男はなぜ、毎日酒を飲むのか

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人生

令和3年12月20日

 

タイトルは忘れましたが、かなり以前、ある韓国の歴史ドラマを見ました。その中で、新羅しらぎのさる城主と臣下の者が、毎日酒を飲む姿をを見て、城主の妻が「世の男という男は、なぜこうも毎日酒を飲むのか」と語るシーンがありました。私はこの言葉が忘れられず、思い出しては彼女の心底を探ろうとして来ました。

たしかに、男という生き物は特に一日の終わりに、酒を飲まねば何か〝ふん切り〟がつかないという感情の生理があるのようです。とにかく、男の人生といえば、酒をぬきにしては考えられません。上は宮中の天皇から長屋の庶民にいたるまで、男が求める者は、まず酒なのです。文学・書画・詩歌・音楽・芸能もまた酒をぬきにして語れません。唐の詩人・李白りはくは泥酔して池に映った月を取ろうとしておぼれ、その生涯を閉じました。「李白は一斗いっとう詩百篇、長安市上酒家に眠る(飲中八仙歌)」と歌われるくらいです。そのほか、日本画壇の巨匠・横山大観は毎日二升三合を飲んでいたとされるほどの酒豪です。池波正太郎の人気ドラマ『鬼平犯科帳』でも、主人公の長谷川平蔵が酒を飲まぬ日はありませんし、作者本人もまた、こよなく酒を愛しました。

酒は「百薬の長」などと称しますが、いかがでありましょう。ほどほどに飲めば健康によいかも知れませんが、本当にほどほどに飲めるのでしょうか。一方では「気ちがい水」とも称し、諸悪の根源もまた酒なのです。酒によって人生を狂わした例は、枚挙にいとまがありません。

酒を讃えた文例をあげるなら、まずは貝原益軒かいばらえきけん(江戸時代の本草学者)の『養生訓ようじょうくん』に出て来る「酒は天の美禄びろくなり。少しのめば陽気を助け、血気をやわらげ、食気をめぐらし、愁いを去り、興を発して、はなはだ人に益あり」でありましょう。ただし「少しのめば」、なのです。ここで踏みとどまれるかどうかは、まさに男の人生がかかっているということです。

かといって、まったく飲まないというのも(体質的な理由はともかく)、いささか魅力に欠けるかも知れません。もちろん、例外はありますが、何ごとも〝ほどほど〟が大切なように思います。よし田兼好だけんこうは『徒然草つれづれぐさ』で「下戸げこならぬこそ、おのこはよけれ」という名言を残しています。

冒頭の城主の妻は毎日、男たちの酒宴を見ながら、この生理的矛盾に悩んだはずです。男と女は協力することはできても、理解し合うことはできないのかも知れません。

山路天酬密教私塾

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