令和2年7月12日
尊徳・二宮金次郎は現代の小田原市栢山の農家に生れました。四歳の折に酒匂川の氾濫で一家の田畑は流失し、さらに十三歳で父を亡くし、十五歳で母を亡くし、叔父の家に引き取られました。少年金次郎は昼は叔父の農業を手伝い、夜は父が残した書物を読み、学問に励みました。叔父から灯油が減ると苦情を言われるや、友人から一握りの菜種を借り、それを空き地に蒔きました。そして、一年後には百五十倍の菜種を収穫し、その灯油をもって学問を続けました。
また、農民が捨てた稲苗を拾い集め、荒れ地を耕してこれを植えました。秋になると一俵余りの収穫となり、その喜びと発見が生涯の教訓となりました。すなわち、「小を積んで大となす」の鉄則を知ったのです。こうした少年期の経験が、後の偉業の原点であることは十分に得心されましょう。やがて生家に帰った金次郎は少しずつ田畑を買い戻し、三十一歳にして立派な大地主となりました。その実績を買われて、家老・服部家の財政を立て直し、藩主・大久保忠真公の依頼で桜町領(栃木県芳賀郡)の廃村復興を手始めに、数々の藩政再建にも着手していきます。
では、金次郎こと二宮尊徳の言葉を聞いてみましょう。
「大事をなさんと思う者は、まず小事を怠らず努めねばならない。一万石の米も一粒ずつ積んだもの、一万町歩の田は一鍬ずつ積んだもの、万里の道も一歩ずつ積んだもの、高い築山も一杯ずつ積んだものである。だから小事を努めて怠らなければ、大事は必ず成就する」
尊徳は勤労をその数でイメージさせ、学問のない農民にもやる気をおこさせる達人でした。一反を耕すに鍬は三万回以上、稲苗は一万五千株、実った米粒は六万四千八百粒余りと、それを目標に小さな努力から始めさせました。その著書『天徳現量鏡』では百八十年にも及ぶ利息計算を示し、小さな努力がいかに大きな利益をもたらすかを説いています。
「早起きをして稲を多く得る。稲を多く得て米を多く得る。米を多く得て馬を多く得る。馬を多く得て田を多く得る。田を多く得て貸し金を得る。貸し金を多く得て利息を得る。富を得るには、まず早起きをすることである」
早起きをして働くか否かは、一里の差となり、二里の差ともなると尊徳は説きます。富を得るのもそのとおり、貧に陥いるのもそのとおりと説きます。早起きをして働くことが、富を得る道であることをくり返し語りました。
「米を見てただちに米を得ん(食べん)と欲する者は、盗賊禽獣に等しい。人たる者はすべからく米を蒔いて、後に米を得ることである。楽しみを見てただちに楽しみを得んと欲する者は、盗賊禽獣に等しい。人はすべからく勤労して、しかる後に楽しみを得ることである」
現代はまじめに働くことを、バカにする人すらいます。もちろん、遊んで収入が得られるほど、人生は甘くはありません。後の楽しみのために働くのは当然のことです。尊徳の言葉、明日も続けましょう。