることです。心の問題を、心で解決しようとしてはなりません。心で心に立ち向かってはなりません。これはきわめて重要なことです。
お寺でお百度やお遍路をすすめるのもこの意味です。本堂の前で何度も往復をくり返したり、三十三ヶ所や八十八ヶ所の霊場を巡ることは、足の運びと読経の発声によって心のバランスをはかることができるからです。それも、楽しくできれば言うことはありません。
悩んだ時には体を動かしましょう。皿洗いをしましょう。もちろん、ウォーキングやストレッチでも、カラオケやゴルフでもよいのです。さらによいのは、お寺に来ることです。もう、これ以上は申しません。お寺は本当にいいところです。おわかりでしょうね。
盂蘭盆会法要
令和3年7月4日
昨日と本日、あさか大師では早くも盂蘭盆会法要を奉修しました。各地の大雨被害が報道される中、皆様の足元は大丈夫かと心配しましたが、参拝の時間ばかりはほとんど降らず、お帰りになると降り出すという、まことに不思議な二日間でした。
盂蘭盆会法要は僧侶の方々が声明を唱えましたが、お稽古の成果があって、みごとな音律を奏でました(写真)。読経や真言の響きが堂内に残り、これがお寺そのものの力となって功徳が残りましょう。毎日のお護摩も同じですが、こうした積み重ねが大切なところです。法要の後は全員で施餓鬼作法をなし、声をそろえて布施行に励みました。小さなお子様もいっしょに参加しましたが、やがてはご先祖や両親を大切にすること、間違いありません。

また、この後は水子供養を修し、たくさんのお供えをして読経をしました。水子供養も現代のお寺における、大切な責務です。この国の未来のためにも、怠ってはならないことです。
(追記 各地の大雨被害に対し、慎んでお見舞いを申し上げます)

ズボラに生きる
令和3年7月2日
人はズボラに生きることが大切です。ズボラに生きるとは、腹を立てない、悪口を言わない、くよくよしないこと、要するにストレスをためないという意味です。また、几帳面であることも大切ですが、あまりに完璧が過ぎると健康を害します。うつ病になる人は、たいていはこの傾向があります。
ある統計を見ると、百歳以上の男女は、意外にもプロレスや格闘技が好きだとありました。以前、世界最高齢者とし知られた沖縄の泉重千代翁(一説では120歳)などはその代表で、アントニオ猪木氏の表敬訪問まで受けました。テレビの前でコブシを振り上げ、声をあげて応援をすれば、なるほどストレスを発散し、血行もよくなりましょう。
もちろん、職業によっては、そうはいかないという方も多いはずです。医者・弁護士・警察官・教師・公務員などは常に身なりを整え、その言動に気づかわねばなりません。たぶん医者で百歳以上という方は、あまり聞かないはずです。こういう職業の方は、仕事以外の生き方に工夫をしましょう。
反対にアーティスト・音楽家・画家・政治家などは言いたいことややりたいことを実行しているので、長命な方が多いはずです。そういう意味では、主婦の井戸端会議も重要かも知れません。もっとも今は井戸がありませんので、パート先やスポーツクラブ先でのお友達とのおしゃべりが大切です。
では、僧侶という職業はどうなのでしょう。聖職者として緊張していることが多いものの、昔からお坊さんは長生きだと言われます。それは何といっても、読経で声を出すからでしょう。深い呼吸と強い発声が活力をもたらすことは間違いありません。そして、声を出すことで、心の抑圧を開放し、その調整をはかることができます。また、元気な人は声が大きいことも確かです。
ついでですが、読経して声を出し、供養をして功徳を積み、写経をして精神を統一し、法話を聞いて教養を高め、お茶をいただいて息ぬきをすれば、お寺ほどいい所はありません。皆様、ズボラに生きつつ、お寺参りをしましょう。これが現代における最強の長生き法です。
天佑神助
令和3年6月27日
日露戦争における日本の奇跡的な勝利は、〈天佑神助〉であったかも知れません。天の佑けと神の助けです。日本が頼みとするこの言葉は、司馬遼太郎著の『坂の上の雲』にもその記載があります。
児玉源太郎大将や乃木将軍の率いる陸軍は、難攻不落とされた旅順の要塞を二〇三高地の攻略から陥落させ、東郷平八郎司令長官の率いる海軍は、秋山真之の作戦によって世界最強とされたロシアのバロチック艦隊を日本海海戦で撃破しました。当時の日本の兵力からすれば考えられないことで、まさに天佑神助であったといえましょう。
しかし、この奇跡的な勝利は人の寿命を縮めるほどの犠牲の上にあったことを忘れてはなりません。『坂の上の雲』ではこのことを、「作戦上の心労のあまり寿命をを縮めてしまったのが陸戦の児玉源太郎であり、気を狂わせてしまったのが海戦の秋山真之である」と特記しています。思考のかぎりを尽くし、脳漿をしぼり切れば、心身は疲労困憊し、気が狂いそうになるのでしょう。そして、日本の天佑神助は、こうした軍人の犠牲があっての顕現だったのです。
よくお話をするのですが、人はよく「人事を尽くして天命を待つ」などと言います。しかし、この名言は天命を待つことばかりが力説され、その天命がいかほどの人事によって成り立つかは何も語っていません。多くの人が「ほどほどに努力をして、後は天命を待てばよい」くらいにしか考えていないからです。しかし、そんな程度で天命がやって来るなら、どこへ行っても天才ばかりがゴロゴロすることでしょう。
悲運では名将にはなれませんが、天命も運のよさも、そして天佑神助も、気が狂うほどの努力をせずして引き寄せることはできません。神秘的な奇跡は人の努力から生れるからです。久しぶりに大作を読み、そんな考えに至ったことをお伝えしておきましょう。
まことに運のいい男
令和3年6月24日
六月に入ってから、私は司馬遼太郎著の『坂の上の雲(一)~(八)』(文春文庫)を枕元に積み上げ、毎晩少しずつ読んできました。著者がこの大作を書くにあったっては、東京中の古書店から日露戦争に関する資料が一冊残らず消えたというエピソードがあります。たしか、トラック二台分もの古書を著者が買い求め、大阪の自宅に運んだからです。歴史家の中には、文中の内容に疑問を投げかける方もおりますが、小説としてはすばらしいい作品です。
この小説は連合艦隊の作戦参謀・秋山真之を主人公としていますが、兄の秋山好古や俳人・正岡子規もかなり登場します。もちろん、明治天皇や乃木希典将軍、陸軍大将・児玉源太郎、海軍大将・山本権兵衛、連合艦隊司令長官・東郷平八郎といった偉人の存在も見逃せません。印象に残った場面や会話には赤線を引きつつ眠りに就き、昨夜、その全巻を読み終えました。その赤線の一つをご紹介しましょう。
日露関係の緊張も風雲急をつげ、いよいよ開戦やむなしとなった折、明治天皇より山本権兵衛に、「連合艦隊司令長官に、なぜ東郷平八郎を選んだのか」とのご下問がありました。
山本はそれに対して、「東郷はまことに運のいい男だからであります」と意外な返答をしました。
世界最強のバロチック艦隊から日本を救い得るためには、強靭な〈運〉が必要だったからです。伝えによれば、東郷は「弾の当たらない長官」として有名でした。〈運〉こそは才能以上の才能、究極の才能なのでしょう。難攻不落とされた陸軍のあの旅順攻略も、何万という死傷者を出しつつ、児玉・乃木両将軍の強運がなければ達せられたとは思いません。
私は中学生の折は柔道に専念しましたが、稽古中に仲間が骨折をした時はよく近くの接骨院にかつぎ込んだものでした。そこの先生も柔道の師範であったからです。玄関に入ると東郷平八郎の扁額があり、その独特の花押(書き判)を今でも克明に覚えています。花押への関心もそこから始まりましたが、はたして、運のいい男の功徳をいただけたでしょうか。
失物発見法
令和3年6月20日
本日は第三日曜日で、午前11時半よりは金運宝珠護摩を修しました。まだまだコロナ禍が続く中、さびしい気もしましたが、皆様が元気よく読経をなさいました(写真)。
また、午後1時からは光明真言の回向法要を修し、その後に「失物発見法」のお話をしました。大事なものをどこに置いたのか見つからなかったり、置き忘れや紛失の経験は誰にでもあることです。また、盗難にあうこともあるかも知れません。
実は、失物の原因は〈三宝荒神〉という、いわゆる竈の神さまのお叱りを受けたからだという説があります。「そんなバカな!」と思うかも知れませんが、こういう言い伝えがあることは事実です。つまり、昔なら竈、今の生活ならガスやIHのそばで悪口を言ったり、腹を立てたり、口論をしたりすると、荒神さまがお叱りになるのだということです。それだけ、火は神聖なものであることを知らねばなりません。
だから、荒神さまにガスやIHのそばにお線香を立て、不敬をお詫びし、そのご真言を唱えると、失物を発見すること、まことに奇妙です。特に家内で紛失した場合は、スグに見つかります。家外の場合は一週間ぐらいかかることが多く、また財布の中身までは保障できません。それでも、現金はなくなっていても、保険証やカードなどは戻ることが多いのです。私はこのことを何度も経験し、またご信徒の方にもお教えして実証してきました。
今日もこのお話をするや、皆様、とても真剣でした(写真)。お役に立つことを念じています。詳しくお知りになりたい方は、あさか大師にお越しを。

マイナス思考の大切さ
令和3年6月18日
かなり以前の大河ドラマに、『元禄繚乱』という番組がありました。作家・舟橋聖一の『新・忠臣蔵』が原作で、いわゆる赤穂浪士の討ち入りを描いた一作です。主演の大石内蔵助を五代目・中村勘九郎さんが、浅野内匠頭の正室・瑤泉院を宮沢りえさんが演じ、何かと話題になりました。
私はテレビを見ることはほとんどありませんでしたが、たまたま視聴した一場面だけは忘れることができません。それは、いよいよ討ち入りが間近に迫ったある日、内蔵助は四十七人の浪士を招集し、綿密な作戦会議を開いたところでした。作戦会議は夜半にまで及び、いよいよ最後に内蔵助が言いました。以下はおおよその記憶です。
「最後にご一同、これまでのことは吉良殿の首を討ち果たし得た場合ばかりを論じて来たが、仮にこれを討ち果たし得なかった場合についても決めておきたい」
すると、一同が反論しました。
「何ということを!」「さようなことはない!」「縁起の悪いことを申すものではありませんぞ!」
これに対して内蔵助は、次のように説き聞かせました。
「強がりを言うな。打ち果たし得ぬこともあろうし、打ち果たしたと思いきや、それが影武者であったらどうする。その備えをすることがどうして縁起が悪いのじゃ」
私はたまたま視聴したこの一場面が忘れられず、いわゆる最悪の事態に対する備えとして、生涯の模範となりました。なぜなら、私は自己啓発の書籍をたくさん読み、そうしたセミナーにも参加し、プラス思考に傾倒していたからでした。
たしかにプラス思考は大切です。成功することを強く望み、成功したイメージをいだくことは、成功の鉄則です。しかし、それでも人生には失敗がつきものです。最悪の事態への備えがなければ、イザという時の機転がききません。成功ばかりを望む人は、そこが危ないことを知らねばなりません。
いつ頃の番組であったのか、それすら覚えていませんが、あの一場面にはよほどに縁があったのでしょう。人生にはこういうこともあるのです。気まぐれな思いつきが、大きな成果を得ることもあるのです。マイナス思考の大切さとして、忘れることができません。
続・逆説の真理
令和3年6月13日
「健康で長生きをしたければ、病気になることだ」と、お話をしました。冗談でお話をしたのではありません。マジメなお話です。仏教はこのように、「逆説の真理」を説くことが多いのです。おわかりいただけましたでしょうか。
普通の常識からすれば〝常識はずれ〟と思うことでも、よく考えれば、当りまえのことであることがわかるはずです。決して〈非常識〉ではありません。強いて申し上げれば、〈超常識〉でしょうか。仏教にはこの超常識がたくさん出てきます。
病気ばかりではありません。人はみな、苦しみや悩みを味わうからこそ、目覚めるのです。腹を立ててケンカをしたり、悪口を言ってヤケをおこしたりするのは、どこかで世の中のルールに合わないからです。その分の苦しみも悩みも味わいます。しかし、そのルールに合わない自分に目覚めねば、何も変わりません。痛い目にあわねば、何も変わりません。だから、変わるためのチャンスを与えられているということです。苦しみも悩みもチャンスだということです。
私も若い頃はそれがわからず、さんざんに苦しみ、さんざんに悩みました。自分の意に反すれば腹を立て、気に入らない意見を聞けば反論をしました。腹を立てて声を荒げたところで、何も益することはありません。反論(議論ではなく)をして相手を攻略したところで、何も益することはありまん。あと味の悪さが残るに過ぎません。そして、そういう自分の煩悩に苦しみ、悩んでいたものでした。
今でも、煩悩は相変わらず消えません。でも、仏教に触れ、お大師さまの教えに出会ったおかげで、少しだけ変わりました。そして、変わるチャンスは誰でも平等に与えられていることを知りました。皆様が苦しんでいること、悩んでいることがご自分の真実です。そして、変わるためのチャンスなのです。
もうすぐ、蓮の花が咲きましょう。汚い煩悩の泥から、清らかな悟りの花が咲きましょう。お釈迦さまやお大師さまがこの世に出現されたのは、この世に蓮の花があるからです。ぜひ、ご覧になってください。そして、その声を聞いてください。「苦しみなさい、悩みなさい、そしてこのように咲きなさい」と。
チャンスはどこにでもあります。足もとにあります。それに目覚めましょう。仏さまの教えですよ。

