令和8年6月4日
生きるとは、一日一日が死に向かうことです。人生の目的をあえて申し上げるなら、それは「どのような死を迎えるか」に尽きるのです。ところが、ほとんどの人が終活はしても、死について考えることがありません。そして、何ひとつ教えられることがありません。親からも学校からも、寺の住職からも教えられることがありません。これであの世に旅立つのですから、〝迷う〟のは当たり前です。
亡くなって四十九日間を、仏教では「中陰」といいます。この世とあの世の中間で、「幽界」ともいいます。あの世の「霊界」に向かう待合所です。この間は、肉体から脱した幽体として生活します。「のどが渇いた」「お腹がすいた」と言っても、生前のように飲むことや食べることから別次元の生活に慣れねばなりません。いわゆる「香りを食とする」と仏典『俱舎論』(写真)には説かれています。〈香り〉とは食事の香りでもありますが、遺族の想いが香りとなります。だから、お線香をお供えするのです。

皆様はいかがでしょうか。香りで満足する生活を、四十九日間で達成できますでしょうか。さらに重要なのは、生前の業(カルマ)が深いと、その重さから霊界には往生できないということです。悪事を重ねたり、強欲に生きた人ほど、重い業を背負っています。しかし、ここで救いとなるのが、遺族が善事をなして「追善」をすることです。死者に変わって、遺族が善を追うのです。
これによって、死者の業は軽くなり、その功徳によって霊界に往生することができるのです。死者が往生しないと、幽体のままこの地上にとどまります。これが幽霊です。今の日本には、お葬式もされず、追善もされない幽霊がいかに増えているかがわかりますでしょうか。
この世はあの世の映しです。だから、「現世」といいます。あの世の生活は必ず子孫に映し出されます。この世でうまくいかないことは、あの世でうまくいかない映しです。だから、先祖供養が大切なのです。ただし、先祖供養は自己流ではいけません。とんだ、落とし穴があるからです。次回、さらにお話をいたします。
*筆者の先祖供養に関心のある方は、ホームページのブログから検索してください。毎日、真言密教の「光明真言法」を修して皆様の先祖供養に励んでいます。

