斎藤茂吉・茂太の厄よけ法

令和2年1月19日

 

医者であり、またすぐれた歌人でもあった斎藤茂吉さいとうもきちと長男・斎藤茂太さいとうしげたにまつわる、厄よけ法のエピソードが残っています。

茂吉は大正九年、まさに四十二歳の大厄の折、流行のスペイン風邪(インフルエンザ)にかかりました。当時は死亡率も高く、なかなか快方に向かいませんでした。たんに血が混じり、熱も下がりません。あまりに長引くので、温泉で療養することになりました。ほぼ一年にわたって九州各地の温泉場を回り、好きだったタバコも絶ち、その間に多くの秀歌しゅうかを詠みました。療養のかいあって回復した茂吉はその後も活躍し、七十二歳まで生き続けることができました。この時代では、かなり長命であったと思います。

一方の茂太は昭和三十八年に大厄を迎えました。新宿と府中の病院をかけ持ちで、超多忙の生活でした。往復の車を運転しながら、妻におにぎりやサンドイッチを口に入れてもらうような始末で、帰宅は深夜二時・三時であったようです。

そんな茂太を見て母親が、「厄年なのだから気をつけなさい」と忠告し、厄よけのいい方法を教えると言い出しました。「家から一番近くて交通量の多い交差点で、おまえが使っているフンドシを落としてくれば厄よけになる」とのことでした。茂太はそんなずかしいことなどできるわけがないと、断固として母親の忠告を聞き入れませんでした。健康に対する自信は相当にあったようです。

ところが茂太は間もなく、睾丸炎こうがんえんにかかりました。しくも下半身の病気で、フンドシを落とす厄よけ法を思い出したのは申すまでもありません。「こんなことならフンドシの一本ぐらい落としておけばよかった。睾丸こうがん後悔こうかい)先に立たずだ」と、ユーモアあふれる洒落しゃれを残しています。またまた母親から「川崎大師へお参りに行け!」と命ぜられ、今度は素直に従いました。このような著名人でも厄年に思い当たり、厄よけを心がけていたというお話であります。

山路天酬密教私塾

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