仏様はどこにいるのか
令和8年5月8日
「仏様はどこにいるのですか」という、素朴な質問を受けることがあります。これに対して、私は三つの視点からお答えしています。
まず第一には、仏様は私たちの心の中にいるということです。心に仏様がいるからこそ、私たちも人を思いやる気持ちがあり、そして信仰を抱くのです。『仏説聖不動経』に、お不動様は「衆生の心想の中に住したまう」とあるのはこの意味でありましょう。何ものにも動じないお不動様は、私たちの心想にいらっしゃるということで、これを「法身」の仏様と呼びます。
第二には、お寺の本堂には仏像や仏画としての仏様がおり、これを「応身」の仏様と呼びます(写真はお不動様)。

よくお話をするのですが、国立博物館で「密教美術展」とか「〇〇寺名宝展」などの開催があると、たくさんの人々が群がって入場します。入場券を求めるだけでも一時間もかかるのに、列をなして並びます。これは皆様の心の中の法身の仏様が、仏像や仏画の応身に会いたいと思うからです。そうでなけば、高い交通費をはらって、遠方から出向くはずがありません。
そして第三には、仏様は浄土にいらっしゃるので、これを「報身」の仏様と呼びます。浄土とは曼荼羅の法界ともいい、真言密教ではここから本尊様をお迎えします。そして、行者は自身の法身と、壇上の応身と、法界の報身を冥合させるのです。
よく、自然という〝大宝殿〟があるのに、どうして寺院や本尊が必要なのかと主張する知識人(?)がおりますが、それは間違いです。私たちは形ある姿を通じてこそ、心の中を見ることができるのです。応身の仏像や仏画があるから、心の法身がこれに感応するのではないでしょうか。「信は荘厳から」とは、この意味なのです。仏様は私たちの心の中に、そして仏像や仏画にも、また浄土にもいらっしゃるのです。
5月の伝道法語
令和8年5月5日
五月の伝道法語を、境内の掲示板に公開しています。お隣りの老人ホームの方が、よく声に出して読んでくれています(写真)。

人生に失敗はつきものです。いや、成功よりも、むしろ失敗することの方が多いはずです。何度もの失敗を重ねた上に、やっと成功があるといった方が適切かも知れません。
だから、前向きなプラス思考も大切ですが、マイナス思考もまた大切です。最悪の事態に対する備える覚悟がないと、イザという時の対応ができません。人はその失敗の時にこそ、真価が問われます。失敗という逆境から何を学ぶかで、次の成功を手にすることができるからです。失敗から何も学べなければ、それは、ただの失敗に過ぎません。もし「成功の法則」というものがあるなら、それは「失敗の法則」でありましょう。逆境の時にこそ、決して沈んではなりません。
しかし、順境の時に浮かれてはなりません。三度ことをなして、三度とも成功したとするなら、むしろ「危ない!」と思いましょう。その成功が浮かれ気分となり、自信過剰となり、増上慢となり、取り返しのつかない失敗を招くからです。人生とは沈まず浮かれずの二つながらを、常に心得ることが大切なはずです。
続・タテの流れとヨコの流れ
令和8年5月3日
あさか大師では昨日と今日、総回向法要(先祖供養)を勤修しました。ゴールデンウイークのさ中、遠くは名古屋や甲府から、たくさんの皆様がお集まりになりました(写真)。また、このブログをお読みになって、初めてという方もお越しになりました。

私たち生命にはタテには先祖の流れ、ヨコには自分の前世の流れがあります。そして、それぞれが交差し、最もふさわしい父母と、最もふさわしい時間のもとで、この世に誕生しました。この事実は、自分でなければ果たしえない天命があるからだと、思わざるを得ません。
そして、その天命とは決して自分という個人にのみ与えられたものではなく、父母や祖父母から引き継いだ大きな流れがあるはずです。それが、この世とあの世との流れです。これを知らずして、人生の天命をまっとうすることはできません。
あの世には先祖代々の直系、叔父叔母の傍系、無事に誕生し得なかった水子との、三つの流れがあります。「人生を変える先祖供養」を目ざすなら、この三つの流れを無視してはなりません。形式的な回忌法事や、墓参ばかりで済ませるというわけにはいきません。
また、プロ(密教の導師)の修法と自分の祈りを融合させることも大切です。自己流や自己満足では成就しません。そして、継続することです。時おり、気まぐれにすることではありません。皆様の天命がまっとうされますことを祈ります。
*あさか大師の先祖供養に参加をご希望の方は、ホームページの「お問合わせ」からご連絡ください。供養料は父母両家を合わせて一ヶ月2000円です。勧誘はいたしません。檀家制度もありません。入退も自由です。新しい人生に向かって、さらに一歩を踏み出していただきたいと思います。
タテの流れとヨコの流れ
令和8年5月1日
あさか大師では5月2日(土)・3日(日)午後1時より、総回向法要(先祖供養)を勤修いたします。私のブログを呼んで関心を持たれた方は、ご自由にご参列ください。初めての方も歓迎いたします。この頃は、初めての方もよくお越しになります。
「人はこの世とあの世を同時に生きている」というのが、私の考えです。だから、「あの世はどこにありますか」と問われれば、「ここにありますよ」とお答えしています。この世を「現世」というのは、あの世の映しだからです。あの世がフィルムでこの世が映像です。
私は毎朝、先祖供養のため、光明真言法という真言密教の行法を修しています。あの世との感応があると、お灯明がゆらいだり、お塔婆の先端から霊気が上昇することがあります。こんな時はこの世とあの世を同時に生きていると、本当に実感します。お灯明は決して飾りではありません。闇路を照らす智慧の光として、お供えするものです(写真)。あの世の方々は、その光を喜ぶからです。

また深夜に天空を見渡すと、何かあの世に引き込まれるような、そんな感覚に襲われることもあります。天空のどこかに、あの世の入口があるのでしょう。この世の一生は、永遠の旅のほんの一瞬に過ぎません。生と死は連結して限りなく続くからです。
また、自分の両親や祖父母は、最も縁の深い方々で、これがタテの流れです。それに前世からのヨコの流れが交差した瞬間、私たちはこの世に誕生します。だから、先祖供養は自分自身への供養でもあるのです。いのちの修養でもあり、栄養でもあります。この世の自分を大切にしたいなら、あの世の方々も大切にしましょう。それはまた、あの世への楽しみにもなるのです。
*先祖供養に関しては、いろいろな角度から何度も書いてまいりました。ご覧いただければ、幸甚に存じます。

