山路天酬法話ブログ

続々・姓名判断

カテゴリー
占術

令和4年3月3日

 

さらにお話をしましょう。姓名判断において、良い名前をいただいた方が最も自戒すべきこととお心得ください。

それは、どんなによい名前をいただいたからといって、何の苦労も災難もない人生などあり得ないということです。これは姓名判断にかぎらず、占い全般にいえることで、よくよく注意せねばなりません。運のよくなる名前をいただいたからといっても、努力なくしては、その運も手にすることはできないという意味です。

占いの好きな方が、「名前を変えたのに、ちっとも運が向いてこない」とか、「いい年まわりに入ったのに、良いことがない」といった愚痴ぐちをこぼすことがありますが、これなどは典型的な落し穴といえましょう。占いというものは、努力に向ってその背中を押すものだと知ることです。

そもそも人生というものは、うまくいかないことの方が多いのです。また、成功というものは、失敗という経験から知恵を学んでの努力の結果であるともいえるのです。これは占いそのものにも責任があります。吉数の説明に「円満成功の大吉数」とか、「順風じゅんぷう満帆まんぱんの幸運人生」などと書かれているますが、とんでもないことです。もし、順風満帆の幸運人生などというものがあったとしても、それはロクな人生ではありません。

吉数の名前の一例として、よく〈徳川家康〉があげられますが、あの晩年までの苦難と波乱なくして、どうして天下人となり得たでしょうか。歴史上の偉人はみな、立ち上がれぬほどの挫折ざせつを味わい、生死をさまよう大病をわずらい、投獄とうごくき目にあって、そこからい上がっていったのです。名前を変えたぐらいで、大きなことをいってはいけません。運を引き寄せることは大切ですが、運だけに頼るのは愚かなことなのです。

閑話休題。今日は〈ひな祭り〉です。本堂の片隅に江戸時代のひな人形を飾りました(写真)。現代は結婚式にならって、多くはおひな様を向かって右に飾りますが、それは西洋式です。今でも奈良や京都では、このように左に飾りますし、時代劇を見ればわかりますように、昔の婚礼では向かって左に花嫁が座りました。

ひな人形も、本来はこのように素朴そぼくなものでした。かたいお話をしましたので、息をぬきましょう。すてきでしょう、皆様。

続・姓名判断

カテゴリー
占術

令和4年3月2日

 

姓名判断について、皆様にお話したいことは他にもあります。

たとえば、人の名前というものは、ケチをつけようと思えば、いくらでもできるということです。一つの流派では良いとしても、別の流派で見れば、たいていは弱点が見つかります。また、陰陽の配置、五行の生尅しょうこく  、天地の順逆、音の霊導、同数衝突、凶意文字、破壊数など、言い出したらキリがありません。

なぜこんなお話するのかといいますと、よく人の名前にケチをつけては改名を迫ったり、高額な印鑑を強要したり、開運のグッズを売りつける業者がいるからです。これは一種のおどしであって、人を開運に導く業務ではありません。

姓名判断には多くの統計があり、また、よく当たることも事実です。しかし、名前だけで人生のすべてがが決定するわけではありません。自分の名前のことで悩んだ時には、一度ご相談いただきたいと思っています。

著名な方でも、名前の画数が悪い方はたくさんいます。失礼ではありますが、たとえば稲盛和夫・小泉純一郎・長嶋茂雄・鈴木一朗(イチロー)といった方々は、私が見ても決して良い画数とはいえません。つまり、こうした方々は、名前の画数に関わらず、それ以上に血の出るような努力をなし、人に希望や喜びを与えた徳があるということなのです。

反対に、たとえば俳優女優や歌手の多くは、姓名判断による立派な名前で仕事をしています。しかし、その中から生まれるスターはごくわずかに過ぎません。これは、どんな立派な名前を持っていても、それにふさわしい努力と徳がなければ夢は叶わないという証明です。

私はよくお話をするのですが、仮に宝くじで一億円が当たったとしても、それを受け取るだけの何かを世の中に提供しなければ、必ず不幸になることを知らねばなりません。つまり、一億円の収入を得る人は、それだけの努力をなし、それを受け取るだけの徳を持っているという意味なのです。姓名判断による吉数の名前も、また同じであると心得ましょう。

姓名判断

カテゴリー
占術

令和4年3月1日

 

最近はあさか大師での得度とくど(仏門に入る儀式)を希望する方が多くなりました。得度にあたっては法名ほうみょう(仏門における名前)を授けなばなりませんが、これには毎回、私が苦労するところなのです。

なぜかといいますと、普通は師僧の法名一文字を上にして、下に別の文字(たとえば俗名の一文字)を付ければそれで決まるのですが、私の場合はそうはいかないからです。私は選名(赤ちゃんの名付け)を依頼されることが多く、当然ながら字画の配置を考えねばなりません。これが意外に大変です。

今の若い夫婦は、姓名判断のこともよく知っています。また、得度を受ける方の中には、プロの占い師もおります。当然、私がどんな字画で配置したかを調べますから、うかつには付けられません。

そこで姓名判断ですが、いろいろな流派があり、複雑なルールもあります。このルールに合わせることが大変で、深夜までかかることも度々たびたびです。ただ、この姓名判断のルールについても、私の考え方が少し変わりました。

その特別なルールとして、字画の数え方があります。代表的なものにサンズイは〈水〉、リッシンベンは〈心〉なので4画といった源字を取り入れる考え方です。昔はこのとおり表記した場合もありました。たとえば、恐れ多いことですが、お大師さまはご自分の法名「空海」の〈海〉を〈毎〉の字の下に〈水〉と署名されました(写真)。

漢字には本来、このような源字の意味があるのですが、現代人(特に若い方は)はこのような意識をほとんど持っていまません。現在使われている常用漢字(当用漢字)でよいという考え方も、当然ながら派生します。〈高橋〉と〈髙橋〉、〈山崎〉と〈山﨑〉なども、普段使っている方を用いるべきでしょう。

このようなルールを述べるとキリがありませんが、姓名判断もそろそろ変革期に入ったのではと思ってます。それにしても、自分の名前となると、誰でも気になるものです。法名においても、私の苦労はこれからも続きそうです。

コロナ感染者への対応

カテゴリー
祈祷

令和4年2月27日

 

このところ連日の伝授続きで、ブログも書けない状況でした。さらに、ご信徒の中にもコロナ感染者が現われ、その対応に追われました。私はこれまで、10人以上の感染者に対応し、また祈願を重ねて発熱やのどの痛みを平癒させることができました。その一部は宗門の新聞(新年号)にも発表しましたが、その後も感染者が現われ、連絡が入るたびに対応しています。

私が対応している手順は、まず漢方薬の「銀翹解毒散ぎんぎょうげどくさん(写真右)」に加え、医薬品の「イベルメクチン(写真左奥)」かサプリメントの「5-ALA(アミノレブリン酸・写真左手前)」のいずれかを組んで服用していただき、合わせてお護摩でのご祈祷を修しています。

私は中医師の資格も修得していますので、漢方薬を加えることで、イベルメクチンや5-ALAの効力を高めることはわかっていました。銀翹解毒散は「風邪かぜによるのどの痛みや、頭痛」などに効能がありますが、コロナ感染者に対してもすぐれた力を発揮します。

イベルメクチンはノーベル受賞の大村さとし博士によって研究開発され、アフリカでの難病を救った抗寄生虫薬です。厚生労働省は「適応外使用」として認めています。5-ALAは長崎大学熱帯医学研究所などで臨床実験が進められ、特に免疫力を高める効果があります。私はかなりの高熱感染者にはイベルメクチンを、37度台の方には5-ALAを基準にしています。

いずれもネットで購入することができますので、常備薬として購入しておくとよいでしょう。ただし、イベルメクチンは個人輸入をする必要がありますので、少し時間がかかります。

お護摩でのご祈祷には護摩木(添え護摩)はもちろんですが、霊符もよく用います。霊符は私の得意分野ですので、毎日これを修しています。皆様のお役に立てれば、真言行者の冥利に尽きると思っています。

連日の伝授

カテゴリー
真言密教

令和4年2月22日

 

開運星祭り大護摩供が終了し、約束していた行法ぎょうぼう伝授が多いためか、まったくブログが書けませんでした。真言密教の行法伝授とは、それぞれの仏さまをお祈りする作法や奥義をお伝えするもので、本日は僧侶二名の方に薬師如来法と弁財天法の二法でした(写真)。お薬師さまも弁天さまもよく知られていますが、なかなか伝授される機会がありませんし、また、伝授する阿闍梨あじゃり(真言密教の師僧)も少なくなりました。

この後は、23日は金剛界法、24日は十一面観音法と施餓鬼せがき法、28日が尊勝そんしょう法と宝篋印経ほうきょういんきょう法と続き、新しく得度とくど(入門の儀式)を希望する方も増えて来ました。なるべくブログも書けるよう努力いたします。どうぞ、お楽しみに。

星祭り大護摩供

カテゴリー
あさか大師

令和4年2月13日

 

本日、星祭りを結願けちがんし、午後1時より大護摩供を修しました。朝、すばらしい日の出を拝し、結願の作法を勤めましたが、しだいに曇り、雨となり、みぞれとなり、あぶない天候でしたが、大勢の方がお参りくださいました。向かって右端に、星供曼荼羅ほしくまんだら荘厳しょうごんされています。わかりますでしょうか(写真)。

終って、私が星祭りについての説明をなし、また当年星とうねんじょう(今年の当たり星)のご真言を全員でお唱えしました。さらに、その後は得度式があり、先輩僧侶が列席する中で、3名の方が出家受戒をされました(写真)。

今回は、特に著名な方々ばかりで、西洋占星術の専門家、ベストセラー著者、前世療法師など、頼もしいかぎりです。あさか大師にもいろいろな修行者が集まり、お互いに切磋琢磨せっさたくまする様相となりました。時にはきびしく、時には楽しく、精進してお大師さまに近づきたいと思います。

星祭りの開白

カテゴリー
未分類

令和4年2月8日

 

2月5日・6日と月始めの総回向を挙行し、法要の後に「星祭り」について説明をしました(写真)。

よく、「厄除祈願」と「星祭り」はどう違うのかという質問を受けます。簡単にお話をすれば、厄除祈願は厄年の方だけが対象ですが、星祭りはどなたでもなさった方がいいということになります。つまり、星祭りは〈善星皆来・悪星退散を念じ、吉運の方も凶運の方も、共にご祈願をするのです。

そして、6日の法要の後、星祭りの荘厳しょうごん(かざりつけ)をしました(写真)。

星祭りの神さまは「神仙」といいまして、ナツメ・茶・交飯きょうぼんといった特殊なお供えをします。ナツメは漢方でも仙薬といわれ、いろいろな処方に用いられます。私はいつも手元に置いて、毎日三粒ほどを口にしています。花粉症の方は土瓶どびんせんじて服用するとよいでしょう。茶は葉ごとにお供えし、交飯とは「赤飯」のことです。つまり、赤い色と小豆あずきの力で邪気をはらい、運気を上げるわけです。

星祭りは昨日から前行ぜんぎょうに入り、一週間後の13日に結願のお護摩を修します。私は『当年星供とうねんじょうく秘要次第ひようしだい』という著書を刊行しましたが、多くの寺院で使われるようになりました。また、星祭りを行事とする寺院が増えてきたらしく、とてもうれしいことです。皆様も、13日にはぜひお参りにお越しください。

立春大吉

カテゴリー
未分類

令和4年2月4日

 

寒い一日でしたが、今日が〈立春〉です。つまり、今日から暦のうえでの正式な令和4年です。ただし、皆様は2月3日が節分、2月4日が立春と思うでしょうが、正確にいうと少し違います。立春とは今日という日にちではなく、実はその時間なのです。暦を見てください。「立春 二月四日(旧正月節)五時五一分」とあります(写真)。

すなわち、2月4日の5時51分に立春を迎えたという意味になります。まだ、布団の中にいた方も多かったことでしょう。でも、この瞬間に日本は立春を迎えました。そして、さらに専門的にいうと、この5時51分というのは日本標準時間(兵庫県明石天文台)でのお話です。東京では標準で19分、名古屋では7.5分、大阪では2分早くなり、福岡では18分、長崎では21分遅くなります。わかりますでしょうか。同じ日本でも、北海道の根室と沖縄の那覇では70分以上も時差があるのです。さらに厳密にいうと均時差きんじさという季節のズレもあるのですが、それはやめておきましょう。

ただ、皆様が四柱推命しちゅうすいめいなどの生まれた時間で占いをする場合、その時差を加減しなければなりません。今どきは両親から生まれ時間を知らされていることでしょうが、この時差を忘れてはなりません。とても大切なことですが、ここから先のお話に興味がある方は伝授料をお支払いください(笑)。

春はまさに「立ち上がる」のです。パソコンも「立ち上げる」といいますが、一気に作動を開始するのです。天地が躍動し、水がぬるみ、芽吹きが始まります。今年は豪雪が続き、まだまだ酷寒の地域も多いことでしょうが、元気を出してあたたかい春を待ちましょう。立春大吉です。

厄除・災難除のご祈願

カテゴリー
あさか大師

令和4年1月30日

 

一月もいよいよ最後となりました。今年はコロナ禍にもかかわらず、あさか大師で厄除や災難除のご祈願をなさる方が増えたように思います。今日も力強いお護摩ごまにお参りしていただきました(写真)。

お護摩では〈厄除〉〈災難除〉等としるされた「護摩札ごまふだ(一体5000円)」を開眼して願主の方にお渡しします。また、このほかにお護摩の炎の中に入れてお焚き上げをする小さなお札があり、これを「護摩木ごまぎ(一本200円)」といいます。皆様の目の前でお焚き上げされるためか、護摩木も人気があり、いつもたくさんのお願いごとが寄せられます(写真)。

護摩木は具体的にお願いごとを書いた方がよいので、たとえば同じ厄除の方でも、〈けが回復〉〈対人友好〉〈売上向上〉などと記入します。あさか大師にお参りされましたら、皆様もぜひ護摩木を書いてお供えしてください。毎日の午前11時半のお護摩の前にいらっしゃれば、その場でお焚き上げをいたします。不思議なことがおこりますよ。

入我我入

カテゴリー
挿花

令和4年1月29日

 

昨日、ロウバイ(蝋梅)をいただいたので、音声菩薩おんじょうぼさつの前にしました(写真)。まるで蝋細工ろうざいくのような花弁で、甘い香りが漂います。まさに一枝を挿しただけで、何の技術もありません。普通は挿した根もとに何か一花を添えて「根〆ねじめ」とするのですが、この時期は花が少なく、残念でありました(写真)。

私は花を習ったことはありませんが、その花が何を望んでいるか、どんなふうに挿して欲しいかを感じ取ることはできます。つまり、花そのものになって感じ取るのです。真言密教ではこれを〈入我我入にゅうががにゅう〉といって、仏さまが自分の中に入り、自分もまた仏さまの中に入るという意味です。特殊な瞑想法ですが、慣れてくるとよくわかります。

それは仏像を見つめて、うっとりする感覚に近いかも知れません。仏さまと自分との境界がなくなるからです。また、道端のたくさんの花の中で、自分にささやいてくれるたった一つの花を見つけ出した時も同じでしょう。まるで花の声に誘われたような感覚で、こんな時、私は花と入我我入するのです。

ささやかな日常の中で、生きることの喜びを味わえる瞬間を会得したいものです。入我我入について、さらにお知りになりたい方は、ぜひお越しになってください。

山路天酬密教私塾

詳しくはここをクリックタップ