令和2年10月16日
あさか大師で得度(仏門に入る儀式)をして真言密教の教えを学び、修行をする方が増えてまいりました。
得度をして最初に何をするかと申しますと、〈礼拝加行〉という修行から始めます。これは〈五体投地〉といいまして、右ひざ・左ひざ・右ひじ・左ひじ・額の五か所を床に着ける礼拝を百八回くり返し、その後に経典や真言をお唱えする修行です。これを続けますと足腰が痛んだり、膝から血が出たりしますが、結願(終了)する頃にはいかにも僧侶らしく法衣も似合って来ます。また体つきも顔つきも変わって来ます。
どうしてかといいますと、ヨガ(真言密教では瑜伽といいます)よって体と心を同時に修行するからです。礼拝というヨガのポーズは、頭を下げることにより慢心を除くはたらきがあるからです。つまり、人間を変えるためには、体も心も同時に変えることが重要なのです。道徳と宗教は何が違うのかと申しますと、道徳は心の教えを説きますが、宗教は心の教えを説くと共に体を使って修行をするという点にあるのです。体と心は一つなのです。心を変えるためには体も変えねばなりません。
また、体と心の間には言葉があります。体のはたらきと心のはたらきを兼ねるのが言葉です。お経や真言をお唱えするのはそういう意味です。道徳の教えも大切ですが、尊前に礼拝し、お経や真言を唱え、仏さまのお顔にうっとりすれば、人は必ず変わります。さらに美しい仏具やお香のかおりに触れれば、もはや申し上げるまでもありません。
現代は「まわれ右!」すらできない子供たちがたくさんいます。授業に集中できない子供たちもたくさんいます。それは教育というものを、心の問題としてとらえ過ぎるからです。スポーツや山歩きをしてクタクタになれば、何かが変わるのです。声に出す訓練をくり返せば、何かが変わるのです。昔の人がお百度やお遍路、また滝修行や山岳修行を重んじたのはその意味です。授業の勉強も大切でしょうが、人間の育成にはクラブ活動が大切だと、私はいつも思っています。