山路天酬法話ブログ

遍路大師像開眼法要

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あさか大師

令和3年12月19日

 

いよいよ年内も、残すところ10日ほどとなりました。本日は午前11時半より、今年最後の金運宝珠護摩を修し、長いコロナ禍の終結と来年への福徳を祈りました(写真)。皆様の祈りが結集し、新たな希望となることを念じてやみません。

また、その後は三周年記念事業としての遍路大師像開眼法要を挙行しました。皆様の信心と浄財が実を結び、今日を迎えられたことを感謝いたします。大勢の方が集い、僧侶の方の声明やお子様の献花をいただき、遍路大師像の霊気が境内にみなぎったように思います(写真)。

気のせいかも知れませんが、この遍路大師像が完成して以来、参詣者の方が増えてきたように思います。それだけお大師さまの力が遍満し、それが人を呼ぶのだと思います。ささやかな事業ではありますが、この仏縁がさらに弘まることを期しております。

世間の人、なべてこのことあり

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人生

令和3年12月13日

 

前回のブログで、一つのことを貫き通すことの大切さ、そして深くて、しかも巾広くありたいというお話をしました。巾広くということは、枝葉を広げるということであるが、始めから枝葉を増やしてはならないというお話もしました。つまり、このバランスこそ大切だという意味なのです。

しかし、実は人はなかなかこのバランスが保てません。気が向けば、あちらにもこちらにも手を出し、結局は何一つモノにならないということが多いのです。たとえば、私が愛読する吉田兼好よしだけんこうの『徒然草つれづれぐさ』(鎌倉時代の代表的随筆)第百八十八段に、大変おもしろいお話が出ています。

ある人が、自分の子を法師(僧侶)にして学問を修めさせ、説教師として生きて行けるようにと夢を託しました。ところが、この親は何と、その子に馬乗り(馬術)から習わせたというのです。なぜなら、法事のお導師として招かれた折、馬で迎えに来られた場合に落馬するようではみっともないと考えたからです。この時代は現代のような乗用車がありませんので、馬での送迎が当たり前であったのでしょう。

次に法事の後のおとき(食事)の折、酒など出されて、何の芸もないのでは施主がきょうざめるに違いないと考え、今度は〈早歌そうか〉という歌の芸を習いました。現代でいうなら、まずはカラオケといったところでしょう。とにかく、この二つを熱心に習ったところ、かなり上達して夢中になったようです。そして、ますます励んでいる内に肝心の学問や説教師の方は何も身につかず、とうとう年をとってしまったというのです。

決して、笑い話ではありません。兼好は文中にて、「世間の人、なべてこのことあり」と述べています。若い時には希望もあり、大きなことを成し遂げたい、出世したい、勉強もしたい、芸も身につけたいと思いながら、まだまだ先があると思ってのんびりと過ごし、むなしく年を重ねるものです。そして、気がついた時には坂道を下る車輪のような速さで衰え、もはや取り返しがつきません。

ずいぶん頭の痛いお話ですね。私にも身に覚えがあります。まさに、そのとおりなのです。まずは最も大切な目標に専念し、しっかりと一本の幹が育ったら、次に枝葉を育てましょう。あれもこれもと右往左往うおうさおうをしてはなりません。前回と今回のお話、どちらに軍配ぐんばいを上げますか、皆様。

深くて、しかも巾広く

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人間

令和3年12月9日

 

物ごとを成し遂げるには、とにかく一生懸命になることが大切です。そのためには、まず、一つのことを貫き通すことです。つまり、これだったら人には負けないぞという特技を身につけることです。

ところが、一生懸命になるのはけっこうなのですが、それだけでは足りません。なぜなら、ある段階になると、必ず専門外の知識や経験が必要になるからです。つまり、一本の樹木のみきにはえだがあるように、枝葉を学ぶことも大切なのです。具体的にいいますと、趣味や娯楽といった、専門外への関心が必要だということです。ただ、始めから枝葉ばかりを増やしてはなりません。これは大切なことです。このバランスこそ、人生の極意だからです。

真言密教の教師を阿闍梨あじゃりといいますが、経典には「阿闍梨の十三徳じゅうさんとく」が説かれ、そのすべてが必要だとされています。「①菩提心をおこし、②明慧みょうえと慈悲があり、③しゅげいべ」と十三項目が続くのですが、私が特に気になるのは③の「衆芸を綜べ」なのです。

また、孔子は「道に志し、徳にり、仁にり、芸に遊ぶ(『論語』述而篇じゅっしへん)」と述べています。ここでも「芸に遊ぶ」という表現が気になります。「綜芸を綜べ」とか「芸に遊ぶ」とはいったい何なのでしょうか。まさか、ゴルフやマージャンに通じなさいという意味とは思えません(いや、それもあるかも知れませんが)。

まず思いつくことは、一生懸命に道を貫くことは大切であるが、時には文学や芸術に接したり、旅行やスポーツを楽しむことで心をリラックスさせなさいということではないかと思います。それによって、本来の一生懸命がさらに生きて来るのではないかと思うのです。つまり深くて、しかもはば広く、教養に余裕を持った人になりなさいという意味ではないでしょうか。

こういう境地に達した人は、決して窮屈きゅうくつさというものがありません。それでいて、品格もやさしさもユーモアも兼ねているはずです。真言密教で同じ10の伝授をしても、100の力を持っている阿闍梨と10のギリギリの力しか持っていない阿闍梨では雲泥うんでいの差です。その内容がまるで違います。それはどこから来るのかと言えば、やはり深さに加えた、巾の広さではないかと私は思うのです。

月初めの総回向

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あさか大師

令和3年12月5日

 

昨日と今日は月初めの総回向を修しました。早くも、今年最後の総回向となったわけです。当然ながら、来年の暦や厄除のお話となりました。私が来年の九星盤を使って、簡単な説明をしましたが、皆様が熱心に聞いてくださいました(写真)。

一つだけお話をしますと、厄除は〝数え年〟でなければ、理に合いません、それは、少しでも暦の勉強をすれば簡単にわかることです。しかし、僧侶の方も、寺院のご住職様も意外に暦の勉強をしていません。それでいながら、本山から発行される暦をお檀家さんに配っています。だから、檀家さんから裏鬼門とか暗剣殺とかの質問をされても、何のことやらわからないということもあるのです。

私は宗門においても、暦の勉強が普及することを願って著作も残しました。いま、新たな執筆も手がけています。少なくとも星祭りを修する寺院の方は、暦の勉強をしていただきたいと、切に願っています。

歯周病への警告

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健康

令和3年11月30日

 

2019年、医学界に衝撃的なニュースが報じられました。それはアルツハイッマー病患者の脳内から歯周病の原因とされるジンジバリス菌が発見されたからです。これによって、脳内は鉄壁てっぺきの守りに囲まれて、異物が侵入すことはないという従来の常識がくつがえされました。

たとえば、日本でもベストセラーになったカリフォルニア大学名誉教授の『アルツファイマー病 事実と終焉』では、脳に毒物が入ってしまう原因として次の三つをあげています。

①炎症(感染・食事または他の原因によるもの)

②栄養不足(補助的な栄養素、ホルモン、その他脳の栄養が足りない場合)

③毒素(金属やカビなどの微生物が発生する場合)

アルツハイマー病の直接の原因はまだ解明されていませんが、脳に何らかの毒物が入ると、それと戦うためにアミロイドベータ(Aβ)という物質がたまって機能障害をおこすらしいのです。このことは、九州大学や北京理工大学(中国)などの研究チームによっても盛んに研究されています。

その他、歯周病は全身に悪影響を及ぼし、がん・脳出血・心臓病をはじめ、糖尿病・胃炎・腸炎・肺炎・肝炎・腎炎・早産などの原因となることがしだいに判明しました。歯で食べ物をよくむという行為は、脳の活性化をうながし、内臓器官とも密接な連結をはかっているのです。歯周病によって一部の歯を失ったり、すべての歯を失うということは、噛む力を失うと同時に、アルツハイマー病や多くの疾病と呼ぶことを知らねばなりません。

ちなみに、私はまずまず歯は丈夫な方で、白くて歯並びもよく、皆様からもほめられます。子供の頃から朝晩の歯磨きには熱心で、今ではさらにリステリンを用いて口内の消毒を心がけています。ついでですが、人の悪口を言った時も消毒し、お大師さまにおびをします(笑)。さらについでですが、就寝中の口内は特にバイ菌が繁殖はんしょくします。起床した時の口臭やネバネバでわかるはずですです。仲のよい夫婦や恋人どうしが朝のキスをするのはけっこうですが、バイ菌のキャッチボールをしていると覚悟しましょう(笑)。いや、笑い話ではありません。明日はわが身、一生の問題ですよ。

サンキライ(山帰来)

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挿花

令和3年11月27日

 

先日お話をしました東大寺八角灯籠はっかくどうろう音声菩薩拓影おんじょうぼさつたくえいの前に、サンキライ(山帰来)を飾りました(写真)。

植物学ではサルトリイバラといい、トゲのある枝に猿も引っかかることにちなんだと聞いています。漢方薬としても用いられ、病気や高齢で山に捨てられても、これを飲むと元気になって帰って来たゆえに「山帰来さんきらい」と。花言葉の「不屈の精神」も、さすがだと思います。節ごとに屈折し、くきに鋭いトゲがあって生けにくく、お花の先生も悩むことでしょう。

山野の日当たりのよい所に群生しますが、葉の付け根に二本の巻きひげがあり、これで他の植物に巻きついて伸びていきます。とにかく強靭きょうじんな花材です。やさしい菩薩の、あの強靭な誓願にはふさわしいと思いました。

花入れは平安時代の瓦製経筒きょうづつで、写経を巻いて中に入れ、ふたで封じ、土中に埋葬まいそうしました。ただの筒なのに、花にもよく似合います。以前は蓮が咲くと、いつもこの経筒に生けたものです。いかがでしょうか。

傳法灌頂の厳修

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あさか大師

令和3年11月22日

 

昨日は大変に忙しい一日でした。まず、午前十一時より金運宝珠護摩を(写真)、午後一時より光明真言こうみょうしんごんの回向法要、その後には、今年加行けぎょう(真言密教の基本的な修行)を終えた僧侶の方の傳法灌頂でんぼうかんじょう(教師になるための儀式)を厳修げんしゅうしました。その灌頂道具が本堂に並んでいましたので、ご参詣の皆様が興味深そうに見つめておりました。

傳法灌頂とは加行成満じょうまんの僧侶に瓶水びょうすい(加持した霊水)をそそいで印可いんかを授け、教師(阿闍梨あじゃり)の資格を与えるものです。もちろん、ただそれだけの作法をするのではなく、さまざまな戒律を唱え、曼荼羅まんだら投華とうげ(曼荼羅に向かって花を投げること)して仏さまに結縁けちえんし、いろいろな道具を渡して儀式を進めます。そして、最後にお大師さまより伝えられた印可(奥義の印と真言)を授けます。今年は七名の方が入壇(写真前列)をしましたが、先輩諸師も教授としてお手伝いくださいました(写真後列)。

入壇の皆様はこの日のために加行をして来ましたが、阿闍梨になったから修行が終ったのではなく、これからが本番であるという自覚を持つようお話をしました。そして、まずは入壇の皆様の努力をたたえました。おめでとうございます。

音声菩薩拓影

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あさか大師

令和3年11月18日

 

あさか大師本堂の片隅に、小さな床の間があります。今年は奈良岡寺おかでらの〈天人塼てんにんせん拓影たくえい〉を飾っていましたが、今日、東大寺の〈音声菩薩おんじょうぼさつ拓影〉に変えました(写真)。皆様が東大寺の大仏殿に拝観すれば、その正面の巨大な八角灯籠どうろうが目につくと思います。その扉にはゆかしい音声菩薩が羽目板はめいたとなって浮き彫りされています。これは現存する最古の八角灯籠で、まさに創建時(天平時代)のままに残された貴重な文化財です。東大寺はこれまで二度の火災に見舞われ、大仏さえも創建時のお姿はありません。しかし、この八角灯籠だけはその災難をくぐりぬけ、天平美術の逸品となって残りました。これはその中の、銅鈸子どうはっしかなでるお姿です。

実は、この銅鈸子の音声菩薩は、昭和37年に盗難にいました。無残な姿で発見されましたが、その後は博物館に所蔵され、現在の八角灯籠には複製品(ほかの音声菩薩とは少し色が違っています)が飾られています。右上の網目が欠けているのはそのためですが、それだけに貴重な拓影といえましょう。

現代人は漢詩や和歌の筆跡ひっせきは読めません。それが、私が拓影にこだわる理由の一つです。また、現品では見えにくい細部の文様まで、みごとによみがえります。さらに申し上げれば、この時代の美術品など、私たちは手にすることはできませんが、拓影ならそれが叶うのです(今どきはレプリカの拓影が出回っていますので、ご用心を)。

お大師さまも東大寺には法縁が深く、山内に真言院を建立し、経典の講伝もされました。あさか大師の本堂に、天平の奏でを捧げたいと思っています。

四十五年ぶりの再会

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人生

令和3年11月16日

 

私にとって、今日はとてもうれしい日でした。なぜなら、熊本県八代市在住のある女性ご信徒が、はるばると私を訪ねて来てくださったからです。彼女とは、私が二十代の初めにお会いしてより、実に四十五年ぶりの再会でした。彼女は当時、東京で働いていましたが、兄弟のことで大変に悩んでおりました。私もできるだけの智恵をしぼっては相談に応じましたが、その後に結婚し、子を授かり、郷里の熊本に帰り、久しくお会いすることはありませんでした。

しかし、この四十五年間、彼女は毎月のご回向やご祈願を郵便にて欠かすことなく、私を信頼してコツコツと地味な信仰を続けました。四十五年間です。その間、私はお会いすることも、(電話以外では)お話をすることもありませんでした。決して、並みの決意でできることではありません。「四十五年間の信仰はあなたの財産ですよ」と、今日、私はそのように自分の気持を正直に伝えました。

その四十五年前の遠い記憶をたどると、その頃の彼女は非常におとなしく、口数の少ない方でした。ところが、お会いした今日は何とも明るく、ペラペラとしゃべるてん真爛漫しんらんまんな性格に一変していたのです。「ずいぶん変わりましたね」と私が言うと、「もうはじ外聞がいぶんもありませんよ」と笑っていましたが、その笑いの裏にどれほどのしんをなめて来たかのか、そんな面影を感じる一瞬がありました。

人はそれほどに変われるものではありません。しかし、男性に比べると、女性の方が変わり身の早い傾向はあるかも知れません。これは私の考えに過ぎませんが。男性は大人になるまで、自分の身体にさほどの変化がありません。大人になる前に声変わりをしたり、体毛が増えたりはしますが、せいぜいこの程度です。それに比べると、女性は乳房のふくらみから始まって、初潮があり、妊娠があり、出産があり、授乳があり、閉経がありで、何度も身体の変化を体験します。いつまでも過去にこだわっていては、身が持ちません。大切なのは、あくまでも〝いま〟なのです。つまり、きっぱりと過去を捨て去る天性の覚悟が備わっているからではないでしょうか。

それに比べると、男性は意外にもグズグズと過去を引きずるものです。たとえば(もちろん、一概には言えませんが)、かつての家柄や栄誉を自慢したり、別れた女性の写真や手紙をいつまでも保管していたりで、変わり身がありません。仕事の面では縦横無尽じゅうおうむじんでも、私生活にはさほどの変化がありません。男性は仕事を離れるや、まったく融通ゆうづうのきかない一面があることは確かなようです。

今日の私は、まるで浦島太郎です(笑)。人生という時間の半分を費やして、まるで夢のような体験をしました。これはいかに努力を重ねても、万巻の書物を読んでも、パソコン技術を駆使くししても、決して作り出すことはできません。この四十五年間は、「空白の意匠いしょう」です。

遍路大師像建立②

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あさか大師

令和3年11月12日

 

あさか大師では、開創三周年記念の中心事業として「遍路大師像建立」を発願しました。遍路大師とは、あみがさをかぶって錫杖しゃくじょう(六輪が付いた長いつえ)を持ったお大師さま修行時代の尊像のことです。

本日は朝から石材店の方々が見えて、まず高さ120センチの御影石みかげいし台座(3トン)を、続いて高岡(富山県)から運ばれていた高さ180センチの遍路大師像を、それぞれクレーン車にて安置しました(写真)。石材店の方々も総勢6名での大がかりで、台座を水平に固定し、さらに穴を空け、尊像をボルトで固定する瞬間は息をのむ思いでした。少しでもズレがあっては、それこそすべてが台なし(!)になります。私も気になって落ち着かず、ずっとかたわらで祈っていました。

また、私が大師流(お大師さまの書体)で揮毫きごうした像標も彫りあがり、次回の作業で台座正面に埋め込みます(写真)。あさか大師が開創三年目でこのような勝縁しょうえんをいただきましたことは、大変にありがたいことです。ご寄進を賜りました皆様には深く感謝をいたし、厚く御礼を申し上げます。

なお、遍路大師像の開眼法要は12月19日(第三日曜日)午前11時半の金運宝珠護摩終了後にに挙行いたします。来年の初詣には、大勢の方々にお参りをしていただきたいと願っております。

山路天酬密教私塾

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