魂を入れるために

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信仰

令和5年5月21日

 

数日前、エンゼルスの大谷翔平選手が、自分のバットに〈心臓マッサージ〉をしている姿がテレビ放映されていました。バットの上(太い方)から三分の一ほどの所を自分の片膝かたひざに乗せ、両手を心臓マッサージと同様の手つきを何度もくり返していました。もちろん野球のバットは堅い木材ですから、心臓マッサージのようにはいきません。チームメイトも「またやっているのか」といった表情で、笑っていました。

私はその放映のほんのわずかを目にしたに過ぎませんが、「なるほど!」と思ったのです。どうしてかといいますと、大谷選手ほどの〝天才〟でも、スランプはあるのでしょう。以前、まったく打撃がふるわなかった折、悩みぬいた末にバットへの心臓マッサージを思いついたらしいのです。するとどうでしょう、次の試合から連続ホームランが飛び出したのです。スポーツ選手はよくゲンをかつぐといいますが、本当に苦しんだ時には、こんなことも思いつくものです。ゲンの担ぎも大事なのです。

しかし私は、この心臓マッサージは単なるゲンの担ぎとは思えません。なぜなら、仕事上の道具に魂を入れるためには、これくらいの配慮と努力がいるからです。手入れを怠らぬことはもちろんですが、普段とは違った何かを工夫しなければなりません。つまりプラス・アルファの力が必要だということです。

私が若い頃、法螺貝ほらがい(写真)の練習に励みましたが、なかなかいい音が出ませんでした。特にユリといわれる高音を響かせるまでには悩みました。そこで私が考えたことは、法螺貝を持って滝に打たれることでした。自分の法螺貝に想いを込めるためには、今はこれしかないと思ったからです。もちろん滝の中は岩だらけですから、落下の勢いに押されて落としたりしたら大変です。それでも法螺貝に魂を入れるつもりで、その荒行に挑みました.

結果は上々でした。法螺貝との一体感が深まったのでしょう。自分の吹き込む息と、ピッタリと同化してきたのです。ユリも出せるようになりました。以来、仕事の道具(私の場合は法具)にはこれくらいの配慮と努力がいることを実感しました。皆様の道具は何ですか。魂を入れていますか。そのための配慮と努力をしていますか。「魂を入れるために」ですよ。

山路天酬密教私塾

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